10月7日に起きたハマスによるイスラエルに対する奇襲攻撃については、幾つかの不審な点が見受けられます。‘チャンス到来’とばかりに攻勢をかけるイスラエルの様子から、イスラエル・ハマス戦争とは、計画された謀略であった疑いも払拭できない状況にあります。こうした謀略説については、政府もメディアもその可能性さえも決して口にはしないのですが、陰謀の実在性は歴史がその端々で証明しています。その一つは、アメリカをベトナム戦争の泥沼へと引き込んだトンキン湾事件です。
1964年8月2日に発生した‘トンキン湾事件’には、当時のジョンソン政権が公表した公式の説明と後に判明した事実としての経緯の二つがあります。前者に依れば、事の発端は、南ベトナム軍の哨戒艇と誤認したとはいえ、北ベトナム軍の魚雷艇3隻がアメリカ海軍の駆逐艦「マドックス」に対して魚雷並びに機関銃で攻撃を加えたというものです。この北ベトナム軍からの攻撃に対して「マドックス」は即座に反撃し、米軍空母艦載機の支援をうけつつ北ベトナム海軍の同3隻を撃破したとされます。
トンキン湾事件の報を受けて、アメリカ国内では二日後の8月4日にジョンソン大統領が演説を行ない、7日には上下両院で同事件に関する決議が成立します。次いで10日には、大統領と同議会との合同という形で通常兵器の使用を認める決議が成立するのです(Gulf of Tonkin Resolution)。因みに、同決議は、議会による正式の宣戦布告なく戦争が行なわれる事例となり、また、SEATOのメンバーを支援するために軍事支援を含む‘必要とされるあらゆる措置’を執ることができる権限を大統領に与えたことでも知られています。
以上が公式の説明とその後の経緯なのですが、後日、トンキン湾事件の真相が明らかにされることとなります。事件が起きたのは、南ベトナムではなく北ベトナムの領海内であり、「マドックス」による戦果も実のところは確認されていないというのです。しかも、同事件後に米軍が実行した北ベトナムに対する攻撃作戦-ピアス・アロー作戦―は、上述した決議の成立前に大統領が発動を命じていますし、同決議文と北ベトナムに対する攻撃リストは、二ヶ月前に大統領府において作成されていました(もっとも、後日の公表を考慮すれば、同文書の記述の全てが必ずしも事実であるとは限らないのですが・・・)。
トンキン湾事件の真相は、1971年6月に、ベトナム戦争に関するアメリカの機密文書であった「ペンタゴン・ペーパーズ(公式名称「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」)」を入手したニューヨーク・タイムズが最初に暴露したものですが、2011年に全文が機密解除されたことで確認されています。このことは、政府が常に‘正直者’であるとは限らないこと、つまり、戦争を国民に承認させるためには虚偽の説明をすること、そして、何よりも、政府によって戦争が既定路線として定められた場合、口実を得るために、自らを‘被害者’の立場に置くように積極的にチャンス‘造る’という点です。被害者側となれば、正当防衛をもって戦争を正当化できるからです。国民や世論を欺く‘カバー・ストーリー’の作成は、政府の自己正当化にとりまして必要不可欠なのです。
それでは、今般のイスラエル・ハマス戦争はどうなのでしょうか。イスラエルは、奇襲攻撃を受けた直後からの素早い反応から、おそらくトンキン事件に際して即座に発動されたピアス・アロー作戦と同様に、ガザ攻略作戦も策定済みであったと推測されます。そして、虎視眈々と同計画を正当防衛の名の下で実行できる日を待っていたのでしょう。しかも、相手側から手を出させる、つまり、自らが被害者側となることが重要ですので、政府、あるいは、軍部内部では、挑発、捏造、並びに、偽旗作戦と言った手法が検討されたはずです。
トンキン湾事件で採られた手法は‘捏造’なのですが、イスラエル・ハマス戦争では、イスラエルと内通しているハマス、あるいは、その一部幹部による偽旗作戦であった可能性の方が高いようにも思えます。ハマスは、奇襲に際して誰もが’ハマス’に対して怒りに震えるような、想像を絶する残虐なテロをイスラエルに対して実行するなど、激しくイスラエルと敵対しているように見えながら、その実、要所にあって事態がイスラエルに有利な方向に動くように行動するからです。
果たして、イスラエル・ハマス戦争も、後年驚くべき事実が判明するのでしょうか。もちろん、社会・共産主義諸国、あるいは、全体主義国が‘正直者’であったわけでもなく、双方とも謀略については長けています。敵対関係にある諸国や勢力の全てを操ることで利益を得る存在もあるのですから、陰謀の可能性は、歴史を動かすような事件が発生した際には、常に頭に入れておくべきことなのではないかと思うのです。