万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

一神教のパラドクス-ユダヤ教は‘隠れ多神教’だった

2023年11月13日 12時21分51秒 | 国際政治
 イスラエル・ハマス戦争の背景には、約束の地であるカナン全域をイスラエルの国土としたいシオニストの願望が潜んでいるとされます。ネタニヤフ首相もその急先鋒の一人であり、内外からの批判を受けて発言を撤回をしたものの、ガザ地区のイスラエルによる統治、即ち、イスラエルによる‘併合’が同戦争の最終目的であったのでしょう。おそらく、ガザ地区のみならず、ゆくゆくはヨルダン川西岸地区並びに東イエルサレムも自国の版図に組み込む予定であったのかもしれません(シオニストの運動を大イスラエル主義とすれば、全世界の支配を目指すグローバリストの野望は、大ユダヤ主義と表現できるかもしれない)。

あくまでも古代ユダヤ王国の版図を現代に復活させようとするシオニストの思想の原点には、『旧約聖書』の記述があります。『旧約聖書』と総称されていますが、幾つかの本によって構成されています。「創世記」の冒頭部分はシュメール神話由来ともされており、宇宙誕生を描く独立的な記述から始まります。しかしながら、始祖アブラハムのウル(シュメールの一都市)からの出立以降は、どちらかと申しますと、ユダヤ人の歴史書となります。そして、同歴史書の所々に‘神’が登場し、ユダヤ人の歴史の節々にあって重要や役割を演じるのです。ユダヤ人、あるいは、ユダヤ教徒とは、壮大な歴史書でもある『旧約聖書』を聖典とする民なのです。

 ユダヤ人にとりましては、『旧約聖書』は今なお日常生活のみならず、政治や社会の隅々にも浸透しており、中でもシオニストは、いわばユダヤ教原理主義者とも言えるかもしれません(なお、シオニストの他にも厳格に戒律を守る調整党派なども存在・・・)。イスラエル・ハマス戦争に見られるイスラエル軍によるガザ地区住民に対する残虐行為も、「申命記」において‘神’が異民族虐殺を命じた記述をもって正当化されてしまうのです。ジェノサイトは、‘神’がユダヤ人に許した行為であるとして。

 しかしながら、大多数のユダヤ人ではない人々は、‘神がジェノサイドを許した’とするユダヤ人の‘信仰’に首を傾げてしまいます。全知全能にして善なる存在である‘神’が、ユダヤ人だけを特別に寵愛し、かくも残虐な行為を許すはずはない、と考えるからです。ユダヤ教は一神教の始まりともされ、神は唯一無二の存在です。その神が、ユダヤ人を選民として特別な支配的な地位を与え、しかも、非人道的な行為をも許しているとなりますと、非ユダヤ人にとりましてこの世は地獄となりかねないのですから、当惑してしまうのです。

 そこで、ここに、ユダヤ人のみを特別に扱う‘神’とは、一体、どのような存在なのか、という疑問が生じてきます。この問いについては、実のところ、既に研究がなされています。ユダヤ教については、‘ホロコースト’を機としたタブー化のため、今日では自由な研究環境にはないのですが、戦前の方が、余程、学術的なアプローチがなされていました。とりわけマスクス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』は、ユダヤ教に対して極めて分析的にアプローチしています。そして、同書において何が画期的であるのかと申しますと、ユダヤ教とは、一種の‘混合宗教’であった点を詳らかにしている点です。これは、実のところ、ユダヤ教が一神教の衣を着た‘隠れ多神教’であったことを意味するからです。

 モーセの十戒の第一の戒めには、“汝は私以外の何者を神としてはならない”とありますので、この一文をもって、当時のユダヤ人はむしろ様々な神様の崇拝者の集まりであった、とする指摘は既にあります。その一方で、ユダヤ人は、十戒をもって多神教の世界からヤハウェを唯一の神とする一神教の世界へと移行したのではなく、逆に、単一である故に‘神’が、善なる神から邪神まで様々な性格の神々を吸収してしまったのではないか、とする疑いがあるのです。ヴェーバーも、そもそもヤハウェはシナイ半島の山の神を起源とした戦争神であったと述べています。古今東西を問わず、武人は戦を前にして自らの守護神に祈りを捧げるものですが、ユダヤ人も、自らの守護神に戦勝を祈願していたのでしょう。「申命記」等に登場し、残虐行為を奨励した‘神’も、唯一絶対の普遍的な‘神’として描かれながらも、ユダヤ人の守護神ヤハウェであったのかもしれないのです。

 しかも、ユダヤ人とは、その歴史を見ますと、様々な民族が合流した混合民族としての側面もあります。全世界にちらばったユダヤ人の離散は、内部的な多様性を一層増してゆく一因ともなったのですが、古来の多民族性は、人身御供を要求するモロクの神と言った古代宗教の取り込みのみならず、解釈をめぐるバビロニア・タルムードの分岐といったユダヤ教の多様性をも説明します。かくして、ユダヤ教は、一神教化が‘多神教’を招くというパラドックスを抱え込むこととなり(多重神格・・・)、それが、今日まで尾を引いているように思えるのです。守護神や邪神、あるいは、悪魔の言葉をも‘神’の言葉として絶対化した結果が、イスラエル、あるいは、ユダヤ人の選民意識であり、野蛮性の‘神’の名の下での解放なのでしょう。パレスチナ紛争を二国による平和共存という解決に至らしめるには、ユダヤ教の‘隠れ多神教’の問題まで掘り下げる必要があるように思うのです。

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