万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

第二次世界大戦は奇妙な三つ巴-ロシアは北方領土占領を正当化できないのでは?

2014年01月06日 16時01分30秒 | 国際政治
ロシア、北方領土占領の歴史的正当性主張へ 次官級協議(朝日新聞) - goo ニュース
 第二次世界大戦は、終戦時を基準に連合国対枢軸国の対立構図として描かれがちですが、開戦時と終戦時において陣営内の組み合わせが違うという、奇妙な戦争でもありました。第二次世界大戦前夜は、単純化すれば、自由主義勢力、全体主義勢力、そして、共産主義勢力の3陣営による三つ巴であったのですから。

 第二次世界大戦の発端となる1939年9月のポーランド侵攻は、8月23日に締結された独ソ不可侵条約に基づいており、ドイツとソ連の両国は、ポーランドを東西から挟み撃ちにして領土を分割します。開戦時点では、全体主義勢力と共産主義勢力が連携しており、自由主義勢力が孤立しています。日本国は(もっとも、日本国の場合、強い影響を受けたけれども、政治体制としては純粋な全体主義とは言い切れない…)、1941年4月に日独伊ソの四国同盟構想の下に日ソ中立条約を締結しており、ソ連邦のスターリンも、同構想を基本方針としていたようです(第一期:全体+共産vs自由)。ところが、ドイツが同年6月に対ソ攻撃を開始し、イタリアと共にソ連に対して宣戦布告すると、がらりと勢力の組み合わせが変わります。今度は、自由主義勢力と共産主義勢力とが手を組み、全体主義勢力が孤立するのです(第二期:自由+共産vs全体)。こうして、終戦時には連合国対枢軸国となるのですが、その実、終戦末期には、水面下でさらなる第3の組み換えが進行していました(第三期:自由+旧全体vs共産)。次なる組み合わせでは、自由主義勢力と旧全体主義国が西側陣形を形成し、東側陣営の共産主義勢力と対峙するのです―冷戦構造―。大局的に見ますと、第二次世界大戦は枢軸国の敗戦によっては完全には終結しておらず、この意味において、サンフランシスコ講和条約は、新たな”組み換え”のための前提ともなりました。つまり、三つ巴を構成していた3勢力間の全ての組み合わせが出現したわけですが、敗戦により、枢軸国諸国は自由で民主的な国家へと変化しますので、西側陣営の間でのイデオロギー対立は影を潜めることになります。結局、少なくともヨーロッパにおける三つ巴の解消は、最後に残った共産主義勢力、すなわちソ連邦の崩壊によってもたらされたと言うことができるかもしれません(アジアには、未だに中国という共産主義勢力が残存している…)。

 第二次世界大戦が、奇妙な三つ巴から始まったことを考慮しますと、ロシアが、懲罰的な根拠を以って日本国に対して北方領土の占領の正当性を主張することもまた、奇妙なことです。何故ならば、上述したように自らもドイツと共にポーランドに侵攻し、かつ、ナチス・ドイツからの解放を大義名分として、周辺諸国を侵略しているのですから。況してや、軍事占領を越えて領土併合となりますと、連合国の基本方針にも反する領土拡張主義そのものです。ロシアには、第二次世界大戦におけるソ連邦の行動をつぶさに再検証していただきたいと思うのです。

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コメント (2)
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