鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

信州を巡る旅  木曽谷から諏訪湖へ

2020-06-28 19:40:21 | 旅行
机上で巡る信州の旅、今回は岐阜県の中津川市からスタートしまひょ。

人口約7万5千人の街で昔から木曽谷や伊那地方との繋がりの深い
宿場町として栄え、2027年には予定ですが建設中の
中央リニア新幹線の中津川駅が出来るとか言われてますね。

JR東海の名古屋駅から特急「しなの」で約50分ぐらいでしたかな。

快速電車なら名古屋駅から約1時間15分で到着しますんや。

(JR東海の快速電車ですれ違い) (2009年4月撮影)


背景の山は岐阜県と長野県の境に聳える恵那山で標高が2191m。

中央アルプスの最南端で、この恵那山から西側になる西南日本では
2000mを越える山が存在しないことは知られていないかも?

近畿・中国・四国・九州には1990m以上の山がおまへんのや。

ズームアップしてみまひょかな。

(日本100名山の一つ 恵那山 標高2191m)(2009年4月撮影)


中世までは東山道(とうさんどう)と呼ぶ国道がここから神坂峠を越えて
伊那地方へ抜けてから諏訪方面へ向かっていたそうでっせ。

東山道の難所だったので江戸時代には木曽谷を通る中山道(なかせんどう)に
変更されたそうですが、現在は中央高速道が恵那山トンネルで抜けてまんねん。

恵那山の左手が神坂峠に成りますので、ここから約1000mほど高度を上げて
長い登坂車線を経て恵那山トンネル長さ(約8600m)を潜り抜けますんや。

現在も恵那山トンネルは危険物を搭載したトラックなどは通過できません。

中央高速道は恵那山トンネルを抜けて飯田市や伊那市の方へ北上してますんや。

(中津川市の マンホールの蓋)(2011年3月撮影)


「おいでん祭」を描いた綺麗なデザインで風流踊りだそうですわ。

毎年の8月13日頃に催される伝統的な民俗舞踊のようですな。

栗きんとんの発祥の街としても有名になってますかな。

この中津川市を過ぎると信州の木曽谷に入ることになりまっせ。

岐阜県から長野県に入る訳で、関西や名古屋から信州に向かうには
鉄道ならJR中央本線で木曽谷を遡上することに成りますんや。

(JR東海 南木曽駅名標)(2009年4月撮影)


一つ手前の田立駅(ただちえき)からが長野県に入るようでした。

JR南木曽駅前から路線バスで妻籠宿や馬籠宿に入るルートのようですね。

途中下車しましたが何もない駅前ですぐに次の電車で再スタート。

鉄ちゃん爺やも昭和の時代に神坂峠でバスを降りて徒歩で
馬籠宿と妻籠宿を訪れましたが、当時はカメラはオリンパスの
36枚撮りのフイルム製でしたので画像では残ってまでへん。

(JR東海 普通電車の車内を撮影)


観光客は特急「しなの」で先を急ぐ訳で、車内は地元の方のみ。

鉄ちゃん爺やのような暇人は数えるばかりの2~3人でしたな。

のんびりと木曽川の流れを見ながらの良い車窓風景でっせ。

(JR中央本線 車内から撮影)




列車は標高290mの中津川駅から分水嶺の鳥居峠まで上り坂の連続。

画像の左側は木曽川の流れと中山道から名前を変えた国道19号線でっせ。

確か鳥居峠のトンネルが標高960mだから一寸した登山鉄道の気分でおます。

昔から鉄ちゃん爺やが信州へ向かうルートで大好きな車窓風景なんですわ。

横を走る国道19号線は道路の改良が進み危険物を積載したトラックで
中央道を通らなくても約1時間ぐらいの差で運行が出来ると聞いてますんや。

こちらは高速道路の使用料の節約にもなりまっしゃろ。

(JR中央本線 車窓から撮影)


木曽谷と言えばヒノキが有名で昔は貯木場があちこちに見られましたが
最近はトラック輸送に変わった関係でほとんど見かけられませんね。

(JR中央本線 車窓から撮影)


右手の遠くに見えるのは中央アルプスの木曽駒ヶ岳か空木岳のはず。

共に標高2900mクラスの名峰で山の向こうは伊那地方になりまぁ。

左手には木曽の御嶽山が一瞬だけ見えると書かれてますが、電車から
確認するのは難しく、鉄ちゃん爺やも観た記憶がおまへんのや。

(JR中央本線 車窓から撮影)




鳥居峠は太平洋と日本海の分水嶺になってますんで、太平洋へ流れる
木曽川からトンネルを抜けると日本海へ流れる奈良井川に変わりまっせ。

奈良井川は上高地から流れてきた梓川と合流し犀川となり北上し
善光寺平の川中島付近で千曲川に注ぎ最後は信濃川となりますんや。

鳥居峠のトンネルを抜けたJR奈良井駅で途中下車することにしまひょ。

この奈良井駅がJR東海で一番標高の高い駅で914mになるんだとか。

JR中央線では富士見駅という方が上回りますがこちらはJR東日本。

(JR中央本線 奈良井駅舎】(2009年4月撮影)






奈良井宿は江戸時代には中山道34番目の宿場町として木曽11宿では
「奈良井千軒」と呼ばれるほど賑わった宿場町だったそうでっせ。

中山道の宿場は東海道の宿場よりも2割ほど宿賃が安かったとの説。

それと川止めが無く距離は長いが江戸や京都への到着が狂わなかったとも。

江戸からやってきた旅人は鳥居峠の難所を控えて、ここで一泊すると
英気を養い鳥居峠(標高1197m)を越えて木曽福島へ向かったとか。

現在は標高930m付近から鳥居トンネルがあるので電車なら
ものの10分もしない内に通過できるんですけどね。

歩いて現在の鳥居峠を越えて薮野宿まで約8kmで3時間ぐらいだとか。

当時はもっと標高の高い峠だったので半日ぐらい掛ったのかも?

(JR中央本線 鳥居トンネル 奈良井側の出口)(2009年4月撮影)


(木曽の大橋 奈良井川に架かる観光用の橋)(2009年4月撮影)




木曽のヒノキを使って橋のモデルは岩国市の錦帯橋だとか。

橋の左手は国道19号線の道の駅「木曽の大橋」なんでっけど
当時は名前だけで何の設備もなし、冬場は橋の使用も禁止だったはず。

当時は駐車場と男女別トイレしかない道の駅でしたから。

あれから11年が経ってますので変わったかも知りまへん。

国道19号から橋を渡ると「奈良井宿」の街並みに入れますんでね。

(木曽の大橋から 奈良井川を撮影)


それでは奈良井宿の方を散策としますかな。

江戸時代の西暦1840年頃の街並みが残されているんだとか。

何度も大火に見舞われたけど天保時代の建物が残っているらしい。

現在は街並みが重要伝統的建造物群保存地区に指定されているとのこと。

(奈良井宿の 街並み)












(奈良井宿の カフェにて撮影)


当時はまだ自撮りが出来ませんでしたのでカフェのご主人に撮影を依頼。

ご主人もカメラのマニアで信州の雪山を写すのが好きだとの話でした。

(長野県木曽郡楢川村の マンホールの蓋) (現在は長野県塩尻市)


清流に住むイワナが描かれているようですが、現在は長野県塩尻市だとか。

木曽郡楢川村の方が江戸時代の面影を残す奈良井宿にはお似合いかも?

最近は上高地が松本市に編入されたり、鉄ちゃん爺やは首を傾げてますんや。

それでは再びJR奈良井駅に戻り旅を続けることにしまひょ。

(JR塩尻駅 駅名標)  (2011年4月撮影)


(JR中央本線 塩尻駅舎) (2009年4月撮影)


この駅まで来るとJR東日本さんの管轄に変わりますんや。

だから中津川駅や名古屋駅から来た列車の乗務員さんは交代になりまぁ。

(JR中央本線 塩尻駅の連絡橋から撮影) (2009年4月撮影)


画像の左へカーブしているのが中央本線の新宿方面への線路でっせ。

右へカーブしているのが中央本線の名古屋方面への線路に成りまぁ。

そんな訳で塩尻駅から新宿駅方面はJR中央東線とも呼びますかな。

同じく塩尻駅から名古屋駅方向はJR中央西線と呼ぶことがおます。

同じ中央本線ですが西線と東線を繋ぐ電車は運行されてませんからね。

JR東日本さんとJR東海さんのライバル関係もおますんかな?

