万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワクチンパスポートで経済が縮小する?

2021年09月09日 12時52分23秒 | 国際政治

 ’ワクチン先進国’のイスラエルでの感染再拡大や既存のワクチン効果を激減させるミュー株の出現は、ワクチンパスポートが既に論理破綻していることを実証しています。しかしながら、どうしたことか、各国ともに政府のみが、こうした’不都合な事実’に見て見ぬふりをしながら導入に向けてひた走っているのが現状です。日本国内にあっても、年内を目標に接種証明書がデジタル化され、商業施設等での利用が期待されていると報じられています。同制度は、事実上のワクチンパスポートと言っても過言ではないかもしれません。日本国内での利用についてはスマホを活用する方針のようですが、現状にあって同制度を導入したとしても、逆効果となる可能性も否定はできないように思えます。

 

第一に、高齢者の利用率の伸び悩みが予測されます。ワクチン接種率は、65歳以上の年齢層にあっては8割を越えていますが、年齢に反比例してスマホを利用しない人の率が高いからです。言い換えますと、高齢者の多くは、たとえワクチンを接種していたとしてもスマホを所持していないのですから、同制度を利用することができないのです。このため、高齢者向けの事業者は、期待したほどには収益改善の効果を得られないかもしれません。否、「ブレークスルー感染」やADEのリスクがあることが知れ渡れば、高齢者の行動もより慎重になることでしょう。

 

第二に、12歳から64歳までの年代層にあっても、ワクチンパスポートの効果は限定的となりましょう。日本国内を見ますと、12歳から64歳までの世代における二回の接種済み率は平均的には20%台であり、最低が栃木県の19.9%、最高が熊本県の56.7%となります(他の地方と比較して九州各県の接種率がひときわ高いところが気にかかる…)。このことは、現状にあってワクチンパスポートを導入すれば、半数以上の人々が商業施設やイベントなどから排除されてしまうことを意味します。若者世代ほど、最新の免疫学に基づく知識がありますし(『はたらく細胞』という各種免疫細胞を擬人化した漫画も人気を博していた…)、新聞やテレビといった既存のメディアのみならず、ネット等を通して幅広く情報を収集していますので、ワクチン・リスクについては高齢者よりもよく分かっています。このため、様々な特典でワクチン接種に誘引しようとしても、劇的に接種率が上がるとは思えないのです(しかも、同パスポートは、およそ半年ごとのワクチン接種を以って更新しなければならず、それが一生涯続く…)。つまり、ワクチンパスポートの導入は、顧客数や市場規模を半減させてしまうかもしれません。緊急事態宣言下とはいえ、少なくない人々が、昨日まで利用していたお店にも入店できなくなるのですから。

 

さらに第3として、12歳以下は接種対象外ですので、子供向けのサービスや娯楽等の業種にあっては、同制度は、むしろ百害あって一利なしとなりましょう。ファミリー向けのレジャーランドや商業施設は閑古鳥となるでしょうし、子供向けのイベントの開催も断念しなければならなくなります。子供たちは、施設や飲食店を利用できないのですから遠足の場所も限定されてしまいますし、社会科見学等も見学先からも断られてしまいましょう。また、ワクチンパスポートの原則に厳密に従えば、保育園や幼稚園、並びに、小学校にも通園や通学ができなくなるのですが、仮に、こうした養育・教育施設だけは集団形態が許可されて、他の子供向けの施設やイベントでは許されないとなれば、その一貫性の欠如が批判されることともなりましょう。

 

加えて、第4に、ワクチンパスポートの取得が雇用条件ともなれば、大量の失業を招くことになります。遺伝子ワクチンの危険性は既知の通りであり、米軍にあってアメリカで報告されているように、自らの命を危険に晒すよりも離職を選ぶ、あるいは、国民の自由を護るための抗議の意思を込めて辞職する人々があってもおかしくはありません。日本国内では既に雇用保険基金も底をついており、政府は、一体、どのようにしてコロナ失業に対応するのでしょうか。民間企業にありましても、接種を拒否した社員が退職を余儀なくされることにもなれば、人手不足に拍車をかけることとなりましょう。

 

ワクチンパスポートの導入には、政府による非接種者に対する接種圧力に加えて、コロナ対策として課されている経済活動の制限に対する解除を願う経済界からの後押しもあるとされていますが、上述した諸点からしますと、必ずしも期待された程の経済効果を挙げるとは限りません。むしろ、経済活動の阻害要因となり、経済が縮小してしまうリスクも考慮すべきではないかと思うのです。


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国民の行動監視システムとしてのワクチンパスポート-その2

2021年09月08日 12時45分45秒 | 国際政治

 ワクチンパスポートがもたらす人体に対するリスクは否定のしようもないのですが、同制度が人類滅亡の危機さえ孕むかくも危険な制度でありながら、各国政府は、不可解なことに同制度の導入を急いでいます。この不可解さこそ、’陰謀論’に信憑性を与える理由でもあります。そして、その理由を探ってみますと、導入を切望する側のメリットとデメリットの判断基準が、一般の人々とは違っているとしか考えようがないのです。

 

それでは、一般の人々と導入を要求する人々との間には、どのようなリスク判断の基準に違いがあるのでしょうか。おそらく、同制度の導入を推進している人々にとりましてのリスクとは、人類一般の健康に対するものではなく、自らの権力保持を可能とする体制に対するものなのかもしれません(体制の維持・強化…)。これらの人々が最も恐れているのは、自らが全世界に築いてきた体制が一般の人々からの抵抗や反対によって綻びる、あるいは、崩壊することなのでしょう。これこそが最大のリスクですので、メリットとデメリットの判断基準も、体制に対する‘有害性’に定められているのかもしれません。

 

そして、体制の維持・強化の側面からワクチンパスポートを見ますと、同制度程、その目的に叶うものもないように思えてきます。何故ならば、’最大のリスク’が永続的な体制の維持であるならば、他の人々を自らの完全なる監視下に置くことこそ、体制維持を永続化する最も安全な方法であるからです。ワクチンパスポートは、ワクチンの接種者も非接種の両者の行動を把握することができるのですから。

 

ワクチンパスポートは、非接種者の人権を侵害し、不自由にすると批判されていますが、同制度は、接種者をも監視の網に絡めとります。公共交通機関の利用から店舗での購入やサービスの提供、さらには、あらゆるイベントの参加に際してワクチンパスポートの提示を要するようになりますので、デジタル・データとしてその保持者の行動履歴が全て把握されてしまうからです。もちろん、スマートフォン以上に肌身離さず携帯する必要があります。そして、〇年〇月〇日〇時〇分〇秒、ワクチン接種ナンバー、あるいは、マイナンバーカード○○○○○○の人がどこで何をしていたのか、すべて記録されてしまうのです。

 

一方、非接種者につきましては、その日常生活を維持するためには、否が応でもネット通販に頼らざるを得なくなります。食料品や日常の必需品さえ、外出して店舗で購入することができなくなるからです。この方法ですとオンライン決済が主となりますので、現金を使用する機会も激減することになりましょう。個人の消費情報のみならず、金融情報も筒抜けになるのです。また、勤務形態も主にテレワークとなりますので、ネットの通信記録を介して仕事内容や取引関係まで把握されてしまう恐れもあります。何れにしましても、半ば自宅に閉じ込められてしまった非接種者もまた、その行動につきましては、接種者と同様にデータとして記録されてしまうのです。

 

ワクチンパスポートは、全ての人々に対して著しいプライバシーの侵害を伴うのですが、隠し立てすることがない人は、自らの個人情報が他者に把握されても別段に不都合はないと思うかもしれません。しかしながら、国民の政治的な自由や権利に目を向けますと、同制度は、大きな制約となりかねないリスクがあります。先ずもって国民の政治に参加する権利に関しては、政治家は、地元の後援会の人々のみならず不特定多数の人々と接しますので、非接種者は選挙に立候補さえ不可となるかもしれませんし、ワクチン接種が政治職や公務員職就任の条件ともないかねません。選挙権についても、非接種者の投票所への入場が拒否されれば郵便投票ということになり、先のアメリカ大統領選挙で大混乱が巻き起きたように、不正選挙問題が持ち上がることとなりましょう。

 

加えて、たとえ合法的であっても、政府に対して抗議活動やデモを行ったり、政治的な集会を開くことも難しくなります。そもそも非接種者は参加することができませんし、接種者にあっても、ワクチンパスポートを提示した時点で、瞬時にリストアップされてしまうからです。ITやAIといった先端的なテクノロジーを共産党一党独裁体制堅持のために駆使している中国を見れば、デジタル技術こそ、国民監視体制の構築、あるいは、体制の維持・強化に最も貢献する技術であることは自ずと理解されます。そして、この脅威は、ワクチンパスポートの導入を以って自由主義国の国民にも迫っていると言えましょう。

 

幸いにして、日本国の場合には、経団連の提唱した制度ではワクチン一辺倒ではなく、非感染証明を併用するそうですが(もっとも、フランスのように48時間以内という制限が付されれば、文字通りの‘ワクチンパスポート’となってしまう…)、それでも、同制度は、上述したように、接種者であれ、非接種者であれ、国民の基本的な自由に制約を課すと共に権利をも制限することでしょう。国民の多くは、ワクチンパスポートの導入によって、コロナ以前の自由を取り戻せるものと信じておりますが、現実には逆となる可能性の方が高いのではないかと思うのです。


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国民の行動監視システムとしてのワクチンパスポート-その1

2021年09月07日 12時56分48秒 | 国際政治

 日本国政府のみならず各国政府にとりまして、新型コロナウイルス感染症の拡大は、社会全体のデジタル化の好機到来となったようです。ワクチンパスポートの発想は、デジタル化と密接不可分に結び付いており、むしろ、後者が本命との指摘もあります。何故、後者が本命と目されるのかと申しますと、ワクチンパスポートは、極めて非科学的であり、かつ、非合理的な制度であるからです。

 

 ワクチンの効果に関するデータを見れば、ワクチンパスポートがナンセンスであることは一目瞭然です。何故ならば、イスラエルやアメリカなどの’ワクチン先進国’の現状報告からしますと、ワクチンの感染防止効果は極めて限定的であるからです。二度の接種後の感染を意味する「ブレーク・スルー感染」の事例は後を絶たず、接種者であっても他者に対する感染力は変わらないそうです。

 

また、抗体量やその保有期間等に個人差があるのみならず、重症化や死亡の防止効果も時間の経過とともに低下しているそうです(ワクチンは、そもそも免疫の’二度なしの原理’を利用しているので、この効果さえ限定的となれば接種の必要性も著しく低下する…)。このため、イスラエル保健省は、早々にワクチンパスポートの有効期限を半年に設定し、接種から5か月後にブースターショットを受けた場合のみ、有効期限を半年延長することとしました。このことは、ワクチンパスポートの制度を維持するためには、国民の大多数が’ロシアン・ルーレット’にも喩えられている、死亡率や重篤化率が飛びぬけて高いワクチンを年2回のペースで打ち続けなければならないことを意味します(体内の免疫システムに有害な影響を与えるリスクも上昇…)。

 

加えて、昨今、注目度が増してきているのは、ADEという現象です。ADEとは、ワクチン接種者の方が感染率、重症化率、並びに、死亡率が高まってしまう現象ですが、感染者数が増加に転じたイスラエルにあっては、既にADEの発生が疑われています。また、将来的な発生リスクについても、今般使用されている遺伝子ワクチンが中和抗体のみならずADE抗体をも生成さすることを阪大の研究チームが既に突き止めており、同懸念は絵空事ではありません。

 

変異株の出現も脅威であり、従来のワクチンの効果を低下させる、さらには、無効にしてしまうリスクもあります。実際に、コロンビアで発生したとされるミュー株には免疫逃避の可能性が指摘されています。デルタ株やラムダ株に優る脅威となっているのですが、遺伝子の塩基配列のどの部分を変異させれば、既存ワクチンによる免疫を回避し得る変異株となるのかも既に研究によって判明している今日、ワクチンと変異株との関係は、エンドレスな’いたちごっご’になることでしょう。しかも、変異株への感染は、ADEにあって抗原刷り込みや抗原原罪の原因となりますので、ワクチンパスポートの取得は、命や健康との引き換えにもなりかねないのです。

 

以上に述べました現状における’治験’の結果からしますと、至極当然で合理的な判断とは、ワクチンパスポートの導入見送りです。メリットとデメリットを比較すれば、後者の方が優っていると言わざるを得ないからです。少なくとも人体に対するメリットとデメリットを基準とすれば…。


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菅首相は何故辞めたのか?-国民が知らない本当の理由

2021年09月06日 15時33分42秒 | 日本政治

 菅義偉首相の突然の自民党総裁選への不出馬表明は、驚きを以って国民から受け止められることとなりました。菅内閣に対する支持率が下げ止まらないとはいえ、現職の首相である以上、当然に総裁選には出馬するものと見られていたからです。そして、さらに国民を驚かせたのは、菅首相が語った不出馬の理由ではなかったもしれません。’コロナ対策に専念したい’というものであったのですから。

 

 おそらく、国民の大半は、菅首相のこの説明を言葉通りには信じないことでしょう。コロナ対策のためには選挙に時間や労力を割くことができないとなれば、どの国の首脳も、大統領選挙や議会選挙、あるいは、党内選挙を闘うことができず、再選の道を自ら断たざるを得なくなるからです。菅首相と同様の理由を以って選挙への出馬を断念したとするお話は聞きませんので、菅首相の’国民の命と健康を護るためにコロナ対策に専念する’とする’不出馬理由は、国民向けに作られたヒロイックな’カバー・ストーリー’である可能性が高いと言えましょう。

 

 しかも、メディアの多くは、党総裁選への不出馬、あるいは、退陣と表現していますが、事実上の’辞任’である点も気にかかるところです。報道によりますと、党内選挙を経て新しい党総裁が選出された後、即、臨時国会が召集されて新たな首相の指名が行われる予定なそうです。過去には首相と第一党の党首が一致しない事例もありますので、このことは、衆議院議員の任期満了を待たずして首相が交代することを意味しています。同政治日程からしますと、今般の総裁選への不出馬表明は、その実態において辞任と言わざるを得ないのです。

 

 総裁選への不出馬表明が辞任を意味するならば、首相交代を急ぐ必要は何処にあったのでしょうか。ここで国民の多くは、党内人事を思い起こすかもしれません。総裁選への出馬を表明するに際して二階幹事長を交代させる方針を示した岸田議員に対して、菅首相が二階幹事長の更迭を以って先手を打った一件です。国民に不人気な中国派の二階氏を外すことで党内人事の一新を図り、総裁選にあって党員のみならず国民全般からの続投支持を得ようとする思惑があったのでしょうから、この時点では、菅首相は、総裁選に立候補する予定であったはずです。ところが、その二階幹事長との会談後に、急転直下、不出馬を表明すると共に、党内人事も白紙に戻されて同幹事長が居座ることになったのです。こうした経緯から、巻き返しを画策した二階幹事長が菅首相を事実上の辞任に追い込んだとする憶測もあながち否定もできなくなりましょう。報道陣を前に菅首相の不出馬について説明する同幹事長の表情は、どこかうれしげでもありました。

 

仮に、二階幹事長がキング・メーカーであるならば、一体、どのような言葉を以って首相を追い詰めたのでしょうか(何らかの弱みを材料とした脅迫?)。辞任に至るまでの詳しい経緯は、主権者である国民が当然に知るべき情報でありながら、厚いベールで覆われています。

 

その後、二階幹事長は、中国からの覚えがめでたい石破氏を支持するとも報じられておりますので、中国が望んでいるのは石破親中政権の誕生なのかもしれません。しかしながら、その一方で、総裁選挙にあって石破氏が当選する可能性は極めて低く、同幹事長は、’負け馬’に乗っていることになります。敢えて負け組を選択しているとしますと、自滅行為ともなるのですが、自らの生き残りのみが目的であったとしますと、この不可解な行動も理解の範囲には入りましょう。菅首相を退陣には追い込んだものの、この時点での後任は白紙状態にあり、総裁選に際しての二階幹事長の支持条件が自身の幹事長留任であったとすれば、同条件を飲んだ候補者は、石破氏しかいなかったのかもしれません。

 

その一方で、仮に、菅首相の退陣が既に何らかの外部勢力によって決定されていたとしますと、どうでしょうか。総選挙への不出馬表明は、たとえ出馬したとしても無意味なことを、菅首相が悟ったからということになりましょう。このケースでは、二階幹事長の役割は菅首相に引導を渡すメッセンジャーに過ぎないこととなります。同外部勢力は、菅首相の対応を生ぬるいとみて、より強力に’上からの改革’を断行し得る首相への交代を求めたかもしれないのです。接種義務化をも視野に入れてワクチン接種を推進し、ワクチンパスポートの導入を以って全国民をデジタル監視下に置くことに躊躇しないような首相を…。メディアの動向を見ますと、同勢力は、次期首相に河野太郎氏を推しているように見えるのですが、確かに、猪突猛進型の突破力、並びに、容赦ない無慈悲さという面からしますと、同氏に白羽の矢が立てられるのも頷けます。

 

何れにしましても、今般の首相辞任劇にあって、国民は蚊帳の外に置かれております。何時の間にか、日本国が外部からコントロールされ、かつ、全体主義体制に絡めとられることがないよう、国民は、政界に対して強く情報の公開と説明責任を求めるべきではないかと思うのです。


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’近代皇室’をグローバルな視点から見直す

2021年09月03日 12時42分17秒 | 国際政治

 明治天皇から5代目を数える今日、皇室は、秋篠宮家をめぐり新たな展開を見せております。しかしながら、皇室の揺らぎは今に始まったわけではなく、江戸時代末期に凡そ開国と共に’近代皇室’というものが誕生した瞬間から、既に危機というものを内包していたように思えます。

 

 近年に至り、ようやく明治維新の闇につきましては、その一部が真の姿を現すようになりました。従来の国定とも言える歴史観とは、明治維新とは、アジア諸国が西欧列強によってドミノ倒しの如くに植民地化される中、日本国が自らの手で国家の改革を成し遂げ、近代国家を建設した偉業というものです。しかしながら、150年にも亘って日本国民から固く信じられてきたこの維新神話は、皮肉なことに、グローバル時代にあって見直しを迫られることとなりました。日本一国の視点からではなくグローバルな視点から19世紀末の世界全体の動きを俯瞰しますと、明治維新もまた、イギリスをも手中にしていた’グローバリスト’による世界戦略の一環であったと見なさざるを得ないからです。

 

 そして、明治維新に対する理解の変化は、同時に、近代皇室というものの存在をも不可避的に見直す機会となるように思えます。何故ならば、維新勢力によって擁立された’近代国家日本’の統治者こそ、明治天皇であったからです。後に明治憲法にも定められたように、この時から天皇は、宮中にあって御簾の中におわします神聖なる存在から、統治権を総攬するとともに、軍馬に跨って大号令をも発する君主へと一変します(もっとも、超越性、並びに、権威の維持のために、前者のイメージをも与えられていた…)。明治天皇と維新以前の歴代天皇との間には国家における役割において本質的な違いがあり、明治以降の天皇は、王政復古という衣を纏って登場しつつも、’近代天皇’、あるいは、近代皇室として区別されるのです。

 

 このため、日本の保守層は、明治以前の伝統的な天皇に理想を求める人々と、明治以降の大日本帝国における’皇帝(エンペラー)’の復活を望む人々との二つに凡そ分かれるのですが、戦後に至り、真偽のほどは定かではないにせよ、明治天皇すり替え説が唱えられるようになったのも、維新を境とした天皇の劇的な変質が、万世一系ともされた皇統の連続性にも疑問を投げかけたからなのでしょう(因みに、最も広く知られている大室天皇説を考慮すれば、今般、秋篠宮家の姻戚となる小室姓には何らかの意味があるのかもしれない…)。

 

 その後、日本国では天皇を中心とした権威主義体制が構築され、昭和天皇のカリスマ性もあって、天皇は不動の求心力を誇ることとなります。第二次世界大戦での敗戦を機に統治権とは切り離されはしたものの、国民の多くは、なおも天皇、並びに、皇族を日本の象徴、すなわち、ナショナルな存在と見なしてきたのです。

 

 しかしながら、今日における皇族の婚姻をめぐって混乱は、これまで水面下にあって蠢いてきた’近代皇室’と海外勢力との関係を浮き上がらせているように思えます。そして、明治天皇を担ぎ出したグローバルな海外勢力は、今日にあっても、日本支配の道具として’近代皇室’をコントロールしているように見えるのです。何故、日本国民の多くを失望させ、かつ、皇室に寄せられてきた信頼を失わせるような事態が起きてしまうのか、国民は、その背後勢力の意図こそ読まなければならないかもしれないのです(インターナショナル・スクールの出身者である小室氏はニューヨークへの留学を果たし、婚姻後の新居も同地に構えるとさており、海外勢力の人脈や財政面でのサポートも疑われる…)。

 

 皇室の存在意義が日増しに意味不明となる中、国民の多くも、固定概念に縛られた思考停止状態から脱し、今一度、’近代皇室’というものについて客観的に見つめ直す必要があるのではないでしょうか。この問題は、日本国の独立性とも密接に関わりますし、’近代皇室’のみならず、’近代日本’の問題でもあるかもしれません。何れにしましても、未来永劫に亘って現行の形で’近代皇室’なるものが続いてゆくとは思えず、’近代皇室’、そして、’近代日本’の見直し作業は、日本国にとりましては、明治、あるいは、戦国期から続く見えざる呪縛からの自由を意味するのかもしれないと思うのです。


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ワクチン接種をめぐる社会的分断の責任は誰に?

2021年09月02日 12時20分18秒 | 社会

 政府の旗振りの下で、ワクチン接種を完了した人の数は、日本国内でも半数に迫ろうとしています。現状にあって12歳以下は対象外とされていますので、65歳以下の年齢層にあっても相当数の人々が既に二度の摂取を終えたようです。その一方で、ワクチンに対する懐疑論は根強く、アメリカなどにあってもワクチン接種率は50%前後で推移しているようです。その理由は、反ワクチン派の主張には、否定し難い根拠があるからであると言えるでしょう。

 

 すなわち、自発的ワクチン未接種者には、ワクチン接種を思い留まるに十分な理由があります。ワクチン関連死を疑われているケースは、日本国内にあって既に1000件を超えており、異物混入が確認されたロットのモデルナ製ワクチンの接種者のうち、二人の男性がなくなっております。この数字こそ、ワクチンの安全性が疑われる最大の根拠です。仮に、政府が強調するように安全性が確立されているのであれば、ワクチン関連死の報告はゼロ、あるいは、せめて他の一般的なワクチンと同程度となるはずなのですから。しかも、これらの報告ケースの大半は、ナノ脂質粒子、人工mRNA、スパイク蛋白質、並びに抗体などに関連してこれまで医科学的見地から指摘されてきたリスク要因によって凡そ説明し得るのです。

 

 ワクチン接種による健康被害が現実的なリスクである以上、非接種者の選択は合理的な判断であり、かつ、リスク情報の発信や非接種の薦めも善意に基づくものとなるのですが、何としても接種率を上げたい人々からは、身勝手な‘悪人’、あるいは、たとえ善人扱いであったとしても、陰謀論を信じる‘変人’というレッテルが張られてしまっています。メディアでもネットでも、反ワクチン派を、社会を分断させる張本人とみなす記事に溢れているのです。反ワクチン派は、‘陰謀論に絡めとられた残念な人’として。

 

 しかしながら、この論調、分断というものの発生プロセスを考えますと、ワクチンを忌避する人々に対する責任転嫁と言えなくもありません。何故ならば、深刻な社会的な分断は、相互に相手の言い分や主張を認めない場合に生じるからです(相互拒絶…)。今般のケースに当て嵌めますと、ワクチン推進派もまた、自らが絶対に正しいと信じ込み、ワクチンを忌避する人々の根拠や理由を一切認めないとする頑なな態度において、社会を分断させています。この点においてワクチン推進派の人々も社会的分断の’張本人’ですので、一方的にワクチン忌避者を糾弾するのは、自らの責任に目を瞑っていると言わざるを得ないのです。

 

 もっとも、メディアやネットに散見されるこうした記事は、ワクチン推進派による世論工作の一環なのでしょう。’書かされている記事’であることは疑いようもないのですが、それでも、同調圧力というものは、何れの国にあっても相当の効果を発揮するようです。アメリカでの実験結果によれば、明らかなる間違いであっても、自分以外の人々がそれを正しいとした場合、驚くべきことに75%もの被験者が、後から自らの見解を変えてしまうそうです。こうした同調圧力の効果を期待しているとしますと、ワクチン推進派の人々は、多勢を装ってワクチン接種を正解と言い募ることで、ワクチン忌避派の人々を’転向’させたいのでしょう。反対派の言い分を素直に認めてしまっては、同調圧力が大幅に弱まってしまうからです。このように考えますと、ワクチンを忌避する人々を、社会を分断させている’残念な人’とみなす記事については用心が必要なように思えるのです。


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中国は’脱資本主義’ができるのか?

