10日のブログで猿ケ城林道の千猿の滝の入り口から入った猿ケ城渓谷の
千猿の滝と落雲の滝が正確にはわからないと書いたのですが、たまたま
「茨城の滝」という本が手に入ったので、そこに載っている写真と見比べて
おそらくこれがそうであろうという私の撮った写真を再掲載します。

10日のブログにも掲載した写真ですが、渓流の中の写っている岩の形から
千猿の滝と思われます。
岩の先端が、ワニの口のように見える形も似ていました

これもその前後を撮った写真なので、千猿の滝に含まれるかなと

同上、

これも10日のブログに掲載した写真ですが、二筋に分かれた小滝が
滝つぼに落ちている様子から、雷雲の滝と思われます
二つの小滝が、一直線に滝つぼに落ちずに、途中の段ではねながら
落ちている特徴から、判断しました

落雲の滝

落雲の滝

滝つぼには落ち葉が漂ってました
参考にした本は、「茨城の滝」写真撮影者 水嶋 保 発行所 読売タウンニュース社
2005年9月30日 第2刷発行 定価1600円
サブタイトル「郷土の自然再発見 名瀑から幻の滝まで125選」
購入はAmazonから中古本で496円+送料350円で㈱バリューブックスから購入
(新品本はなかったので)
この本の千猿の滝の説明の中に、次のような面白い話が書かれています
頼朝軍に敗れた佐竹秀義が花園山逃れて猿から食料をもらった話はブログにも
書きましたが、実はその猿が花園神社の宮司だったという説があるそうです
花園神社の守護神は猿なので、頼朝の報復を避けるために宮司を「猿」と表現した
のではないかと伝えられている。
こうした本当の事を言えず、動物などにたとえた話は他にもあって、つくば市の
牡丹園には、若栗城の武将、栗林義長が狐から生まれた子孫だという話がどでかい
看板に書かれている。
私は、たまたま牡丹園の人に、この話の真相と思われる伝説を聞いたことがある。
栗林氏が仕えていた岡見氏は、今の竜ケ崎市の女化(おなばけ)あたりを支配していた
城主なので、栗林氏はその女化稲荷の巫女が産んだ武将ではないかと言うのである
巫女は処女がなるものであったから、巫女が産んだとは言えず、女化稲荷の神が狐
なので、狐から生まれた子孫という話になったのではないか言うのである。
当たらずとは言え遠からず的な、こんな話は私は大好きである。
千猿の滝と落雲の滝が正確にはわからないと書いたのですが、たまたま
「茨城の滝」という本が手に入ったので、そこに載っている写真と見比べて
おそらくこれがそうであろうという私の撮った写真を再掲載します。

10日のブログにも掲載した写真ですが、渓流の中の写っている岩の形から
千猿の滝と思われます。
岩の先端が、ワニの口のように見える形も似ていました

これもその前後を撮った写真なので、千猿の滝に含まれるかなと

同上、

これも10日のブログに掲載した写真ですが、二筋に分かれた小滝が
滝つぼに落ちている様子から、雷雲の滝と思われます
二つの小滝が、一直線に滝つぼに落ちずに、途中の段ではねながら
落ちている特徴から、判断しました

落雲の滝

落雲の滝

滝つぼには落ち葉が漂ってました
参考にした本は、「茨城の滝」写真撮影者 水嶋 保 発行所 読売タウンニュース社
2005年9月30日 第2刷発行 定価1600円
サブタイトル「郷土の自然再発見 名瀑から幻の滝まで125選」
購入はAmazonから中古本で496円+送料350円で㈱バリューブックスから購入
(新品本はなかったので)
この本の千猿の滝の説明の中に、次のような面白い話が書かれています
頼朝軍に敗れた佐竹秀義が花園山逃れて猿から食料をもらった話はブログにも
書きましたが、実はその猿が花園神社の宮司だったという説があるそうです
花園神社の守護神は猿なので、頼朝の報復を避けるために宮司を「猿」と表現した
のではないかと伝えられている。
こうした本当の事を言えず、動物などにたとえた話は他にもあって、つくば市の
牡丹園には、若栗城の武将、栗林義長が狐から生まれた子孫だという話がどでかい
看板に書かれている。
私は、たまたま牡丹園の人に、この話の真相と思われる伝説を聞いたことがある。
栗林氏が仕えていた岡見氏は、今の竜ケ崎市の女化(おなばけ)あたりを支配していた
城主なので、栗林氏はその女化稲荷の巫女が産んだ武将ではないかと言うのである
巫女は処女がなるものであったから、巫女が産んだとは言えず、女化稲荷の神が狐
なので、狐から生まれた子孫という話になったのではないか言うのである。
当たらずとは言え遠からず的な、こんな話は私は大好きである。