鉄ちゃん爺やもここでJR中央東線に乗り換えて先を急ぎまひょ。

(JR岡谷駅 駅名標) (2010年4月撮影)


現在は伊那地区へ向かうJR飯田線はここで乗り換えが便利かも。

JR飯田線は次回にしますので次の駅に向かいまひょ。

この駅を出ますと右手に諏訪湖が見えてきますんで、先ほどの
駅名標もそんな風景を表示しているようですわ。

(JR下諏訪駅 駅名標) (2009年4月撮影)


(JR中央本線 下諏訪駅舎)(2009年4月撮影)


ここは長野県諏訪郡下諏訪町と呼ぶ小さな町で人口も約1万9千人ほど。

お隣の岡谷市や同じく諏訪市に挟まれながらが合併もせずに頑張ってまぁ。

昔は中山道(なかせんどう)と甲州街道の分岐する宿場町として
江戸時代には賑わいを見せた町でもありますかな。

この町には諏訪大社の下社秋宮・同じく下社春宮が鎮座してますんや。

諏訪大社は上社が二つと下社が二つの四つが離れてお祀りされてますよ。

(諏訪大社 下社秋宮)(2009年4月撮影)




七年に一度(寅年・申年)に有名な御柱祭りが行われますよね。

実際は六年に一度なんですが、お祭りの年も含めて七年に一度と呼びまんねん。

毎年ながら死傷者が出る坂落としとよぶ荒行事で始まることで有名ですわな。

この上社と下社の御柱祭りは日時も異なり神事の内容も異なってますんや。

そんなことも関係して下社の町である下諏訪町は伝統と誇りを伝える為に
小さい街ながら合併を望まず今日まで来たように考えられますかな。

(諏訪大社 下社秋宮の 一の御柱)(2009年4月撮影)


この諏訪大社の秋宮の四方を守る4本と春宮の四方を守る4本 計8本を
山から切り出した大木で交換する神事が御柱祭りでっせ。

同じようにお隣の諏訪市と茅野市の管轄する諏訪大社の上社でも
8本の御柱を交換するのが、次は二年先の2022年4月になりまぁ。

(諏訪大社・下社秋宮で 夕方のお祈りをされる宮司さん)(2009年4月撮影)


(諏訪大社・下社秋宮の 拝殿)






実は数年前から実行している六十余州の一之宮巡りとご朱印を当時はやってませんでした。

当時はお寺のご朱印だけでしたので神社のご朱印は考えが及びませんでしたね。

考えたら諏訪大社の四つの宮は信濃の国の一之宮になってますのや。

改めて次の機会を見つけて信濃の国を訪れることにしまひょ。

(諏訪大社 下社 御柱祭りの綱)(2009年4月撮影)


(長野県諏訪郡下諏訪町の マンホールの蓋)(2009年4月撮影)


つつじと桜が描かれているようですね。

それではJR下諏訪駅に戻り一駅だけですが次のJR上諏訪駅に向かいまっせ。

(JR中央本線の 車中より諏訪湖を撮影) (2009年4月撮影)


JR中央本線で諏訪湖を眺められるのは岡谷駅を発車してから上諏訪駅まで。

特に下諏訪駅を出たころは諏訪湖のすぐ側を走ることになりますんや。

(JR上諏訪駅 駅名標) (2010年4月撮影)




鉄ちゃん爺やが若い頃には国鉄の上諏訪駅構内に温泉がおましたんや。

現在は足湯だけになりましたが駅のホームは昔と変わってない感じですかな。

(諏訪湖側の 片倉館) (2009年4月撮影)




(諏訪湖畔の 間欠泉を撮影)  (2009年4月撮影)










(諏訪湖の 遊覧船) (2009年4月撮影)


何せ11年前の画像ですから現在は新しい遊覧船に変わったかも知れまへんけど。

諏訪湖で名物に成っていた白鳥をデザインした遊覧船として運行されてました。

撮影したのは4月2日だったのでまだ冬場の係留中だったと記憶てますんや。

(諏訪湖畔から 沖の島を撮影) (2009年4月撮影)


(長野県諏訪市の マンホールの蓋) (2009年4月撮影)


諏訪市は人口が約4万8千人の諏訪湖を望む温泉と観光の街なんですよ。

描かれているのは市の花である「あやめ」のようでした。

鉄ちゃん爺やには昭和の60年頃に予約もせずに8月15日に息子と訪れ
ホテルが何処も満員でタクシーで塩尻市と松本市まで探し回りそれもダメ。

諦めて旅を中止し夜行の急行だった「ちくま」で帰阪したことがおました。

当時は予約などせずに駅前の観光案内所で当日でも宿泊が可能でしたんや。

何せ8月15日が有名な諏訪湖では花火大会の当日とは知りまへんでした。

そんな、のんびりした時代の旅が昭和の時代は当たり前でしたんや。


今回の机上での旅行はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は2010年4月に見学した諏訪大社・上社の御柱祭りと
JR小海線からJR飯田線を巡る旅を紹介しまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪

鉄ちゃん爺やの一人旅  防府市内をホテルの貸自転車で散策

2019-06-26 20:16:00 | 旅行
この日は無料の貸自転車で防府市内を走り回ったんですわ。

防府市内は坂らしい坂もなく平坦な道ばかりなので
レンターサイクルで散策するのには最適の街かもしれまへん。

(防府市 マンホールの蓋)


(昨日と同じ 無料の貸自転車)


ホテルから南へ約2kmぐらいほど走った感じでおます。

江戸時代に萩藩・毛利家の船泊だった「三田尻御舟倉跡」を紹介しまひょ。

1611年(慶長16年)に下松からここ三田尻に萩藩・毛利家は
水軍の基地を全て移し替え「三田尻御船倉」としました。

現在は水路の一部しか残ってまへんが、幕末までは萩藩・毛利家の
御座船や軍船がここに留め置かれていたと書かれてました。

当時はこの辺りが三田尻の港だった訳でんな。

(三田尻御舟倉跡)






毛利家は関ヶ原の戦いで西軍の総大将に祭り上げられたんですが
御大将の毛利輝元は大坂城から動かず、出陣した部隊も吉川広家の
東軍との密約で関ヶ原の戦いにも参加せずに終わりましたんや。

本来なら本領安堵の密約だったのに徳川家康の策略に嵌まって
112万石から防長30万石に減らされて山陰側の萩にしか
城を造ることを認めず、雌伏の時代を迎えたんですわ。

ここ三田尻か山口に城を築きたいと願い出たが徳川幕府は
毛利家を警戒し日本海側の萩に押し込めることにしたとか。

(萩往還の 終着点)


(三田尻御船倉跡 説明書き)


萩の城下から山口を通りここ三田尻で瀬戸内海に至ります。

この街道を江戸時代には「萩往還」と呼んだそうですわ。

萩の城下から南東の方角へ最短で結んだことになりまぁ。

毛利家の参勤交代はここから御座船で瀬戸内海を通り
大坂の蔵屋敷から小舟で京都の伏見に行き、そこからは
陸路で東海道を通り江戸へ向かったようでんな。

江戸幕府は萩から山陽道を通り全て陸路で江戸までこいと
干渉したり、毛利水軍を警戒することが多かったとも。

「萩往還」を少しだけ戻ると萩藩・毛利家の公館がおました。

(三田尻御茶屋 英雲荘)








