ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

バレンタインデー奮闘記

2006-02-14 | 食べること。
今日は聖バレンタインデーだというのに、この日にときめくことがなくなって久しい私
でもうちの娘たちは花の女子高生に中学生。
この日に無縁のはずはない、と思っていたのですが・・・。

この週末、我が家は甘い匂いでむせかえるようでした。
そう、土曜日には長女が、日曜日には次女がキッチンを占領してクッキーとチョコレート作りに専念していたのです。
「お母さんは手伝わなくてもいいよ」とは言われたものの、気になって時々口出ししたり、つい手を出していやがられたり

クッキーなんて年に一度この日にしか焼かない長女は、意外に何事もなく作り終えました。
一方お菓子作りが好きな次女の方は、クッキーとチョコと2種類作るということで、大変だろうなあと様子を見ていたら・・・。
ぎゃっ
包丁で指先を切って血がだらだら
傷口が深かったのか血が止まらず、結局私がクッキーを焼くことに。
まあアイスボックスクッキーだったので、あと切って焼くだけですみました。

出来上がりはご覧の通り。



左の奥は長女が作った「天使のキス」というクッキーで、間にチョコがはさんであります。
すでに袋に包んだあとで、この2倍焼いてました。
右の奥2皿は次女が作ったアイスボックスクッキー4種類。
バットに並んでいるのはチョコレート3種類。

しかし、これはすべて(女)友達と交換するためのもの
はじめは数人にプレゼントしていたのが、だんだん人数が増えて今年はふたりとも10人以上にわたすそうで、こういう結果になりました。

そういえばン十年前、私も女の子同士で交換してたなあ・・・。
まさか自分の娘たちも同じことしてるとは・・・

私はというと、娘たちがこういうことをやりだしてからはとても自分が作る時間はなく、いつからか主人には買ってきたチョコをわたすようになってしまいました。
それまではチョコレートケーキやムースなど、けっこう手作りしてたんですけどねえ。

チョコレート好きの我が家の場合、バレンタインデーは愛のコクハクとは関係なく、おいしいチョコをいっぱい食べれる幸せな1日です
それにしても、いつになったら娘たちは好きなカレシのためにチョコを作るようになるんでしょう・・・









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2月は逃げる

2006-02-10 | 日々のこと。
寒い、寒いと言ってるうちに2月も10日になってしまいました。
今日はきれいな青空がひろがっていますが、風がつめたい!

2月という月は私にとってなぜか苦難の月です。
それに気づいたのは・・・学生のころかなあ。
受験から始まり後期試験に卒論と、やりたいことがあっても我慢を強いられる月であったのです。
あとになって、なにかの占いで2月は運勢がダウンする月と知り、やっぱりね、と思ったものでした。

そして今はというと・・・確定申告の時期なわけです
我が家は自営業。
確定申告をしなければいけないんですよね。
今はパソコンで簡単にできるようにはなりましたが、それでも領収書と照らし合わせたり、数字のチェックをしたりと地道な作業が必要です。
主人の分が済めば、次は両親の分(不動産収入があるので)。
こちらは全部手作業なので、電卓片手に領収書とにらめっこ。
だから2月は頭痛、肩こり、胃痛で過ぎていきます

とはいうものの、2月は私の運命を左右する月でもあるようです。
実は主人と出会ったのも2月。
京都からこちらに帰ってきて、鬱々としてるときに出会いました。
今思うと、運勢のダウンしている時期だったからよかったのかもしれませんね














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『長い冬』 春を待ちわびて

2006-02-09 | 読むこと。
立春が過ぎても寒い日が続いています。
昨夜から今朝にかけても雪が降りました。
でも、天気予報では明日は晴れとのこと。
今年のように雪が多いと、青空と陽射しの暖かさがとてもうれしくて、それだけで幸せな気分になれます

         

先日ワイルダーの『長い冬』のことをうろ覚えで書きましたが、もう一度きちんと読みたくて、やっと図書館で手に入れおもしろくて一気に読み終えました。

マイナス40度の世界。
三日三晩荒れ狂う猛吹雪。
燃料も食料も底をつき、燃料にするため干し草を編み続け、わずかばかりのジャガイモと黒パンで過ごす日々。
そんな過酷な冬を想像できますか?
しかもそんな冬が10月から4月までの七ヶ月間続くのです。

