万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「ジョブ型」雇用の未来とは?

2023年01月04日 12時55分35秒 | 日本経済
 新たな年を迎え、時計の針は未来に向けて絶え間なく時を刻んでいます。時の経過と共に、経験の積み重ねや歴史の教訓、並びに、学問や技術の発展に伴って、人類はよりより賢くより豊かになると信じられてきました。時間とは、長さという量で計ることができますので、時間の蓄積が多い人々、即ち、後の世に生きる人々に恩恵をもたらすことは紛れもない事実です(能力が全く同じであれば、時間と知識量並びに脳の発達は比例する・・・)。生物学にあってもダーウィンが、単純で低度なものから複雑で高度なものへの発展を必然的なプロセスとする進化論を唱え、多くの人々が賛同したのも、その大前提として時間の効用に対する確信があったからなのでしょう。誰もが人類の進歩を信じて疑わないのですが、近年の状況を観察しますと、精神性を含めた人類の成長は、今日、その行く手を巨大な壁に阻まれているように思えます。そこで、今年は、人類の成長や発展の問題を強く意識しつつ、記事をしたためて参りたいと思います。常々拙い記事となり、心苦しい限りではございますが、本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 2023年1月1日の朝刊一面左を飾ったのは、「日立、37万人ジョブ型に」という見出しでした。日本国を代表する大手企業の一つである日立製作所の全グループが、従来の日本型の雇用形態からジョブ型へと転換するとする記事です。同社では、昨年7月までに既に国内本社社員の3万人を対象に「ジョブ型」導入しており、今般の拡大の対象は国内外の子会社社員の37万人にも及ぶそうです。

日本国内の上場企業では連結従業員数が2位ですので、その影響は計り知れません。他の企業にもこの動きが広がれば、新卒採用、年功序列、手厚い福利厚生を特徴としてきた日本型の雇用形態は総崩れとなる事態も想定されましょう。日本型雇用には、悪しき平等主義の蔓延や個人の能力の低評価などの欠点があり、激しい競争を強いられるグローバル時代にあって日本企業の没落原因としてもしばしば指摘されてきました。グローバル企業としての競争力を取り戻すための策として、欧米諸国で一般化している「ジョブ型」への転換を決断するに至ったのでしょうが、この欧米の後追い、日本国の未来に希望を与えるのでしょうか。

 同社の新卒向けのホームページを見ますと、‘人事制度として日本がジョブ型を採用する必然的な流れ’とした上で、同制度の長所を積極的にアピールしています。職種やジョブ型を導入した大凡の理由とは、(1)「メンバーシップ型(日本型)」はもはや通用せず、「ジョブ型」がグローバル・スタンダードである、並びに、(2)個人の多様なライフスタイルやワークスタイルにマッチするというものです。しかも、意欲のある社員に対しては、自らが人材開発プログラムとして開設している数千に及ぶ講座を受講することでプロフェッショナルスキルを磨き、職種(ジョブ)の転換にもチャレンジできるとしていますので、ジョブ型の閉鎖的で固定的なイメージを払拭しようとする姿勢が見られます。しかしながら、日本型の雇用形態にも長所があるように、ジョブ型にも短所があるように思えます。

 第1に、国や社会全体の福利から総合的に評価しますと、前者には、社会保障を民間企業が担ってきたという側面があります。その一方で、働くことを契約に基づく限定された職務の遂行と見なすジョブ型には、社員のスキルアップをサポートすることはあっても、社会保障の機能は期待できません。年功序列制度は失業のバッファーとなってきましたし、社員の長年の労に報いるために支給される退職金なども公的年金と共に国民の老後の生活の安定を支えていきました。近年、法人税の税率もグローバル・スタンダードに合わせて低下していますが、「ジョブ型」が一般化すれば、企業の公的負担がさらに軽くなる一方で、政府の社会保障分野への支出は増えることも予測されます。「ジョブ型」は、国や社会全体の視点からしますと、必ずしもプラス面ばかりではないこととなります。

