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『秘花』
瀬戸内寂聴
秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず
これは、能楽の大成者世阿弥が著書『風姿花伝』に遺した言葉です。
若いころ、この言葉に魅かれて思わず岩波文庫の『風姿花伝』を買いました。
昨夜本棚を探したら、茶色く変色したのを発見。
解説すら旧漢字を用いてあるこの文庫本。
もちろん、読んだ気配すらありません(苦笑)
でも、当時の私が読んでみたい、と思うほどこの言葉が衝撃的だったんですよね。
その後、日本人でもあることだし、一応能というものに
興味は持ったこともありますが、なにせ敷居が高い。
入門書を買ったり、能面を見たり、
一度、平安神宮の薪能も見に行ったこともあります。
日が落ちて篝火がたかれ、幽玄の世界、というものを、
わずかに感じたようにも思いますが、
肝心の能がさっぱりわかりませんでした・・・
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その世阿弥を瀬戸内寂聴さんがお書かきになった、というので
読んでみたいなあと思っていたら、先週図書館で見つけたんです。
2日間ほどで一気読みでした。
それにしても、これを書かれた寂聴さんは85歳。
いまだ枯れることなく、色香漂う、流れるような美しい文章を
お書きになるのには驚かされるばかりです。
彼女の描く世阿弥は、彼女にしか描けない世阿弥でしょうね。
幼いころより美しく、12歳で時の将軍義満の寵愛をうけ、
また摂政二条良基からも愛され、彼らの庇護の下で世阿弥は
頂点に上りつめていきます。
誰にも言えない心の傷も、すべて自分の率いる観世座のためと
自分を押し殺して能一筋に生きる世阿弥。
しかし義満死後、観世座の繁栄にも影がさしてきます。
息子を失い、また世阿弥自身も72歳のとき
言われなき罪で佐渡に流されるのです。
波乱に満ちた世阿弥の生涯ですが、
その佐渡で彼の世話をするひとりの女性と愛し合い、
聴力や視力を失っても尚新しい能を書く意欲を持ちながら穏やかに生き、
幽玄の境地に達した世阿弥の最期はいかにも寂聴さんらしいと思いました。
文章の中にときどき謡が書かれています。
読んでいるうち、その謡が能の舞台を見ているかのように
頭の中に響きわたり、まるで世阿弥の舞を見ているようでした。
ほとんど能のことを知らないのに、不思議なことです。