熊本熊的日常

日常生活についての雑記

note開拓

2020年11月22日 | Weblog

noteにアカウントを作った。このブログを開設してから随分と長くなるし、容量が大丈夫なのかと思い始めてきた。それと、年齢も年齢なので、そろそろいろいろなことを整理してみたいとも考えたのである。ついては、noteにも熊本熊という名義でサイトを開いた。


大阪にて

2020年11月15日 | Weblog

大阪では上方落語に登場する場所を必ず訪れる。今日は大阪天満宮、高津宮、生國魂神社、一心寺、四天王寺にお参りする。その後、たまたま通りかかった堀越神社にも参詣し、市立美術館で「天平礼賛」を観て、御堂筋線で新大阪に出て東京への新幹線に乗って帰ってきた。

朝、自分宛に歌を一首詠んだ絵葉書を投函。


大阪にて

2020年11月14日 | Weblog

国立民族学博物館のバックヤードツアーに参加。参加者は3組5名とこじんまりとしていたので、限られた時間ではあったが、大変楽しく過ごすことができた。

みんぱくのトーテムポールはこれまで気にしたことがなかった。昨年の今頃、新たなトーテムポールを立てるためのクラウドファンディングの知らせがあり、そこでトーテムポールが立っていたということを知ったのである。時すでに初代のトーテムポールはいい塩梅に時代がついていた。

トーテムポールがこのように巨大化したのは、そう古い話ではないそうだ。もともとカナダ先住民のあいだで行われていたポトラッチという贈与のような消費蕩尽行為があり、その中に家の柱に装飾するとか、装飾柱を立てるといったことが行われていたそうだ。ポトラッチの目的は自分の存在を誇示すること。多くの動物が発情期になると外観が派手になったり、行動が過激化したりするように、人間も個人や文化で個性はあるものの、自分を大きく見せたいという根本的な欲求があるのだろう。しかし、自己表現が派手になるということは外敵からの攻撃を容易にするということでもあるし、身の丈を超えて消費や投資をするというのは自分の生活を苦しくすることでもある。つまり、承認欲求は自己破綻のリスクを内在しているのである。そもそも命には限りがあるのだから、自己破滅であろうがギリギリまで生き永らえようが、結果は同じだ。何事も極めれば自滅に通じる、またそれくらいやらないと周囲からは承認されないということなのだろう。


読書月記2020年10月

2020年10月31日 | Weblog

加藤九祚『シルクロードの古代都市 アムダリヤ遺跡の旅』岩波新書

赤松明彦『インド哲学10講』岩波新書

大友浩 編著『落語家のことば 芸の生まれる現場から』芸術新聞社

樺山聡『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』京阪神エルマガジン

『全著作 森繁久彌コレクション4 愛 人生訓』藤原書店

柳宗悦『南無阿弥陀仏』岩波文庫


奈良 最終日

2020年10月05日 | Weblog

職場がリモート勤務になると、旅行にでかけたときに職場に土産を用意する必要がなくなる。自分のほうはそもそもそうした習慣が希薄な職場なので然程影響を感じないが、妻のほうは土産がなくなったので、いままでのように旅行の最終日に土産物店に寄らないといけない、という義務のようなものから解放された。あと気付いたのは京都駅の駅弁売り場が顕著に縮小していた。人の動きが少なくなることの影響は思いの外大きいようだ。

しかし、それでもこれくらいの人出の観光地のほうが快適だ。そもそも奈良は東大寺大仏殿とその周辺以外は混雑ということがなく、総じてこれまでと大きく違った様子は感じなかった。もちろん、当然に営業を止めた宿屋や飲食店も目に付いたのだが、それは必ずしもコロナ禍だけの所為ではあるまい。人口減少という構造上の大問題は、安直に外国人観光客を誘致するというようなことで解決できる話ではないのである。

さて、今日も、宿を出て、自分宛に歌を一首詠んだ絵葉書を投函。

本日訪れたのは、不退寺、狭岡神社、東大寺、率川神社、伝香寺。

 


奈良 2日目

2020年10月04日 | Weblog

レンタカーで信貴山へ。先月おろしたての新車とのことで、普段よりも緊張する。離婚以来、車の運転はレンタカー専門で、しかも年に数えるほどなので、乗る度に運転にまつわる電子装置が進化していたり燃費が向上していたりするのを感じる。多少の移動ならガソリンの消費はわずかなもので、満タンにして車を返すためにガソリンスタンドに寄るよりも現金精算を選ぶ割合も高くなっている。ガソリンスタンドの軒数が減っていて、営業しているところもセルフが増えている。たまにしか運転せず、給油となるとさらに機会は少ない。乗る度に違う車種で、生涯で二度とは利用しないであろうガソリンスタンドとなると、給油の度に少なくとも心はまごまごする。なおさら現金精算に傾く。