鉄道はストップし町は孤立してしまいます。
小麦粉がなくなったらどうするのだろう。
石炭や灯油がなくなったらどうなるのだろう。
アルマンゾは猛吹雪に襲われず、小麦を町に持って帰ることができるのだろうか。
何度読んでもはらはらし、読むたびに当時の人々の忍耐力とたくましさに驚かされます。

小麦粉がなくなったらかあさんはコーヒーひきで小麦を挽き、石炭がなくなったらとうさんは干し草をかたく編んで燃やそうとします。
どれも根気のいる作業ですが、子どもたちも手伝い家族みんなで力を合わせ困難を克服していくのです。

自分が母親となった今読むと、どうしてもローラよりかあさんのキャロラインの方に目がいってしまうのですが、こんなつらい日々でもとうさんに感謝し、家族に楽しみを持たせ、暖かくおいしい食事をつくろうとする姿勢には心を打たれます。

こんな日々に嫌気がさしたローラは、「何もついてない黒パンなんか、あきあきしたわ」とこぼします。
するとかあさんは「今あるものの文句をいってはいけません。いつも、それがあるのを幸運だと思うようにしなさい」といましめます。
そう、その黒パンをつくっていた小麦ですらもうなくなろうとしているのです。
少しずつ減っていく小麦を毎日見ながら、かあさんはどんなに心細かったでしょう。
それでも愚痴一つこぼさず、毅然とローラをいましめるかあさん。
本当にすごいなあと思います。

そんなとき、町から30キロほど離れたところに小麦を持っている人が住んでいるといううわさがひろまり、町に住む青年のアルマンゾとキャップのふたりがその小麦を探しに行くことにします。
なんの目印もない大雪原を何度もスルー(沢地)に落ち込みながら、二人はなんとか小麦を手に入れ帰路につくのですが、そこへまた吹雪が近づいてきます・・・。

このアルマンゾという青年が、ご存知のように将来のローラの夫となる人物なのですが、この話のなかではまだそんな気配もないようです。
それにしてもこの二人は、読んでいて惚れ惚れとするような青年
(いや、私がハートマークをつけることはないのですが・・・
ローラとアルマンゾのこの先が楽しみです。

大草原のシリーズを読んでいて興味をそそられるのは、食べ物の描写ですね
かあさんのつくる手料理のおいしそうなこと!
こんな厳しい冬の生活ですが、青いカボチャでこさえたパイ、待ちに待った汽車がやってきた5月にお祝いしたクリスマスのごちそうの数々。
そしてアルマンゾの焼く糖蜜のたっぷりかかったパンケーキ。
ああ、よだれが出そう。

乏しい食料で迎えたクリスマスでもかあさんはごちそうをつくり、みんなでささやかなプレゼントを用意してお祝いします。
当時の人々にとっては宗教というのは心の支えであり、クリスマスというのは本当に特別な日だったのですね。

このシリーズはどれも開拓期の人々の苦労が描かれていますが、それ以上に楽しみや喜びもたくさん描かれています。
大自然に囲まれた暮らし。
家も家具ももちろん食べ物もすべて手作りの生活。
頼りになるとうさんとしっかり者で優しいかあさんがいて、暖かい家庭があって。
今では得がたいそういったものに私たちは憧れてしまうのでしょう。

でも長い冬のあとには必ず喜びの春がくる、いろんな苦労を経たあとにこそ大きな喜びが得られるんだよ、ということをこの本は教えてくれているのかもしれません。
残念ながら今の時代は、親である私たちもラクに生きることが幸せだと思っているし、子どもたちもそんな私たちを見て育っています。
当時は開拓期の生活の厳しさに立ち向かう親を見ているからこそ、子どもたちも親を尊敬し親の教えを守り、自分もこんな大人になろうと思うことができたのでしょうね。

      

雪が降ったりやんだり、時おり青空が顔をのぞかせたり。
本当に明日は晴れるのかなあ。
寒さで縮こまっていたチューリップの芽が少し大きくなりました。
春は少しずつですが確実にやってこようとしているのですね。













