鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  こんな画像だけでご免なさい~♪

2014-01-17 08:30:53 | 日記
PCが一週間ほどダウンしてしまい画像の取り込みが遅れてますんや。

今日はこんな画像だけでご免だっせ~♪

(マスコット キャラクター)


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我が町のマスコット キャラクターでおます。

デラウエア種の葡萄が特産品なんでデザインしたようでんな。

(我が家の庭で 狂い咲きの時計草)


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時計草って夏に咲く花なのに、なんでちゅう感じ。

我が家でサツキは狂い咲きをしますんやけど、時計草は初めて。

土日と山陰の浜坂まで「カニ喰いツアー」に出かけますんや。

雪景色と松葉ガニがデジカメで写せるかな?

ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいまっさ。


鉄ちゃん爺や  寒中お見舞い申し上げます

2014-01-02 16:49:13 | 日記
本年も宜しくお願いしますね。

大阪は雲の多いお天気ですが、穏やかなお正月ですよ。


(鉄ちゃん爺や 寒中お見舞いの ハガキ)


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息子は会社のパソコンのOSをXPからウインドウズ7に変更で
30日には会社で徹夜をしたんだって。


鉄ちゃん爺や 何故に、ウインドウズ8にしないの?

鉄ちゃん二世 ウインドウズ8は CADと呼ばれるソフトが使えないから。

鉄ちゃん爺や 普通のインターネットなら、どちらでも良いんかい?

鉄ちゃん二世 設計に使うPCだからウインドウズ7にしたんだ。

        普通に使うのなら、どちらでも良いんだけど。

鉄ちゃん爺や 素人ならPCを新しく買ってデーターを移管だよね。

鉄ちゃん二世 何せ,工場と支店で約2000台のPCがあるんでね。

鉄ちゃん爺や そりゃ,2000台も買い替えは出来ない訳だ。

鉄ちゃん二世 だから,バックアップを取ってから、

        ハードディスクを一旦はフォーマットして

         OSのウインドウズ7を入れるんだ。

鉄ちゃん爺や それじゃ,サーバーを使って一気にやるのかい?

鉄ちゃん二世 分かりやすく言えばそんな感じかな。

鉄ちゃん爺や 31日に動かして、一応はOKだったんだね。

鉄ちゃん二世 まあ~細かいところは色々と出てくると思うんだけど。


(息子夫婦と 孫娘)


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鉄ちゃん二世君、少しお疲れの顔に見えますよ。

本日2日の午後から早くも帰路に付きましたけど。

(鉄ちゃん爺や  愚妻と 鉄ちゃん三世)


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年末にハードな仕事があるんで帰らないとか、言ってたんだけどね。

孫たちの大阪へ行く~ の声に負けたのかもしれませんな。

そりゃ~ 孫たちはお年玉が欲しいからだよね。

大阪は元日は雲の多いお天気で、初日の出はほとんど見れなかったはず。


(石川河川敷から 金剛山と葛城山)  (平成26年1月元旦 午前11時撮影)


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大阪はこんな感じの元旦でしたね。

奥の山が金剛山(1112m)で手前が葛城山(950m)ですよ。

さほど寒くなない穏やかなお天気で、おますけど。

(石川橋梁を渡る 近鉄電車)


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河川敷では孫二人がサッカーの真似事をやってますな。

上の孫は地元のサッカー部の準レギュラーで頑張ってるんだって。

(鉄ちゃん爺やの  孫二人)


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最後に我が家の庭の花を貼り付けておきますかな。

キャベツみたいな葉ぼたんですが形だけは綺麗かな。


(葉ぼたん)


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寒椿もクリスマス頃から咲き出してきましたよ。

今年は蕾が多く付いているから3月まで咲いてくれそうですな。


(寒椿)


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それじゃ~ 今日はこれで失礼しまひょ。

良いお正月をお過し下さいね。




鉄ちゃん爺や    大阪の黒門市場を散歩

2013-12-28 18:56:21 | 日記
今年最後のブログは大阪の黒門市場を紹介しまひょ。

大阪のミナミを代表する市場だっせ。

卸売り市場じゃなくて素人でも買えるので商店街のような感じ。

(日本橋1丁目 道路標識)


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お江戸は日本橋(にほんばし)でっけど

大阪は日本橋(にっぽんばし)と呼びますんや。

大阪人は住所を縮めて日本橋1丁目を「日本一」(にっぽんいち)

わてらのような年配者だったら、これで通用しまんねんで。

天神橋筋6丁目が「天六」 谷町4丁目が「谷四」

上本町6丁目が「上六」 こんな感じでっけど。 

南北の堺筋と東西の千日前通りが交差するのが日本橋1丁目でおます。

ここから徒歩で3分ぐらい千日前通りの一つ南を東へ入るか
それとも堺筋の一つ東側の筋が黒門市場だっせ。

(黒門市場 堺筋側の入口)  (大阪市中央区日本橋1丁目&2丁目)


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ここ黒門市場は江戸時代の後半に「圓明寺」(えんみょうじ)というお寺の
山門の東側に青空市場が出来たのがルーツなんだって。

このお寺の名前を拝借して明治時代には「圓明寺市場」(えんみょうじいちば)
と呼ばれていたそうですわ。

1915年(明治45年)にミナミの大火でお寺も市場も焼失してしまったとか。

大正時代に市場が再建されて「圓明寺」の山門が黒く塗られていた由来から
何時の間にか人々が「黒門市場」と呼ぶようになったと言われてますんや。

お寺の方は東住吉区の矢田に同じ名前があるのでここへ移設されたのかも?

