(我が家の庭に 皇帝ダリア)
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昨年は失敗した皇帝ダリアが今年はやっと咲いてくれましたんや。
お隣の屋根よりも高いおそらく4mぐらいの高さの所に花が咲いてまっせ。
話は、変わりまっけど四国・讃岐の旅を中断して今回は
京都御所の一般公開に行った時の画像を紹介しまひょ。
(スルットKANSAI) (3000円)
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ご存知かも知りまへんけど、京都御所は春と秋に各々一週間だけ
一般公開されますんや。
ネットやハガキで宮内庁京都事務所へ申し込めば平日なら予約で
見学できるが、紫宸殿(ししんでん)は確か除外されているはず。
だから紫宸殿(ししんでん)を間近で見たいんだったら
春と秋の一般公開しかおまへんのや。
(京都御所 一般公開のパンフレット)
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わてが~京都御所の一般公開に行くのは10年ぶりで2回目ですわ。
この日は他にも三十三間堂なども廻り2万歩以上は歩きましたで。
今、考えたら大腿二頭筋を痛める直前の11月2日の土曜日でしたんや。
(京都市営地下鉄 今出川駅)
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バスも通ってまっけど、地下鉄の今出川駅が一番最寄りの駅でっしゃろな。
ここから歩いて10分ぐらいの乾御門(いぬいごもん)か
15分ぐらいの中立売御門(なかたちうりごもん)へ向かいまんねんで。
ほんなら~ ぼちぼち行きまひょか。
(京都御苑 乾御門)
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この乾御門(いぬいごもん)は烏丸通(からすまとおり)に面し四つある
御門の中で一番北側にある入口になりますんや。
この御門を潜ったらそこは京都御苑と名付けられた広大な敷地で
東西700m 南北1300m もある国の所有地でっせ。
京都御所・大宮御所・仙洞御所だけが宮内庁の管轄で
あとは環境省の管轄なんだって。
京都御所だけで11万㎡ 京都御苑全体では91万㎡ にもなりまんな。
(京都御所の 築地塀) (東西249m 南北451m)
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京都御所はこの築地(ついじ)と呼ばれる塀で四方が囲まれてますんや。
外側の道は環境や風景に合わせて砂利の道が続いてまっせ。
この画像からは一般公開の入口である「宣秋門」(ぎしゅうもん)は見えまへん。
手前に見える門は「皇后門」で江戸時代にはここから入れるのは皇后さんと
若宮や姫宮さまだけで、奥には「皇后宮常御殿」(こうごうきゅうつねごてん)が
現在も残ってますがここは一般に公開はされてまへん。
(京都御所 宣秋門=ぎしゅうもん)
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元々は公家衆や宮家の親王さん又は門跡が御所に参内する際に
使われた公卿門(くぎょうもん)なので立派な造りになってまっしゃろ。
この門を老齢になった五摂家の大臣でも牛車で通り抜けるには
天皇の発する「牛車の宣旨」がなければ許可されなかったんだって。
毎年5月に行われる「葵祭」の行列はこの門から出発するんだっせ。
ここで手荷物の中身を検査されてから、参観することになりまんねん。
(京都御所 御車寄=おくるまよせ)
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宣秋門(ぎしゅうもん)を潜って右へ曲がるとこの御車寄(おくるまよせ)に
なってますんや、昔は参内する人は履物を脱いで玄関から上がったんでんな。
この玄関から先は「諸大夫の間」や「小御所」や「清涼殿」と廊下で
繋がっているようですわ。
(諸大夫の間=しょだいぶのま)
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昔は五位以上の位を持たないと御所に参内し御殿に上がることが出来ませんでした。
春日局が無位無官で参内し後水尾天皇に拝謁した事件がおましたな。
六位以下の位しか持たなかったら、この部屋にも入れないんだっせ。
(諸大夫の間 桜の間)
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従五位下という昇殿するのに最低の資格しか持たない大名や京都所司代などは
この桜の襖絵が描かれた「桜の間」で控えることになりますんや。
本来の諸大夫の間とは、この「桜の間」の事なんですが次に掲げます
「鶴の間」「虎の間」も合わせて諸大夫の間と呼んでいるようでんな。
(諸大夫の間 鶴の間)
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赤穂義士に登場する吉良上野介は四位の位を持つ身分なので
おそらく、この「鶴の間」で控えてから殿上へ上がったんと違いまっしゃろか。
(諸大夫の間 虎の間)
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三位でも無官の者や五摂家の後継予定者や並みの公家衆はここで控える
こんな想像で正解でっしゃろかしら。
この奥には「殿上の間」と言うのが有ると書かれてますんで
