2024年11月15日(金)、16時に旅客手続を終え、待つこと2時間、18時に釜関フェリーに乗船した。帰りは、韓国船「星希」。搭乗券をもらうとき、2段ベッドの下をお願いすると、ベッドではありませんと言われた。従来型の2等客室で、雑魚寝になるようだ。寝返りも出来ないようだったら、嫌だなと思っていたら、定員6名のところに3名。
21時の出航まで、デッキに出て、釜山港の夜景を見たり、同室の二人と話をして過ごした。
1人は、休暇を取って、ソウルから釜山まで約700km、自転車でツーリングしてきたという、東京の青年。もう一人は、中国大連出身の、日本語が話せる香港の大学院生。下関に着いてから小倉・佐世保・長崎に行き、来月は舞鶴に行くという軍港マニア。若い二人のチャレンジを聞いて、好きな東南アジアの旅を再開したいと思うようになった。
11月16日(土)6時半、レストランで8,000ウオン(約700円)の朝食(バイキング)を食べた。
出発前はいろいろ心配したが、7時45分下関港に着き、無事、釜山旅行を終えた。
2024年11月15日(金)、今日は帰国の日である。午前中、国連軍墓地に行った。1971年8月、初めて韓国に行ったとき訪れて以来、53年振りである。釜山で訪れ、記憶にある場所は、釜山駅・龍頭山・海雲台ビーチ。「なぜ」国連軍墓地を訪問したのか。そして「どのように行ったか」、全く覚えていない。
国連軍墓地は、1951年、国連軍司令部が朝鮮戦争によって戦没した国連軍将兵の遺体を安置するため造った墓地である。世界唯一「国連記念墓地」に指定され、13か国約2,300人の英霊が祀られている。
1971年8月1日、「なぜ」「どのように行ったか」考えてみた。
「なぜ」
冷戦の真っただ中、朝鮮戦争休戦約20年の節目で、当時何かと話題になっていた。
「どのように行ったか」
記憶と記録は、11時まで釜山駅にいたこと、列車に乗ったが、海水浴客に連られて海雲台で降りたことの2点。旧鉄道路線は山側に移設され、現在は廃止されている。当時の海雲台駅が、地下鉄2号線「海雲台駅」になっていることを考えると、旧鉄道路線は、地下鉄2号線に沿ってあったと、勝手に推測した。
今は、「国連記念公園」「国連記念墓地」と呼ばれ、地下鉄2号線「大淵駅213」から歩いて10分のところにあった。
53年前と同じ場所に立って撮っても、残念ながら何も思い出せなかった。
2024年11月14日(木)、海沿いのトレッキングコース「二妓台海岸散策路(イギテ ヘアン サンチュクロ)」を歩いた。北の広安大橋方面から歩こうか、南の「五六島(オユット)スカイウォーク」から歩こうか。ユーチューブやBusan naviで推奨していた「五六島」から歩くことにした。
計画・・・「地下鉄1号線『釜山駅113』から6番目の駅『西面駅119』で2号線に乗り換え、7番目の駅『慶星大・釜慶大212』で下車。5番出口から釜慶大方向に約100m行き、化粧品ショップ『SKIN FOOD』前のバス停で2-1番のマウルバスに乗る。終点「五六島(オユット)船着場』で下車」
ビルは看板だらけで、『SKIN FOOD』を聞いても分からない。バス停で、2-1番のバスが中々来ないので、2番のバスに乗ったら、山の手を回って、乗車したバス停の反対車線に戻ってきた。こりゃ無理だ、行けない。広安大橋方面から歩こうと下車し、地下鉄で1駅先「南川駅211」に行った。
南川駅から約2km、水營湾沿いに歩けばよい。最初から、ブログに従っておけばよかった。
途中、コンビニで弁当を買うつもりだったが、見つからない。ホテルを9時前に出て、昼近くになっていたので、レストランで食事をする。メニューの一番上のハングルを指さし注文した。
腹ごしらえをして、ようやくスタートすることが出来る。地図の下の方は、住居だろうか、ものすごい数だ。12時にスタートラインに着いた。
ときどき、振り返ったら、広安大橋(ダイアモンドブリッジ)が見える。魚釣りしている人もいる。
散策路は、しっかり整備されている。
14時過ぎ、4.7km歩いて、五六島(オユット)に着いた。スカイウォークも見える。
歩いてきた北方向を見ると、高層ビル群が見える。振り返ると、釜山港の入口だ。
断崖絶壁からガラスの道が10m突き出た「五六島スカイウォーク」を、恐る恐る歩いた。
帰りのマウルバスは、あちらこちら回って、ようやく南川駅211近くに戻ってきた。また、迷子になりそうだった。2015年に関釜フェリーから撮影していた写真を出して、今回歩いた海岸を再確認した。
2024年11月13日(水)、午前中に美景スポット2か所を見て、午後「草梁(チョリャン)イバクキル」を訪ねた。イバグは「話・ストーリー」、キルは「通り」。つまりイバグキルとは、「話の道」「ストーリーのある道」。
釜山駅広場正面のチャイナタウンの門を潜って進んだ。
昔の姿を語り継ぐために保存された、約50年前の釜山らしい。
「168階段」の無料モノレールは、あいにく工事中で乗ることが出来なかった。
168階段の途中にある、釜山出身の作詞家キム・ミンブ氏を記念した「キム・ミンブ展望台」から、釜山駅・釜山港大橋を眺めた。
釜山駅の2Fテラスから、持参していた1971年8月1日の写真と、山容を確かめ、当時の建物と現建物を照合してみた。同じ建物は見つからなかった。全て建て替わっているようだ。当時、広島より10年は遅れていると思ったが、近代的な都市に変わった釜山駅前を、感慨深く眺めた。
2024年11月13日(水)、甘川文化村を見て、次の美景スポット「ヒンヨウル文化村」に向かう。下車した反対のバス停から、マウルバスで「土城駅」に戻った。
計画・・・「『土城駅109』から2つ目の駅「南浦駅111』で下車し、6番出口の入口にあるバス停から7番、71番のマウルバスに乗り、『ヨンソンドンペクリョンサ』で下車する」
計画通りバスに乗ったが、観光客が一人も乗っていない。どこで降りるのだろうかと、不安になりかけたころ、海が見えてきた。車内放送は分からないが、この辺だろうと思い下車した。当たりだった。
断崖絶壁にたたずむ、白く美しい街並みと目前に広がる青い海。「プサンのサントリーニ」と呼ばれている「今HOTなおさんぽスポット」。
町並みを俯瞰できる場所を見つけることが出来なかったのが残念だった。