(黒門市場の風景)


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黒門市場は鮮魚店が50店舗以上あり全体でも四割近くになりまんねんで。

秋から冬にかけて大阪人は本物の「ふぐ」を食べる事にこだわるとか。

この季節なら黒門市場は「ふぐ」のオンパレードのような感じでっせ。

(黒門市場 ふぐ 太政)


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わてのお勧めはここ「ふぐ 太政(ふとまさ)」さんの持ち帰り専門店でおます。

山口県の下関から空輸して来た「とらふぐ」をその場で調理してくれますんや。

わてが昔、馴染みにしていた割烹さんなども、ふぐ調理の免許がないので
ここで調理したのを買ってきてお客に提供してましたんや。

この時期、大阪では「てっちり」や「てっさ」が無いと流行りまへんで。

ミナミの飲食店では「ふぐ中毒」を恐れて黒門市場で調理済みの
「ふぐ」を買うのが安心という信頼関係かもしれまへん。

最近は大きい声では言えまへんけど「ふぐもどき」を出すらしい安い店が
チエーン店まで作って「ずぼ●や」なんていう飲食店もおます。

それでも本物の「とらふぐ」が食べたいというのが庶民の願いですわな。

平日は黒門市場を訪れる客は1万人ぐらいでっけど、年末の大晦日などは
1日で15万人が押し寄せるという盛況がみられまっせ。

食い倒れ大阪の味を代表するのがここ黒門市場でおます。

(ふぐの刺身 てっさ) (1人前 1500円)


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最近は長崎県で「とらふぐ」の養殖も行われているそうで
「ふぐ」も年間を通して食べることができるようになったんだって。

(ふぐの鍋物 てっちり) (1人前3000円)


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骨の周りに、ぼってりと付く身は、てっちりにしたら
身ばなれが良く極上の白身で上品な味でっせ。

本物の「とらふぐ」を食べたら、最近の安もんの飲食店で出される
「ふぐもどき」とはひと味もふた味も違いがおますんや。

(ふぐ 太政 日本橋店)


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このお店は、わてが現役時代に本物の「ふぐ料理」を食べた事が無いと
いう方に会社の接待で、ちょこちょこ使わしてもらった専門店でおます。

コースで「てっさ」「唐揚げ」「てっちり」最後に「ふぐ雑炊」を食べたら
1人前が1万円~1万5千円ぐらいしましたかな。

「ふぐもどき」なら1人前のコース料理でも5千円でおつりが来ますやろ。

でも味の方は月とスッポンぐらいの違いがおますかな。

(黒門市場の風景)


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もしも~ 大阪へ冬場に来られる機会があれば地下鉄「日本橋駅」から
10番出口を出て、徒歩で3分の黒門市場へお立ち寄りください。

ふぐ販売のお店が1階の奥の方や2階で「ふぐ料理」を提供する店も増えてま。

1人前が1万円ぐらいしまっけど、騙されたと思って
一度だけ賞味しておくれやす。

本年はわての拙いプログにお付き合い頂きありがとうさんでした。

皆さま方には、良い新年をお迎えされますように、お祈りしております。

ほんなら、これで、さいなら~

鉄ちゃん爺や  京都御所を訪ねる    (後編)

2013-11-30 16:00:14 | 日記
京都御所の後編をやらせてもらいまっさ~♪

(京都御苑 見取り図)


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京都御所の一番下に白く写っている処が
紫宸殿(ししんでん)の南庭でっせ。

この画像で上に見える建物が紫宸殿で
その右上にやや大きく見えるのが小御所(こごしょ)で
前回はここまで、お話させてもらいました。

今回の一般公開では京都御所の南側のほぼ半分ぐらいを
拝観できたちゅうことになりまんねん。

(京都御所 & 大宮御所の築地)(左=大宮御所 正面=京都御所)


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現在の京都御所は歴史の勉強で教わった桓武天皇の
平安京の内裏ではおまへんで。

桓武天皇が造営された平安京は現在の
JR二条駅の東側近くに在ったんやそうな。

何度も火災に会いその度に天皇は貴族の邸宅に移り
「里内裏」(さとだいり)と
呼ばれる仮の御所に移られたそうですわ。

その内に平安時代の末には桓武天皇の造られた平安京の内裏は
再建されずに里内裏(さとだいり)が
京都御所になってしまったようでんな。

現在の京都御所は「土御門東洞院殿」(つちみかどひがしのとういんどの)
と呼ばれる鎌倉時代に両統が並立した頃の持明院派の里内裏でしたんや。

1331年(元弘元年)光厳天皇(こうごんてんのう・北朝初代)が
ここで即位されて以後、1869年(明治2年)明治天皇が東京へ
遷られるまで皇居とされたのが現在の京都御所でおます。

江戸時代初期から整備されて京都御所の規模は大きくなったようでっけど。

京都御所は江戸時代だけで8回も焼失しその都度再建されたようで
現在の建物の大半は1855年(安政2年)に再建されたと書かれてましたで。

前置きが長くなりましたけど、京都御所の小御所(こごしょ)へ戻りまひょ。

(京都御所 小御所=こごしょ) (飾られていた雅楽の人形)


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小御所(こごしょ)の北側に小さい広場がおますんや。

丁度、小御所と御学問所(おがくもんじょ)の合間になりまんな。

(京都御所 蹴鞠の庭)


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ここで蹴鞠が行われ天皇も御学問所(ごがくもんじょ)から見物されたとか。

現在でも外国から要人が来られたときには宮内庁の蹴鞠担当が
この庭で優雅な蹴鞠の実演をしてお見せするそうでっせ。

(京都御所 御学問所=ごがくもんじょ) (蹴鞠の庭 付近から撮影)


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ここは御読書始めの儀や和歌の会など学芸関係のほか、天皇が臣下と
対面される行事にも用いられた建物だそうでんな。

入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)で書院造りの建物になってますわ。

この御学問所と小御所の両方に面して東側は日本庭園になってますんや。

(京都御所 御池庭=おいけにわ)


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池を中心にした回遊式庭園で手前の洲浜から舟着の飛び石を配置し
対岸には樹木を配し欅橋が架かり様々な景色を楽しめる工夫がされてますんや。