関白や大臣それに大納言クラスは、ここを使ったんでしょうな。
(京都御所 新御車寄=しんみくるまよせ)
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1915年(大正4年)大正天皇の即位の礼に際して新しく造られた車寄せで
大正以降は天皇皇后両陛下が京都御所へこられたときはここが玄関になります。
(京都御所 月華門=げっかもん)
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紫宸殿(ししんでん)とその前にある南庭を取り囲む形で朱塗りの回廊が
続いていますので、その回廊を先の方へ歩いて進むことになりまんねん。
(京都御所 承平門=しょうへいもん)
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江戸時代にはもう使われなくなり形だけが残る門ですが、本来はこの奥にある
紫宸殿(ししんでん)で行われる重要な儀式に文官がこの門を潜ってから
南庭に整列すると言うのが平安時代初期までは実施されたんでしょうな。
(京都御所 建礼門=けんれいもん)
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建礼門(けんれいもん)は京都御所の南側中央にある正門で元は天皇陛下しか
通れない重要な門でしたが
戦後は天皇陛下と同伴ならば皇后陛下も通れるようになったそうですわ。
それに国賓で訪れる元首にも開門することが認められているんだって。
この門を外から撮影した昨年の画像がおますんで貼り付けて置きまひょ。
(京都御所 建礼門=けんれいもん) (外側から 2012年6月撮影)
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この建礼門を見ながら朱塗りの回廊を左に曲がると遠くに
建春門(けんしゅうもん)が見えてますな。
(京都御所 建春門=けんしゅうもん)
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この門は本来は天皇の使いである勅使が出入りしたので「勅使門」とも呼ばれ
正門である建礼門に次ぐ立派な構造で出来てますんや。
現在は皇后陛下や皇太子の出入りする御門となっているそうで
諸外国の首相クラスの訪問の際にも開門される事があるんだって。
同じようにこの健春門も昨年に外から写しているので貼り付けて置きまっさ。
(京都御所 建春門=けんしゅうもん) (外から 2012年6月撮影)
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朱塗りの回廊には朝廷ゆかりの寺院から生花が飾られてますな。
(大本山・大覚寺 嵯峨御流)
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嵯峨野の大覚寺で平安時代の嵯峨天皇が生み出した華道の流派だそうです。
(総本山・仁和寺 御室流)
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(御寺・泉涌寺 月輪未生流)
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現在の天皇家は仏教には帰依されてませんが、江戸時代にはこの泉涌寺が
天皇家の菩提寺で歴代の天皇陵もこの近くに多く埋葬されてますんや。
それでは~ 普段は見れない紫宸殿(ししんでん)へ向かうことになりまっせ。
(京都御所 紫宸殿=ししんでん)
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朱塗りの回廊の東側に在る「日華門」(にっかもん)から入場しますんや。
大きく立派な宮殿が見えて来ましたで、紫宸殿(ししんでん)と言いますんや。
手前に見える木が「左近の桜」で天皇が南面して左側という事になりまっせ。
日華門から入場して左近衛の武官がこの前に整列したという由来ですわ。
わてのデジカメでは紫宸殿の全景が入らないのでパンフレットから拝借。
(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (宮内庁の資料より拝借)
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この紫宸殿(ししんでん)は重要な儀式に使われるので「正殿」と呼ばれます。
大正天皇・昭和天皇はこの紫宸殿で即位の礼を行われました。
戦前の皇室典範には即位の礼は京都御所で執り行うと記載されてたそうです。
(紫宸殿から 南庭を通して承平門を望む)
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(京都御所 紫宸殿の編額)
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江戸時代末の著名な書家が書いた扁額だそうですが名前は忘れましたけど。
奥に見えるのが天皇陛下が座られる「高御座」(たかみくら)ですよ。
ズームアップしてみましょう。
(京都御所 紫宸殿の高御座)
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「高御座」の右側には皇后陛下が座られる「御帳台」(みちょうだい)も
置かれていますが画像には写っていまへん。
戦後の皇室典範では即位の礼は何処で執り行うかの記載がありません。
