熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「世界最速のインディアン」

2007年02月22日 | Weblog
事を成すのに必要なのは知恵と合理性であって物量ではないのだと考えた。

話の舞台は1962年のニュージーランド。40年以上前に手に入れたバイクを、速く走りたいという情熱だけで、自分で改造しながら乗り続けている男が念願の世界最速を成し遂げる物語だ。

興味深いのは、バイクの改造は長年培った経験と知識に基づいた独自の方法で行われており、決して最新の技術によるものではないということだ。経済力にものをいわせて時々の最新の技術や素材を駆使すれば、その時点で実現しうる最良のものができるというわけではないのである。

自分が生活をする世界のことを我々はどれほど知っているのだろうか。「最新」とか「最先端」と呼ばれるものは、おそらく、ある特定の分野のなかの限られた考え方なかで最先端であるに過ぎないのだろう。世界は未だ解明されていないことに満ちている。それは知識あるいは技術という誰の目にも明らかな外部的なことだけではない。自分自身についても、どれほどのことがわかっているだろうか。平均寿命が50歳だろうが100歳だろうが、殆ど何もわからないままに生を終えてしまうものなのだろう。だからこそ、世界はいつの時代も愚行と蛮行に満ちているのである。

作品のなかで、主人公がヒッチハイカーを拾うシーンがある。彼は休暇中の軍人で、ベトナム戦争で枯葉作戦に従事しているという。ベトナム戦争も、この作戦も米国が誇る物量でベトナムを圧倒しようという発想によるものだ。軍人は戦争がほどなく終結するという話をする。それに対して主人公は自分が従事した第一次世界大戦の話をする。やはりすぐに終わると言われながら、そうはならなかったというのである。

主人公が世界最速に挑戦しようと考えてから、それが実現するまでに25年を要した。愛車の改造を重ね、資金を蓄え、周囲の人々からカンパを受け、漸く目的を成就させるのである。そこには最新技術もなければ専門知識もない。主人公の真摯な思いとそれを実現するための知恵、そんな彼を支える周囲の人々の善意が世界最速記録更新という進歩を可能にしたのである。まだまだ人間には希望があるのかもしれない。