2024年8月17日(土)、朝早く、北広島町の吉川元春館跡を訪ねた。昨晩、日が変わる頃、寒曳山PAに着き、車の中に寝たら、寒さで目が覚めた。毛利元就の次男吉川元春が、1583年頃、隠居所として建てた館跡を訪ねた。東側の正面と復元模型。
元就の次男元春は、山陰一帯に勢力を振るっていた名族吉川家の養子となり、瀬戸内海水軍を抱える小早川の養子となった三男隆景とともに、「毛利両川」と呼ばれ、毛利氏の中国地方制覇を支えた。
広々とした館跡を四方向から眺めた。北東から
北西から
南西から
南東から
館の南西奥には、元春と長男元長の墓があった。
元春三男の吉川広家は、関ヶ原の戦いにおいて、徳川方と不戦の密約を交わし、結果的に、西軍の総大将にまつりあげられた、従弟で主君の輝元の助命と防長二国を毛利に残した。