万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

GPIFの中国国債購入問題が示すイギリスの’二面性問題’

2021年03月31日 12時38分18秒 | 国際政治

 イギリスの小説家、R.L.スティーブンソンは、『ジーギル博士とハイド氏』という有名な小説を世に残しています。天使と悪魔が同一人物であったという驚きの二重人格者のお話なのですが、ディケンズの『二都物語』やオーウェルの『1984年』も、それに隠されたテーマは、善悪や真偽といった真逆の両面の一体化や融合がもたらす混乱にあるように思えます。そして、イギリスに纏わる’二面性の問題’は小説の世界限定ではないのかもしれません。戦後、長らく中東地域を不安定化してきたパレスチナ問題も、元を質せばイギリスの二枚舌外交に行き着くことができますし(もっとも、同ケースでは、二枚舌どころか三枚舌…)、今日なおも、イギリスの’二面性の問題’は、国際社会にあってあらゆる国や人々を翻弄しているように思えるのです。

 

 本日も、日経新聞にあって、日本国のGPIF(年金積立金管理運営独立行政法人)が人民元建ての中国国債の購入を検討しているとする記事が掲載されておりました。近年、世界最大の機関投資家ともされるGPIFは、資金の運用に際して海外債権や株式の割合を増やしてきており、今では、国内と国外の比率はおよそ半々となっています。しかしながら、これまで、GPIFは、海外債権の枠では中国債は購入しておらず、一先ずは、国民の同基金の運用に対する関心も薄く、GPIFに’お任せ状態’であったと言えましょう。

 

 ところが、今に至って、GPIFは、突然に中国国債の購入に舵を切ろうとしています。その理由は何処にあるのかと申しますと、イギリスの指数算出会社であるFTSEが、今年10月末から自らが提供している「FTSE世界国債インデックス(WGBI)」に中国国債を組み入れることを決定したからです。GPIFは、運用額凡そ180兆円の内、その凡そ10%弱に当たる16兆円余りを同インデックスと連動して運用しております。このため、WGBIとの連動性を維持しようとすれば、中国国債購入に踏み出さなければならないそうなのです。

 

 この記事から読み取れるのは、GPIFは、自らの判断で投資先を決めているわけではなく、海外のインデックスに従って資金を運用していた点です。中国債購入問題が持ち上がらなければ、国民の大半は、全額ではないにせよ、GPIFが、イギリスの民間指数算出会社に投資判断を依存していた実態を知らなかったことでしょう。今に至り、FTSEが中国国債に国際通貨ならず‘国際債券’、あるいは、‘グローバル債権’の地位を認めたことで、俄かに政治問題として浮上することとなったのです。日本国民から預かり、日本国民の老後の生活を支えるはずの大事な年金資金を中国につぎ込んでもよいのか、という…。

 

 中国国債の購入問題が政治問題となることは、当然と言えば当然のことです。軍拡を進める中国は、尖閣諸島問題のみならず、国際社会全体にとりまして重大な脅威です。有事に際しての’戦時国債’ではないにせよ、平時あっても、国債発行によって調達された財源は、軍事予算に投じられるでしょうし(軍資金に…)、国民監視体制の強化やウイグル人、チベット人、モンゴル人、そして香港人の弾圧にも使われることでしょう。一般の社会に喩えれば、暴力団に資金を提供するようなものですので、保険料を納めている日本国民の大多数は、自らの生命や財産を脅かすことになるようなGPIFによる中国国債の購入には反対するはずなのです。

 

しかも、人民元建てともなりますと、GPIFは、何れかの方法で人民元を調達する必要も生じます。外国為替市場から円売り元買いで調達するかもしれませんし、あるいは、日本国の外貨準備を活用するかもしれません(人民元の準備がない場合には、ドル売り元買いで調達?)。また、中国の通貨政策には不透明な部分がありますので、デフォルトを回避するために、輪転機で刷った人民元紙幣、あるいは、コンピューター上で’創造’したデジタル人民元を以って償却や利払いが行われる可能性もありましょう。

 

いささかお話が横道にそれましたが、何れにしましても、本問題の根本的な原因が、FTSEの方向転換となりますと、イギリスは、政治にあっては反中姿勢を強める一方で、経済にあっては逆に親中の方向に動いていることとなります。政治分野では、中国の侵略的な暴力主義や非人道的な行為を手厳しく糾弾し、巨悪と対峙する’正義の味方’である一方で、経済分野では、自らの利益のためには道徳も倫理もかなぐり捨て、巨悪にももみ手で媚びへつらう’悪い奴’なのです。イギリスは、まさしく、ジーギル博士とハイド氏という二人の人物なのです。

 

 世界の歴史を振り返りますと、二度の世界大戦というものも、イギリスの二面性によって説明され得るのかもしれません。そして、この二面性の問題の根源には、おそらく、ディアスポラ以来、流浪の民となりながらも、世界各国の権力の中枢に巣食うようになったユダヤ人の問題があるように思えるのです。この視点からしますと、ジーギル博士とハイド氏は、同一人物の二重人格者なのではなく、実は二人の別々の人物であり、イギリス政府内部の対立関係、すなわち、イギリスに巣食うユダヤ系勢力(ディープステート?)の問題を比喩的に表現しているのかもしれません。

 

グローバル化とは、イギリスのみならず、同二面性、あるいは、二重性が全世界に広がった時代、あるいは、表面化した時代でもあり、今日という時代は、’美しい言葉’や’明るい未来’の裏側をも慎重に読み取らなければならない時代なのかもしれません。コロナ禍やワクチン・パスポートのみならず、地球環境問題やデジタル化といった時代の波が押し寄せる中、人類は、二面性のからくりを見抜く洞察力こそ磨くべきと言えましょう。そしてそれは、国家の独立性という、古くて新しい問題とも繋がってくるのではないかと思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする