永田和宏『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子闘病の十年』新潮文庫
読みかけの本があったのだが、それを差し置いてこちらを一気に読了。歌という言葉のエッセンスを追求する世界の人の書くものに、言葉の無駄があるはずもなく、すっと引き込まれた。内容に関しては私のほうの言葉がない。自分は老妻と二人で日々を過ごしており、当然にどちらかが先に逝くわけだが、そのことについて何の心がけもできていない。ただただ残された時間の平穏を祈るばかりである。それではいけないとは思いつつ、何から手を付けてよいのかわからない。
河野裕子・永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』文春文庫
夫婦の相聞歌集。歌は制約も多く、三十一音で何を語ることができるのだろうと、私は思ってしまうのだが、そういうものではないらしい。約束事があるからこそ、三十一音は俗人の会話の三十一音とは比較にならないほどの豊穣な表現ができる、らしいのである。歌を詠む人ならば、本書を読んで、この夫婦の感情のやり取りが手に取るようにわかるのだろう。そこに感動もあるかもしれないし、表現上の勉強といった全く違った読み方もできるのかもしれない。私の場合は字面の表面を追うので精一杯だ。とりあえず、今回は置いておき、後日再読することにする。
それにしても、身近な人の看取り、自分自身の始末というのは日に日に大きな問題になりつつある。物心ついてから今日まであっという間のことだったが、ここからあの世までの距離はその半分あるかないかだろう。「たとへば君」どころではない。「おい君」「こら君」というくらいの切迫感だ。しかし、だからといって何か行動を起こすことができないのは、己の無能の所為だ。困ったものである。
斎藤茂吉『万葉秀歌(上)』岩波新書
万葉集から著者が秀歌だと思うものを取り上げて解説を加えている。一生懸命読んだつもりだが、何が良い歌で何がそうでないのか、というあたりが素人には皆目わからない。或る程度の知識とか経験とか感性があれば、いちいち成程と感じながら読む本なのかもしれないが、そういう人たちが当然に共有していると思われる決まり事のようなものを共有せずに結論だけ聞かされてもなんのことやらわからないのである。哀しい。しかし、しばらくは諦めずに食らいついてみたい。