熊本熊的日常

日常生活についての雑記

今年も鰍沢

2017年02月18日 | Weblog

朝、起きて掃出し窓のカーテンを開ける。冬場の晴れた日には遠くに富士山が見える。冬場はたいてい晴れなので、ほぼ毎日、富士山が見える。不思議なもので、富士山が見えるとほっとする。まるで富士山の存在が自分の存在を確かなものにしているかのように感じられる。遠いところの山というのは距離と比例して大きく見えたり小さく見えたりするわけではないらしい。今の時期は、京王線の芦花公園=千歳烏山=仙川間で運転席の正面に富士山が見えるのだが、これが我が家から見るより大きく見えるのである。

今日は暗いうちに起きたので、富士山を確認できなかった。しかし、鰍沢に来ると雲の合間に富士山が時々姿を現わす。天気予報では今日は午後から雨だが、雲が多かったものの降りそうな気配はなかった。富士山の姿を拝むと、やはりほっとする。

昨年に続いて今年も富士川町の落語まちプロジェクト『落語「鰍沢」の舞台をめぐる旅』に参加した。昨年と行程はほぼ同じだが、見学内容が微妙に変わっていて、昨年よりは調子が良く感じられた。なによりも天気に恵まれたのがよかった。総体に「町おこし」というものはろくなものではないのだが、落語で町おこしをしようというのは大胆なことだ。昨年が初年度で5年計画で町を活気づかせようという大プロジェクトの下でこのツアーも企画されている。こういうことに即効性を期待してはいけないということは承知している。それでも敢えて言わせてもらえば、昨年に比べて町が活気づいている気配は感じられなかった。無理に活気づかせようとしなくてもよいのではないかと思うのだが、そこに暮らす人々にとっては生活を左右する問題なので、何事か対策を講じないといけないということなのだろう。それにしても、「町おこし」で活気づくようになった町というものが果たしてどれほどあるものなのだろうか。

「ハレ」と「ケ」という言葉がある。普段の生活はケのほうで、その生活に彩りを添える行事のようなものがハレだ。生活の場である社会や地域を構成する人々のケの側面が充実していなければ地域の活気もない。生活を支える産業を地域のなかに持ち、地域のなかで衣食住が完結できるくらいでなければ持続的な活性を得ることはできない。ケのないところにハレだけ持ってきても、その場かぎりのことで波及したり根付いたりはしない。波及する先のもの、根付く土壌がないからだ。世間で言われるところの「町おこし」にはケのないところにハレだけ持ってくるような発想のものが多いような気がする。

それで、本日の落語のほうだが、以下の番組だった。

春風亭一之輔「天狗裁き」「鰍沢」

落語の後、身延線で甲府に出て、今日はここで泊まり。東京まで日帰りができないわけではないが、年寄夫婦の楽しみなので無理はしない。予め予約しておいたジビエの店で、鹿肉の料理などをいただきならが地元のワインを少しばかり楽しむ。若い男性が一人で切り盛りしている店で、食材や料理に対する真摯な姿勢が伝わってきてたいへん愉快だった。宿はこの店の近くにある甲府の老舗と言う人もあるホテルにやっかいになる。