今上天皇の即位の礼に際しこの「高御座」と「御帳台」は解体の上
東京へ移送し皇居の正殿の間で即位の礼に使用されたんでっせ。
即位の礼が終わったら元の京都御所へ戻されたという訳でんな。
都は東京へ遷都されても天皇家の本籍は今も京都御所に有り
紫宸殿という大事な宮殿に天皇の「高御座」が置かれている事になりまんねん。
(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (南西側から撮影)
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画像の男性の頭越しに見える木が「右近の橘」で同じように月華門から入場した
右近衛の武官がこの橘の木の前に整列したんでっせ。
二つ合わせて「左近の桜」「右近の橘」は紫宸殿だけじゃなくて日本の
お雛飾りにも伝統として今も残されてまっしゃろ。
(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (西側の側面を撮影)
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紫宸殿は入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の高床式宮殿と言う
建築方法で横から見るとその特徴が良く分かりまんな。
それじゃ~ 次の清涼殿(せいりょうでん)という宮殿へ向かいまひょ。
(紫宸殿と殿上の間を 結ぶ回廊を超えて進む)
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(京都御所 清涼殿=せいりょうでん)
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平安時代には天皇が日常生活をされる場所でしたが、江戸時代には
別の「御常御殿」(おつねごてん)などが出来て変化したそうでんな。
それでも源氏物語などにも登場する「清涼殿」は形式化したと言えども
京都御所では重要な建物として再建が続けられたようです。
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)寝殿造りという建て方になってますな。
(京都御所 清涼殿=せいりょうでん) (御帳台と厚畳)
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清涼殿(せいりょうでん)の中央にはご休息用の「御帳台」(みちょうだい)が
置かれていて、その前にある厚畳は「昼御座」(ひのおまし)と呼ぶ御座である。
屏風の前の漆喰で固めた「石灰の壇」(いしばいのだん)と呼ばれる所で
天皇は地面になぞらえ伊勢神宮などを遥拝されたそうでっせ。
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清涼殿(せいりょうでん)の東に面する所に二種類の竹が植えられてますんや。
(清涼殿前に植えられた 呉竹 & 漢竹)
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(京都御所 清涼殿の全景)
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清涼殿(せいりょうでん)を後にして歩き出したら紫宸殿の裏手にこんな
場所を見つけましたで。
(清涼殿の裏手に 陣の座)
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平安時代にはここで参議や大納言クラスの公卿7~8人が重要な人事や法律を
施行する前に協議して賛否を決めたんだそうでんな。
江戸時代には形式だけに成りましたんやけど、征夷大将軍の官職も討議した上で
天皇がその「陣の座」の結論を踏まえて勅令や宣旨を発したそうですわ。
徳川将軍も形式的にはこの「陣の座」で決められたという事になりますんや。
(十六弁菊の 御紋が入った瓦)
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又もや回廊をくぐり抜けて今度は明治維新の王政復古の舞台になった
小御所(こごしょ)の方へ向いまっせ。
(庭園越しに 小御所の屋根を撮影)
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小御所(こごしょ)は寝殿造りと書院造りの両要素が混合した様式の建物ですな。
江戸時代には諸種の儀式が行われ武家との対面にも用いられたそうですわ。
(京都御所 小御所=こごしょ)
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1867年(慶応3年)12月9日にこの小御所で王政復古の大号令が発せられ
その夜に「小御所会議」がここで行われたそうでっせ。
徳川幕府討伐の密勅が決まり鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へと
時代が大きく変化した歴史の舞台がここ小御所(こごしょ)でしたんや。
残念ながら1954年(昭和29年)に焼失し現在の小御所の建物は
1958年(昭和33年)に再建された物やそうですわ。
長くなりますので今日はこれでお仕舞いにして、後半は次回にさせて貰いまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~