万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘パレスチナ国’の‘もしも’が語る未来

2023年11月07日 13時00分09秒 | 国際政治
 ‘歴史にもしもはない’、という言い方があります。この言葉は、E.H.カーがその著書『歴史と何か』において未練学派に対する批判として述べたとされています。‘未練たらたら’と過去の出来事について愚痴をこぼすような態度への批判なのですが、その一方で、過去の可能性について客観的な検証を加えることは、現実を理解する、また、未来をよりよい方向へ導く上で極めて重要な作業となりましょう。何故ならば、それは、一端であれ、今日直面している問題の原因を見つけ出し、かつ、それを未来に向けて取り除いてゆくステップともなるからです。この視点からしますと、今般のイスラエル・ハマス戦争を含むパレスチナ紛争についても、‘もしも’について考えてみることも、決して無駄ではないように思えます。

 パレスチナ紛争に関して、本記事で仮定してみるのは、“パレスチナ国”とイスラエルとの同時建国です。パレスチナ地域にユダヤ人とアラブ人の双方が独立国家を建設する案は、1947年11月29日に成立した国連総会のパレスチナ分割決議によって決定済みのことでした。国連総会決議181号(II)では、両国の建国のプロセスについて凡そ同一のスケジュールを描いています。アラブ人もユダヤ人も同一のスタートラインに立ちながら、前者だけは独立国家建国のチャンスを逸し、その後、“パレスチナ国”の領域となるはずであった地域は無政府状態に至るのです。イスラエル・パレスチナ両国同時建国のプランが幻となったことこそ、その後、長きに亘って繰り返された中東戦争の主要な原因の一つでもあり、また、国際法秩序の構築を阻害する要因ともなってきたと言えましょう。それでは、‘もしも’パレスチナ国”が成立していたとしましたら、その後、どのような歴史が待っていたのでしょうか。

 仮に、“パレスチナ国”が建国されていれば、中東戦争は全く違った展開となったかもしれません。決議181号(Ⅱ)が実現すれば、“パレスチナ国”は自国の軍隊を保有するはずでしたので、先ずもって、イスラエルと“パレスチナ国”の双方が当事国となる戦争となったはずなのです。このためアラブ諸国が同戦争に介入するとすれば、それは、“パレスチナ国”との同盟条約に基づく共同防衛の形態であったかもしれません。中東戦争で示したように、アラブ諸国が真に“パレスチナ国”のために闘う確固とした意志があれば、当然に、誕生間もなく軍事力に乏しい“パレスチナ国”を護るべく、それが、片務的、かつ、対イスラエルに限定したものであれ、アラブ諸国による集団的安全保障体制の構築に向かったはずであるからです。

 イスラエル国もまた、迂闊には決議181号(Ⅱ)において定められた分割線、すなわち、国境線を越えて自軍を進めることには躊躇したはずです。同決議が引いた国境線を越えた途端、イスラエルによる‘侵略’が確定してしまうからです。国連総会決議が定めた国境線が一方的に侵害されたとなれば、国連安保理も対応せざるを得なくなります。同決議では、国連安保理に履行に関する最終的な責任を負わせていますので、上述した中東諸国による安全保障体制の構築より先に、国連が動く可能性の方が高かったものと推測されます。いわば、イスラエルは朝鮮戦争における北朝鮮の立場となり、安保理では、イスラエル側を侵略国とする決議が成立することとなりましょう(もっとも、この‘もしも’の場合には、アメリカ、イギリス、フランスが拒否権を発動したかもしれない・・・)。イスラエルは、‘侵略国家’という不名誉な立場からその歴史を歩み始めなければならなくなったはずなのです。同国の暴挙は、‘ホロコースト’の被害者としてのユダヤ人に対する同情論も吹き飛ばしてしまったことでしょう。

 加えて、イスラエルは、密かに核を開発し、これを保有しています。今般、イスラエルの閣僚の「ガザ地区に対する核兵器の使用を選択肢に含める」とする発言が物議を醸しておりますが、同国の核保有は、いわば公然の秘密です。同国は、NPTにも加わっておらず、核に関しては国際社会の‘無法者’なのです。かつ、インドとパキスタンの両国が印パ戦争を背景としてNPTを締約せずに核保有国となっている現状からしますと、“パレスチナ国”にも核を保有する根拠があります。“パレスチナ国”は、核の抑止力をもってイスラエルの侵略行為を抑えたかもしれないのです。

 以上に述べてきたように、もしも“パレスチナ国”が75年前に誕生していたとしたら、今日の中東の様相は大きく違っていたことでしょう。そして、この仮定は、同時に“パレスチナ国”が決議通りに建国されず、長期に亘り混乱状態に置かれた理由、1967年に武力による分割線の変更を追認した国連決議を含めた国連の無責任、並びに、今日のパレスチナ政府の‘不甲斐なさ’など、不自然で不条理な現実をも逆光のシルエットのように浮かび上がらせているのです。

 E.H.カーは、歴史学の二重の働きを、‘人が過去の社会を理解できるようにすると同時に、人の現在の社会に対する制御力を増ようにすること’とも述べています。歴史を知ることが、過去を理解し、そして、現在における逸脱行為を制御する力を持つのであるならば、今こそ、人類は失敗の歴史に学ぶべきではないかと思うのです。この意味において、‘もしも’を問うことは、‘パレスチナ国’が建国されなかったという歴史上の‘決定された事実’を理解することであり、両者は、決して矛盾しないのですから。

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