万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘関東大震災事件’を推理する

2023年09月13日 11時49分08秒 | 国際政治
 関東大震災朝鮮人虐殺事件が発生した経緯並びに因果関係を正確に把握するためには、関東大震災当発生初期における朝鮮半島出身者による暴動、並びに、犯罪の有無を確かめる必要があります。連鎖的に起きた一連の事件ですし、検証次第では、今日考えられている以上に国際的な様相を帯びた事件であったかもしれず、この点を考慮して、本記事では、関東大震災事件と表記しました。

 新聞各社が朝鮮半島出身者による暴動並びに犯罪が報じられたことだけは、号外や張り紙掲示の形であれ、記事の実物が残されていますので疑いようのない事実です。9月2日から3日頃までの期間、紙面には、暴徒による放火や日本人虐殺などの一般の日本人を震え上がらせるような記事が並んだのです。記者の独自取材による被災者や目撃者の証言もあるものの、その大半は警察発表に基づいているそうです。

 このことは、仮に新聞で報じられたような‘’暴動も犯罪も一件もなかった、とする説が事実であるならば、警察も新聞社も虚偽の発表を行ない、暴動や犯罪をゼロから‘でっち上げた’ことになります。果たして、朝鮮半島出身者による事件は一件たりとも発生しなかったのでしょうか。少なくとも終戦前後における朝鮮半島の人々の振る舞いからしますと、暴行、略奪、窃盗、放火などが一切なかったとは考え難いのですが、政府が朝鮮人保護へと転換した後となる10月20日の司法省の見解にあっても、少数ながら犯罪の事実を認めていますので、おそらく、いくらかの犯罪が起きたのは確かなことなのでしょう。

 古今東西を問わず、戦争や災害等による混乱期には治安が乱れますので、朝鮮人暴動・犯罪否定説の人々も、‘少数の個人的な犯罪’についてはその存在を否定はしないことでしょう。双方の極小説をピックアップすれば、‘軽微な朝鮮人犯罪が誇張されて組織的な暴動や襲撃と見なされ、日本人が結成した自警団による朝鮮人虐殺が起きたものの、その犠牲者の数は公式に記録された233人であった’、とする被害が最も少ないケースもあり得ることとなります。同ケースでは、日韓並びに左右の両サイドが、共に過剰に自らの被害を訴える構図となりましょう。因みにこの説は、実のところ、当時の日本国政府の見解とおよそ一致します。

 大震災事件の実像は小規模であったとする見方もあり得る一方で、当時の国際情勢や社会状況からしますと、それ程には単純なお話ではないように思えます。何故ならば、大震災から僅か6年前に成功したロシア革命は、各国の政府並びに社会・共産主義者に対して、共産主義革命の現実性を知らしめることとなったからです。しかも、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議においてウイルソン米大統領が提唱した民族自決の原則は、併合下にあった朝鮮半島において独立運動を惹起していました。

 関東大震災が発生した1923年とは、社会共産主義者にとりましては革命の、そして、朝鮮半島の人々にとりましては独立のチャンスが到来した時期であると同時に、日本国にとりましては、帝国体制の崩壊危機に直面した時代であったと言えましょう。そして、さらにその裏には、世界権力の思惑も潜んでいたかもしれません。ロシア革命にはロスチャイルド財閥といった金融勢力の支援がありましたので、対立する両サイドに対して何らかの働きかけをしていた可能性も否定はできないのです。革命、戦争、動乱等は、破壊と復興の両面における巨大なビジネスチャンスであると共に、既存の体制を破壊し、世界支配体制を構築する上でのステップでもあるのですから。

 こうした視点から見ますと、事件の焦点は、実数については不明なまでも朝鮮半島出身者による通常の個人的犯罪から、当時の司法省が否定した組織的な暴動やテロの有無に移ってきます。この点に関して、工藤美代子氏による『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』では、肯定論が積極的に展開されています。同書では、黒竜会の調査報告書として震災直後の9月1日から塀や井戸等に符合が付けられていたという奇妙な出来事が紹介されています。また、震災発生当時の朝鮮総督府警務局の文書には、震災後における朝鮮半島の様子も記されています。同地の社会・共産主義系の労働団体にあっては「放火は同士が革命のためにやった」とし、戒厳令によって目的を達成することができなかったと認識があったそうです。しかも、同警務局は、9月9日に上海を本拠地とする「義烈団」の団長が震災をチャンスとみて集めた部下を天津から東京に向かわせたこと、並びに、「保管していた爆弾五十個安東(韓国慶尚北道の日本海に近い都市)にむけて発想した」とする情報を得ていたというのです。

 これらの記述に関する真偽についても検証が必要なのでしょうが、同書ではさらに、「北海タイムス」が掲載した’朝鮮人テロリスト’の自白に関する記事等から、本来の決起の予定日は、摂政宮、即ち、昭和天皇の御成婚の日に定められていた11月27日ではなかったのか、と推測されています(震災により延期・・・)。蜂起の予定日に先立って大震災が発生したために急遽前倒しし、9月1日以降の騒動を引き起こしたのではないか、というのが工藤氏の大凡の見立てなのです(つづく)。

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