回遊式庭園でっけど写真を写せるだけで、庭園には立ち入りが禁止されてまんな。

10年前に拝観した時はここでお仕舞いでしたが、今回は
もう一つさきの「御常御殿」(おつねごてん)まで見学させてもらえましたで。

(京都御所 御常御殿=おつねごてん)


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16世紀末に清涼殿(せいりょうでん)から移し替えて天皇が日常のお住まいに
使用される御殿として独立して建てられる様に成ったそうですわ。

京都御所内では最大の面積を持ち、内部は15部屋からなる
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の書院造りになってますな。

東側は御内庭(ごないてい)が配されているので全体を画像に収めるのは無理。

(京都御所 御常御殿=おつねごてん)


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明治天皇は東京へ遷られるまでは、この御常御殿にお住まいをされていたとか。

この建物は1855年(安政2年)の完成なのでその当時のままで
現在も保存されているちゅうことになりますんや。

(京都御所 御内庭=ごないてい)


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この御内庭(ごないてい)を含めて御常御殿(おつねごてん)から先は(北側)
天皇の私的な奥向の御殿と称されていますよ。

この奥には「皇后宮御常御殿」(こうごうきゅうおつねごてん)などが有り
これから奥には一般の人は入れないようになってますんや。

通路の折り返し地点にこんな立札と建物がおました。


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(京都御所 御涼所 & 迎春)


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普段はここ迎春(こうしゅん)の北の間に設置されている「花鳥図」と呼ぶ襖絵が
今回は特別に展示されていて今回しか見れない物なので貼り付けて置きまひょ。

御常御殿(おつねごてん)を通り越して御学問所の裏手に展示されてましたな。

(京都御所 花鳥図の襖絵)


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(京都御所 御三間=おみま)


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ここは天皇家の私的な行事に使われた建物で「七夕」「雛祭り」「盂蘭盆会」等が
行なわれたようで裏側で御常御殿(おつねごてん)と繋がっているような感じ。


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ここで京都御所の拝観はお仕舞いで出口の方へ向かうことになりまっせ。

振り返ったら御常御殿(おつねごてん)と御三間(おみま)の屋根が
夕日を浴びて綺麗に見えてましたので写しましたんや。


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その右手には御学問所(おがくもんじょ)の屋根だと思いまんねんけど。


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(京都御所 青所門=せいしょもん)


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春と秋の一般公開ではこの青所門(せいしょもん)が出口になりますんや。

普段に申し込んで平日に拝観すると時はここが入口と出口になりまっせ。

この門は年間を通して開門されていて皇宮警察の方が門前に控えてますんや。

この青所門(せいしょもん)は京都御所の通用門という感じですな。

皇子・皇女が初めて参内するときはここから入場したんだって。

六位以下の身分の低い者や下級役人もここが入口だったんでしょうな。


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御所善哉っちゅうのは、お餅は入ってない小豆と汁だけでしたわ。

(京都御苑の松林から 青所門を撮影)


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(京都御所 蛤御門=はまぐりごもん)


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1864年(元治元年)長州藩の軍勢がこの辺りで御所を警備していた
会津藩・薩摩藩と激突し歴史上で有名な「蛤門の変」と呼びますな。

長州藩が負けて南へ引き揚げる際に長州びいきだった京都の町屋を
会津と薩摩が焼き払った「どんどん焼け」という大火になりましたんや。

御所の南から現在のJR京都駅付近まで東は寺町通りから堀川通まで
現在の京都市内の中心部が丸焼けになりましたんや。

その当時の銃弾の跡が蛤御門の柱に今でも残ってまっせ。

この蛤御門は江戸時代には閉まってましたんで「禁門」とも呼ばれ
この「蛤門の変」を「禁門の変」と書かれた書物もおますかな。

これでわての~ 京都御所訪問のブログはお仕舞いでっせ。

次回は四国・讃岐の旅から岡山は吉備路の旅と称し続きをやらせてもらいまひょ。

ほんなら、今日はこれでさいなら~♪





鉄ちゃん爺や  京都御所を訪ねる

2013-11-24 20:02:13 | 日記
(我が家の庭に  皇帝ダリア)


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昨年は失敗した皇帝ダリアが今年はやっと咲いてくれましたんや。

お隣の屋根よりも高いおそらく4mぐらいの高さの所に花が咲いてまっせ。

話は、変わりまっけど四国・讃岐の旅を中断して今回は
京都御所の一般公開に行った時の画像を紹介しまひょ。

(スルットKANSAI) (3000円)


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ご存知かも知りまへんけど、京都御所は春と秋に各々一週間だけ
一般公開されますんや。

ネットやハガキで宮内庁京都事務所へ申し込めば平日なら予約で
見学できるが、紫宸殿(ししんでん)は確か除外されているはず。

だから紫宸殿(ししんでん)を間近で見たいんだったら
春と秋の一般公開しかおまへんのや。

(京都御所 一般公開のパンフレット)


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わてが~京都御所の一般公開に行くのは10年ぶりで2回目ですわ。

この日は他にも三十三間堂なども廻り2万歩以上は歩きましたで。

今、考えたら大腿二頭筋を痛める直前の11月2日の土曜日でしたんや。

(京都市営地下鉄 今出川駅)


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バスも通ってまっけど、地下鉄の今出川駅が一番最寄りの駅でっしゃろな。

ここから歩いて10分ぐらいの乾御門(いぬいごもん)か
15分ぐらいの中立売御門(なかたちうりごもん)へ向かいまんねんで。

ほんなら~ ぼちぼち行きまひょか。

(京都御苑 乾御門)


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この乾御門(いぬいごもん)は烏丸通(からすまとおり)に面し四つある
御門の中で一番北側にある入口になりますんや。

