日本国内では、ビル・アッカマン氏の名は、それ程には知られていないかも知れません。しかしながらここ数ヶ月の間に、同氏の名前を続けて二度目にすることとなりました。一度目は、イスラエル・ハマス戦争に際してハーバード大学に圧力をかけた人物として、そして、二度目は、時期アメリカ大統領選挙において現職のバイデン大統領を見限った人物として。それでは、ビル・アッカマン氏とは、どのような人物なのでしょうか。そして、同人物は、アメリカの政治における寄付問題を象徴しているようにも思えるのです。
ビル・アッカマン氏、正式にはウィリアム・アルバート・アッカマン氏は、アメリカの運用会社であるパーシング・スクエア・キャピタル・マネジメントの創業者であり、保有する純資産は3000億円を超えるとされています。もっとも、ビル氏一代で財を築いたわけではないようです。
アメリカにおけるアッカマン家の始まりは、1887年の祖父のアブラハム・アッカマン氏のロシアからの移住に求めることができます。同氏はアシュケナージ系ユダヤ人ですので、当時、ロシア国内で吹き荒れていた‘ポグロム’から逃れるための移住であったのでしょう。次いで祖父のヘルマン氏の代になると、1926年に兄弟と共にアッカマン・ブラザーズという名の不動産投資会社を設立しています。同社が、今日のアッカマン・ツィフ不動産グループの母体となるのですが(サイモン・ツィフが同社に加わることで、1995年に社名を改名・・・)、三代目となる父親であるローレンス・D.・アッカマン氏は、長らく同グループトップの座にあって、不動産関係の金融商品の開発や住宅ローンの仲介業などを手広く手がけるのです。そして、ビル・アッカマン氏こそ、アメリカン・ドリームを体現し、億万長者への道を歩んできたアッカマン家の四代目と言うことになります。
かくして、ビル・アッカマン氏は、巨額の資金をバックとして‘アクティビスト’として活動することとなります。‘アクティビスト’と申しますと、日本語ではしばしば‘物言う投資家’と訳されるため、企業の経営に積極的に口出しをする大株主という印象があります。しかしながら、アッカマン氏が‘物言う’のは、自らの投資先のみではありません。上述したように、同氏は、寄付や献金等を手段とするマネー・パワーを活用して、先述したように教育界にも口を出しますし、政界にも多大な影響力を発揮するのです。
こうしたマネー・パワーを有する‘アクティビスト’の活動が、アメリカの民主主義を著しく歪めてしまう、あるいは、内部から破壊してしまうことは、言うまでもありません。何故ならば、マネー・パワーは、あくまでもその保有者の私的なものであって、民主主義と凡そ同義とも言える国民自治の精神に基づく公共性や公益性が欠けているからです。アッカマン氏を見ましても、その言動の根底には、自らがユダヤ人であり、イスラエル支持という同氏の属性に関わる個人的な信条があります。同氏が物を言う時には、自分あるいは自分たち以外の他の国民の考え、即ち、国民世論の動向などは全く頭にはなく、ひたすら自ら、あるいは、自らが属する集団の私的な意向や思惑を、他の国民全員に押しつけようとしているのです。そして、その最も簡単で効果的な方法が政治家を自らのコントロール下に置くことであるのでしょう。かくしてアッカマン氏は、寄付や献金等を手段として、アメリカ大統領の椅子にさえ、自らの都合の良い人物を座らせようとしているように見えるのです。
同氏は、民主党のディーン・フィリップス候補のみならず、「共和党候補指名をトランプ前大統領と争うニッキー・ヘイリー元国連米大使、クリス・クリスティー前ニュージャージー州知事」をも支持していると述べていますので、民主党のみならず共和党にも‘保険をかけている’ことが分かります。言い換えますと、当選後に自らの意向を忠実に実行する候補者であれば、政党やイデオロギーには関係なく、誰でもよいのです。この両天秤は、二頭作戦の現れでもあります。
加えて、選挙に際して候補者には莫大な費用が準備する必要がある現状が、‘アクティビスト’の発言力をより一層高める方向に作用しています。寄付や献金がなければ選挙に勝利できないのであれば、寄付者や献金者の要望を断れないからです。共和党の有力候補者であるトランプ前大統領も、イスラエル支持の立場を表明していますので、アメリカの政界は、アッカマン氏のみならず他のユダヤ系勢力のメンバーからの寄付や献金によって身動きがとれず、がんじがらめにされているのかもしれません。つまり、アメリカの政界は、今やユダヤ系のマネー・パワーに支配されていると言っても過言ではないのです(なお、この問題は、アメリカに限ったことでもない・・・)。
アメリカ政治の現状は、‘自由で民主的な国’というアメリカのイメージが幻想に過ぎないことを示しています。そして、今日、理想と現実との乖離を目の当たりにして、アメリカ国民は、建国以来はじめて、真に自由で民主的な国の再構築という、構造的な改革を要する重大な課題に直面しているのかもしれません。そしてこの問題は、アメリカ国民の一員として、ユダヤ系の人々も共に考えるべきことではないかと思うのです。