萩藩・毛利家の参勤交代には、萩城下からやってきて
ここで休憩をした後、三田尻御舟倉で御座船の準備を待ち
藩主以下の一行は乗船して大坂へと向かったようでっせ。

「英雲荘」は萩藩・7代藩主の毛利重就公の法名のようで
毛利重就公は家督を譲られた後、ここで隠居されたそうですわ。

幕末に京都から下ってきた「七卿落ち」の三条実美以下7名の
公家さんたちも、ここで暫く滞在していたと記されてますな。

幕末には勤王の志士たちが国事を語り、あの坂本龍馬も
脱藩した後、ここに立ち寄ったと言われてますんや。

(曹洞宗 大楽寺)




若くして亡くなった夏目雅子さんのお墓がここに在ると書かれてまぁ。

ご主人だった伊集院静さんの実家のお墓に分骨されているようです。

ネットで検索したら東京多摩の実家の方にもお墓が在るようでした。

伊集院静さんは仙台の方と再婚されたとかで、寂しそうなお墓でした。

(大楽寺 山門)


(大楽寺 本堂)


(大楽寺 鐘楼)


(毛利重就公の お墓) (法名 英雲公)




先程書き込んだ萩藩・毛利家7代藩主さんですよ。

萩市内にも英雲公のお墓が在るそうですけど。

この英雲公は徳川中期に萩藩・毛利家の財政を立て直した
名君で、防府市に大きな塩田を造られたそうです。

現在は塩田の跡がマツダ防府工場などの工業団地になり
合わせて三田尻中関港も英雲公が創設したとのこと。



ここから反転して防府天満宮の方向へ戻ることにしました。

山口県の県道ではガードレールに黄色い塗装がみられますな。

どうして黄色い塗装にしたのかは知りませんけど。

(山口県の 県道のガードレール)


(小休止して 軽食でお昼を)


ベーグルと言うんでっか、若い女性に人気だとか
入った店が、ベーグルがメインのカフェでした。

鉄ちゃん爺やにはパンなのかドーナツなのか
はたまたハンバーガーとの区別がつきまへん。

(JR防府駅前 種田山頭火の銅像)


(JR防府駅舎)


種田山頭火はここ防府市で生まれ漂泊の俳人と呼ばれ
今回の旅行でも、宇佐神宮や新山口駅前でも見かけました。

大正時代から昭和初期にかけての俳人で、鉄ちゃん爺やも
お名前だけは知ってまっけど、詳しい活躍などは分かりまへん。

(種田山頭火の 生家跡)








(山頭火ふるさと館)

防府天満宮から歩いて10分ぐらいの近場でした。

旧毛利家本邸と毛利氏庭園を見たかったので写真だけ撮影し
先を急ぐ形になりましたんや。

途中で大村能章さんの顕彰碑を発見しましたで。

(大村能章顕彰碑)




「野崎小唄」「同期の桜」「旅笠道中」「麦と兵隊」などの
作曲家で、この方も現在の防府市のお生まれだったようでんな。

昔懐かしい東海林太郎さんの歌が多かったような感じ。

裏手は佐波神社になってますが、無人のようで
ご朱印は頂けないようでした。

(佐波神社)




ネットで調べたら平安時代に一之宮から三之宮までの神様を分祀し
国衙の近くで周防の国の総社とした由緒ある神社だとか。

現在は誰も訪れることもない、小さな神社になってまぁ。

(旧毛利家本邸の 四足門を背景に自撮り)






(旧毛利家本邸の 車寄せ)


(旧毛利家本邸・毛利氏庭園 拝観券)


明治維新後に最後の長州藩主・毛利元徳公が大名屋敷の姿を再現し
大正時代に建築させた書院造りの和風の建物になっています。

現在は国指定の重要文化財に指定されてるようですわ。

館内は博物館も兼ねており、毛利家が所有している国宝級の
宝物を始め、貴重な文化財が展示されていますんや。

(旧毛利家本邸 玄関)


(旧毛利家本邸 大広間)






重要文化財の掛け軸は「狩野探幽作」のようですが本物にしては
係り員も配置されてないので、大丈夫なのかしらと心配に。

掛け軸の前まで近づいたけど誰にも注意されまへんでした。

本当は次の間から奥へ入ったらダメなんですけどね。

(次の間)






(旧毛利家本邸から 庭園を望む)




(毛利家 各藩の家紋)


ここから先が旧毛利家本邸の博物館になりますんや。

館内の博物館は写真撮影が禁止されてますので
歴史的な文化財は写せませんのでご容赦のほど。

(旧毛利家本邸の2階から 防府市内を撮影)


防府市内が一望できるようで、2階は応接間かもしれません。

小高い丘に建ってますので、ここからの見晴らしは最高ですわ。

遥か向こうの山が見える辺りの先が瀬戸内海になりまっせ。

旧毛利家本邸を出て毛利氏庭園も拝観させて貰いまひょ。

(毛利氏庭園から 旧毛利本邸を撮影)








(毛利氏庭園)












最後に防府市の三田尻中関港は明治維新前夜に薩長の同盟が成立し
ここから京都へ向かって薩長の連合軍が出撃したんだそうです。

この連合軍が鳥羽伏見の戦いで幕府軍を破り討幕のスタートを切り
明治維新の夜明けを告げたのが現在の山口県防府市だったそうです。

(JR防府駅名標)


長くなりますので、今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回はJR防府駅から大阪へ向かう鉄ちゃん爺やの
一人旅のブログ最終回とさせて貰います。

ほな~ さいなら~♪




宴豪軍が

鉄ちゃん爺やの一人旅  新山口駅から 周防の国一之宮 玉祖神社へ

2019-06-02 20:37:53 | 旅行
瑠璃光寺を後にしてJR新山口駅に戻りました。

ここは2003年(平成15年)までは
JR小郡駅(おごおりえき)と呼ばれてましたかな。

SL山口号に乗せてやりたいと息子や娘を連れて夏休みに
家族4人で訪れたのが1979年(昭和54年)でした。

今年で40年も昔のことに成りますかな。

確かSL山口号が初めて運転を始めた年だったと思う。

それも8月1日運転スタートで乗車したのが8月17日だったはず。

現在はSLは各地で走ってまっけど、当時はSL山口号のみ。

(JR新山口駅舎)


(JR新山口駅 新幹線改札口)


私の記憶が正しければ山陽新幹線を降りて眺めた駅舎と
殆ど同じ風景でこの駐車場から観光バスに乗ったはず。

秋芳洞と萩へ回り1泊し翌日には津和野へ回り
SL山口号でここまで戻ってきたんだと思う。

(JR新山口駅で ゆるキャラ)


ネットで検索したけど山口市の「ゆるキャラ」なんだろうな?

同じ写真が掲載されてないので「ゆるキャラ」の名前は不明。

1993年(平成5年)にも出張でこの駐車場からタクシーで
宇部市の病院まで走ったら1万円で殆どお釣りがなかったはず。

交通事故で入院した子会社のドライバーを救出活動だったかな。

(JR新山口駅前の 種田山頭火の銅像)




これから向かう防府市で生まれた漂泊の俳人として有名。

この銅像は新しいので初めて拝見するものだと思う。

それでは当駅から三つ目の「防府駅=ほうふえき」に向かいまひょ。

(JR新山口駅名標)


(113系 近郊型電車)(JR広島支社 瀬戸内色)


(JR防府駅舎)


(JR防府駅駅名標)


この駅は1957年(昭和37年)まで国鉄・三田尻駅と言いました。

鉄ちゃん爺やが高校の修学旅行で通過した頃は三田尻駅だった記憶が。

今でも年配の方は三田尻と呼ぶ江戸時代からの港町だったとか。

(JR防府駅前の 種田山頭火の記念碑)


ホテルに荷物を預けて自転車を無料で借りましたんや。

駅前でレンターサイクルを借りたら1日500円だとのこと。

このホテルは1泊2食付きで5800円とお得な料金でした。

そんな訳で。このホテルで2泊し防府市をゆっくり見物しましたんや。

(サンホテルの 無料貸し出しの自転車)


(防府市の マンホールの蓋)


人口約11万5千人で鉄ちゃん爺やが住む羽曳野市とほぼ同じでんな。

詳しいことは次回に書き込みますが奈良時代から開けた周防の国では
国衙や国分寺が置かれた山陽道の重要な町だったそうですわ。

(佐波川の堤防から 防府市内を撮影)


