新型コロナウイルスワクチンについては、接種時の即時的な副反応よりも、中長期的な有害事象が懸念されております。実際に、海外にあっては、血栓リスクの疑いでアストラゼネカ製のワクチンが接種中断に追い込まれています。このため、ワクチン接種を望まない国民も少なくないのですが、国内メディアの報道ぶりは、ワクチン接種推進一辺倒のように思えます。テレビのニュース番組でも、それに登場してくる’一般の人’の意見は、決まって’ワクチンを’接種したい’というものです。本日、菅首相も報道陣を前にしてワクチンの公開接種に臨むそうですが、かくも国民の間で不安が広がりながら、一人として’私は、ワクチンを接種つもりはありません’と語る人が登場しない状況に、危うさを感じざるを得ないのです。
ワクチン接種を問う世論調査の結果を見ますと、国内の調査では、接種希望者が増加傾向にあり、凡そ7割の人々が接種に前向きとされています。その一方で、世界経済フォーラムとフランスの調査会社であるイプソスが15か国を対象に3月に共同で実施した世論調査では、日本国では、「直ちに」が36%、「一か月以内に」が13%であり、計49%で15カ国中12位であったそうです。かのダボス会議、つまり、ワクチン接種を推進したい超国家権力体が絡んでいますので、この数字もどこか怪しいのですが、’様子見’を含めて凡そ半数強の人々が、ワクチンに対して不信感を抱いている日本国内の現状を示しています。日本国内は、決してワクチン接種一色ではないのです。
半数以上の人々がワクチン接種に対して消極的であるとしますと、マスメディアが報じている’皆がワクチン接種を待ち望んでいる’とする光景は、作為的に造られた’虚像’ということになりましょう。国民世論が正しく伝えられるのであれば、インタヴューを受けた一般の人や出演者の半数が、否定的な見解を述べるはずなのですから。となりますと、メディア側は、番組編集権を濫用して、ワクチン接種に向けて世論を導くべく、同調圧力を醸し出すために敢えてワクチン接種に反対している人々をカットしている、あるいは、予め排除してしまっているのかもしれません。
ワクチンの接種は強制ではなく、接種の判断は、個々人の自由意思に委ねられております。当然に、ワクチンを打たないとする選択もあり、しかも、全体からしても決して少数派でもないのです。一方に偏った報道は、政府、あるいは、政府の意向を忖度したメディアによる露骨な情報操作と見なされましても致し方がありません。況してや、ワクチンを接種しないという選択をした人々が、差別されたり、迫害されたりすることはあってはならないこととなりましょう。否、ワクチン非接種派が多数であれば、両者の立場が逆転し、ワクチン接種派の人々も、他者に対して危険行為を勧めたとしとして、逆に批判される事態も想定せざるを得なくなります(後に、短期的な副反応や中長期的な有害事象とワクチンとの因果関係が証明された場合、その罪は重いということにもなる…)。相互に個々人の自由な判断を尊重する態度こそ、世論が二分されるような場面では相応しいということになりましょう。
幸いにして、大手メディアとは違い、ネット上では’ワクチンは打たない表明’は自由にできます。私も、本ブログの記事にて、ワクチンは接種しない旨を本名で記しております(逃げも隠れも致しません…)。実際に、医科学的な見地からも、ワクチンの安全性が未だに証明されておらず(例えば、血栓症については、その原因が抗体そのものにあるならば、アストラゼネカ社以外の他のワクチンでも起こり得る…)、ワクチン非接種派からの警戒論や反対意見があって然るべきであり、言論の自由が失われた社会とは、国民が黙ってワクチン接種に並ばされる全体主義国家と変わりはありません。想定される、あるいは、あり得るリスクについて人々が自由に語り、堂々と議論し、かつ、自由な立場から検証することができ、その自由さと開放性によって事前に災いを防ぎ得ることこそ、全体主義国家に遥かに優る自由主義国家の善き面なのではないでしょうか。
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