歴史にあって真相解明が困難を極める事件の多くは、情報の欠如や混乱といった‘情報’を原因としているケースが少なくありません。関東大震災朝鮮人虐殺事件もその一つであり、同事件を調べれば調べるほど、様々な矛盾点に遭遇します。それでは、何故、このような混乱や見解の相違が生じるのかと申しますと、おそらく、大震災発生当初から、政府による情報統制が行なわれていた形跡が認められるからです。
2009年に出版された工藤美代子氏の『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』は、今日に至るまで、大虐殺が行なわれたと主張する「肯定派」、即ち、韓国朝鮮系の人々並びに左派系の人々から目の敵にされてきました。このため、‘虐殺はなかった’とする立場からの書物のような印象を受けるのですが、同書は、事実否定を目的としたものではないように思えます。同書において興味深いのは、むしろ、政府による情報操作の実態を明らかにしているところにあります。
大凡の流れを纏めてみますと、(1)9月1日:関東大震災の発生、(2)震災発生初期:警察情報や取材に基づく新聞各社による朝鮮人暴動や犯罪の報道、(3)9月2日:戒厳令の公布と自警団の結成、(4)9月4日:戒厳令司令官による一般市民に対する武器携帯の禁止令と朝鮮人保護の決定、(5)9月5日:山本権兵衛首相による日鮮同化の観点からの「告諭」(6)9月7日:流言飛語を罰する勅令、(7)9月16日以降:新聞・雑誌等への検閲強化・・・となります。同経緯からしますと、暴動や犯罪が報じられた9月3日を境に朝鮮人に対する対応が一変しており、政府を挙げて自警団をはじめとした日本人から朝鮮人を保護する方向へと向かった様子が窺えます。
9月4日以降、政府の方針転換があったとしますと、日本ファクトチェックセンターが根拠として挙げた翌月10月20日の司法省の発表も、政府の意向に沿った何らかのバイアスがかかっており、必ずしも事実を述べているとは限らなくなります。それでは、何故、急転直下とも言える転換が行なわれたのでしょうか。否、それ以前の問題として、震災直後における報道は、一体、何を意味するのでしょうか。
新聞記事の多くは警察情報に基づいていますので、新聞社が記事をでっち上げたわけではなく、また、新聞各社とも被災地で取材し、そこで得た情報や証言等に基づいて記事を書いているはずです。震災によって通信網も遮断された状態にあって、全国の新聞社が示し合わせて捏造記事を同時に配信したとも思えません。つまり、事実である可能性は高いのですが、真相を推理するに際しては、伏線となる幾つかの背景を考慮しておく必要がありそうです。
第1の歴史的な背景として、朝鮮半島における三・一運動、即ち、独立運動を挙げることができます。第一次世界大戦の講和に当たって、アメリカのウイルソン大統領が提唱した民族自決の原則は、日本国による韓国併合にも及び、朝鮮半島では日本国からの独立を求める声が高まっていました。
第2に、当時、ロシア革命に成功した共産主義勢力は、組織的なネットワークを世界大に広げており、全世界の諸国における赤色革命を目指していました。日本国内でも、共産革命に向けた工作活動が行なわれていたため、当時の日本国政府は、社会・共産主義者の動きに神経を尖らせ、その取締に乗り出しています。関東大震災に際しては、9月3日に亀戸事件も起きています。
第3に指摘し得るのは、共産主義勢力は、植民地支配を受けていた諸国においては民族独立運動の支援者でもあった点です。後に二重橋事件を起こした「義烈団」もま、共産主義勢力からの資金援助を受けており、本拠地が上海のフランス租界であったことも、同組織の‘国際性’を示しています。
以上に述べた背景は、’関東大震災朝鮮人虐殺’に関連する一連の情報が錯綜し、政府の対応が変化した要因であるのかもしれません。関東大震災については、それを利用しようとする内外の様々な勢力や個人の思惑、並びに、これらに対するそれぞれの対応が入り乱れており、背景の複雑性が、事実の解明や真相究明を困難にしていると言えましょう(つづく)。