(防府市を流れる 佐波川)




マンホールの蓋に描かれていた「鮎」はこの清流で撮れるんだって。

意外に川幅もあり地図で見るよりも大きな川でおますわ。

(山陽自動車道路を 潜り抜ける)




佐波川を渡り山陽自動車を潜り抜けると目的地になりますんや。

潜り抜けたら国道2号線で横断したら参道に到着でんな。

(周防の国 一之宮 玉祖神社の鳥居)




玉祖神社(たまのおやじんじゃ)と読みまして、勾玉を造る集団とされる
玉造部(たまつくりべ)の方が創建した神社だとの説が。

(玉祖神社の 由緒書き)


(玉祖神社の楼門)


周防の国の一之宮で古くから在る神社なので出来た年号も不明だとの事。

天照大神が「天岩戸」に隠れられた際に、勾玉を捧げて誘導したとされる
玉祖命(たまのおやのみこと)で、この勾玉が三種の神器の一つとされる
「八尺瓊勾玉=やさかにのまがたま」だと言われてますんや。

(玉祖神社=たまのおやじんじゃ 本殿)








(玉祖神社の 社務所)


(玉祖神社の ご朱印)


普通はどちらの神社もお寺でもご朱印は300円ですが。

この玉祖神社さんは500円お納めくださいとのこと。

ご朱印を頂戴したら夕方の5時になりなんとか間に合った感じ。

自転車がなければ翌日に参拝するようになったでしょうな。

翌日に余裕が出来たので防府天満宮や周防国分寺など
よっくり自転車で見学できることになりましたんや。

長くなりますので防府天満宮や周防国分寺などは
次回に紹介させて貰いまひょ。

ほんなら、これで~ さいなら~♪

鉄ちゃん爺やの一人旅 九州国立博物館 & 住吉神社

2019-05-18 21:15:03 | 旅行
九州国立博物館は2005年(平成17年)10月に
日本で四番目の国立博物館としてスタートしましたんですわ。

東京・京都・奈良の国立博物館が美術系の博物館なのに対し
九州国立博物館は歴史系の博物館としての部分と
中国や朝鮮半島との文化交流史にも重きを置いてるとか。

太宰府天満宮の横に設立したことで見学者も予想外に多いはず。

(九州国立博物館の全景)






九州で最大の初詣客を誇る太宰府天満宮に配慮してなのか
元日も拝観ができるので年間約100万人の入場者を数えるとか。

12月25日~31日まで早めの休館日が設けられてまっけど。

70歳以上は常設館は無料なのも有りがたいことでした。

鉄ちゃん爺やも有り難く無料で拝観させて貰いましたで。

(九州国立博物館 4階常設館へのエスカレーターから撮影)


(九州国立博物館 4階常設館の入り口)


(九州国立博物館 常設館前で撮影)


誘導員の方が親切にデジカメのシャッターを押してくれました。

館内は国宝や重要文化財が多く展示されてますので
予想通りの撮影は禁止なのも、仕方がおまへんわな。

モニターで写されていた画像のみ貼り付けて置きまひょ。

(大宰府政庁跡から 出土した鬼瓦)(重要文化財)


(唐三彩を模して作られた 奈良三彩の壺)(重要文化財)




(大宰府政庁の復元模型)


大宰府は奈良時代から平安時代まで九州全土を統括する役所で
「遠の朝廷=とおのみかど」と呼ばれていたそうですわ。

新しい元号の「令和」にも関連して最近は賑わっているとか。

大宰府政庁跡は太宰府天満宮から約2kmぐらい西南の方向で
当時の基礎石などが残っているだけで建物は残っておまへん。





画像では紹介できませんが東京や奈良の国立博物館などと
年間で200点ぐらい展示品の入れ替えを行っているとのこと。

その他、九州各地から歴史的展示品が持ち込まれていますな。

縄文・弥生の時代から中世や近代に至るまで幅広く展示され
鉄ちゃん爺やが簡単に拝観しただけで約2時間かかりましたな。

(九州国立博物館の 垂れ幕)


もっと時間をかけて拝観したかったんですが博多駅前の
筑前の国・一之宮 住吉神社に寄りたかったので退散しました。

大宰府政庁跡と「令和」の語源となつた「梅花の宴」の
博物館など機会が有ればもう一度訪ねることにしました。

(名物 梅ケ枝餅)




太宰府天満宮へ来たなら「梅ケ枝餅」を食べる人が多いとか。

確かに参道の店は何処も「梅ケ枝餅」の店ばかりでんがな。

宅急便で大阪へ送ると共に1個だけ賞味させてもらいまひょ。

(太宰府天満宮の ご朱印)


(西鉄 太宰府駅にて)








(西鉄・太宰府駅~西鉄・福岡駅  400円)


西鉄電車で福岡駅に戻り地下鉄で博多駅に着いたのが午後4時前。

一之宮の住吉神社までは住吉通りを西へ約1km弱でっかな。

(福岡市の住吉通り)


画像の奥の方角に歩くと、JR博多駅の正面に通じてますんや。

道路から参道を200mぐらい歩くと住吉神社になります。

(筑前の国 一之宮 住吉神社の本殿)








最後は「令和」に改まった初日に奈良県の橿原神宮へ参拝。

約90分の行列で頂いたご朱印を貼り付けて置きまひょ。

紀元2679年と朱印があるのは日本書紀による年号ですよ。

鉄ちゃん爺やが生まれた頃に皇紀2600年とか言いました。

(令和元年5月1日 橿原神宮のご朱印)


新しいキャノン製のデジカメで試し撮りをしましたんや。

Wi-Fi に接続で悪戦苦闘しやっと成功した次第。

USBケーブル が別売りだとは知りまへんでした。

(令和元年5月1日 久米寺のご朱印)


久米の仙人の伝説があるお寺ですが、こちらは待ち時間ゼロ。

あの日は東京の明治神宮では10時間待ちだとかでしたね。

鉄ちゃん爺やの1時間30分待ちは早い方だったのかも。

次回はJR博多駅から在来線で山口市内への旅に戻りまっさ。

ほな~ これで、さいなら~♪

鉄ちゃん爺やの一人旅  海峡ゆめタワー & JR下関駅前

2019-04-23 20:42:54 | 旅行
JR下関駅は何度も通過したことが有るんですが
途中下車をしたのは今回が初めてとなりますんや。

正確には高校の修学旅行で夜の9時ごろでした。

国鉄のSLと電気機関車が交代する時間を利用し
14両編成の最後尾から3両目へ走ったことがおます。

後ろ5両が小倉駅から日豊本線に切り離されるとのこと。

私たちは長崎駅へ向かうので乗り換える羽目にでした。

そのホームがそのまま残っているのが嬉しかったですわ。

(JR下関駅 長いプラットホーム)


当時は寝台特急や九州へ向かう列車が関門トンネルを
電気機関車で抜けるために必ず停車した駅でしたんや。

だから当時の長いホームが今も残っているのがこの画像。

2006年(平成18年)1月にJR下関駅が放火で全焼!

三角屋根の戦前からのモダンな駅舎が焼けてしまいました。

幸いにホームは延焼を免れて昔の姿を残しているようでした。

下関駅の駅員さんに確認したので昔のままなのは確実!

(JR下関駅の 新しい駅舎)


昔の三角屋根とはイメージは少し変わりましたが現代的な
三角屋根のJR下関駅舎が2012年(平成22年)に完成。

ホームが高架なので階段を下りて改札を出たら少し歩いて
エスカレータで駅前の広場に昇るような形になりまぁ。

(JR下関駅を 背景に自撮り)


(JR下関駅前広場の モニュメント)


(反対側は高級ホテルでした)


(下関市のコウリヤンタウン)


韓国の釜山市とは昔から関係が深い街なので
この辺りにコウリヤンタウンが出来たようですな。

(下関市内の 観光用標識)


この日のお目当ては「海峡ゆめタワー」に昇ることでした。

高さ143mの展望台から360度の関門海峡と下関市を
眺めてくださいと、娘婿から聞いてましたんや。

(海峡ゆめタワー 遠景) (高さ153m)


下関駅の貨物ターミナルや側線を撤去して再開発をしたとか。

現在も韓国の釜山や中国の上海に定期便が運行されているらしい。

(下関港の 国際ターミナル乗り場)




向こう側の山は九州は門司付近の山になりますんや。

この日は3月18日で行く翌日には反対側の門司港駅から
こちら側を眺めることにしてました。

(海峡ゆめタワー 通路から撮影)


(海峡ゆめタワー 入場口)


(海峡ゆめタワー 入場券)


65歳以上は半額の300円とは有り難いことでしたわ。

エレベーターで70秒だったはず30階の展望台に到着でした。

(関門大橋方向を 撮影)


左側の山から新幹線は関門トンネルで右側の山に抜けて
JR小倉駅の手前で地上に出る様になってますんや。

関門大橋は高速道路と国道2号線が通っているようですわ。

(巌流島を 撮影)




宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした島として有名でっしゃろ。

昔はもっと小さかったが明治以後に埋め立てられ6倍の面積に。

正式な名前は「船島」と言いまして現在は下関市内だそうです。

当時は小倉藩の島だったそうで宮本武蔵も佐々木小次郎も
小倉の街から船で渡って決闘に臨んだようでっせ。

巌流島の向こう側は彦島でJRの関門トンネルはこの島から
海底に潜り込んで門司駅の手前で地上に出ていますんや。

(下関港に停泊中の 韓国釜山行きの客船)


(下関市の水族館と 魚市場付近)






3月21日に博多から戻る際に立ち寄る予定でしたが
当日は雨で行き先を変更したのが心残りでしたんや。

機会が有ればもう一度今度は下関市内のホテルで1泊して
「海峡ゆめタワー」から夜景を観るのが良いかもしれまへん。

(対岸の展望タワー  JR門司港駅前)




関門大橋の辺りが本州と九州を隔てる一番狭い海峡ですな。

源平の壇ノ浦の戦いは関門大橋の向こう側辺りだとの事。

「海峡ゆめタワー」からは遠くてデジカメでは遠すぎました。

(海峡ゆめタワーから 日本海側を撮影)




(海峡ゆめタワーから 小倉方向を撮影)




関門海峡はS字の形で瀬戸内海から日本海の響灘へ抜けているんだって。

遠くの工業地帯が小倉駅の北側に成りますが遠くて分からないかも。

本日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は門司港駅舎とレトロな建物群を紹介しまひょ。

ほんなら、さいなら~♪


鉄ちゃん爺やの一人旅  北九州市の小倉を巡る

2019-03-28 19:06:40 | 旅行
(九州新幹線 さくら549号)




鉄ちゃん爺やが乗る「のぞみ5号」より3分遅れで隣のホームから出発。

JR鹿児島中央駅には13時31分に到着なんだって。

当然ながらJR小倉駅には「のぞみ5号」の方が早く着きますけどね。

(山陽新幹線 のぞみ5号 出発表示)


定刻通りの11時17分にJR小倉駅に到着しましたね。

不思議なことで新幹線下りの小倉駅ホームは初めての下車なんですわ。

昔は出張だったので寝台特急で早朝の小倉駅に降り立つことにしてました。

小倉から博多へまわり帰りは新幹線で新大阪駅へが日帰りの出張でしたかな。

山陽新幹線が無ければ博多で1泊できるのにな~ ぼやいたこともおました。

山陽新幹線・岡山~博多間の開業は1975年(昭和50年)3月でした。

(JR小倉駅の駅名標)


(のぞみ5号 5号車 JR小倉駅到着)


(JR小倉駅 中央コンコース)




JR小倉駅は1998年(平成10年)に建て替えられたそうですわ。

だから当時の面影は何処にも見当たらないように感じましたけど。

約25年ぶりのJR小倉駅ですから当然でっしゃろな。

(JR小倉の駅ビルに モノレールの駅が)






昔は一つ手前の平和通りがモノレールの終点でした、当時に聞いた話では
駅周辺の商店街が反対して国鉄の小倉駅に乗り入れが出来なかったとか。

駅ビルにモノレールが突き刺さったような形に見えて面白いでっしゃろ。

(小倉祇園太鼓の モニュメント)




7月に催される小倉祇園祭の勇壮な太鼓が駅前広場に置かれてまっせ。

村田英雄さんの「無法松の一生」でお馴染みの歌詞にも登場しまんな。

(北九州市のマンホールの蓋)


北九州市が選んだ「市の花」が描かれているんだと思いまぁ。

帰ってからネットで検索したら「ヒマワリ」が正解でした。

それではチェックインには時間があるが荷物だけ預けて
小倉城辺りでも散策して時間をつぶしますかな。

(アイルイン小倉 表通りから撮影)


このホテルで3泊して今回は周辺を巡ることにしましたんや。

朝食付きで30日前の予約で1泊=4850円ですから
鉄ちゃん爺やとしては小倉の繁華街なら安いと考えました。

朝食のバイキングが予想外に豪華でした、これはラッキー‼

(小倉城の天守閣を自撮り)






天守閣は工事中で3月29日まで休館でしたんや。

歴史的な価値はない戦後の改築だとのこと、良しとしまひょ。

城内で珍しいものを見つけましたで。

(小倉城内にて 珪化木の化石) 




小倉の外海である響灘で地層に埋もれた幹が化石に成ったとか。

近くに松本清張記念館が在るそうで立ち寄らせて貰いまひょ。

(小倉城内の標識)


(北九州市立・松本清張記念館 正面玄関と全景)


(松本清張記念館 拝観券)


推理小説の草分けと言える松本清張さんは昔の小倉市生まれでした。

北九州市立の施設とやらで立派な建物なので感心しました。

(松本清張記念会館 内部にて自撮り)


(松本清張さんの 著書を全て展示)








「砂の器」の特別展示が催されてましたが、当然ながら撮影禁止!

鉄ちゃん爺やも松本清張さんの「ゼロの焦点」を持っているんだけど
どんな内容だったのか、殆ど想い出せない状態になってますわ。

(北九州市役所庁舎)


鉄ちゃん爺やが若かりし頃でしたけど1963年(昭和38年)当時の
小倉市・門司市・戸畑市・若松市・八幡市の五市が対等合併でしたわ。

北九州市という名前になって九州で最大の政令指定都市ができましたんや。

当時は福岡市より人口も多く北九州工業地帯とも言いましたかな。

人口も100万人を超える時代がおましたけど、現在は県庁所在地の
福岡市に抜かれて人口も約94万人と減少し一時より元気も無いとの事。

(紫川の勝山橋から 上流を撮影)


遠くにTOTOさんの本社が見えてます、分かりずらいかも。

鉄ちゃん爺やも出張で二度ばかりお邪魔したけど25年前の話。

長くなりますので、今回はこれでお仕舞にしまひょ。

それじゃ~ さいなら~♪


三重県・賢島を観光船で クルージング

2018-12-09 18:27:41 | 旅行
11月7日に同級生と1泊で賢島へ行ってきましたで。

三重県の賢島と言えば2016年4月にG7が開催され
各国の首脳が1泊されてサミットが行われたんでしたな。

フランスのオランド大統領が泊まられたスイートルームは
確か1泊で21万6千円の最高級のお部屋だったとか。

ドイツやイタリアの首相は1泊10万円前後のお部屋だった。

アメリカのオバマ大統領は別棟のスイートルームで
こちらは14万円前後だったはず。

議長国の安倍首相は別棟の和式旅館「宝生苑」の最上階
こちらは一番安かったそうで1泊7万円との噂でしたけど。

全て近鉄系の都ホテル・志摩観光ホテルでしたかな。

(鉄ちゃん爺らが 宿泊したホテル)


(ホテルの横は パターゴルフ場)


(ホテルの玄関で 自撮り)




年金生活者の旅行ですから1泊2食付きで 8100円。

英虞湾が部屋から見ることは出来ないのは当然でっかな。

この湯快リゾートのホテルは西日本や北陸に数多くおますが
7800円~8500円と安くて重宝してますんや。

(ホテルの駐車場から 英虞湾を望む)


6月にも同じ系列のホテルで白浜温泉に行きましたで。

年金生活者には有り難い料金で夕方までカラオケも無料。

「ジャンカラ」と言うカラオケBOXと同じグループだとか。

バイキング式の食事でっけど、それは織り込み済みですわ。

(近畿日本鉄道 賢島駅舎)(かしこじまと読みまぁ)


大阪や名古屋や京都から特急電車はここが終点になりまぁ。

この駅舎の2階に伊勢志摩サミットを記念した会場を再現
博物館として無料で一般公開されているんだそうですわ。

安倍首相の座られた椅子で記念写真が最近は人気なんだって。

帰ってからネット検索で知ったもんで、この日は駅前を通過。

英虞湾(あごわん)を一周する約50分のクルージング
そっちが、お目当てなもんで残念なことをしましたわ。

(英虞湾=あごわん 一周の観光船 エスペランサ号)




(英虞湾の パネル)


(エスペランサ号に乗船)




(乗船券 4人分 1人当たり1600円)


(同級生の3人 エスペランサ号の船室にて)


(同級生の I君とツーショット)


(一般船室 内部を撮影)


賢島は現役で働いている頃に何度か訪れてはいますんや。

でもこんな豪華な観光船は当時は運行されてなかったはず。

小さい船で「残酷焼き」とか称する魚介類の鉄板焼きを
食べながらの英虞湾巡りだったような記憶。

それではエスペランサ号からの風景を貼り付けて置きまひょ。

(真珠の養殖のイカダ)


(御木本幸吉さんが 創設した真珠工場)


英虞湾と言えば養殖真珠で昔から有名でっしゃろ。

海面から5mぐらいに下に吊るしたアコヤ貝の体内に
真珠の核を埋め込んで養殖するんだそうですな。

(英虞湾の クルージング)








(エスペランサ号の 船尾で自撮り)






途中で真珠の加工工場に接岸して体験させてくれますんや。

ほんの10分程度しか見学が出来なくて残念なんですけど。

(真珠加工工場に エスペランサ号が接岸)




(エスペランサ号と 自撮り)


(アコヤ貝に 真珠の核入れ作業を見学)


(アコヤ貝の 養殖を展示した標本)


(エスペランサ号の 操舵室)


再びエスペランサ号に乗船して賢島港に戻るようでんな。

遠くに2016年伊勢志摩サミットに使われたホテルが
山の上に見えているとの船内放送がおました。

(伊勢志摩サミットの会場に成った 高級ホテル)








下船した後はパールロードを走って鳥羽の展望台に向かいましたで。

昔は有料道路でしたが現在は無料で走れるようになってまぁ。

(パールロード 鳥羽展望台にて自撮り)


(鳥羽展望台から眼下を眺める)






天気が良ければ愛知県の渥美半島から富士山まで見えるんだとか。

生憎とお天気は良いんだけど渥美半島が肉眼でやっと見えるぐらい。

(渥美半島が見えてますが カメラでは写りません)


(演歌歌手 鳥羽一郎さんの歌った 歌詞の石碑)


(同級生の N君と I君)




(鳥羽展望台の 標識)


(同級生の N君と ツーショット)


鉄ちゃん爺やの左側のN君の運転するプリウスでの旅行でした。

彼だけがお酒を飲まないので飲酒運転にはなりませんので念の為。

(鳥羽市内から 伊勢自動車道へ向かう)


(伊勢自動車道 安濃SAにて自撮り)


本日はこれぐらでお仕舞にしまっさ。

ほんなら、これで さいなら~♪

日本一高い駅から  涼しい景色をご覧ください~♪  

2018-08-12 15:56:33 | 旅行
今年は全国的に猛暑日が続いてまっしゃろ。

鉄ちゃん爺やのリカバリーした画像から10年前の
4月に撮影した中央アルプスの雪景色なんか如何かしら?

少しだけでっけど、清涼の気分を味わって貰いまひょ。

(信州の駒ケ根駅前にて 名物の蕎麦で昼食)




(JR飯田線 駒ケ根駅舎)


4月と言えば首都圏や関西では桜の見ごろを迎えるころ。

でも信州の山岳部では、まだ春の兆しすら感じまへんのや。

(路線バスで しらび平駅へ)


中央アルプスの「しらび平駅」へは一般車両は乗り入れが禁止!

JR駒ケ根駅前かこの付近の駐車場で路線バスに乗り換えでんな。

背景の雪山は南アルプスの仙丈ヶ岳だと思いまぁ。

(路線バスから しらび平への登山道)






しらび平駅は、まだ5kmぐらい先なのに路面は雪景色に。

標高はそろそろ1500mを超えてきたようですわ。

バスの前方から眺めると雄大な雪山が近づいてきましたで。

(中央アルプスは 真っ白の風景)






JR駒ケ根駅前から路線バスで約40分ぐらいでした。

ここでロープウエーに乗り換えと成りますんや。

ここは早くも標高1662mもの高さになりまっせ。

(駒ケ根ロープウエー しらび平駅にて)






駐車場の車は山上のホテルかロープウエーの関係者かな?

一般の車両は許可がないと、ここには入れまへんので。

(駒ケ根ロープウエー しらび平駅にて)

約7分30秒で山上の千畳敷駅まで運んでくれますんや。

ここからロープウエーで高低差950mを一気に登りまっせ。

この高低差950mは現在でも日本一のはず。

それじゃ、ロープウエーの車中からの画像をご覧ください。







この日もこの付近で雪崩が発生して、雪崩の撤去作業中。

この付近で標高2511mの標識が鉄柱に書かれてまぁ。

そんな訳で午前中はロープウエーも運休してましたんや。









しらび平駅から約7分30秒で千畳敷駅に到着しましたで。

ここは標高が2612mで交通機関の駅としては日本一。

同時に鉄ちゃん爺やが登った一番高い所にもなりまんねん。

往復で現在は2060円とHPには掲げられてまぁ。

(千畳敷駅の 標高2612mの標識)






駅舎から一歩でると白銀の雪景色になりまっせ。

スニーカーのくるぶしまで雪に埋まる積雪ですわ。

ここは4月なのに冬がそのまま続いてる感じでんな。

(駒ヶ岳 千畳敷駅の周辺)




(駒ヶ岳の 宝剣岳)(標高2931m)


中央アルプスの中ではこの宝剣岳が鋭い三角形の岩山なんですわ。

この山に登るには夏場でも上級者に限られる厳しい高山だとの事。

この宝剣岳の裏側は木曽谷へとなって一気に落ち込んでますんや。

(千畳敷ホテル)


確か日本最高所で営業するホテルだったはず。

ロープウエーが年中無休なので千畳敷ホテルも
年中無休で営業をしているとか聞いたように思う。







夏には高山植物が咲き乱れるお花畑が、秋には真っ赤な紅葉が。

4月でしたのでアイゼンを着用しなければ歩くことが出来まへん。

スニーカーで標高2612mまで登れるので人気なんでっせ。

(レストラン千畳敷 喫茶室にて)




反対側を眺めると遠くに南アルプスの3000m級の山々が。

日本第二位の北岳 同じく第三位の間ノ岳 第二十位の仙丈ヶ岳

(南アルプスの 山々が遠くに)


肉眼では画像の右手に富士山の山頂だけが見えてるんだけど
デジカメでは残念ながら南アルプスの峰々しか写ってまへんな。

(南アルプスを背景に 記念撮影)


(南アルプス 間ノ岳 3190m)


GPSの測定で北アルプスの奥穂高岳と同じ高さと判明とか。

日本で第三位を分け合う山と発表され一躍有名になりましたな。

(南アルプス 仙丈ヶ岳 3032m)


最後に「ひかり苔」で有名な麓の光前寺の画像をご覧ください。

20年ぐらい前に実物を見たんですが4月は冬枯れで見れず。

(伊那谷の名刹 光前寺)






(ひかり苔が 見れる参道)


少しは暑さが涼しさに変わりましたかな?

