平成28年12月19日(金)、山口藩庁から歩いてすぐの一の坂川沿いの錦旗製作所址を訪ねる。錦旗製作の経緯について、品川弥二郎の伝記に、次のように書かれている。
慶応3年(1867年)、品川弥二郎は、薩摩の大久保一蔵とともに、岩倉具視に呼ばれ、別荘に行く。この曲者の公家は、「征討軍には、やはり錦旗が必要じゃ。できるか」と、むかし大江匡房が著した『皇旗考』を参考にした錦旗の図案を示した。弥二郎は錦旗の図案と反物を携えて山口に帰った。萩の有職師士岡吉春が、一の坂川べりの諸隊会議所で、30日かけて、日月章の錦旗各二旒、菊花章の紅白旗十旒を製作した。
藩庁が山口に設けられると、役所や役人の住まいが大量に必要になり、豪農・豪商の屋敷や離れが藩士の住まいとされた。竪小路で醤油業を営む萬代家の離れ「十朋亭(じっぽうてい)」もその一つで、桂・久坂・高杉・伊藤・井上・山縣らも訪れたそうだ。(平成30年オープンの資料館を敷地内に建設中のため、現在は閉館)
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