近年、日本国では、民意を問うことなく政府が一方的に政策という名の’計画’を実行に移すケースが増えてきているように思えます。移民政策への転換然り、急進的な脱炭素化然り、カジノ解禁政策然り、そして、中国に対する対応然りなのですが、こうしたトップダウン型の政治の横行は、深刻な民主主義の危機でもあります。主権在民も国民の参政権も、あってなきが如きなのですから。
民主主義を形骸化する方法は、枚挙に遑がありません。選挙時を見ますと、票の買収、成り済まし投票、投票用紙の書き換えや偽造等は古典的な手法ですが、今日では、アメリカ大統領選挙で俄かに表面化したように、電子投票・開票システムといったデジタル技術が民主主義に対する重大な脅威として立ち現れています。
また、より巧妙な手段としては、どの政党、あるいは、どの候補者を選んでも結果が同じになるよう、政界全体で予めシナリオを作成しておく方法もあります。民主的選挙は茶番に過ぎず、最初から当選者も与党を構成する政党も決められているのです。こうした手法は、選挙を舞台にした’談合’として理解されますが、より悪質な場合には、上部にシナリオライターがおり、どちらが勝利しても結果が同じとなるように双方を操る両頭作戦となりましょう。また、かつての社会・共産主義国のように表面上は多党制ではありながら、事実上、一党独裁制となるケースもあります。香港における一連の出来事は、これらの手法が決して絵空事ではないことを示していると言えましょう。
そして、民主主義国家の内部に巣食う民主主義否定勢力は、選挙後にあって牙を剥くこととなります。政府側は、民主的選挙の結果を以って自らの権力を正当化し、上述したように民意を無視するようになるからです。民主的選挙制度は、政府に対する白紙委任を意味してはいないのですが、政府側は、民主的選挙制度を国民からの反対や抵抗を封じる口実として使おうとするのですから、本末転倒が起きてしまうのです。’我々は、国民から選ばれたのだから、国民は、我々の言うことに黙って従うように’と…。何かが酷く狂っているとしか言いようがありません。
いわば、選挙と選挙との間の期間は‘民主主義の空白期間’となりかねないのですが、この状況にさらに拍車をかけるのが、マスメディが実施する世論調査です。現状にあっては、世論調査とは、‘民主主義の空白期間’にあって選挙を介さずして民意が表出される数少ない機会とされています。しかしながら、上述した民主的選挙制度以上に世論調査の結果を歪めることは簡単です。実施者側が、調査対象、回答の項目、さらには結果の数字など、如何様にでも操作できるのですから。
民主主義とは、民主的制度が比較的整っている国においてさえ脆弱であり、統治の正当性を保障し得るほどのレベルには達していません。それでは、何かしらの改善方法はあるのでしょうか。
改善策の一つとして挙げられるのが、国民投票制度の導入です。現行の日本国憲法では、国民投票制度は、国政レベルにあって憲法改正手続きにのみ採用されています。その一方で、同制度はヨーロッパ諸国をはじめ自由主義国にあって広く採用されており、間接選挙制度に伴うデメリットを緩和すると共に、より民意が反映される政治の実現に貢献しています。’民主主義の空白期間’を埋めるための方法の一つとして、日本国にあっても国民投票制度の導入は、十分に試みる価値があります。全ての法案ではないにせよ、全国民に関わる重大な事柄については、国民投票に付す方が民主主義国家の名に相応しい決定方法となりましょう。そしてそれは、国民が、政府によるトップダウン型の政策の強要、あるいは、事実上の’独裁’を防ぐ手段ともなるのです。
もっとも、同制度を導入するに際して不可欠の要件となるのは、古典的な手法であれ、ITを悪用したものであれ、不正投票を完全に排除しなければならない点です。投票結果の数字が人為的に操作されたのでは元も子もなくなります。この側面に注目しますと、国民投票制度の導入に向けた制度設計の作業は、従来の選挙を含め、投開票作業のアナログへの回帰、あるいは、不正を徹底的にブロックするより高度なシステムの開発を同時に意味するのではないかと思うのです。