ほんなら これで、今日はさいなら~♪




安芸の宮島から 広島市内へ

2017-07-08 19:54:44 | 旅行
(JR宮島口桟橋の マンホールの蓋)


このデザインはマニアさん達が公開しているブログでは
見当たらない、ノーマークで珍しい画像のようでっせ。

宮島港や厳島神社のある宮島町はいずれも廿日市市で
旧町のデザインでもなくJRが自前で作成した物かも?

廿日市市で標準の物は下記のような無難な柄ですわ。

(廿日市市の マンホールの蓋)(厳島神社の参道で撮影)


昼食も終わり歩き出したら雄鹿が付いてきますんや。

俺に ついてこいよ~ 

そんな感じで、鉄ちゃん爺やを誘導しまんねん。

気が付いたら「みやじマリン」という水族館前でした。

(鉄ちゃん爺やを 先導する雄鹿)


(市立 宮島水族館 みやじマリン)




水族館ちゅうのは、どこも入場料金が高いんですわ。

ここも大人=1400円  

スナメリの親子が可愛いとのキャッチフレーズでっせ。

騙されても仕方がないか、入場することにしまひょ。

(広島名物 牡蠣の養殖)




牡蠣イカダの下はこんな状態で育てられているんだって。

テレビでは観たことはあるけど、実物はこれが初めて。

(宮島水族館 大きな水槽の中)




鉄ちゃん爺やのコンデジでは、巧く写りまへんけど。

それではスナメリの親子にご対面しまひょ。

(スナメリの子供 チハルちゃん)








泳ぎ続けるので、カメラで追いかけるのが精一杯ですわ。

一眼レフカメラじゃないので、これぐらいにてご勘弁を。

(フンボルトペンギン)




記念に出口でコンパニヨンさんにお願いし写して貰いました。

昔は宮島町立の水族館だったのが2005年(平成17年)に
廿日市市に合併となり市立の水族館になったんだとか。

(宮島水族館前にて 撮影)


ここが歩いて訪れる一番西の端になるようですわ。

それでは元来た道を戻ることにしまひょかな。

(帰りは 鹿の親子がお見送り)


ここも「神鹿」として保護されてるけど、餌やり禁止!

賛否の両論があるようだけど、仕方がないんだろうな。

通行人の土産物など狙う獰猛なやつもいるんだって。

頭数を増やさないためにも必要なんだろうね。

奈良公園では殺傷することも一部だけど許可したとの話。

(観光用 案内標識)


(厳島神社 反橋を裏通りから撮影)(重要文化財に指定)


裏側じゃなくて勅使などが入場する表側になるんだよね。

当然ながら普段は通れないように柵で囲われてますわ。

(厳島神社 本殿を裏側から撮影)


(厳島神社 本殿越しに五重塔を撮影)


今回で5回目の参拝でしたが、あの五重塔には一度も行ってない。

これが最後の訪問になるかもしれないので、訪ねてみよう。

(石段の下から 五重塔を撮影)(重要文化財に指定)


(五重塔の 説明板)




室町時代に創建された貴重な五重塔なんだね。

ここで毛利氏と陶氏が有名な「厳島合戦」をしたんだけど
幸いにも兵火による焼失を免れたんだって。

両軍ともに厳島神社や大願寺などに兵火が及ばないように
離れた場所で決戦をした結果だとのこと。

(宮島の千畳閣) (現在は豊国神社)








戦国の戦乱で亡くなった将兵をお祀りするために
豊臣秀吉が毛利輝元に命じて造らせたお寺だって。

現在は豊臣秀吉と加藤清正をご祭神にしているとか。

豊臣秀吉の死亡で未完成な状態で残ったようですわ。

当時は神仏習合の時代だから厳島神社の別当寺として
厳島神社も合わせて管理し運営をしてたんだね。

明治になり仏像や仏具は隣の「大願寺」に移し替えて
「豊国神社」に変更されたんだと記されてますな。

現在は厳島神社の摂社の一つに成っているんだって。

でも元は寺院だったから、仏教形式の建物なんだ。

(厳島の最高峰 弥山 標高535m)


ここは「塔の岡」と呼ばれ少し高くなってますんや。

厳島の最高峰である弥山がはっきりと見渡せまっせ。

あの頂上に登れば瀬戸内海の美しい島並が見えるとか。

日本三景に安芸の宮島が選ばれた元来の姿なんだって。

明治の元勲である伊藤博文公が日本三景の中でも一番の
景色だと絶賛した言葉として今に伝わってますんや。

(新緑の樹木を通して 五重塔が)


(塔の岡 説明板)


有名な「厳島合戦」で大内方の陶晴賢(すえはるかた)が
此処に本陣を置いて毛利方を攻めるつもりだった。

毛利元就は夜半の風雨を付いて厳島に上陸し夜襲をかけ
陶晴賢はここから西へ逃れるも、味方の水軍がおらず
山中で自刃してしまったんだそうですわ。

これにより毛利氏は安芸の小領主から安芸・備後・周防
それに長門までの戦国大名に飛躍したそうでっせ。

なぜに陶晴賢は大軍を率いて山口からやってきて
こんな島に上陸したんでっしゃろか?

鉄ちゃん爺やのような素人でも首を傾げまんねん。

対岸で本陣を置いて部下を派遣すればいいのにね。

いくら謀略に載せられたにしてはお粗末な結末でんな。

それでは岡を降りながら宮島桟橋へ向かいまひょ。

石段を下ってたらこんな松がおましたで。

(塔の岡 龍髭の松)




京都の郊外に「善峯寺」というお寺がおますんやけど
ここにも、同じような松が植わってましたな。

どちらの松の方が長く伸びているんでしょうかな。

鉄ちゃん爺やは「善峯寺」の方が大きいと思いますんや。

後ろを振り返ったら五重塔が見えてまっせ。

これで見納めになるのかしら?

(宮島の 五重塔)


参道まで降りて厳島神社の大鳥居をもう一度見ましたで。

引き潮で大鳥居の側まで人が歩いて近づいてまんな。



スニーカーが汚れるのでデジカメで写すだけにしまひょ。

2時間ぐらいで海水が引いて歩けるようになりまんねんな。

(平清盛公 生誕九百年の幟)


(宮島桟橋の フェリー乗り場)


(宮島桟橋の フェリー待合室)




4年前にはもつと古い建物だったような記憶がしまぁ。

桟橋の部分などは10年前と変わってまへんけど。

何せ広島県では原爆ドームと、ここ厳島神社が観光の
双璧で外人さんの訪れも増えているようでっせ。

再びフェリーに乗船して宮島口桟橋までは約10分。

広島電鉄系の宮島松大汽船と料金も同じ180円。

(宮島口桟橋へ接岸)




行きはJRで来ましたが帰りはのんびりと広島電鉄の
路面電車で広島市内の紙屋町へ向かいまっさ。

(広島電鉄 広電・宮島口駅舎)


(広島電鉄・宮島線の 路面電車)


広島市内へはJRの方が早いんですが、観光などで
原爆ドームや平和公園へ行く場合は、広島電鉄ならば
原爆ドーム前という駅に直接行けまんねんで。

急ぐ旅じゃないので帰りは広島電鉄にしましたんや。

(原爆ドームを背景に 自撮り)


(広島市の中心街 紙屋町交差点)


(広島電鉄の 新型路面電車)


(広島電鉄 元の京都市電?)


