万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

二重橋爆弾事件とサラエボ事件

2023年09月18日 08時00分49秒 | 国際政治
 関東大震災の発生初期段階において報じられた朝鮮人暴動の背景には、義烈団並びに同組織と共闘関係にある社会・共産主義組織によるテロ並びに革命計画があったものと推測されます。同組織的な暴動は、短期間で鎮圧された、あるいは、未遂程度で終わったのでしょうが、翌年の1924年1月5日には、義烈団のメンバーによる二重橋爆弾事件が起きています。未遂であったが故に、今日にあって、知る人のほとんどいないような半ば忘れられた事件なのですが、第一次世界大戦の発端がサラエボの一発の銃声であった点を考慮しますと、この事件は、歴史の重大な転換点として記録される事件となったかもしれません。

1922年に、義烈団は朝鮮革命宣言を作成し、関東大震災に先立つ翌23年1月に、上海で開催された「国民代表会議」で配布しています。同宣言では、具体的なテロ活動として朝鮮総督府の破壊や天皇暗殺などが挙げられていたそうです。実際に、以後、同団体によるテロ活動も本格化し(もっとも、これ以前にも、朝鮮総督府爆弾事件や田中義一陸軍大将暗殺事件なども起きている・・・)、上海からソウルに向けて爆弾が輸送される事件も起きたため、義烈団のメンバーに大量の逮捕者が出ています。震災に前後する時期にあって、義烈団の活動が活発化していたことが分かります。

そして、二重橋爆弾事件を起こした義烈団のメンバーは、金祉燮という人物です。震災後の12月20日に、‘帝国議会に出席する政府高官を狙撃する目的’で上海を密かに出航し、同月31日頃に福岡に上陸しています。ところが、帝国議会の開会が無期限延期となった新聞を読み、急遽、爆弾テロの標的を皇居に変更したというのです。上述した義烈団の朝鮮革命宣言では、天皇暗殺も目標の一つとされていますので、同供述が正しいとは限らないのですが、少なくとも、当時にあって義烈団、並びに、社会共産主義者による革命運動は、日本国政府にとりまして現実的な脅威であったことは疑いようもありません。

因みに、金祉燮の密航に際しては、日本人の共産主義者も幇助したとされます(秀島廣二とも・・・)。また、当時、義烈団の中心メンバーの一人であった金元鳳は、1930年には朝鮮共産党再建同盟を結成し、他の組織を糾合して朝鮮義勇隊を組織したのですが、その社会主義路線から戦後は北朝鮮において要職を得ています。もっとも、この間、共闘相手を中国国民党から共産党に乗り換えたりと、自らの立場を二転三転させていますので、あるいは、国際共産主義組織、もしくは、その背後に控える世界権力の指令に従って行動していたのかもしれません。

当時にあって重大な脅威であった義烈団並びに社会・共産主義団体の活動は、関東大震災後の12月27日に発生した虎ノ門事件においても認められます。同事件は、共産主義者であった難波大介による摂政宮、即ち、皇太子暗殺未遂事件であり、犯人は未遂とはいえ大逆罪で死刑となりました。難波が明治維新の原動力となった長州藩出身であり、かつ、犯行に際して敢えて新聞社に書簡を送って自ら共産主義者であることをアピールし、使用されたステッキ型の散弾銃も、伊藤博文がロンドンで購入したものであった点なども、どこか不自然ではあるのですが、少なくとも、同事件が皇太子暗殺未遂事件であったことだけは確かです。そして、‘皇太子暗殺’という言葉に、第一次世界大戦を引き起こしたサラエボ事件が脳裏を横切ることとなるのです。

20世紀初頭は、皇太子といった君主一族の暗殺が戦争といった動乱の引き金となる時代でもありました。しかも、サラエボ事件は、少なくとも表向きはセルビアの独立運動の活動家であった一青年による犯行です(犯人のガヴリロ・プリンツィプも、秘密結社「青年ボスニア」のメンバーであり、暗殺訓練を受けていた・・・)。関東大震災において発生したとされる‘朝鮮人暴動’も、本来は摂政宮の御成婚の日とされた11月27日に決行される予定であったとされます。二重橋爆弾事件も、本当のところは、帝国議会の開会無期限延長ではなく、虎ノ門事件の失敗の報を受けた犯行、あるいは、計画された波状的な第二弾であったとも推測されるのです。

このように考えますと、関東大震災事件の背景には、民族独立運動と社会・共産主義運動との接点、並びに、その背後にあって左右のテロ組織を鉄砲玉として利用し、国家的及び社会的混乱のきっかけを造ろうしてきた世界権力の陰が見え隠れしているようにも思えてきます。関東大震災に関する一連の事件は、日韓間の新たな火種となる様相を呈してきましたが、同事件を通して、時代の潮流を造り出すために造られた火種というものも存在することを、人類は歴史の教訓として学ぶべきなのかもしれません。

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