ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

祝島(その2)

2024年06月10日 | しま

 2024年6月7日(金)、平さんの石積み棚田(島の宝100選)を見に行く。
 祝島のパンフレットには、「農業平万次氏の祖父と父、そして万次氏の三代で築いた棚田の高石垣は最も高いところで9mあり、棚田の石垣では日本で最大級」と紹介されている。
 ②平さんの石積み棚田 
  石積みの練塀の路地を通り、高台に出た。島の集落と、牛島・馬島・佐合島が見える。
  
  コンクリート舗装の道路を約3km以上歩く。
  あちらこちらに特産のビワが実っている。

  
       歩くこと約1時間、やっと着いた。
     
      見学を終えて帰ろうとしたとき、偶然、万次氏がテーラー(耕運機の後ろに荷台を牽引した乗り物)に乗って現れた。
     
   作業小屋の中を見せて貰ったり、説明を受けた。
 ア.「米さえあれば、人間は生きていける。子孫が困らないように」と、大正の終わりこ
    ろから
原野を開拓した。
 イ.大きい石で直径1m以上もある石を、テコを使って、人力で積み上げた。
   
   この石も、よく見ればひとつである。
         
 ウ.30年間、家族(父親は5人?の男兄弟、2人の女兄弟)だけで作った。
   
 エ.作業小屋は、祖父の手作り。松の木を上の方から切り出し、瓦は10数枚ずつ背負っ 
   て運んだ。祖父は、晩年通えなくなったので、小屋で寝泊まりして作業をした。
         
 オ.晴れた日は、島と島の間に、伊方原発3号機のドーム型建屋が見える。
          その右に、日本で一番長い半島、佐田岬に並んだ風力発電のプロペラが見える。
         
 カ.目の前の海で、戦艦大和が試射したのを覚えている。
 キ.有名人もたくさん来た。桂文珍、はざま寛平、黒田征太郎(イラストレーター)
   
 ク.5年前くらいから、年を取ったので、コメ作りはしていない。
 
 時たまにしか来ないという、90歳の万次氏から、直接、話を聞けたのは超ラッキーだった。 集落に戻ってくると、上関原子発電所建設地点が目の前にあった。
         
      

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛島と祝島(その1)

2024年06月09日 | しま

 光市室積港から南東約8.4kmのところにある牛島(うしま)に行った。牛島に向かう船から見えた祝島にも行きたくなり、出かけた。平生町大星山(438m)から見た牛島・祝島。上関町長島の上盛山(314.7m)から見た牛島・祝島。

牛島(2024年5月21日)
 室積港10時発の船に乗って、10時20分牛島港に着いた。島民22世帯、30人。
 
 帰りの船12時30分まで約2時間、島内を歩き回った。
     
①藤田・西崎の波止
   
②平茂(ひらも)海岸
 牛島小学校跡を横目に、山越えをして着いた約900mの東海岸。
     
    上盛山の風力発電のプロペラや、大星山のプロペラが見える。   
   
祝島(2024年6月7日)
 反原発の島。201世帯、275人。
 上関町室津港6時10分の船に乗って、6時38分祝島港に着いた。
   
 帰りの船12時30分まで、約6時間、島内を歩き回った。
 ①石積みの練塀(ねりへい、未来に残したい漁業漁村の歴史文化遺産100選)
  港近くの集落に、冬の強い季節風を防ぐため、練り塀の家があちこちにあった。
        
           

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野島

2023年09月09日 | しま

 2023年9月6日(水)、防府市の南東約15㎞の沖合にある野島に行った。北の大津島「魚雷見張所跡」から見た野島。

三田尻港から、12時30分発の定期船「レインボーあかね」に乗った。乗船客は、宅配便の兄ちゃんと二人だった。

事前に野島のことを調べたら、防府市出身の直木賞作家伊集院静さんの小説「機関車先生」の舞台になった島だと紹介されていた。30分後、野島に着くやいなや、図書館で借りて読んだ小説の場面を思い浮かべながら、島内を散策した。

周防野島灯台(白灯台)
 草が生い茂り、あまり手入れがされていない小道を、迷いながら登って、やっと着いた。小説に書かれていた「右手に九州、国東半島の突端が青く霞んで、左手に四国、佐多岬が水平線に浮かんでいる」を期待して登ったが、木々に覆われ、海が見えなかった。

野島小中学校
 中学校は廃校になり、小中学校になっていた。本土から児童、生徒の渡船通学を受け入れている。門を入ったところに、「機関車先生」の記念碑が建てられていた。「ばあちゃん、もう春は来とるんかな」。小説の1ページ1行目の文章だった。

大笑い観音
 「いつまでも笑いを忘れず楽しく暮らしたい」との願いを込めて、平成8年8月8日(ハ・ハ・ハの日)に建立された。

津久美浜
 丸く、黒っぽい小石がびっしりあった。

 見たことがない草花が咲いている。何という花だろう。よく見ると木の枝に咲いていた。木花だった。帰って調べると海浜に生える、北のハマナスと対比される南の「ハマゴウ」だった。

矢立神社の隣に、診療所があった。ここが機関車先生の下宿先「阿部医院」だろうか?
 人家が集中している野島港を眺めた。

平島・沖島
 赤灯台の波止場から、右から津久美浜・平島・沖島、その向こうに大津島が見えた。

 16時30分発の帰りの定期船には、渡船通学の小中学生と先生、郵便局員らしき人、宅配便の兄ちゃんほか20名弱が乗った。デッキに出してもらえなかったので、島全体の写真が撮れなかったのが残念だった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八島

2023年06月17日 | しま

 2023年6月16日(金)、山口県最南端の島、上関町八島(やしま)に行った。上関室津港から南に12km。見る場所によっては、1島でありながら、幾つもの島が重なって見えることから八島と呼ばれるのだろうか。北東の平郡島の帰りに船から見た八島と、北西の長島「上盛山」山頂から見た八島。

6時20分出港のかみのせき丸は、定員58名のところ乗船客2名、30分で島に着いた。

島の北部の広葉樹カシワと針葉樹ビャクシンが混生するという与崎まで、海沿いと山道を約4km歩いた。

古浦海岸の奇岩を見た。

八島神社の参道は、途中草が生い茂り通行できなかった。

八島八十八カ所

東の海岸と西の八島湾の海岸
 八島八十八カ所前面の東の海岸には、いろんな模様と形の石があった。
   
 一方、西の八島湾の海岸の石は、ほとんど全て黒っぽくて丸かった。
   
港近くの集落のあちらこちらに、区長さんが板に描いたアニメキャラクターや動物が掲示されていた。
 
 6時間島を散策後、13時発の船から、小さな山が約1㎞連なる与崎を眺めた。帰りの乗船客も2名だった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする