先日、2月23日、ニューヨークで開催されていた国連総会の緊急特別会合では、加盟141カ国の賛成票を得て、ロシアに対する戦争犯罪の訴追の必要性等を明記した決議案が採択されました。同決議案の背景には、アメリカのバイデン政権を後ろ盾とするウクライナのゼレンスキー大統領の強い働きかけがあったとされ、司法を手段としてロシアを追い詰めようとする同国の意向が伺えます。
戦争犯罪訴追の司法手段として、国連総会での決議案の採択が試みられた理由としては、(1)ロシアの拒否権行使により、国連安保理における「特別法廷の設置」に関する決議案の成立は見込めないこと(過去のユーゴスラビア紛争やルワンダ虐殺では決議が成立)、並びに、(2)現在、捜査を行なっている国際刑事裁判所(ICC)についても、ロシアのみならずウクライナも国際刑事裁判所に関するローマ規程の締約国ではないこと、の凡そ2点が指摘されています。国連安保理でも、国際刑事裁判所でも、ロシアを訴追できないならば、せめてロシアに対して国際包囲網を形成し、圧力をかけるために国連総会を利用しよう、ということなのでしょう。
しかしながら、司法を以て加勢を得ようとするゼレンスキー大統領の目論見は当たるのでしょうか。戦争犯罪とは、狭義には戦時国際法に反する行為を意味しますが、広義には平和に対する罪と人道に対する罪も含まれます。同決議における定義は定かではありませんが、ウクライナのブチャで起きたとされる民間人の殺戮など、ロシア軍による国際法に違反する行為が訴因となるのでしょう。中立・公平な機関による厳正なる捜査の結果、ロシア軍による犯行であることが判明し、何れかの国際司法機関にあって有罪が確定すれば、ロシアは戦争犯罪の廉で罰を受け、ウクライナに対して賠償責任をも負う立場となります。ウクライナ勝訴で結審すれば、同国は、司法の場での戦いを制するのです。
もっとも、先にも触れたように、国連総会での上記決議では、具体的な刑事訴訟の手続きについては触れておらず、結局は、実現する可能性は極めて低いのですが、たとえウクライナが司法の場で勝訴したとしても、中立・公平を旨とする司法の場を利用する限り、一つの問題が取り残されるように思えます。それは、戦争犯罪とは、必ずしも当事国の一方の側にのみ行なわれるわけではない、という問題です。
一般の民間において起きる殺人事件では、犯人側が殺傷力のある凶器を所持する一方で、被害者側は無防備なケースが大半を占めます。このため、被害者側は、抵抗する術もなく命を落とす場合が多く、加害者と被害者の特定は難しくはありません。一方、戦争では、民間人も民兵化されたり、レジスタントとして闘っている場合がある上に、国家間の戦いですから、敵対関係にある双方の軍隊が共に武器を手にして常時戦っています。一般の殺人事件よりも、犯罪の立証が難しく、かつ、当事者の双方に戦争犯罪に及びやすい状況があると言えましょう。
ましてや、ロシアによる‘特別軍事作戦’に先立って、ウクライナは内戦状態にありました。同作戦を遂行するに際して、プーチン大統領は、ウクライナ東部で迫害を受けていたロシア系住民の保護を口実としたのですから、アゾフ連隊を正規軍に昇格されたウクライナ側にも、戦争犯罪の疑いがあります。そして、何故、ウクライナが、ローマ規程に参加しなかったのか(未批准国)、その理由を考えますと、ウクライナ側における戦争犯罪の疑惑はなおさらに深まるのです。ウクライナは、ユーロマイダン革命が始まる2013年11月以降については、ローマ規程の第12条(3)に基づいて同裁判所の管轄権を受け入れる宣言を行なっていますが、今なお未加盟の状態にあります(ロシア、中国、北朝鮮、イスラエル、そしてアメリカなど、訴追される怖れのある国ほど、同規定への加盟には二の足を踏んでいる・・・)。
仮に、司法の場においてウクライナ紛争における戦争犯罪を問うならば、ロシア並びにウクライナの両国に対して公平であるべきであったように思えます。公平に双方の戦争犯罪を対象とするならば、ロシアも国連総会において決議の採択に反対する根拠を失いますし、同決議案も、棄権した国を含め、より多くの諸国の賛成を票を得ることができたことでしょう。
第二次世界大戦後に連合国が設けた国際軍事法廷では、敗戦国の戦争犯罪のみが糾弾され、戦勝国側による戦争犯罪は不問に付されています。このため、‘勝者による裁判’、即ち、敗戦国に対する報復の手段ともなり得る政治裁判の様相を呈したのですが、戦後、70年を越えた今日、国際裁判制度もまた、国内の制度と同様に、中立・公平性の強化、並びに、制度的な権力分立を目指すべきではないでしょうか。この観点からしますと、ウクライナ紛争において浮上した戦争犯罪の訴追問題は、国際司法制度を整備するチャンスともなるのではないかと思うのです。