万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワクチン有害事象は全て’根拠なし’で終わる?-先端科学の限界

2021年03月17日 11時56分17秒 | 社会

現在の医科学技術のレベルにあって、ミクロの世界を含めて体内のあらゆる機関の作用や構成があますところなく解明されていたならば、ワクチンに関する副反応や有害事業のリスクはそもそも存在していなかったことでしょう。天然痘のワクチンのように長期にわたる実績が安全性を証明しなくとも、誰もが、安心してワクチンを接種できたはずです。言い換えますと、リスクが取沙汰されている現状は、今日の科学技術の限界をも表していると言えましょう。

 

 そして、医科学技術の限界は、現状にあって、ワクチンに対する不安を完全に払拭することが不可能であることをも示しています。アストラゼネカ社のワクチンについては、目下、血栓症が疑われ、各国で接種停止の動きが広がっていますが、安全性を重視した各国政府の措置に対して、WHOは、分析中としながらも、ワクチンとの因果関係を示す証拠はなく、’根拠なし’として接種の継続を奨励しています。一方、EUの欧州医薬品庁(EMA)のクック長官は、「メリットが副反応のリスクを上回るとまだ強く確信している」と述べております。血栓リスクそのものは否定しておらず、しかも、‘確信している’とする信仰にも似た主観で語っており、同長官の発言は、WHOの見解よりもトーンダウンしているように見受けられるのです。

 

 WHOであれ、EMAであれ、ワクチンとの因果関係が’ある’とは証明できなとしながら、’ない’ことを科学的に証明しているわけではありません。一先ずは、因果関係が証明できない現状を以ってワクチン接種を認めているに過ぎないのです(もっとも、イギリス政府やアストラゼネカ社は、ワクチン接種後の血栓症の発症率が自然な状態と変わりはないと統計上のデータを以って反論していますが、体内のメカニズムとして証明されているわけではない…)。この言い分が通るのであれば、数か月や数十年先にあって深刻な有害事象が発生した場合、因果関係は認めない可能性は極めて高くなります。何故ならば、その証明には、現代の医科学技術のレベルを超えるからです。たとえ、将来にあって因果関係が証明された場合でも、’予見不可能であった’として責任を回避することでしょう。

 

 もっとも、ワクチン・メーカーが、将来において責任を負うとすれば、それは、これらのメーカーが、自らが製造したワクチンの成分に関する重大なリスクを予め知っていた場合です。不幸にして、各メーカーとも、その全成分や作用のメカニズムについては企業秘密、あるいは、知的財産権として非公開としている部分も少なくありません。仮に、将来にあって訴訟が起きた場合、現状の科学技術のレベルで予見可能であれば、製造・販売時点で’知り得たリスク’としてメーカー側に有罪判決が下されることとなりましょう。この点、アストラゼネカ社よりも、ワクチン開発に携わっていた元副社長が既に重大なリスクの警告を発しているファイザー社の方が’有罪リスク’は高いのかもしれません。そして、各国政府との契約に際して設けた免責条項によってたとえ賠償責任を転嫁することができたとしても、道義的な責任を問われることとなりましょう。全人類に対する重罪として…。

 

 以上に述べてきましたように、有害事象とワクチン接種との関連性は、医科学技術のレベルによって大きく左右されます。むしろ、中長期的には未知のリスクがある、あるいは、既知のリスクが隠されている可能性があるとする認識の下でワクチン接種の是非を考えるべきであり、この点からしますと、全国民を接種対象とする現行のワクチン・プロジェクトには疑問を抱かざるを得ないのです。ワクチン接種に消極的な人々に対しては、’ゼロ・リスクはあり得ない’、即ち、多少のリスクには目を瞑るべき、とする反論もあるのですが、生命や人類の未来に関わる重大なリスクであるかもしれもしれず、しかも、不可逆的な影響が残るのですから、人々の命を救おうとする人道的な動機においても、ワクチン慎重派の人々は、ワクチン接種派の人々のそれに決して劣らないと思うのです。


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