この御門を潜ったらそこは京都御苑と名付けられた広大な敷地で
東西700m 南北1300m もある国の所有地でっせ。

京都御所・大宮御所・仙洞御所だけが宮内庁の管轄で
あとは環境省の管轄なんだって。

京都御所だけで11万㎡ 京都御苑全体では91万㎡ にもなりまんな。

(京都御所の 築地塀) (東西249m 南北451m)


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京都御所はこの築地(ついじ)と呼ばれる塀で四方が囲まれてますんや。

外側の道は環境や風景に合わせて砂利の道が続いてまっせ。

この画像からは一般公開の入口である「宣秋門」(ぎしゅうもん)は見えまへん。

手前に見える門は「皇后門」で江戸時代にはここから入れるのは皇后さんと
若宮や姫宮さまだけで、奥には「皇后宮常御殿」(こうごうきゅうつねごてん)が
現在も残ってますがここは一般に公開はされてまへん。

(京都御所 宣秋門=ぎしゅうもん)


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元々は公家衆や宮家の親王さん又は門跡が御所に参内する際に
使われた公卿門(くぎょうもん)なので立派な造りになってまっしゃろ。

この門を老齢になった五摂家の大臣でも牛車で通り抜けるには
天皇の発する「牛車の宣旨」がなければ許可されなかったんだって。

毎年5月に行われる「葵祭」の行列はこの門から出発するんだっせ。

ここで手荷物の中身を検査されてから、参観することになりまんねん。

(京都御所 御車寄=おくるまよせ)


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宣秋門(ぎしゅうもん)を潜って右へ曲がるとこの御車寄(おくるまよせ)に
なってますんや、昔は参内する人は履物を脱いで玄関から上がったんでんな。

この玄関から先は「諸大夫の間」や「小御所」や「清涼殿」と廊下で
繋がっているようですわ。

(諸大夫の間=しょだいぶのま)


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昔は五位以上の位を持たないと御所に参内し御殿に上がることが出来ませんでした。

春日局が無位無官で参内し後水尾天皇に拝謁した事件がおましたな。

六位以下の位しか持たなかったら、この部屋にも入れないんだっせ。

(諸大夫の間 桜の間)


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従五位下という昇殿するのに最低の資格しか持たない大名や京都所司代などは
この桜の襖絵が描かれた「桜の間」で控えることになりますんや。

本来の諸大夫の間とは、この「桜の間」の事なんですが次に掲げます
「鶴の間」「虎の間」も合わせて諸大夫の間と呼んでいるようでんな。

(諸大夫の間 鶴の間)


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赤穂義士に登場する吉良上野介は四位の位を持つ身分なので
おそらく、この「鶴の間」で控えてから殿上へ上がったんと違いまっしゃろか。

(諸大夫の間 虎の間)


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三位でも無官の者や五摂家の後継予定者や並みの公家衆はここで控える
こんな想像で正解でっしゃろかしら。

この奥には「殿上の間」と言うのが有ると書かれてますんで
関白や大臣それに大納言クラスは、ここを使ったんでしょうな。

(京都御所 新御車寄=しんみくるまよせ)


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1915年(大正4年)大正天皇の即位の礼に際して新しく造られた車寄せで
大正以降は天皇皇后両陛下が京都御所へこられたときはここが玄関になります。

(京都御所 月華門=げっかもん)


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紫宸殿(ししんでん)とその前にある南庭を取り囲む形で朱塗りの回廊が
続いていますので、その回廊を先の方へ歩いて進むことになりまんねん。

(京都御所 承平門=しょうへいもん)


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江戸時代にはもう使われなくなり形だけが残る門ですが、本来はこの奥にある
紫宸殿(ししんでん)で行われる重要な儀式に文官がこの門を潜ってから
南庭に整列すると言うのが平安時代初期までは実施されたんでしょうな。

(京都御所 建礼門=けんれいもん)


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建礼門(けんれいもん)は京都御所の南側中央にある正門で元は天皇陛下しか
通れない重要な門でしたが
戦後は天皇陛下と同伴ならば皇后陛下も通れるようになったそうですわ。

それに国賓で訪れる元首にも開門することが認められているんだって。

この門を外から撮影した昨年の画像がおますんで貼り付けて置きまひょ。

(京都御所 建礼門=けんれいもん)  (外側から 2012年6月撮影)


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この建礼門を見ながら朱塗りの回廊を左に曲がると遠くに
建春門(けんしゅうもん)が見えてますな。

(京都御所 建春門=けんしゅうもん)


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この門は本来は天皇の使いである勅使が出入りしたので「勅使門」とも呼ばれ
正門である建礼門に次ぐ立派な構造で出来てますんや。

現在は皇后陛下や皇太子の出入りする御門となっているそうで
諸外国の首相クラスの訪問の際にも開門される事があるんだって。

同じようにこの健春門も昨年に外から写しているので貼り付けて置きまっさ。

(京都御所 建春門=けんしゅうもん)  (外から 2012年6月撮影)


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朱塗りの回廊には朝廷ゆかりの寺院から生花が飾られてますな。

(大本山・大覚寺 嵯峨御流)


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嵯峨野の大覚寺で平安時代の嵯峨天皇が生み出した華道の流派だそうです。

(総本山・仁和寺 御室流)


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(御寺・泉涌寺 月輪未生流)


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現在の天皇家は仏教には帰依されてませんが、江戸時代にはこの泉涌寺が
天皇家の菩提寺で歴代の天皇陵もこの近くに多く埋葬されてますんや。

それでは~ 普段は見れない紫宸殿(ししんでん)へ向かうことになりまっせ。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん)


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朱塗りの回廊の東側に在る「日華門」(にっかもん)から入場しますんや。

大きく立派な宮殿が見えて来ましたで、紫宸殿(ししんでん)と言いますんや。

手前に見える木が「左近の桜」で天皇が南面して左側という事になりまっせ。

日華門から入場して左近衛の武官がこの前に整列したという由来ですわ。

わてのデジカメでは紫宸殿の全景が入らないのでパンフレットから拝借。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (宮内庁の資料より拝借)


