ウクライナに次いでパレスチナの地にも戦火が広がり、台湾有事も囁かれる今日、頓に関心を集めるようになったのは、戦争ビジネスの問題です。先日も、ウェブ上のオンライン記事にあって「「戦争が止まらない原因」はアメリカにあった・・・」とするタイトルが目に留まりました。同記事は、戦争というものが、アメリカの巨大軍事産業の利益のために‘仕組まれている’実態を告発しています。この記事を読めば、ゼレンスキー大統領の‘祖国防衛の名演説’もネタニヤフ首相のハマスに対する‘怒りの鉄拳’も形無しとなるのですが、今日、戦争の真の姿が露わになりつつあるように思えます。
ヴェネチア商人などによるシステマティックな戦争ビジネスは、ヨーロッパにあっては十字軍の時代から確認されるものの、古代にありましても、武具や武器の製造者のみならず捕虜奴隷商人も存在していましたので、戦争は、為政者並びに商人にとりましては絶好のビジネスチャンスであったのでしょう。近現代にあっても、軍需産業は経済全体において一定の割合を占めており、とりわけ全世界に基地網を構築し、グローバルに軍隊を展開し得る軍事大国にして、かつ、世界最先端の兵器をも製造するアメリカの軍需産業は、かつてアイゼンハウアー大統領が軍産複合体の脅威として警告したように、同国の政策を左右するほどのパワーを有しています。この現実からしましても、戦争がアメリカ企業、あるいは、グローバル企業に莫大な利益を齎すことは疑いようもなく、それ故に、上述した記事には説得力があるのでしょう。
戦争が一部の戦争利得者が潤う巨大ビジネスであることは容易に理解し得るのですが、人類が警戒すべきは、戦争当事国が払う多大な犠牲のみならず、戦争リスクが、他の諸国をも巻き込む形で国家並びに経済体制をも全体主義体勢に移行させてしまう点にあるのかもしれません。つまり、‘死の商人’などの個人的な利益の問題に留まらず、国家や国際社会全体の問題に波及するのです。それでは、戦争、あるいは、戦争リスクは、どのようなメカニズムで全体主義体制へと人類を陥らせるのでしょうか。
先ずもって指摘し得る変化は、経済における資源の配分が民から官へシフトすることにあります。第二次世界大戦時を見れば一目瞭然なのですが、連合国であれ枢軸国であれ、戦時にあっては、何れの諸国も戦時体制に移行しています。持てる資源あるいは動員しうる資源は優先的に軍事部門に配分され、民生品の製造は後回しとなるのです。この結果、武器を初めとした軍需品を受注する国策企業に経済が集中すると共に、一般の国民は、生活必需品さえ入手が難しくなります。自由かつ公正な競争を基盤とする自由主義経済は停止・後退状態となり、政府が経済に関してあらゆる決定を下し得る統制経済へと移行するのです。この体制、よく観察しますと社会・共産主義体制と変わりはありません。否、社会・共産主義体制とは、戦時体制が恒常化したものに他ならないとも言えましょう。
この変化は、戦争当事国のみではありません。安全保障上のリスクを持ち出せば、全面的な体制移行ではなくとも、如何なる国でも緩慢なるシフトが起こりえます。例えば、日本国政府は、今月22日に武器装備移転三原則を改定し、アメリカへの日本製パトリオットの輸出を解禁する方針を決定しています。この改定の裏には、日本国からのウクライナへの財政支援(昨今の6500億円など・・・)⇒ウクライナ政府によるアメリカ政府からのパトリオットの高額購入⇒アメリカ政府による日本企業からのパトリオットの安値購入⇒日米官民の利益(日米政治家へのキックバックを含む・・・)・・・というメカニズムが想定されます。
日本国内における武器生産の拡大については、中国や北朝鮮などによる安全保障上のリスクをもって説明されています。しかしながら、おそらくアメリカ政府からの要請を受けた上での方針決定なのでしょう。このため、同メカニズムから得られるアメリカの利益は日本国側のそれを上回ることが予測されます。アメリカは、日本国からの安値購入とウクライナ側への高額売却で利ざやを得ますし、そもそもウクライナの武器購入財源は、日本国からの支援金です。言い換えますと、アメリカに代わり、日本国が、迂回ルートを通してウクライナの戦費を提供していることになりましょう。そして、日本国側のメリットとして指摘されている日本企業の輸出利益も、パトリオット製造のライセンス料の支払いもあることから、到底、‘投資額’を上回るとは思えません。むしろ、アメリカによって日本国が‘武器製造拠点’に指定されたとする見方の方が真相に近いのかも知れません。
そして、アメリカの政府並びに軍需産業の経営戦略に取り込まれる形で日本国内の武器製造・輸出のメカニズムが一度動き出しますと(その背景には、グローバルな世界権力の利益が潜む・・・)、政府や一部の軍需関連の企業等を除く大多数の日本国民は、それとは気付かぬうちに、蟻地獄の巣に落ちたアリの如くに奈落の底に引きずり込まれてしまいます。自らの足元の砂が少しづつ崩れ落ちていることに気付かずに・・・(つづく)。