 第2に、「ジョブ型」は個人の能力を正当に評価し、人生設計やキャリアなどに関する個人の選択肢を広げるとされますが、個人にとりましてもメリットばかりではありません。雇用の安定性から評価すれば、「日本型」の方が優れています。目下、デジタル化の推進により、企業が欲する人材とは「デジタルの専門人材」であり、「ジョブ型」の導入によりITやAI関連の職種の社員は高い報酬を期待することができます(デジタル時代が長く続けば、若者も必ずしも有利とは言えなくなる・・・)。その一方で、それ以外の職種については低報酬しか望めませんし、仮に、企業の経営側が同職種を不要と見なした場合には、即、解雇されてしまうことでしょう。雇用期間は短期化し、いわば、正社員が非正規社員化されてしまうのです。この点、デジタル人材も安泰ではなく、新しい技術が開発されれば旧技術に関連した職種はお払い箱となり、‘ジョブ’を失うかもしれません。新卒採用の慣行もなくなれば、欧米諸国と同様に若年層の失業率が上昇しますし(少子高齢化にも拍車が・・・)、第1点に関連して述べれば、雇用対策のための予算増額は国民の税負担を重くすることでしょう。

 第3に、日経新聞の記事に依りますと、国籍等を問わないために「ジョブ型」導入の主要な目的は‘海外から登用しやすく’するためと説明されています。海外からの人材登用が目的であれば、「ジョブ型」への転換は、日本企業のグローバル企業への‘脱皮’をも意味するのですが、これは、社名は日本語であっても日本企業ではなくなることを意味します。日立では、つい先日となる1月1日に昨年退任したイギリス人のアリステア・ドーマー氏が副社長に復帰したばかりですが、経営陣も社員もその殆どが外国人という未来もあり得ましょう(近い将来、同氏の社長就任もあり得るかもしれない・・・)。欧米系であればグローバル人脈(世界権力)と繋がっていますので経営陣に抜擢され、中韓系であれば同社のデジタル関連職を占める未来も絵空事ではありません(アジア系はネポチズムも強いので同朋を呼び寄せてしまう・・・)。一つ間違えますと、「ジョブ型」は、新たな植民地主義の到来を告げることともなりましょう。なお、全世界の企業が「ジョブ型」を採用した場合、最優秀のグーバル人材は、報酬や待遇の良い欧米や中国企業に集中するのではないでしょうか。

 そして、第4に挙げるべきは、企業と社員との関係です。「日本型」では、経営陣には、創業家世襲のケースを除いて、一般的には新卒で採用された平社員が様々な職種を経験しながら実績を積み上げ、出世階段を上り詰めた末に就任する形となります。その一方で、「ジョブ型」では、‘会社に勤める’というよりも‘特定の職に就く’形態となりますので、社員と経営陣との関係が今一つはっきりしません。否、「ジョブ型」とは、企業の事業に必要な人材を集めるのに適した形態ですので、あくまでも経営者の視点から考案された採用形態なのです。「ジョブ型」で雇用された社員が経営陣に加わる道が閉ざされているとすれば、社員の勤労意欲を削ぐことになり、企業全体の業績にもマイナス影響を与えることとなりましょう。

 以上に主要な問題点を挙げてきましたが、外部的な経営者視点からは望ましい転換ではあっても、「ジョブ型」の雇用形態には明るい未来が描けそうにありません。そもそも、グローバル競争において日本企業が劣勢にあるのであれば、起死回生のために‘イノベーション’を起こすべきは雇用形態そのもののはずです。旧来の「日本型」でも欧米の‘まね’の「ジョブ型」でもない、働く人本位であり、かつ、国民の豊かな生活に資する新たな雇用スタイルを独自に開発してこそ、日本企業のみならず国も国民も活路を見出すことができるのではないでしょうか。今年こそ、日本企業の優れた開発力を、その製品のみならず会社組織においても、是非、発揮していただきたいと思うのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 懐疑主義の復興を-疑う自由... | トップ | 国際社会における権利確認訴... »
最新の画像もっと見る

日本経済」カテゴリの最新記事