ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

『ヴェネツィアの宿』

2006-10-20 | 読むこと。



先日「一日一日をていねいに生きよう」と決意(!)してから、とりあえずじっくり本を読むことから始めよう、と手にしたのが、須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』です。

須賀さんの名前をどうして知ったのか、はっきりと思い出せませんが、森まゆみさんのエッセイの中にも須賀さんの名前が出てきて、そのとき「なんだかすごい人らしいぞ」とインプットされたのは確かです。
その後、図書館でいくつかのエッセイを見かけて、初めて読んだのがこの『ヴェネツィアの宿』でした。

実はそのこと(つまり、最初に読んだのが『ヴェネツィアの宿』であったこと)をすっかり忘れていて、京都の恵文社一乗寺店で須賀さんの本を見つけたとき、どれを買おうか迷って選んだのがこの本だったのでした・・・(おいおい


須賀敦子さんのことを少し説明しておくと・・・

1929年芦屋生まれ。清心女子大学を卒業、ソルボンヌ大学に留学。
いったん帰国されたものの、今度はイタリアに渡られ、コルシア書店をとりしきっていたペッピーノ氏と結婚されましたが、6年後死別。
1971年帰国後、上智大学の教授を勤める傍ら、イタリア文学の翻訳を手がけられます。
1990年に初のエッセイ『ミラノ 霧の風景』を出版し、講談社エッセイ賞、女流文学賞を受賞。
1998年逝去。


驚くのは、ソルボンヌに留学されたのが今から50年も前のことだということです。
日本でも大学院まで進み、ぐずぐずいってないではやく嫁に行け、それがいやなら修道院にはいればいい、と言われた時代に女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問をつづけていくには、あるいは結婚だけを目標にしないで社会で生きていくには、いったいどうすればいいのかということを模索し続けた須賀さんは、異国の地で生きることを選ばれました。

そんな彼女の潔い、凛とした生き方は、文章にとてもよく反映されています。初めて彼女のエッセイを読んだときに感じたのは、なんて気品のある文章を書く人なんだろう、という驚きでした。今まで、本を読んでいるときに、「気品」なんて意識したこともなかったので。

しかし、こちらもある程度覚悟してかからないと、軽いエッセイを読むつもりでいたなら、とてもじゃないけど彼女の世界には入っていけない、そんな厳しさも感じました(単に私に読解力がないだけかもしれませんが)。

この『ヴェネツィアの宿』は、彼女の3冊目のエッセイです。
両親、夫、友人など身近な人々のことを描いた自伝的エッセイとは言いながら、単に遠い日の思い出としてではなく、エッセイを超えた物語性が感じられます。
12編のエッセイはそのまま12編の短編小説のように、登場人物(筆者も含めて)の人生や生き方が切実に描かれていて、深く胸を衝かれるのです。

裕福な家庭に生まれ、渡欧した経験を持つ父。
周囲の反対を押し切って結婚したにも関わらず、愛人と暮らすようになった父を待つ母。
異国の地で知り合った、いろいろな生き方をしている友人たち。
若くして結核で兄妹を、続いて両親までも亡くした夫。
その夫に不吉な予感を持ち続け、結婚後わずか6年で最愛の彼を失った筆者。

そんな彼ら(あるいは自分の)ことが、静かにそしてとても確かな筆づかいで描かれています。
こういう美しい文章に身を委ねてるときって、至福のひとときですね。
秋の夜長に、じっくり味わってみてはいかがでしょう。


11月5日にBS朝日で「イタリアへ・・・ 須賀敦子 静かなる魂の旅」という番組があるそうです。
残念ながら、我が家では見れませーん
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秋の休日

2006-10-16 | 日々のこと。
気持ちのよい秋晴れが続いています。
このあたりでは、あと一ヶ月もすればうらにしの季節。どんより曇ったり、時雨れたりする日々が続くようになります。今のうちに、しっかりお日さまを浴びておかなきゃ!ということで、きのうは久しぶりに家族揃ってお出かけしました。
といっても、中間テスト目前の長女のことを考え、お昼を調達して近場をドライブすることに 
先週は次女の中間テストだったし、こんなお天気のいいときにテストなんてやめてほしいわ と文句言っているのは、子どもではなく親の方です~


行き先は今年できた「ふるるファーム」。農園、農村レストラン、手づくり工房、コテージなどがあります。農園は滞在型と日帰りと2種類あり、どちらも好評のようです。滞在型だと1DKの宿泊施設に100平方メートルの専用農園がついて、年間使用料40数万円。高いのか安いのか・・・?