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この紫宸殿(ししんでん)は重要な儀式に使われるので「正殿」と呼ばれます。

大正天皇・昭和天皇はこの紫宸殿で即位の礼を行われました。

戦前の皇室典範には即位の礼は京都御所で執り行うと記載されてたそうです。

(紫宸殿から 南庭を通して承平門を望む)


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(京都御所 紫宸殿の編額)


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江戸時代末の著名な書家が書いた扁額だそうですが名前は忘れましたけど。

奥に見えるのが天皇陛下が座られる「高御座」(たかみくら)ですよ。

ズームアップしてみましょう。

(京都御所 紫宸殿の高御座)


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「高御座」の右側には皇后陛下が座られる「御帳台」(みちょうだい)も
置かれていますが画像には写っていまへん。

戦後の皇室典範では即位の礼は何処で執り行うかの記載がありません。

今上天皇の即位の礼に際しこの「高御座」と「御帳台」は解体の上
東京へ移送し皇居の正殿の間で即位の礼に使用されたんでっせ。

即位の礼が終わったら元の京都御所へ戻されたという訳でんな。

都は東京へ遷都されても天皇家の本籍は今も京都御所に有り
紫宸殿という大事な宮殿に天皇の「高御座」が置かれている事になりまんねん。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん)  (南西側から撮影)


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画像の男性の頭越しに見える木が「右近の橘」で同じように月華門から入場した
右近衛の武官がこの橘の木の前に整列したんでっせ。

二つ合わせて「左近の桜」「右近の橘」は紫宸殿だけじゃなくて日本の
お雛飾りにも伝統として今も残されてまっしゃろ。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (西側の側面を撮影)


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紫宸殿は入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の高床式宮殿と言う
建築方法で横から見るとその特徴が良く分かりまんな。

それじゃ~ 次の清涼殿(せいりょうでん)という宮殿へ向かいまひょ。

(紫宸殿と殿上の間を 結ぶ回廊を超えて進む)


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(京都御所 清涼殿=せいりょうでん)


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平安時代には天皇が日常生活をされる場所でしたが、江戸時代には
別の「御常御殿」(おつねごてん)などが出来て変化したそうでんな。

それでも源氏物語などにも登場する「清涼殿」は形式化したと言えども
京都御所では重要な建物として再建が続けられたようです。

入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)寝殿造りという建て方になってますな。

(京都御所 清涼殿=せいりょうでん) (御帳台と厚畳)


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清涼殿(せいりょうでん)の中央にはご休息用の「御帳台」(みちょうだい)が
置かれていて、その前にある厚畳は「昼御座」(ひのおまし)と呼ぶ御座である。

屏風の前の漆喰で固めた「石灰の壇」(いしばいのだん)と呼ばれる所で
天皇は地面になぞらえ伊勢神宮などを遥拝されたそうでっせ。


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清涼殿(せいりょうでん)の東に面する所に二種類の竹が植えられてますんや。

(清涼殿前に植えられた 呉竹 & 漢竹)


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(京都御所 清涼殿の全景)


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清涼殿(せいりょうでん)を後にして歩き出したら紫宸殿の裏手にこんな
場所を見つけましたで。

(清涼殿の裏手に 陣の座)


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平安時代にはここで参議や大納言クラスの公卿7~8人が重要な人事や法律を
施行する前に協議して賛否を決めたんだそうでんな。

江戸時代には形式だけに成りましたんやけど、征夷大将軍の官職も討議した上で
天皇がその「陣の座」の結論を踏まえて勅令や宣旨を発したそうですわ。

徳川将軍も形式的にはこの「陣の座」で決められたという事になりますんや。

(十六弁菊の 御紋が入った瓦)


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又もや回廊をくぐり抜けて今度は明治維新の王政復古の舞台になった
小御所(こごしょ)の方へ向いまっせ。

(庭園越しに 小御所の屋根を撮影)


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小御所(こごしょ)は寝殿造りと書院造りの両要素が混合した様式の建物ですな。

江戸時代には諸種の儀式が行われ武家との対面にも用いられたそうですわ。


(京都御所 小御所=こごしょ)


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1867年(慶応3年)12月9日にこの小御所で王政復古の大号令が発せられ
その夜に「小御所会議」がここで行われたそうでっせ。

徳川幕府討伐の密勅が決まり鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へと
時代が大きく変化した歴史の舞台がここ小御所(こごしょ)でしたんや。

残念ながら1954年(昭和29年)に焼失し現在の小御所の建物は
1958年(昭和33年)に再建された物やそうですわ。

長くなりますので今日はこれでお仕舞いにして、後半は次回にさせて貰いまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~

台風24号の進路が心配でんな~   雨男の旅行計画

2013-10-05 19:49:23 | 日記
JRが鉄道記念日に「秋の乗り放題パス」ちゅう切符を発売してますんや。

日本全国のJRを連続で3日間利用できるんですよ。

使用期間が10月5日~10月20日まで。

但し、新幹線や特急や急行には乗れまへんけど。

ご存知の「青春18きつぷ」の小型版という感じでっしゃろな。

「青春18きっぷ」は学生さんがお休中なので鈍行列車は凄く混雑しますんや。

この「秋の乗り放題パス」は、わてらのような高齢者には有難い切符でんな。

3日間で7500円でっけど、2セット買えば6日間利用も可能でっせ。

連続で3日間ちゅうのが難点でっけど、使い方によれば便利でもおますんや。

(四国の ガイドブック)


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図書館でガイドブックを借りてきて先月から一人旅のプランを考えてますんや。

