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ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

高山・観音山

2025年04月12日 | 山歩き

 2025年4月7日(月)、阿多田島の高山(204m)・観音山(116m)に登った。1月に登って、今年2回目。1月は、観音山から高山に登って、左回りに島を一周。この日は、高山から観音山に登って、右回りに島を一周した。

高山(204m)
 山頂から、北に宮島、東に次に登る観音山とその向こうに大黒神島を眺めた。
   
観音山(116m)
 山頂はどこだろうか、分り難い。 黄色のレンギョウが咲き誇っていた。白のザイフリボク・黄のサルトリイバラの若木・ピンクのコバノミツバツツジのコントラストが鮮やかだった。
 
 卒業記念・結婚記念・出産記念などで植えられた桜を見ながら、周回道路を一周した。同行の一人が酒のつまみにと、ワラビを取りまくっていた。花より団子。自分も樹木観察ばかりではなく、今後は実利を求めてみようと思った。
 
港近くのサクラの木の下で、ちょっと一杯飲んだら、あっという間に帰りの船の時刻になった。
 

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野登呂山

2025年03月24日 | 山歩き

 2025年3月20日(木)、安佐南区の野登呂山(452.8m)に登った。登山口は、南麓の広島安佐カントリークラブ近く。登山口には、アセビが咲いていた。これを見て、さぞかし今日はアセビが沢山見られるだろうと期待した。

登山路はよく整備され、木の根っこが階段のように、横に這っていたのが特徴的だった。残雪も少しあった。

途中、正面の武田山(410.5m)の向こうに、似島がかすかに見えた。写真に写っていないのが残念だ。

山頂から、南に団地や権現山、その向こうに太田川や二ケ城山(482.8m)、松笠山(374.3m)、呉娑々宇山の山なみ。

北には、中電南原ダム(右の白い部分)が見えた。

期待していたアセビなどの木花は、例年なら咲いているはずなのに、残念ながら全く咲いていなかった。下山したところでやっとアセビを見つけた。

 

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第3代奇兵隊総督「赤禰武人」

2025年03月23日 | 歴史の散歩

 2025年3月14日(金)、柱島の赤禰武人の生誕地と墓、そして3月18日(火)、山口市鰐石の処刑地に建てられた顕彰碑を訪ねた。
柱島の生誕地
 1838年、柱島にて、医者の長男として生まれた。

 若い頃から、僧侶月性(げっしょう)、松下村塾の吉田松陰、望南塾の梅田雲浜らに学び、尊王攘夷思想に傾倒。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、井上聞多らと英国公使館焼打事件を起こす。1863年、奇兵隊の第3代総督に就任。藩内クーデター・功山寺挙兵において高杉晋作と対立し失脚し、藩を脱する。その後、藩に戻り、幕府との全面戦争を避けようと同志を説得しようとしたが、裏切り者とみなされ、山口鰐石(わにいし)で処刑された。1866年、満28歳。
柱島の墓(西栄寺)
 
処刑地の顕彰碑(昭和28年建立、椹野川「井手ケ原河川公園」近く)

 高杉晋作は、病床にてこう語った言う。「(幕府との全面戦争回避を画策した)武人の心中を洞察することが出来ず、生命を全うさせることが出来なかったのは、残念だった。」

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2025防府天満宮の梅

2025年03月21日 | 樹木観察

 2025年3月18日(火)、山口に行く途中、防府天満宮に寄った。梅を見るために寄ること今年三回目。今日こそは咲いているだろう。着いた途端、驚いた。さすが防府天満宮。言葉が出ない。見事な梅が咲いていた。三度目の正直。あいにくの雨、花見客がほとんどいない。梅林を独り占めした。


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しま山「金蔵山」

2025年03月15日 | 山歩き

 2025年3月14日(金)、岩国港から南東26kmのところにある柱島の「金蔵山(きんぞうざん)」に登った。初めて登ったのが2021年。月日の経つのがつくづく早く感じる。中学1年生なら、早や高校2年生になっている。金蔵山(283m)は、しま山百選のひとつで、「西瀬戸内海の周防小富士」と呼ばれているところ。7時40分発の高速艇で、途中、柱島諸島の黒島・端島に寄って、8時39分に着いた。
 
登山口の柱島小中学校(2011年休校)から、山頂まで約1.1km。道はよく整備され、歩いた距離、山頂までの距離が掲示され、目安があり歩きやすい。

山頂には、太平洋戦争時の海軍の、見張り所の煉瓦の建物が残っている。

柱島は山口県岩国市にあり、広島県、愛媛県との県境にある。山頂から、南に山口県周防大島、東に愛媛県松山市の島々、北に広島県倉橋島を見渡した。
 
下山後、島一周農道を歩いた。海岸より一段高いところにある農道は、舗装され平坦で7km。農作物を運搬するために造られたそうだが、現在はあまり使われていないようだ。人口108人では已むを得ない。今はハイキングコースとして利用され、春と秋に地元の人が清掃しているそうだが、春はまだ先だ。落葉が集積し、落石や倒木もあった。

北に採石跡で直ぐわかる大黒神島、南に周防大島など周りの島々を確認しながら歩いた。

帰りの船の時刻まで集落内を散策した。


17時14分、岩国港に着いた。27,000歩、7時間30分の柱島だった。



 

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