2021年09月01日 12時48分20秒 | 国際政治

 昨今、中国では、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」なる思想が、新たなる指導思想として確立しつつあります。同思想は、2018年には憲法にも明記され、今般の教育省の発表によると小学校からの教育課程にあっても必修化されるそうです。また一歩、中国は、習主席による個人独裁に近づいたと言えましょう。ITやAIが国民を全面的に監視し得るようになった今日、『1984年』の世界は、もはや小説の中でのお話ではなくなっているのです。

 

 それでは、習近平思想とはどのようなものかと申しますと、マルクスのような著作があるわけでも、『毛沢東語録』のような小さな語録さえなく、発展、多様化、高度化など、社会・共産主義特有のペダンチックな言葉で飾られた漠然とした思想の集合体のようです。このため、解釈こそが重要であり、例えば、三位一体ならぬ「五位一体」や「四つの全面」といった難解な言葉で説明されています。前者は、’経済建設‘、’政治建設‘、’文化建設‘、’社会建設‘、’生態文明建設‘の5つの‘建設’を一体的推進することであり、後者は、’小康社会の全面的実現‘、’改革の全面的深化‘、’法に基づく国家統治の全面的推進‘、’全面的な厳しい党内統治‘から成る4つの‘全面’を全面的に実現することのようですが、これらの言葉の羅列を聞かされても、具体的な国家像は浮かんではきません。用語や表現の難解さを以って‘高級感’を醸し出し、人々を惑わす典型的な悪文のようにも思えるのですが、鬱蒼と繁った枝葉を切り落としてしまいますと、結局は‘経済政策に対する党中央の集中的・統一的な指導を強化する’、すなわち、共産党をも指導する習主席の独裁体制を強化する、ということなのでしょう。

 

 そして、個人独裁体制の盤石化を目指すに際して、習主席がモデルとしているのは、毛沢東時代であるように見受けられます。全人民から超越した立場にある独裁者が、唯一、権力を独占し、他の人民は全て等しく貧しいという体制です。同体制を再構築するためか、習主席は、「共同富裕」をスローガンに掲げるようになりました。平等という価値を絶対視してきた共産主義国家にあって、初めて貧富の格差を是認したと解される鄧小平氏の「先富論」からしますと、180度の転換のようにも見えます。しかしながら、同氏が始めた改革開放路線というものが、中国の統制経済のシステムを根底から改変してしまった点を考慮しますと、中国の脱資本主義は、極めて困難となるのではないかと思うのです。

 

 その理由は、習主席を含めた共産党上部こそ、改革開放後の中国にあって、民間企業を含めた大半の有力企業の個人大株主となっているからです。最近放映されたミャンマー情勢に関する番組でも、ミャンマー企業の大株主は軍部の上部であり、莫大な配当を受けている実態が暴かれていましたが、中国共産党も、まさしく同国の軍部と同様の立場にあります。仮に、習独裁体制の下で共産党の指導力が強化されるとしますと、その意味するところは、国営や公営化への回帰や上海や香港などの株式市場の閉鎖ではなく、民間株式、あるいは、民間資本のさらなる共産党幹部、あるいは、独裁者個人への集中を意味するかもしれません(因みに、北朝鮮の金一族も、キューバのカストロ一族も、世界有数の資産家です…)。

 

 そして、目下、習主席は、「共同富裕」を唱えています。貧富の格差拡大が留まるところをしらない現状からしますと、共に豊かになろうと訴える同方針は、国民受けの良い政策かもしれません。しかしながら、その具体的手法が富裕層による寄付である点を考慮しますと、独裁的な地位にある同主席でさえ、自らを含めた共産党幹部が保有する’株式利権’に踏み込むことができないという、改革の限界を表しているように思えます。既得権を共有してきた共産党員の離反を招くかもしれませんし、中国共産党と雖も必ずしも一枚岩ではありませんので、江沢民氏が率いる上海閥などから激しい抵抗や反発を受ける可能性もあるからです。このため、結局、所得移転の強化でもなく、’富裕税’の導入でもなく、アメリカといった自由主義国の富裕層も好んで用いている’寄付’といった’ソフトな方法’しか提案できなかったのでしょう。自らの個人的な資産を護るためにも…。

 

 習近平思想は、’人民を中心とする発展思想を堅持する‘という方針にあるそうですが、その本質は独裁体制の強化にありますので、まさしく『1984年』で描かれているダブル・シンキングに他なりません。同思想に散見される’発展‘も、共産党一党独裁体制が続く限り、現実にあっては’衰退‘となるのでしょう。そして、習主席の目指す表向きの’脱資本主義‘とは、特権的な独裁者や少数者による資本の私的独占という資本主義の極致であるのかもしれないと思うのです。すなわち、社会・共産主義諸国が、これまで資本主義諸国に対して非難し続けてきた資本主義の欠点である少数者による資本の私的独占を体現した社会こそが、習近平思想の行き着く先となるのではないでしょうか。


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