新型コロナウイルスは、今やヨーロッパ諸国において猛威を振るっており、各国政府とも非常事態宣言を発するなど、感染拡大を防ぐべく対応に追われています。一方、震源地でありながら一早くに危機脱出を‘宣言’した中国では、人民日報系の環球時報がヨーロッパ諸国に対して‘反省せよ’と上から目線で訓示を垂れています。‘中国を見習った対応をしないから感染が広がったのだ’と言わんばかりに…。
中国のこの非常識で傲慢な態度、けんかを売っている、あるいは、挑発しているとしか思えないのですが、自国中心主義の極みである中華思想の‘脳内序列’からしますと当然なのかもしれません。そして、他国の安全や権利を慮らない中国の思考傾向こそ、今般の世界大でのパンデミックを引き起こした最大の原因であったと思うのです。
国家レベルのみならず、個人レベルにあっても自己中心的な性格の人物は他者を害しがちです。自らの言動が相手に与える不快感や相手に与える侵害性を全く理解も想像もせずに、自らの欲望や心情の赴くままに行動するからです。常に自分自身の損得や自己保身しか考えませんので、相手の立場に立つことがないのです。一般の社会にあっても、こうした人物はサイコパス型として警戒されるのですが、日本国内にあっても、新型コロナウイルスの感染拡大は、利己的な人物の言動がもたらす危険性を知らしめることとなりました。
愛知県の蒲郡市では、陽性反応のために県から自宅待機を要請されていた男性感染者が、‘コロナウイルスをうつしてやる’と暴言を吐いて飲食店を利用したため、同店で働いていた女性が感染者となる事件が発生しています。この事件は多くの人々の怒りを買い、同感染者は世間から凄まじい批判を浴びたのです。おそらく、この行為を個人の自由の範囲として擁護する人は誰一人としていなかったのではないでしょうか。法律の専門家によりますと、刑事上の傷害罪も問われると共に、同容疑者は損害賠償を請求される可能性もあるそうです。また、仮に、感染させた女性が死亡するような事態に至りますと、傷害罪どころか、殺人罪まで問われるかもしれません。実際に、飲食店からの被害届を受けた警察も事件を重く見て、業務妨害の罪で捜査を開始したと報じられています。
同容疑者は、2週間という長い日々を自宅で過ごさなくてはならず、ストレスが溜まっていたのでしょう。鬱積した不満を解消する方法として選んだのが、他者に自らの病気をうつすことであったとしますと、それは、‘むしゃくしゃ’していたから、あるいは、自分一人で死ぬのは嫌であるから他の人を殺すような、利己的で身勝手な無差別殺人犯の動機と変わりはありません。たとえ数パーセントであれ死亡する確率がある新型コロナウイルスの場合、‘うつしてやる’‘と殺してやる’は、殆ど同義となりかねないのです。
同事例を国レベルに置き換えますと、中国は、昨年の段階で、極めて高い有毒性と感染性を有するウイルスが既に武漢において拡散し始めていることを知っていたはずですので、拡散防止を求められた同容疑者と立場は同じです。つまり、この時点で、中国は、自らの国が他国に感染を広げる危険性のある感染者であることを自覚していたはずなのです。それにも拘わらず、中国は、団体旅行客の出国は禁じたものの、自国民の海外への出国を全面的に止める措置をとりませんでした。この行為は、自らが感染者であることを承知し、他者に移す可能性があるリスクを知りながら外出して他者と接触した上記感染者の行動と、‘悪意’という点において変わりはないのです。
他害性のリスクを知っていたか否かによって、罪の深さは違ってきます。知らなかった場合は無罪であっても、知っていた場合は有罪となる他害行為は少なくありません(‘善意’であっても過失致死が問われることも…)。国レベルの場合には、全ての中国人が感染者であるわけではなく、さすがに‘うつしてやる’と広言はしませんでしたが、何らの罪なき無辜の人々が死亡したり、人体に著しい害を与える危険性のある感染病であるだけに、未必の故意は成り立ちます。中国は、目下、新型コロナウイルスの外来説を唱えて国際社会における責任から逃れようと必死ですが、この拡散の罪は、新型コロナウイルスの発生源問題とは無関係であって、責任を問われるべき罪なのです。
中国は、‘ウイルスごときで謝る必要はない’とも言い放っているそうですが、自らの罪深さを自覚しない自己中心に徹したメンタリティーこそ、今般のパンデミックの元凶なのではないでしょうか。危機にあってこそ、その人の真の人となりが現れ、真価が問われるとも申します。国レベルであっても同様であり、新型コロナウイルス禍にあって、中国は自らの国柄、すなわち、共産党一党独裁体制の他国に対する無神経で傲慢な醜悪さを図らずも露わにしてしまったように思えるのです。