中学校の修学旅行が香川県の「金毘羅宮」から「栗林公園」と「屋島」でした。

当時は大阪から船で高松へ渡るか国鉄の宇高連絡船で渡るかの選択でしたな。

わてらは大阪の天保山から高松港を関西汽船で往復しましたで。

現在は神戸港からしか高松港行きが出てないのでJRで渡ることにしまひょ。

(さぬきうどん 食べ歩きベスト5)


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香川県は「うどん県」ちゅうネーミングを郵政会社に提案したそうやけど
これは郵政会社が許可しなかったんでしたな。

でも「さぬきうどん」と言えば関西でも名前が通ってまんねんで。

「大阪のうどん」は昆布と鰹節で出汁を取りますんや。

「さぬきうどん」は「いりこ」を主にした出汁がメインでっしゃろな。

(さぬきうどん)


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実は10日から12日までの三日間で金比羅さんから高松市内へのコースを
組んだんでっけど、台風が南の海上をうろついてますな。

雨男のわてが旅行の計画を立てたら、又もやこんな有様でんがな。

23号は中国の方へ行きそうでっけど、24号が右へ曲がってきそうな気配。

ホテルの予約を辞めて月曜日ぐらいまで様子をみまひょかな。

何せ、JR瀬戸大橋線ちゅうのは瀬戸内海の高い所を走ってますんで強風が吹くと
直ぐに運休になる鉄道で有名なんですわ。

下手をしたら四国で足止めを喰らうかもしれまへんのや。

10月13日以降にスタートちゅうことに成りそうでんな。

まあ~ 諦めてネットで乗り換えや観光地を検索して時間稼ぎでもしまひょ。

ほな~ 今日はこれで失礼しまっせ  さいなら~











白川郷へ行ってきましたで~♪  世界文化遺産でしたな。

2013-09-14 20:15:50 | 日記
「おわら風の盆」で寝不足もなんのその~  皆さん方は早起きでしたで。

わても~ AM7時から朝食を済ましてJR金沢駅を散歩してみましたんや。

(JR金沢駅構内の 郵便ポスト) (加賀人形の郵太郎)


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(北陸新幹線 金沢駅 2015年春 開業)


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(JR金沢駅構内 百番街にて自分撮り)


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(JR金沢駅西口の カラーパネル) (兼六園の石灯籠ですな)


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JR金沢駅西口のロータリーを観光バスはAM9時35分にスタートしましたで。

世界文化遺産の白川郷まで東海北陸自動車道が全線開通したんで金沢駅前から
1時間半で行けるようになりましたんや。

わては、白川郷へは今回が4回目になりますんや。

この日も朝から雨でしたで、画像が少ないので以前の分も交えながら行きまっせ。

(白川郷への 観光用の吊り橋)


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白川郷がお隣の五箇山と合わせて世界文化遺産に登録されたのは
1995年(平成7年)12月のことでしたな。

白川郷も五箇山も「合掌造りの建物」で今も人が住んでいるという珍しい風景
世界文化遺産ではヨーロッパに二つ在るだけとか、日本ではここだけでっせ。

何せ~ 秘境中の秘境でして、関西からも関東からでも不便な場所でしたんや。

白川郷IC~飛騨清見IC間(25.0km)が開通したのが、ついこの前の
2008年(平成20年)7月5日でした。

これで東海北陸自動車道が全線開通して、ものすごい便利に成りましたんでっせ。

この白川郷の南側に完成した飛騨トンネル(10710m)は難工事でっしたんや
なんでも青函トンネルより難しい地質で最新型のシールド機械が落盤で破損
修理不能で現在もトンエルの地中に埋まったままやそうですわ。

長いトンネルでっしゃろ、危険物のガソリンや毒物の薬品を積載したトラックは
道路法で通行が出来ないそうでっせ。

なんでも2005年(平成7年)の愛知万博に合わせて開通の予定が、なんと
3年も遅れた難工事でした、工事中の犠牲者がゼロだったのは立派でっしゃろな。

(雨の白川郷)


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白川郷は世界文化遺産に登録されるまでは年間でも50万人ぐらいの観光客しか
訪れない秘境でしたんや、平日なら1000人も来ないちゅうことでんな。

それが、世界文化遺産に登録されてからは年間で150万人ぐらいの観光客だとか。

1971年(昭和46年)からここ白川郷の中心である荻町の自然環境を守る会が
現在も活動中なんだそうですわ。

合掌つくりの家屋にこんな合言葉を設けているとか聞きましたで。

「売らない 貸さない 壊さない」 

でも~ 観光客が増えて村は揺れ動いているんだそうな。

観光客は随分と増えたけど高速道路で便利になったのは良い反面で
逆に宿泊する人が急減して、日帰りのツアー客ばかりになったとか。

ゴミやトイレなど経費ばかりが増えて村へ落ちる収入は、いまいちなんだって。

(白川郷の民家に こんな書き込み)


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なんでも~ 許可なく土産物店や喫茶店を造ったり、駐車場を作る住民も出ているとか
このままでは、世界文化遺産の取り消しの恐れも考えられるとの話もちらほら。

やはり俗化して居るのは20年~30年前の白川郷を知っている鉄ちゃん爺やとしては
残念でしかたがおまへんのや。

観光客が多くて人間が写らない合掌つくりの民家を撮影するのも苦労しまっせ。

観光客が立ち入らない裏通りに入って写してみまひょ。

(白川郷の 合掌つくりの民家)


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(白川郷の 明善寺) (平成19年10月撮影)


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お寺の屋根も茅葺きで合掌つくりの集落とお似合いの姿でんな。

(白川郷の 民宿 孫右エ門)


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実は今から21年も前になりますがこの民宿に1泊させて頂いたことが有りまんねん。

ここ白川郷には天下の奇祭とも呼ばれる「どぶろく祭り」ちゅうのがおます。

恥ずかしながら21年前の画像を貼り付けさせて貰いまっせ。

(天下の奇祭 白川郷の どぶろく祭り) (平成4年10月16日撮影)


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確か500円でしたかな? お神酒代を収めたら赤い盃を頂けるんですわ。

