バングラディシュ人質事件で日本人7人死亡。主要メディア報道まとめ
バングラディッシュのダッカで発生した無差別テロ事件は、7人の日本人を含む20人の命を奪う残虐な犯行でした。IS系やアルカイダ系のイスラム過激派組織との関係も取り沙汰されているため、ネット上には、日本人の犠牲は、イスラム過激派を”敵”と見なした日本国政府に責任があるとする批判も聞かれます。
批判者は、”私は日本人だ。撃たないでくれ。”と懇願したにも拘わらず、テロリストによって問答無用に殺害された事実を以って、日本人がイスラム教徒の敵となった証としています。しかしながら、この日本政府への批判は、筋違いなのではないでしょうか。何故ならば、無差別殺人を容認するテロ集団は、それがイスラム系であれ、何であれ、人類共通の敵であるからです。しばしば、”いじめ問題”で指摘されるのは、虐める側を批判したり、虐められている人を庇うと、自分も苛められる怖れがあるため、虐めを黙認してしまう人が多いというものです。深刻な社会問題化しながら、”いじめ問題”がなかなか解消しないのは、こうした見て見ぬふりをする”事なかれ主義”にも一因があります。本来は、皆で協力して虐め側に対抗し、その行為を止めさせなければならないにも拘わらず…。”自分だけ助かれば、他者の犠牲はどうでもよい”という態度は、決して誉められたものではありません。本事件において日本国政府を批判する人々の発想の根源も、”いじめ問題”と共通する”事なかれ主義”にあります。
テロを怖れてテロ組織の要求を受け入れたり、残虐行為を見過ごすのでは、この世は、暴力と恐怖によって支配されます。日本国政府がテロリスト戦うことは、国際社会の安全を守るための責務であり、決して批判されるべきことではないと思うのです。
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バングラディッシュのダッカで発生した無差別テロ事件は、7人の日本人を含む20人の命を奪う残虐な犯行でした。IS系やアルカイダ系のイスラム過激派組織との関係も取り沙汰されているため、ネット上には、日本人の犠牲は、イスラム過激派を”敵”と見なした日本国政府に責任があるとする批判も聞かれます。
批判者は、”私は日本人だ。撃たないでくれ。”と懇願したにも拘わらず、テロリストによって問答無用に殺害された事実を以って、日本人がイスラム教徒の敵となった証としています。しかしながら、この日本政府への批判は、筋違いなのではないでしょうか。何故ならば、無差別殺人を容認するテロ集団は、それがイスラム系であれ、何であれ、人類共通の敵であるからです。しばしば、”いじめ問題”で指摘されるのは、虐める側を批判したり、虐められている人を庇うと、自分も苛められる怖れがあるため、虐めを黙認してしまう人が多いというものです。深刻な社会問題化しながら、”いじめ問題”がなかなか解消しないのは、こうした見て見ぬふりをする”事なかれ主義”にも一因があります。本来は、皆で協力して虐め側に対抗し、その行為を止めさせなければならないにも拘わらず…。”自分だけ助かれば、他者の犠牲はどうでもよい”という態度は、決して誉められたものではありません。本事件において日本国政府を批判する人々の発想の根源も、”いじめ問題”と共通する”事なかれ主義”にあります。
テロを怖れてテロ組織の要求を受け入れたり、残虐行為を見過ごすのでは、この世は、暴力と恐怖によって支配されます。日本国政府がテロリスト戦うことは、国際社会の安全を守るための責務であり、決して批判されるべきことではないと思うのです。
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相手を否定するには根拠が必要ですが、否定のための根拠が筋違い..的違いのすり替えで反論する。一般市民はこの4-5年で一気に変わっています、政党改革は政治家の刷新が必要と。演説を聴いていて当人が気が付かずに吠えている、其れが冷静に聞いている聴衆からは傑作に思えます。何故に此程の変わってしまったのか..民主党には残念です社会党の時代より愚民政治家に成り下がってます。