          ふるるファーム入口

海の見えるところでお昼を食べようと思ったのに、人が多く賑わっているわりにお弁当をひろげている人もなく(みんなレストランへ行くみたい)、場所を移動することにしました。このあたりの海や山に詳しいおとーさん。早速林道を抜け、見晴らしのいい展望台でお昼を食べました。



  手前に見えているのは博打岬 
  その向こう、うっすらと見えるのは丹後半島



  オオミズナギドリで有名な冠島も見えました


このあたりは大浦半島といって、海や山など自然の美しいところです(スダジイの巨木を見に行った成生岬もここにあります)。
しかし最近になって火力発電所ができ、突然飛び込んでくるその異様な光景にちょっと違和感が・・・。しかし、そのおかげで道路が整い、こういった公園や施設ができるのでしょうね。

帰り道、久しぶりに家族揃って楽しい休日やったね、と言おうと振り返ったら、子どもたちはくねくねの山道のせいで車に酔って、ダウンしてました~
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絵本を旅する

2006-10-15 | 観ること。
きのうNHK教育で「椎名誠の絵本を旅する」という番組がありました。
へえ、椎名が絵本のことを語るんだ、と興味があったので、椎名ファンだったおとーさんとふたりで見ました。

床いっぱいに拡げられた数々の絵本に囲まれ、胡坐をかいている椎名氏。まずその絵本に目がいきました。なになに、どんな絵本があるのかな、とそれだけでわくわくします
椎名氏が持参された絵本もあります。『はなをくんくん』、『もりのなか』などかなり読まれたようで、破れたところをテープで直してあったり、子どもの落書きがあったり(どこの家庭でも同じですね)。

内容は、椎名氏が五味太郎氏や山下洋輔氏と対談したり、焚き木を囲んで脳科学者の茂木健一郎氏と絵本について語り合ったり、またご自身の絵本の思い出などもされました。
その他に、加古里子氏のインタビュー、長新太さんの絵本の紹介など、盛りだくさん!

興味深かったのは、山下洋輔氏が『もけら もけら』をピアノで演奏されたこと!あの不思議なことばと絵とピアノのリズムがぴったり合って、ああ、こういうイメージでつくられたのか、と感激しました『もけら もけら』を作者自身のピアノで聴けるなんて、こんな機会ちょっとないですからねえ。


加古里子氏の絵本の紹介のとき、ちょうど子どもたちもテレビの前にやってきて、『だるまちゃんんとてんぐちゃん』が映って大騒ぎ。
「あ~、これ好きやった~!」
子どもたちが好きだったのは、たくさんの帽子や靴が出てくる場面↓です。よく、これが好き、次はこれ、なんて自分も選んで楽しんでいましたね~。



写真の上の2冊は、五味太郎氏の『たべたのだあれ』と『かくしたのだあれ』です。これもお気に入りで、もうぼろぼろ。小さくて、お出かけにも重宝しました。シンプルな絵本なので、いろんな読み方ができるんです。
五味太郎氏の絵本は家族中で読んでいた時期があって(おとーさんも好きだった)、図書館に新刊が並ぶたびに借りていました。どうやったらこんな発想ができるんだろう、と不思議でしたが、五味太郎氏は子どもがそのまま大人になったようなオジサンでした

昨年亡くなられた長新太さんの絵本も紹介されました。画面いっぱいに『きゃべつくん』や『ごろごろ にゃーん』が映し出され、文章が読まれます。いつもは自分で絵を見ながら文字を追いかけているので、なんだか新鮮 じっくり絵を見て、小さなネコの表情まで気になったり。ああ、これが絵本を読んでもらうってことなんだなあ、と思いました。
それにしても、長さんてほんとに斬新なアイデアを持った絵本作家だったんですね・・・。


椎名氏が、子どもを膝の上に乗せて絵本を読むということは、子どもと絵本を旅してたんだ、みたいなことを語られました。ああ、なるほど。親子でいっしょに絵本の世界を旅してたのか・・・。だから子どもは安心して、『かいじゅうたいちのいるところ』も『さんびきのやぎのがらがらどん』もこわくなかったんだなあ・・・。
「絵本を旅する」って、とても素敵な言い方ですね。

どちらかというと自分のために絵本を読んでいた私は、小さな子どもを膝に乗せて絵本を読む、というそんな贅沢な時間を、もう一度取り戻してみたくなりました。その頃は絵本を読むなんて毎日あたりまえのことで、ひとりで本を読む時間がほしいなあ、なんてバチ当たりなこと考えていたんですからねえ。
う~ん、孫まで待つしかないかなあ・・・。
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金木犀の香る1日

