新型コロナウイルスのパンデミック化に伴い、いち早く同ウイルスのワクチンを開発した中国は、目下、’マスク外交’ならぬ、’ワクチン外交’を展開しております。途上国にあっては、新種のウイルスに対するワクチンを国内で開発し、大量生産すること難しいという事情もあり、中国は、ワクチン提供によって途上国に恩を売ろうとしているかのようです。
もっとも、中国から差し伸べられた支援の手は、必ずしも優しい’天使の手’ではないことは、既に一体一路構想において露見しています。’貴国のインフラ建設に資金を提供し、経済の発展と国民生活の向上を援けます’といった甘い言葉で近隣諸国を同構想に誘い込み、多額の債務を背負わせつつ、債務の返済が滞るとみるや狙っていた相手国内の重要拠点を’借金のかた’に取り上げてしまうのですから、同国による支援が軍事、並びに、経済戦略上の策略であったことは疑うべくもありません。中国による’支援’の実態とは、利己的な動機に戻づく’支援詐欺’と言っても過言ではないのです。
中国が’支援詐欺’の常習犯である点を考慮しますと、上述したワクチン支援も要注意です。支援を受ける諸国政府の目には、中国からのワクチン提供は、自国における感染拡大を防止すると共に、新型コロナウイルス禍から抜け出す最も効果的な方法に映ったことでしょう。また、’国民の命を救うために、ワクチンの調達に成功した頼もしい政府’というイメージを演出し、国民からの支持を集める絶好のアピール材料として捉えていたのかもしれません。何れにしましても、現状にあってワクチンの提供を受ける側の政府は、一体一路構想が打ち出された当初に見受けられた’熱烈歓迎’の空気に似通っているのです。
しかしながら、ワクチン支援も、時間の経過とともに提供を受ける側の’熱烈歓迎’は冷め、またもや罠に嵌まったことに気付くことになるかもしれません。’熱烈歓迎’が’怨嗟’に転換してしまうきっかけとしては、(1)ワクチンによる重大な副反応や有害事象が多発する、(2)ワクチン効果が短期間で消滅する、(3)変異株の登場によりワクチン効果が減滅する、(4)ワクチン・パスポートの導入により国民監視体制が強化される…などがあり得ます。ワクチンの接種によって国民の多数が死亡するような事態ともなれば、同国の政府のみならず、提供者である中国もまた批判の矢面に立たされることでしょう(おそらく中国政府は、こうした様々な批判や避難を無視するのでは)。
そして、ワクチンの効果が短期間であったり、変異株の多発により複数のワクチンを接種せざるを得なくなった場合には、ワクチンの提供を受けた国には、いよいよ債務地獄が待ち受けていることとなります。何故ならば、ワクチン効果の持続期間、並びに、ワクチンの’交差免疫’が効かない変異株の数によっては、年数回のペースで全人口分のワクチンを中国から調達する必要性が生じるからです。つまり、ワクチン接種が続く限り、毎年、対中債務が積みあがってしまうのです。’一回の接種、あるいは、一年では終わらない’、というところに、ワクチン債務地獄の恐ろしさがあるとも言えましょう。
さらに中国が、ワクチン提供の対価として相手国に対して人民元での支払いを求めるとすれば、人民元の国際化への弾みともなりますし、’ワクチン決済網’の構築を機に一気にデジタル人民元圏の形成に動くかもしれません。中国にとりましては、ワクチン支援は一石二鳥どころか、それ以上の利益となりましょう。新型コロナウイルスのパンデミック化によって最も利益を得た国は中国ですので、この事実が、新型コロナウイルスの武漢ウイルス研究所発症説の信憑性を高めているのです。
しかも、中国からのワクチン提供を受けた政府の側の本音が、ワクチン・パスポートの導入による国民監視の強化であるとすれば、事態はさらに深刻です。このケースでは、提供側の中国と被提供側の諸国の政府が結託し、国民を欺いていることになるからです。ジョコ大統領が公開で中国製ワクチンを接種したインドネシアでは、2020年10月の時点では、中国製ワクチンの信頼性が低いために、世論調査の結果、接種に同意すると回答は、わずか31%にとどまっていたそうです(‘拒否’が42%、‘ためらう’が27%)。ところが、2月19日に、首都ジャカルタでワクチン接種の拒否に多額の行政罰を課す条例が制定され、事実上、ワクチン接種が義務化されてしまったというのです(インドネシアの政治家がチャイナマネーに篭絡された可能性も…)。インドネシアの未来を憂うるばかりなのですが、中国のワクチン戦略には、軍事、政治、経済、社会など…あらゆる分野を飲み込むような包括性が認められるのです。
中国の’善意’ほど怪しいものはありません。支援を受ける側は、善意の背後に潜む真の目的にこそ警戒すべきですし、日本国の政府も国民も、ワクチンをめぐる世界情勢の裏側の動きに最大の注意を払うべきではないかと思うのです。