楽しみに読んでいます。
まずもって、民進党は、民主党時代を含めて、何故、国民の支持を得られなかったのか、その要因について、客観的、かつ、冷静な自己分析ができていないように思えます。しかも、安全保障上のリスクは高まる一方ですので、自党や国内の政治状況のみならず、国際情勢に関する分析も怠っているのです。これでは、支持率も伸びるはずもありません…。
なお、goenさまが本ブログを楽しく読んでくださっておられますこと、大変、うれしく、御礼申し上げます。
テロに反対し難民を救う必要はあるでしょう。しかし、イスラム国と戦う国の拠点整備と人的訓練(そう訳せます)を支援するとわざわざ表明する必要はありませんでした。
世界は不正義と不条理に満ちていますが、すべてを正すことは不可能です。テロ組織に屈する必要はありませんが、ブログ主様の言われる残虐行為は、世界中で起きていて全てを収拾する方法はありません。全ての国は可能な範囲でしか問題に取り組めないのです。ですからISと対決することは国際政治上至上課題でもなく世界の全ての国の責務でもないのです。
問題のバングラディシュでも残虐なのはISだけではないのです。国際社会の介入の余地のある事案はいくつかあります。手のとどくそう言った問題に取り組むのも、ISと戦うのと同じくらい重要ではないでしょうか?
IS問題は、米ロの圧倒的軍事力による直接アプローチでも弱体化が困難だという点を見るに、一見明白に日本の手に余ります。不正に反対しつつ、難民などの人道問題に取り組むなどの間接的アプローチに注力すべきでした。
出来もしない敵対をしてるかのように発言した政府は、無意味な失言をしたものだと私は判断しています。
ダッカの犠牲は、本来敵ですらない相手に無意味に敵視された結果であり、無意味な死です。その無意味さは、現政府のトップの、虚栄心に駆られた無意味な大言壮語が引き寄せたものでしょう。
国際社会におきましては、テロ対策として、様々な国際条約も成立しております、また、1994年12月9日の国連総会決議第60条でも、テロは、犯罪でありかつ正当化できないものとして無条件に非難されるべきことが、宣言されております。うーむさまは、ISと対決することは、”世界の全ての国の責務ではない”とおっしゃっておられますが、現実には、テロリストとの闘いは、国際社会でコンセンサスとして成立した”全ての国の責務”なのです。また、日本国政府は、イスラム全体を”敵”とみなしたのではなく、対象は、あくまでも、過激派テロ組織であるISに絞られています。周辺諸国もまたイスラム教国なのですから、数多くのイスラムを救っていることにもなります。”自分が攻撃を受けるから、ISを敵視するな”という主張は、”殺人集団が自分を殺すかもしれないから、警察は動くな”と言っているに等しいのではないでしょうか?これでは、平和どころか、テロリスト天国となり、非イスラム教徒のみならず、一般のイスラム教徒の人々の犠牲も拡大する一方です。どちらに、正義があるのでしょうか?
イスラム教をISは利用している、宗教を隠れ蓑とする卑怯な武装集団でテロ組織です。目的のためには手段を選ばない方法で、宗教自体が「殺人」を正当化はしないでしょう。彼らテロ組織は闘争そのものに目的を持つ武装集団としか考えられない。
妥協も、交渉も無意味でしょう...残念ですが。
只、その原因がテロ組織以外にある..のでしよう。
イスラム教につきましては、”聖戦(ジハード)”という考え方があることと、そして、『コーラン』において、多神教との殺害を容認していることが、宗教の殺人容認において最大の問題点ではないかと思います。ただし、解釈次第では、こうした負の側面は是正されますので、一般のイスラム教徒が、ISのようにテロ集団化することはないのでしょうが、少数ながら、テロリストを生み出す素地があることは否めない事実です。ですが、日本国政府は、イスラム教ではなく、テロいう行為を批判し、その根絶に取り組んでいるのですから、批判には当たらないのではないかと思うのです。テロをなくすことこそ、人類への貢献なのですから。