熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ひょーしょーじょう

2012年10月07日 | Weblog

戸田市の美術展に出品した壷が奨励賞を頂いた。今日はその表彰式があって、出席してきた。ついでに展覧会も観てきた。会場で配布されていた案内冊子によると工芸部門の一般出品数は27、委嘱出品は8で合計35。その全作品が入選で、そのうち11が何らかの賞を受賞。数字だけ見れば、奨励賞は参加賞に毛の生えたようなものかもしれないが、昨年は無冠だったので、多少は自分の陶芸も進歩しているということなのだろう。ちなみに、出品したのは先日このブログに紹介した写真の壷だ。

先日も鎌倉でアマチュアの絵画展や仏像彫刻展を観たが、こうした創作活動が市井の人々の日常に広がるというのは、社会の安定にとってはたいへん有効であるように思う。人は経験を超えて発想することができない。自分の手を動かすこと、その動き、手先の感触、対象物に向かい合う姿勢、そうしたものが意識するとしないとにかかわらず、その人の発想を刺激することは間違いのないことだろう。時代はただのデータだけに依存する様相を強くしているが、上辺だけの「情報」で果たして人は幸福になれるものなのだろうか。そんなものはいくら抱えたところで、何一つ自分の血肉にはならないのではないか。なによりいけないのは、そういう上辺のことを知って、物事をわかったつもりになることだ。わかったと思ってしまっては、その先がない。人は生きることにあれこれ悩み、最期の最後で、結局自分は何もわからなかった、まぁしょうがねえな、と観念してあの世に向かうものではないかと思っている。わからないと思うには、わかろうとしなければならない。その不断の試みが人生というものではないかと思う。そういう姿勢を持てば自ずと人は謙虚になるものだ。多くの人が謙虚になれば、社会はずいぶん落ち着くものではないだろうか。