肴は自前で持ち込みでっけど、酒税のかからない「どぶろく」を
地元の女性方がお酌してくれはりますんや。

定員は100人ぐらいでしたかな、お神楽や獅子舞いを見学しながら
わても「どぶろく」を10杯ぐらいよばれましたかな。

地元の八幡神社の神事が「どぶろく祭り」と言われてますんや。

今年も「どぶろく祭り」が近づいてきてまっせ。

勿論、世界文化遺産に登録される以前のことで、白川郷が年間で一番
賑わうのがこの「どぶろく祭り」だったと聞きましたけど。

(白川郷の 民宿 孫右エ門にて) (平成4年10月17日撮影)


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この四人で平成元年から毎年1~2回ぐらい1泊で飲み会を兼ねて
遠出をしてましたんや、当初は忘年会でしたんやけど。

向かって左端のSさんは平成15年から音信不通になりましたんやけど
他の三人は今でも大阪市内でたまに飲む機会が続いてますんや。

21年も前の画像でっから今の写真と比べたら他人のようでっかな。

(最近の飲み会での 三羽烏)


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わても~ 当時は50kgぐらいの体重でしたからスリムな体型でっしゃろ。

白髪の紳士も当時は髪の毛が黒々としてまんな。

うに友ちゃんは逆に当時の方が肥えていたようで90kgぐらいおましたやろか。

恥かしい画像を貼り付けましてご免なっしゃ。

(白川村の展望台から 白川郷を見下ろす) (平成19年10月撮影)


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ここには、村営のシャトルバスが往復しているそうで、白川郷を撮影する
最高のスポットとして有名な高台でっしゃろな。

今年は時間が無かったのでここまで登れまへんでしたけど。

(白川郷の 土産物店)


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この合掌つくりの建物も改造して、それらしく見せているけど
本来の世界文化遺産の茅葺きの合掌つくりの本物じゃ無さそうですな。

(白川郷の 村営駐車場から見た 庄川の流れ)


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此処は岐阜県でっけど、この一級河川「庄川」は奥の方へ流れてお隣の五箇山で
富山県に入り高岡市の東を流れて新湊市の伏木で日本海へ注いでますんや。

今は上流に御母衣ダムが出来て水量が少なくなってしまったとか。

(白川郷の 土産物店 & 食堂)


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此処は平成19年に訪れた時に内の奥さんと昼食で山菜そばを食べたところでんねん。

店内に入ったら当時とほとんど変わりのない風景でしたわ。

出発の時間も近いしお土産だけ買って行きまひょ。

(白川郷のお土産 ふんわり とうふケーキ)


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食べてみたらヘルシーで、まあ~まあ~ 美味しいケーキでしたわ。

(白川村の マンホールの蓋) (岐阜県大野郡白川村)(人口1700人)


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平成4年に訪れた時には、村営の駐車場はまだなかったはず。

平成19年に来た時は既に出来ていましたな。

現在は大型バスは白川郷の旧町には交通規制で入れないシステムになっているそうで
人口1700人の白川村には不釣り合いの大きな駐車場がおまっせ。

観光バスだけで100台は停められるようなスペースでんな。

(白川村の村営 駐車場の標識)


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それじゃ~ 白川郷はこれぐらいでお仕舞いにしまひょ。

次回は飛騨の高山を書き込ませてもらいまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~









わては雨男でっしゃろか~   京都へ行ってきましたで~♪

2013-08-31 20:51:38 | 日記
呑み会の前に京都まで出かけてきましたんや。

JR京都駅に着いたら今にも雨が降りだしそうなお天気。

わては~ 雨男かもしれまへんな~

(JR京都駅 北口)


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(JR京都駅前 路線バス乗り場)


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此処から~ 祇園から東山へでもと考えてたんでっけど、雨がヤバそうでんな。

近場で行くとなったら東本願寺ちゅうことになりまんねん。

ここやったら雨が降っても直ぐに戻ってこれますんや。

(京都タワー)


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(東本願寺 門前の噴水)


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(東本願寺 山門)


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(東本願寺 御影堂) (ごえいどうと読みまんねんで)


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歴史の話になりますんで、興味のない方はスルーしておくれやす。

浄土真宗には本願寺派とよばれる西本願寺と大谷派と呼ばれる東本願寺がおますんや。

此処、東本願寺は1602年(慶長7年)徳川家康が広大な土地を教如上人に与え
豊臣秀吉に加護された本願寺にクサビを打ち込んでやろうと考えたそうでっせ。

なにせ~ あの織田信長さえも本願寺門徒には苦しめられた集団でっしゃろ。

天下を収めても本願寺門徒のキバを抜いておかないと心配で仕方がないわけでんな。

そこで京都の本願寺を二つに分裂させてしまうのが手っ取り早いちゅうことですわ。

豊臣秀吉が庇護した本願寺の一つ東側の大通りに同じ大きさの寺地を与えて
東本願寺と世間では呼ぶようなお寺を建てさせたんですわ。

元の本願寺は西側になるので、何時の間にか西本願寺と呼ばれるようになったそうな。

(東本願寺 山門の扉)


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考えたら~ 我が家は祖父母の時代から西本願寺の檀家になりますんや。

東本願寺まできたら西本願寺へ行かん訳にはいきまへんがな。

小雨がパラついてまっけど西本願寺へ向かうことにしまひょ。

(国道1号線 七条通り堀川通りとの交差点)


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(西本願寺 阿弥陀堂門)


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(西本願寺 境内にて撮影)


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わての~ 後ろに見えるお堂は手前が阿弥陀堂(あみだどう)と言いますんや
その左側が御影堂(ごえいどう)と呼ぶそうでっせ。

浄土真宗では本尊が阿弥陀如来さんで他の仏像は一切おまへん。

御影堂(ごえいどう)と言うのは宗祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を
お祀りするお堂ちゅうことでっせ。