2006-10-12 | 日々のこと。
金木犀のむせかえるような、濃い、甘い香りが漂っています。

今日は朝から疲れ気味で(不燃ごみ収集日は、朝からあわただしくって・・・)、午後はなんとなくぼーっとあちこちのブログをお邪魔していました。いつもはお気に入りのブログをいくつか見させていただくだけなのですが、今日は、その方から他の方にとんだりして、普段おつきあいのない方のブログも見せていただきました。

なんていうのでしょう。それぞれ、自分の好きなもの、好きなことについて、自分の思いを表現するっていいなあ、とつくづく思ったのです。
私の場合、好きだけどあきらめてること、あきらめてしまったこと、ってかなりあるのですが(地理的にとか、時間的にという理由で)、ふと、それってひょっとしてあきらめなくてもいいんじゃない?と思えてきました。
気が多い私のこと、あれもこれもと思ってるとどれもダメになる、というのはよくあることなのですが、今できなくても、5年後10年後やれるチャンスが生まれるかもしれないし、老後の楽しみになったっていいわけだし。そう思うと、ちょっと元気になれそうですね。

毎日があわただしく、このまま何もせずに年をとってしまうことがこわくて、ブログを始めたようなものですが(笑)、自分の好きなものに対してもっとこだわっていきたいなあ、と欲も出てきました。かと言って、今すぐ何がかわる、というわけではありませんが・・・。
とりあえず、1日1日をていねいに生活する、ということを目標にしたいと思ってます。雑で、ものぐさで、ええかげんな私。ここで、こんなこと宣言してしまっていいのか、と、ちょっと不安なんですけど・・・

本をていねいに読もう、きちんと片づけをする・・・努力をしよう、食事はできるだけ手作りで、新メニューをふやそう(その前にレシピの整理!)、などなど。
そして、日々の生活の中から美しいものを見出し、お気に入りを少しずつふやしていきたいと思います。そうしているうちに、きっと若いころの自分が目指していた方向に、少しでも近づいてくれるような気がするから。

子どもの誕生日がきて、気がつけば子どもたちもすっかり大きくなっていて、ふと、子どもたちが巣立っていったあとの自分の生活、というようなものを想像することがあります。そのころは親たちの介護が待っていて、とても淋しいなんて言ってられる状況ではないかもしれませんが、それでも、いつかたっぷりと自分の時間ができたとき、私は一体何をしているだろう、と。
今はその準備期間かな。とりあえず、おとーさんに宣言しました。結婚20周年になったら沖縄行くよ、って。沖縄大好きのおとーさんは二つ返事でO.Kでしたが、そこから先が問題。もちろん海へ行くものと信じてるおとーさんと、あちこち工房めぐりをしたい私。おまけに、一緒に行く~とわめいてる子どもたち。さて、どうなることやら・・・
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栗の渋皮煮

2006-10-11 | 食べること。
先日、親戚のおばさんから、栗をたくさんいただきました。
さっそく栗ご飯にしましたが、まだ1㎏ほど残っています。そうだ、渋皮煮をつくろう、と思い立ったものの、渋皮煮は何度もアク抜きが必要で、時間に余裕があるときに・・・なんて思っていたら、私のこと、いつまでたっても作れそうにありません。

きのうの夕方、ようやく重い腰をあげ、栗の鬼皮剥きにとりかかりました。夕飯のかたづけがすんだあと、さあ、渋皮煮つくり開始です。
水に重曹をいれてアクをとりながら栗をコトコト煮ます。10分したら煮汁を捨て、ていねいに筋をとり、もう1度同じことの繰り返し。これを何度か繰り返し渋みをとるのですが、3回目で栗が柔らかくなり、何個か割れてきたので、まだ渋いかなあとおもいつつ、水と砂糖を加えて甘みをつけました。
この場合も、ことこと煮ると出来上がりがつやっとするようですが、形がくずれてきたので少し煮たあと一晩つけておくことにしました。

  出来上がりはこちら↓



大きな栗でつくると見栄えもよく、上品なお茶請けになります。

お菓子作りはめんどうだけど、熱中するとストレス解消にもなって、おいしいものが食べれて、家族も喜んでくれて、一石三鳥かな 

追記 : 栗がのってるお皿は、小学校の行事の陶芸教室で作成したものです。こんなのがあったなんて、長い間忘れてました~。
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