戦争であれ、テロ事件であれ、そして災害であれ、その背後に何者かによる謀略があったのでは亡いか、とする推測は、如何に辻褄が合わず、説明のつかない不審点に満ちていようとも、陰謀論として退けられてきました。ウェブなどでも、陰謀実在論をカルト信者のように見なす記事が定期的に掲載されています。そこには、何としても陰謀の存在を否定したい人々の強い意志が感じ取れるのですが、最早陰謀実在論を封じ込めることは難しい状況にあります。
安部元首相暗殺事件についても、政府もメディアも元統一教会の信者の家族とされる山上徹也被告による単独犯として片付けています。しかしながら、暗殺現場や狙撃の状況を具に観察すれば、同単独犯説が成り立たないことに、誰もが気がつくはずです。物理的に不可能であるにも拘わらず、単独犯説をもって‘事実’とみなすのは、虚偽を信じるように迫るまさしく‘馬鹿の故事’そのものですし、悪しき‘ダブル・シンキング’を国民に強いていると言っても過言ではありません。
かくして陰謀の実在性の信憑性が高まるにつれ、解明が急がれるのは、誰が何を目的に陰謀を企てて、それを誰がどのようにして実行しているのか、という具体性を帯びた問題です。そして、この問題を考えるに際して先ずもって疑わなければならないのは、政府を含む公的機関の関与です。とりわけ戦争であれば、公的機関の関与なくしてこれを起こすことはできませんし、上述した要人暗殺テロ事件にあっても、これにカバー・ストーリーをかぶせるならば、警察であれ、地方自治体であれ、公的機関の協力を必要とするからです。少なくとも、陰謀の実行者は、公権力を行使できる立場にいなければならないのです。
同要件からしますと、陰謀の実行機関として最も疑わしいのは、情報機関と言うことになりましょう。アメリカであればCIA、イギリスではMI6、ロシアであれば対外情報庁、中国ならば中華人民共和国国家安全部といった、秘密裏に情報収集や工作活動を行なう機関です。
そもそもこれらの機関の主たる任務の一つは防謀です。外部から仕掛けられる陰謀の存在を前提として設けられているのです。言い換えますと、陰謀が実在しなければ、これらの機関も存在しないのです(陰謀否定論者は、情報機関の廃止を主張するのでしょうか・・・)。謀略から国家や国民を護るという意味において、情報機関は‘愛国的な機関’のはずなのですが、情報機関には、その活動の場が裏方である故に、自らが属しているはずの自国から離れやすいという問題があります。加えて、他の国民には自らの‘正体’を隠す、あるいは、偽って行動しますので、自国民からも離れた存在でもあります。そして、時には、‘国家のため’に他国民のみならず、自国民を騙すことさえ職務上許されるのです。
この側面は、情報機関は、公的機関にあって最も危険な機関であることをも意味します。同機関が、本来の所属国ではなく他国や外部勢力のために働く場合、鶴翼の陣が逆側を向くが如く、当該所属国を無防備にすると共に、他国や外部勢力の謀略の実行機関に転じてしまうからです。そして、こうした恐れられている事態は、実際に既に起きているようにも見えるのです。‘敵を騙すにはまず味方から’ではなく、正真正銘、国民が敵に騙されてしまうのです。実際に、二重スパイや‘ミイラ取りがミイラとなる’ケースも珍しくはありません。
日本国には、現状にあって独立した機関として情報機関が設置されているわけではなく、公安警察が担っています。このままでは日本国はスパイ天国となり、情報は筒抜け、謀略は仕掛けられるままとなるのではないか、とする懸念から、近年、スパイ防止法の制定を求める声も上がってきています。同主張にも一理はあるのですが、スパイ防止法を声高に主張してきた保守系の政治家や団体が、何れも元統一教会との関係が深い点には注意を要するように思えます(元統一教会は、KCIA、北朝鮮、並びにCIAとの関係が指摘されている・・・)。
同法案が成立すれば、スパイ防止法の執行機関として、日本国にも独立した専門機関として情報機関を設ける動きも強まることでしょう。しかしながら、仮に日本国に情報機関が新設されたとしても、それはその実態において日本国に属するのでしょうか(各国の海軍にもその節があり、また、岸田政権を見る限り、既に政府が丸ごと日本国から離れているような・・・)。全世界を舞台に世界権力を中枢として各国の情報機関を網羅するネットワークが形成されている、あるいは、他国の情報機関と繋がっているとすれば、同機関の存在は、日本国により危険な状況をもたらしこそすれ、決して安全性を高めるとは思えないのです。