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鬼さん こちら

2006-02-04 | 日々のこと。
きのうは節分。
我が家も子どものリクエストに応えて、サラダ巻ととんかつ巻をつくりました。
義母からも巻き寿司をもらい、みんなもうお腹いっぱい!
で、すっかり豆まきするのを忘れてました
だから我が家には、まだ鬼や物の怪の類がほっと胸をなでおろし、そのあたりにひそんでいるかもしれません。
最中でもほおばりながら・・・。

私の住んでいるところから車で1時間半ほど行くと大江山があります。
そう、酒呑童子で有名な大江山です。
数年前の夏休み、家族で大江山のコテージに泊まりました。
ここにはキャンプ場があり、川遊びができるので家族連れがけっこう泊まりがけで遊びに来るようです。
また、酒呑童子にまつわる名所・旧跡がたくさんあり、鬼の交流博物館というのができていました。
せっかく大江山へ行くのだから、次女の夏休みの自由研究のテーマを「鬼」にしたらどうかなあ、とひそかに思っていた私は(毎年悩むのですよ、親が・・・)その鬼の交流博物館へ家族を誘って行くことにしました。

まず目につくのは大きな鬼瓦。
建物はまるで大魔神の頭部のような形。
とにかくユニークな博物館でした。
中に入ると日本の鬼、外国の鬼、鬼にまつわるエトセトラ。
自由研究をする次女より、私の方がすっかり鬼に興味を持ってしまったのでした。

そもそも鬼って何なんでしょう。
悪いヤツ、こわいもの、そういうイメージですよね。
でも、本来鬼というのは日本において、土地に住む神であったはずなんです。
善悪を超えたものであり、人間の手に負えない自然現象を起こす荒ぶる神。
だから人々は鬼を祀ったりしてたわけです。
ところが、陰陽道や仏教の影響で鬼は、恐ろしいもの、忌むべきものになってしまいました。
あるいは異民族とか反体制集団を鬼として疎んじてきたのです。
(大江山の鬼は紅毛人説とか鉱山労働者説とかあるようです)

まあ、いろいろ調べるうちにそういうことがわかってきて、私としては鬼に同情するまでに(?)なってしまいました。
鬼を弁護するようなお話も二つ三つ書いたりしました。
どれもボツになりましたが。
(子どもはおもしろいと言ってくれたんですけどねえ)

こんな我が家だから「鬼は~外」ってできなくても、まっいいかって思っているんですけど。
それでも誰もいない部屋で物音がすると、びくっとしてしまいます










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我が家の謎 消えた最中

2006-02-02 | 日々のこと。
我が家ではときどき不思議なことが起こります。

先週、義母から袋入りの最中をいただきました。
ちょうど8個入ってました。
我が家は4人家族。
ひとり、2個食べれるはず(お菓子の分配に関しては我が家はシビアです)。

数日前、長女が「最中3個しか残ってへん。お母さん、食べた?」
私、「まだ1個も食べてへん」
長女「私1個食べたし、お母さんと私のぶんやな。名前書いとこーっと」
(このあたり我が家のシビアさが出ています・・・

そしてきのうのこと。
私「最中1個しか残ってへん。お母さん、まだ食べてへんのに」
長女「お父さんとちがう?この間、中にお餅はいってておいしいって言うてた」
おとーさん「わし、1個しか食べてへん
長女・私「・・・!?」
私「・・・ほな、どこに消えたん?・・・」

「お母さん、ほんまは食べたんとちがう?」と長女は言いますが、私は絶対食べていません!(食べたものを忘れるほど、ぼけてないよ~
次女も2個しか食べてないというし・・・。

実は以前も似たようなことがあったのです。
それは頂き物のけっこう上等な洋菓子
4人で分けたら1個余ってしまいました。
誰も遠慮して食べなかったので、ずっと残っていました。
それがある日気がつくと、ない
そのときも疑われたのはおとーさんでしたが(よくお腹をすかしているので)、
知らないと言います。
結局消えたお菓子の行方はわからず、うやむやになってしまいました。

ひよっとして我が家には、座敷わらしか床下仙人でもいるのでしょうか。
ときどき夜中に目を覚ますと、階下でぱたぱたという足音が聞こえるような気がするのですが・・・。













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