熊本熊的日常

日常生活についての雑記

伊豆下田にて

2018年04月15日 | Weblog

伊豆の下田にやってきた。とある宿屋の半額券と地元交通機関の無料券を頂いたので、私の両親を誘って遊びに来たのである。私が高齢なのだから、その親は気の遠くなるほど高齢だ。それで駅で観光タクシーをお願いして市内の史跡をざっと回ってもらった。何の予備知識もなくやってきたのだが、たいへん面白かった。

世間ではグローバルだのなんだとの喧しく言うようだが、要するに隣の芝生が青く見えるというだけのことだろう。自分になくて他人が持っているらしいものが気になってみたり欲しくなってみたりするというだけだ。そういうことを喧しく言うというのは、つまり、自分というものが貧弱なのだろう。その昔、鎖国していた頃、見たこともないような大きな鋼鉄製の蒸気船が突如現れた。そこから見たことのない種類の人間らしきものが上陸してきて聞いたことのない言葉を話す。しかもごっつい銃のようなものを手にしている。自分の知識経験を超えたものを目の当たりにしたとき、人はどうするのだろう。自分ならどうするのだろう。そんなことを思うと頭の中が真っ白になって、小便をちびりそうになる。

下田の街の面白さは、目の前にある少しくたびれた街並みの向こう側に、多くの人々、殊に権力の側にある人々に小便をちびらせたであろう歴史の現実の痕跡が見え隠れしているところにある。寺というのは、今は宗教施設として認識されているが、そもそもは要人が宿泊したり話し合いをしたりする場所でもあった、というようなことを何かで読んだ記憶がある。突然、黒船が現われたとき、接待場所として寺が使われるのは当時の感覚として当然のことだったのだろう。玉泉寺に至ってはアメリカ総領事館になってしまう。向こうの人からすれば使い勝手が悪かっただろうが、他に適当なところがないのだから仕方ない。総領事館ともなれば、そこに衣食住が伴う。曹洞宗の寺院であっても日本初の場が境内に設けられ、日本での牛乳発祥の地となり、当然に日本初の外人墓地もできる。初物尽しで華やかだが、明治になって社会が変わり、テクノロジーも変化して下田の風待ち港としての役割が不要となったり、外交施設も当然に東京へ移転し、廃仏毀釈で寺の立場が悪くなるといった、それまでの下田やそこの寺院の繁栄を支えていた要素が悉く消滅する。大正になると関東大震災、昭和には太平洋戦争で米国ゆかりの史跡は破壊の対象だ。戦後は一転してそうした史跡の復旧が図られるが、それにしてもよくぞ時代の荒波を耐えて現在の姿をのこしたと感心する。

ところで、ペリー提督だが、日本が明治維新を迎える前、1858年3月4日に心臓病で亡くなっている。享年64。初代米国総領事タウンゼント・ハリスのほうは1862年に帰国、1878年2月25日に喀血して亡くなった。享年74。ハリスが総領事の職にあったのは1855年から1859年まで。1859年に公使に昇任し、1862年に帰国。玉泉寺に総領事館を開設したのは1856年9月3日、1858年に日米修好通商条約を締結、1859年には下田の総領事館を閉鎖して江戸元麻布の善福寺に公使館を開設。江戸に移っても寺なのである。維新以前、日本で洋館があるのは長崎など極めて限られた場所なのだから仕方がない。ハリスには所謂「唐人お吉」の話があるが、これは作り事で敬虔な聖公会信徒で生涯独身しかも童貞だったと言われている。

日本にとっては開国がその後の歴史の激動をもたらす大きな出来事であったが、開国に至らせた相手側のほうにとってはどうだったのだろうか。関係というものは本来的に非対称であるような気がする。非対称ゆえに力学が生じて物事が動くのだと、漠然と思うのである。非対称であるのは当事者が一瞬たりとも静止していないからだ。今日のこのブログを書いている私は、書き始めからここに至る間、物理的には確実に経時変化している。細胞が物理的生理的に変化すれば思考もなにがしかの影響を受けているはずだ。私だけではなくありとあらゆるものが時々刻々変化を続けている。物事の安定というものは本来的に幻想かもしれない。それでペリーとハリスのその後だが、手元にある山田風太郎の『人間臨終図巻』におもしろい記述がある。

ペルリの来航は、要するにアメリカの中国貿易と捕鯨の基地として日本の港を欲したからであったが、百余年後、アングロサクソンは、日本人による捕鯨反対のリーダーとなった。彼らの必要性、不必要性が、その時の世界の掟となる。もっとも、ペルリはユダヤ人であった。(2巻 412頁)

日本駐在をもふくめて十一年間海外にあった彼は、親戚知人とも疎遠になり、日本を開国させた功績も南北戦争とその余波の騒ぎのため、ほとんど世人の注目をひかず寂しく死んだ。日本では大久保利通の暗殺された年。このアメリカのハリスといい、イギリスのパークスといい、幕末の日本を震撼させた碧い眼の人物たちは、それぞれの本国ではほとんどだれも知らない辺境の一外交官に過ぎなかったのである。(3巻 354-355頁)