奈良でレンタカーを利用するのは初めてではないのだが、奈良市街の営業所を利用するのは今回が初めてだ。これまでは、電車で市街から離れたところへ移動し、そこで車を借りるようにしていた。そのほうが返却時間に余裕があるのと、市街は一見して交通量が多く、運転しにくい気がしたからだ。今回は目的地への動線上に適当なところがなかったので、市街からの利用となった。

朝9時にJR奈良駅近くのレンタカー営業所を出発して小一時間ほどで信貴山朝護孫子寺に着いた。そこで午後2時過ぎまで過ごす。駐車場の近くに開運橋という歩行者専用の橋があり、その中央付近にバンジージャンプの施設がある。ちょうど若い女性が飛ぼうとしているところだったが、飛ぶ本人は見たところ平然としているようで、見ているこちらのほうがドキドキした。

今日訪れたのは、信貴山朝護孫子寺、松尾寺、慈光院。

朝、自分宛に歌を一首詠んだ絵葉書を投函。

 


奈良 1日目

2020年10月03日 | Weblog

興福寺の塔影能は中止になったのだが、奈良行きは決行した。10月第一土曜日前後はかなり前から勤め先で休暇を申請しておくのだが、今年は上司が10月1日に娘の学校の行事で休みたいと言い出し、事前に申請した休暇を短縮したので二泊三日となった。たまたま休暇を短縮した前後に塔影能の中止も決まったので、宿の予約を朝食のみのプランから朝夕食事つきのプランへ変更した。奈良を訪れるのは2015年以来の恒例だが、塔影能陪観の関係で夕食付きで宿に泊まるのは滅多にない。一昨年、お水取りのとき以来だ。奈良は遅い時間に外食できるところがそれほど多くなく、殊に今年はコロナ禍で以前にも増して外食事情が厳しくなっていることが予想されたので、何を置いても食事を確保した。

今日、訪れたのは十輪院、御霊神社、大和文華館、中野美術館、興福寺。

今回から旅先から自分宛に絵葉書を書くことにした。本当は誰かとやったりとったりしたいのだが、友達がいないので仕方がない。絵葉書には歌を一首詠む。絵葉書はなるべくベタな絵や写真のものをと思うのだが、いざ探して見ると妙に洒落たものばかりで、思うようなものがあまりない。若い頃に旅先から出した絵葉書が、今となっては懐かしい。かといって、絵葉書探しに遁走するのもナンなので、パッと目についたものを買う。今日、宿の近くの店で2枚買う。今日の印象を基に、明日1枚、明日の印象を基に明後日に1枚投函する、つもり。

 


読書月記2020年9月

2020年09月30日 | Weblog

バーバラ・W・タックマン著 山室まりや訳『八月の砲声(上下)』ちくま学芸文庫

魯迅 著 竹内好 訳『阿Q正伝・狂人日記 他十二編(吶喊)』岩波文庫

『全著作 森繁久彌コレクション3 情 世相』藤原書店

加藤九祚『シベリアに憑かれた人々』岩波新書


読書月記2020年8月

2020年08月31日 | Weblog

梅原真『ニッポンの風景をつくりなおせ』羽鳥書店

亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』上下 NHKブックス

先月、ほぼ日の学校で受講した亀山先生の講座の底本であったことが読んでみてわかった。ドストエフスキー研究は、亀山先生ご自身の探究でもあるのだろう。私はロシアとかロシア文学に興味はないのだが、隣国に対する当然の関心はある。

下巻を読み終えた日、興福寺から今年の塔影能が中止になったとの葉書を受け取った。

 

『全著作 森繁久彌コレクション2 芸談 人』藤原書店

たまたま本書を読み終えた日、職場の同僚が自殺した。同僚と言っても、面識はなく、作業のログで相手の名前を認識しているだけだ。自宅のアパートの窓から飛び降りたそうだ。以前にも、別の職場で、やはりニューヨーク勤務の同僚が帰宅途上に列車事故で亡くなった。その時は亡くなったことよりも、午後5時過ぎにグランドセントラルを発車する列車に乗って帰宅できることに衝撃を受けた。勤務時間が長ければ良いというものではもちろんないのだが、結構華やかな活躍をしている人だったので、それでもワークライフバランスがしっかりしていることに、素朴にどうやっているのだろう、と思った次第である。いつものように通信回線の向こうで働いていると思っていた同僚が不意に消えてしまうことの実感の無さに今の時代の生のありようを想う。

ところで本書は芸談に関する著述を集めたものだ。芸というのは、多分、特殊な技能のことではなく、生きることも芸のうちだと思う。以下、備忘録。

人生という大きな宝を、出来るだけつまらなく、出来るだけ意味のないものにして、そっと生きてゆこうとする。人間はおおむね、事なかれ主義の勇気のない、愚昧な生き物だと気づくのだ。(153頁)

人の労働を己れの労働と交換する。この原始共産主義というか、直裁な感覚が、いつの間にか貨幣によって失われたのだ。(315頁)

 


読書月記2020年7月

2020年07月31日 | Weblog

桂米朝『上方落語ノート 第四集』岩波現代文庫

第一集から第三集までの補遺のようなものか。単なる昔話のようにも見えるが、多分、とんでもなく深い内容が秘められているのだと思う。尤も、私にその深さはわからないのだが。最初の方にある「一枚の切符」はここに全文を書き写したいくらいだ。この国のいろいろのことが詰まった話だと思う。

鷹狩のことも興味深い。

あしの根や なにはを鷹の 力草

という大和大掾の句が紹介されている(第一集にも紹介されている)。ここでは句の意味よりも「鷹の力草」に注目だ。これは「鷹が大きい鳥や兎などを捕った時、片足で獲物をつかんだまま、とっさに傍の草や木の枝を、もう一方の足でつかんでひきずられないようにすること」なのだそうだ。鷹の狩に限らず、生きる上で重要な知恵が凝縮された行為だと思う。ふと『坂の上の雲』で秋山好古が兵を展開する際に「軸」を重視したことを思い出した。自分は力草を手にして生きているだろうか?

 

中野三敏『江戸名物評判記案内』岩波新書

よく雑誌やWebで様々なランキングが取り上げられる。世間はランク付けが余程好きらしい。これは今に始まったことではないようだ。本書には「評判記」というものが紹介されている。なぜ「評判」が注目されるのか?詰まるところ、自分の感想と世間の評判を引き比べ、社会の中での自分の位置を確認したいのだろう。人が社会的動物とされる所以の本能的感情とも言える。著者は評判の意義を次のように語っている。

***以下引用***「評判」とはまさにこの気分をその基調としていると思えばよかろうか。これをしも批評精神の欠如といい、前近代の蒙昧さと言い捨てるのはやさしいが、さて近代の演劇は、この時の観客の法悦と等価値の何を産み出し得ただろうか。近代の文芸批評書に、果たして読者が共に楽しみ、打ち興ずることのできる底の著述がどれだけあったことか。人物評判記の世界は右のような空間に広がって読者にかたりかけているのである。***以上引用***

「この気分」とか「右のような空間」とは、江戸の歌舞伎芝居にあったという「褒め詞」という習慣を指している。芝居の最高潮の場面でしばらく演技を中断して、予め定められた贔屓の客が登場し、その役者を褒めたてる言葉を捧げるのだそうだ。ほのぼのとした良い習慣ではないか。それほど、大衆と演芸との距離が近かったのだ。他に娯楽が無かったという事情はあるかもしれないが、たぶん、人々の生活感情を豊かにする何かが当時の芝居にあったということだろう。今、そんな娯楽があるだろうか。

 

古川日出男訳『平家物語』河出書房新社

平家物語は本来は語りだ。琵琶法師が弾き語るのを聴くのである。面白かっただろうと思う。単一の作者が創ったものではなく、決して少なくない人々が継ぎ足しては削り、というようなことを繰り返し、その最大公約数のようなものが今に書いたものとして残されているのだろう。琵琶が刻むリズムに乗って、物語が語り継がれていく。元は史実かもしれないが、聴く人を惹きつけるような挿話があり、誇張があり、後に残るのは聴衆を多く集めた話なのだと思う。つまり、平家物語が語られた時代の空気に迎合した話、その時代の世界観と言ってもよいだろう。

講釈は「見てきたような嘘」も多分に含んでいる。全くの絵空事ではないにしても、聴く側が理想とするような人物が活躍する話でなければ、これほど長い時間の淘汰に耐えられるはずがない。聴衆の人生に触れ、共感を呼びながらも、少し高いところの正義や倫理がなければならない。

今は、辻で琵琶を弾きながら平家物語を語る人はいない。無許可でそんなことをすれば、たちまち警察に連れていかれてしまうし、そもそも聴衆が集まらないだろう。なぜか。娯楽が氾濫していて大道芸が成り立つ余地がない、ということもあるだろうし、大道芸が姿を消して久しく、人々がそういうものに馴染んでいないということもあるだろう。仮に、今の時代にも琵琶法師が平家物語を語っているとして、物語の内容は往時と同じままであるはずはなく、なにがしか今の時代に即した変容をしているだろう。そうでなければ聴衆が存在しない。では、どのような話が加えられ、どのようなものが削られるだろう?盛者必衰、驕るものは久しからず、というのがこの長大な物語のバックボーンとなる価値観だろうが、それは果たして今の時代に受け容れられるものだろうか?

 

斎藤茂吉校訂『金槐和歌集』岩波文庫

直木考次郎『奈良 古代史への旅』岩波新書

林屋辰三郎『京都』岩波新書

『全著作 森繁久彌コレクション1 道 自伝』藤原書店

「引揚」という言葉から何を思い浮かべるだろう?私は日本がかつて領有していた土地から本土へ戻ってくることを思う。戦争を経験したわけではないのだが、自分の親は空襲を生き延びた人たちであり、親戚の中には兵士として出征していた人もいる。それでも戦死者はないが、戦中戦後に出回ったタチの悪い酒で命を落とした人はいる。そんなわけで満洲は知らないが、満洲からの引揚の話はいろいろ聞いており、そういう切羽詰まった状況での人間というものに漠然と関心があった。

森繁は満洲から引き揚げてきた人だ。本書に書かれていることが全てではないだろうし、丸ごと真実というわけでもないだろうが、それでも「やっぱりそうか」と思うところはいくらもあった。

 


丹波篠山 最終日

2020年07月26日 | Weblog

観光は難しい産業だと思う。容易な産業というものは無いのだが、観光の難しさは人気という当てにならぬものに依存するところにある。例えば、丹波篠山と自分との縁は、先日のこのブログに書いたように、日本民藝館での講演で、この地で活動されている作陶家の話を聴いたこと、そのかたとは以前にも民藝夏期学校などでご一緒させて頂いていること、といった程度のことである。他に、何年か前にふるさと納税で丹波篠山市から黒豆を頂いたこともある。それで気になって今回訪れて、大変好印象を抱いた。しかし、次にここを訪れるのはいつになるかわからない。おそらく多くの人にとっても似たようなことだろう。

世界を相手にすれば、無限の訪問需要が眠っている。確かにそうだろう。だからと言って、誰に来てもらってもいいわけではあるまい。コロナ騒動ではっきりしたのは、観光へ依存するということの意味だと思う。さらに言えば、産業とは何か、経済とは何か、人が生きるとは何か、ということが今問われている。

帰りの新幹線は静岡県内での大雨でダイヤが大きく乱れていた。予約していた列車は15分遅れで新大阪を発車し、59分遅れで品川に到着。何はともあれ、今回も楽しく旅行ができてありがたいことである。


丹波篠山 2日目

2020年07月25日 | Weblog

窯場訪問。宿の近くのバス停から路線バスで篠山口駅へ出て、鉄道で相野へ行く。そこから路線バスに乗って兵庫陶芸美術館前の停留所で降りる。バスで美術館前で下車したのは我々2人だけだったが、美術館前の駐車場にはそこそこに埋まっていて、館内も全体に静かな様子の割には来館者が多い印象を受けた。場所柄、当然に丹波の古い陶器が並んでいるが、企画展の方は備前だ。

丹波というと普段使いの手頃なものという印象がある。大阪や京都という古い大都市から近く、その割に茶の湯であるとか、伝統云々というようなシチめんどくさいことからは比較的自由であったというようなこともあり、自由な作風の土地だ。民藝の方からも、六古窯としての研究からも、興味を向けられ、今なお多くの人々が陶器を軸に往来している。こういうものこそ足が地についた産業というのだろう。

コロナ騒動で、これでも集客は例年よりもはるかに少ないのだろうが、お上から外出自粛と言われている中でこれほどの集客ができることに私は頼もしいものを感じた。


丹波篠山 1日目

2020年07月24日 | Weblog

丹波といえば六古窯のひとつに数えられる。昨年10月に日本民藝館で作陶家の柴田さんの講演を聴いて、出かけてみようと宿を予約した。その後、コロナ騒動で非常事態宣言というものが発せられてしまい、一旦は予約をキャンセルしたのだが、宣言が解除されてから改めて予約を取り直した。今日はその旅行の1日目。旅行の時は早い時間に東京を発つのだが、今回は宿の送迎に合わせ、篠山口に午後2時頃に着くような時間で列車を予約した。

窯場は明日訪れることにして、今日は宿周辺を散策する。篠山は17世紀はじめに大坂城攻撃の拠点の一つとして築城された篠山城の城下町。大坂城落城後も徳川幕府の西日本の拠点として譜代大名がこの地を治めてきた。外様の雄藩の地は、どことなく隙あらば勇躍しようかというような力強さのようなものを感じるのだが、譜代の地は総じて穏やかな気がする。とは言え、篠山城は1956年に「日本100名城」に選出されている。

宿は古民家を再生した建物。特にそういう宿を選んでいるつもりはないのだが、昨年2月の京都、一昨年5月の近江八幡と、ここ数年はそういう宿を利用する機会に恵まれている。自然災害が多い一方で人口減少が著しくなりつつある日本で中古不動産の活用という文化がこれから根付いていくものなのか、注目される。