広島電鉄の路面電車は黒字だそうですわ。

昭和時代から平成まで古い電車や新型車両まで
鉄道マニアには写真を撮る最高の場所でおます。

大阪の元市電や京都の元市電が昔のままの配色で
現在も走っているのには、ご立派の一言ですわ。

(広島市内 観光用道路標識)


(広島市 カープ坊やの マンホールの蓋)


このマンホールの蓋が有ることは知っていたんですが
今回は初めてJR広島駅の南口で見つけました。

今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は原爆の被災を逃れた袋町小学校や元日銀広島支店など
隠れた原爆の被爆地などを紹介させて貰いまひょ。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~🎵




鉄ちゃん爺や  羽黒山伏 & 月山弥陀ヶ原  

2016-09-10 17:16:59 | 旅行
羽黒山の山頂レストランで昼食を済まし
バス停留所附近で、休憩してたら
本物の山伏さんにお会いしましたんや。

(羽黒山伏さん)


まもなく到着する参拝者の案内をされるとか。

お許しを頂いて、写させて貰いましたんや。

ほら貝を吹きながら、到着した参拝者の一行を
出羽三山神社の方へ誘導しはりましたで。

(羽黒山伏の 装束)


首にかけておられる紐を太多須緒(ふとだすき)と呼び
出羽三山の「秋の峰入り」を3回以上も荒修行を
積んだ方のみが、着用を許されるシンボルなんだって。

額に付けるのを頭巾(ときん)と呼ぶんだね
知らなかった~  山伏さんの必需品でっかな。

羽黒山伏さんをインターネットから拝借しまひょ。

(荒澤寺からスタートする 天台宗系の山伏さん)




(出羽三山神社の 神道系の山伏さん)




頭巾(ときん)の下に鉢巻をするのが天台宗系の山伏?

荒澤寺からスターとするのが仏教系の山伏さん。

確かに神社系の山伏さんは額に頭巾(ときん)を
直に付けておられるようでんな。

現在は神道系の山伏さんと天台宗の仏教系の
山伏さんの二つが、羽黒町には存在しているようでっせ。

出羽三山では「秋の峰入り」という重要な行事がおますんや。

この画像はその際に撮影された物だと思いまんねん。

この「秋の峰入り」は申し込めば抽選でっけど参加でき
7日間の修行が終われば、山伏名が付与されるんだって。

地元の山伏さんも殆どが参加されるんで総員が150名を
超えるようで、6泊7日の荒修行だそうですわ。

2016年度は9月1日に無事に終了したそうでっせ。

因みに、一般の参加には1名=5万円を納めるとか。

(神子修行=みこしゅぎょう 女性の山伏さん)




平成5年(1993年)までは女人禁制だった出羽三山も
女性の参加が認められるようになったんだって。

ベニバナで染めた衣装を着用して、2泊3日の修行を
こちらは「神子修行=みこしゅぎょう」と呼びんだとか。

最近では60名の定員が抽選により選ばれるそうでっせ。

女性版の「秋の峰入り」と考えるようで、出羽三山の
15kmの山駆けや2446段の石段を昇り降りなど。

体力的な自信がないと参加できない荒行のようでんな。

こちらの参加料は1名=4万円だと記されてまっけど。

なんでも23回連続で参加している強者の女性が居て
反対に、毎年ながら2~3名の脱落者もでるんだとか。

(随神門に集合した 秋の峰入りの山伏さん)


勿論、「秋の峰入り」は男性の山伏さんばかりでっせ。

門の前に大先達さんが居て、この方は紫の紐の
太多須緒(ふとだすき)のお姿のようですわ。

羽黒山伏の最高の位を持つお方なんでしょうな。

(先達=せんだつ を先頭に山伏さんの一行)


山伏 「案内もうす~」 先達 「うけたもう~」

こんな山伏問答が聞こえてきそうな雰囲気でっしゃろ。

(一般参加の山伏さんかな?)


白装束に杖のみで、行列の後ろに付いてはる感じ。

「秋の峰入り」や「神子修行」は本格的な修行。

他にも「大聖坊」さんが主催される日帰りや2日間コース
3日間コースなどの、山伏修行の体験もできるんだって。

冬場は羽黒山だけに成るようでおますけど。

画像の白い髭姿の先達(せんだつ)さんが写ってまっけど
その「大聖坊」の星野さんだと、お見掛けしますんや。

山伏修行は白装束で山に入り、世俗の贖罪をし死の世界に至り
再び生まれ変わり、白装束で山を下りるという意味のようでんな。

修行中は顔も洗えず歯も磨けない髭も剃れないんだって。

風呂にも入れず、南蛮いぶしの荒行や、滝に打たれる水行
それに出羽三山を山駆けする体力が必要で、鉄ちゃん爺やには
とてもじゃないが、参加することは不可能でっしゃろな。

携帯電話やカメラや時計は持ち込み禁止で、女性なら化粧も
無しでピアスや指輪もダメ、ネイルやアクセサリーも禁止。

俗世を忘れて山籠もりするには良い体験かもしれまへんな。

興味の有る方は「羽黒山伏」で検索して頂けばと存じます。

因みに、奈良県の大峰山では現在も女人禁制が続く
修験道の霊場が現在も1か所だけ残ってまんねんで。



話が脱線しましたが出羽三山の最後の霊場である
月山(がっさん)の8合目へ向かいまひょ。

(月山高原ラインを 走行中)










昔は歩いて月山(標高1984m)の頂上を目指したんでっけど
現在は羽黒町から有料の登山道路が出来ていて約1時間チョイで
8合目の駐車場まで登ることができるようになったんだって。

麓の羽黒町から8合目までは約18kmのドライブでんな。

(樹木が途切れると 草原地帯に到着)






(月山8合目 駐車場にて)




ここは7月~9月までの3か月間しか入山できない
厳しい世界ですが、弥陀ヶ原と呼ぶ湿原地帯で
この時期は高山植物の宝庫なんだそうですわ。

標高が約1380m~1400mぐらいかな?

山頂には月山神社の本宮が在り、昔は官幣大社と呼ばれ
国家が修理や建て替えをする、格式の神社だったんでっせ。

鶴岡市のHPから月山の山頂を拝借しまひょ。

(月山=がっさん 山頂) (標高1984m)






月読命(つくよみのみこと)をお祀りする出羽三山では
最高の神様になるそうで、8合目駐車場からなら
まだ3時間ぐらい高原を、歩くその先に在るんだって。

出羽三山では月山神社が死後の世界を意味するそうで
昔はここから、歩いて湯殿山まで約3時間かけて
下った処に、湯殿山神社が在るんだって。

現在は、山伏修行の方しか通らないコースでっしゃろな。

(月山 9合目付近)


今回は月山の山頂には行けませんので、湿原地帯の中に
御田原神社がおますんで、そこでご朱印を頂きまひょ。

御田原神社の、ご祭神はスサノウノミコトの
二人目の奥さんだとのこと。

(月山神社 中之宮で ご朱印)






(ウサギが 月山神社のお使いなんだ)


(月山の山頂まで 約2時間30分の標識)


それでは弥陀ヶ原を散策してみることにしまひょ。

この日は梅雨明けの雷雨のなかでの散策でしたので
視界が悪い画像しか残ってまへんのや。

(月山の8合目 弥陀ヶ原 湿原)








(高山植物の 日光キスゲ)




(高山植物だけど 花の名前が不明)








出羽三山とは独立峰が三つある訳じゃおまへんのや。

主峰の月山(がっさん)を南へ下りかけた標高1500mの
地点に湯殿山があり、その中腹にあるのが湯殿山神社。

月山を反対に北へ下り麓に近い標高414mの丘陵地帯が
羽黒山(はぐろさん)と呼ばれてますんや。

だから出羽三山のお参りは、羽黒山 ⇒ 月山 ⇒ 湯殿山 と
廻れば、月山に登り最後に再び羽黒町に戻ってくる訳でんな。

(最後に 庄内平野から見た 月山)


冬場は豪雪地帯の厳しい山でっけど、遠くから眺めたら
なだらかな、高原状の山が月山と言えまっしゃろか。

だから滑落するような事故は考えられず、湯殿山への
険しい「行者返し」と呼ばれる岩場もおますけど
全体としては女性的な山とも言えますかな。

出羽三山巡りはこれでお仕舞になりまっせ。

次回は名峰の鳥海山と庄内平野の巻きを紹介し
旅行の最終編とする予定でおます。

ほんなら、これで、さいなら~🎵