ほな~ 阿弥陀堂から参拝することにしまひょ。


(西本願寺 阿弥陀堂の内部)


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西本願寺も東本願寺も拝観料は一切なしというのは有難いことでんな。

それに写真撮影も自由にどうぞ~ これも他の宗派では考えられないことでっせ。

(西本願寺の賽銭箱)


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下がり藤の寺紋は西本願寺さんでんな、ちなみに東本願寺はんは菊の16弁紋ですわ。

この阿弥陀堂は285枚の畳が敷かれているので800名以上が
一度に参拝できる広さがおますんや。

(西本願寺 阿弥陀堂の内部)


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渡り廊下を通ってお隣の御影堂(ごえいどう)の方へ行きまひょ。

(西本願寺 御影堂の内部)


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中央に親鸞聖人の御真影(木像)と両脇に本願寺歴代の影像が安置されてますんや。

この御影堂は阿弥陀堂より数段大きくて441枚の畳が敷かれていまっせ。

だから1200名以上の方が一度に参拝できる広い外陣が備わってますんや。

(西本願寺 おかみそりの儀式)


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お若いご夫婦のようにお見受けしますが、正式には帰敬式(ききょうしき)と
言いますんやけど、浄土真宗では「おかみそり」と呼んでますな。

本山の大住職さんがカミソリで頭を撫でて浄土真宗の門徒になる、儀式ですよ。

わては~ 不信心な門徒でっさかいに、やりまへんでしたけど。

画像を見てもらったら分かると思いまっけど西本願寺の方が装具や仏壇なども
金色に輝く派手な感じがしますかな。

東本願寺はんは黒塗りの地味な装具やお仏壇のように聞いてますけど。

これなども豊臣秀吉ごのみの派手さが西本願寺には受け継がれているんでっしゃろな。

(西本願寺 渡り廊下の吊り灯篭)


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(御影堂の内部から 境内を撮影)


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(西本願寺の境内にある 大銀杏) (樹齢 約400年)


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西本願寺が火災で焼けそうになった時にイチョウの木が水を噴出して消し止めたという
伝説があり別名で「水吹き銀杏」とも呼ばれているんだって。

ここ西本願寺の御影堂(ごえいどう)は1636年(寛永13年)の再建
阿弥陀堂(あみだどう)は1760年(宝暦10年)の再建だそうです。

両方共に国の重要文化財であると共に世界文化遺産にも登録されていますよ。

東本願寺の方のお堂は残念ながら江戸時代だけで4度も焼けてしまい現在の
建物は明治時代になってから再建された新しいお堂なんだって。

(西本願寺 沓石) (くついし)


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(西本願寺の 門前町)


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乗用車の止まっている先に四足門がありその先に分かりづらいですが
国道1号線が通っていてその向こうに西本願寺の山門が見えていますよ。

「南無阿弥陀仏」これを西本願寺では「なもあみだぶつ」と唱えますよ。

東本願寺さんは「なむあみだぶつ」と唱えるんだそうですけど。

最後に初めて知ったんでっけど、浄土真宗には御朱印というのがありません。

納経という儀式がないので御朱印や写経という習慣もないんだそうでっせ。

恥をかかずに済みましたわ~

参拝記念のスタンプは置いてあるそうでっけど。

それから我が家でもそうですが、位牌はなくて過去帳だけを仏壇に置きますからね。

ほんなら~ 今日はこれでお仕舞いでっせ さいなら~



いいちこ   飲んでしまった!  大丈夫かしら?

2013-08-17 13:38:00 | 日記
本格焼酎の「いいちこ」を製造販売する三和酒類さんが自主回収をするんだって。

なんでも~ 大分県庁に紙パックの「いいちこ」に毒物を入れたとの投書。

大阪府と広島県と山口県と地域名まで書かれてるんやそうな。

被害は出てないけど未開栓商品の全てを自主回収することに決めたんだって。

「下町のナポレオン」の名前が気に入ったから、わてもずっと~ 飲んでまんがな。

(麦焼酎 いいちこ 25度 1800mℓ)(紙パック製品)


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この様に、未開栓の商品は返却したら、お金を返してくれるそうでっせ。

そやけど~ わては発表(8月16日)の1日前に封を切って飲み始めたんやけど。

この場合は、自主回収の対象外やとHPには書き込まれてますんや。

おそらく~ 嫌がらせの投書やろと思うけど、気持ちが悪いでんがな。

(開栓した いいちこ 紙パック製品)


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開栓してるのも自主回収してもらえないんやろか?

電話番号  0120-380-356

まだ~ 1500mℓは残ってるから、心配やねん~ 電話してみよう。



鉄ちゃん爺や「大阪で購入したんですわ、開封して2杯ぐらい飲んだんやけど」

担当者   「変な味がしたりとか 体が具合い悪くは成りませんでしたか?」

鉄ちゃん爺や「気がつかなかったけどな~」

担当者   「飲まれて異常が無ければ、大丈夫な商品だと思いますけど」

鉄ちゃん爺や「でも~ 気分が悪くて飲む気がしないんやけどな~」

担当者   「どうしても飲む気がされないのなら、ご返却を頂ければ」

鉄ちゃん爺や「気持ちが悪いし、開栓したけど返品させてよ~」

担当者   「それじゃ宅配便かゆうパックの着払いでご返却くださいませ」

担当者   「念のため 府県名とお名前と電話番号を受け賜りたいんですが」

 
鉄ちゃん爺や「大阪府  黒田○○  TEL072ーXXXーXXXX」

担当者   「後日に、ご返金をさせていただきます」

鉄ちゃん爺や「クロネコで送りますので よろしゅう頼んます」

担当者   「たいへんご迷惑とご心配をおかけし、申し訳ございませんでした」


ダメ元でも頼んでみるもんでんな、対応してくれはりましたわ。

やはり食品を扱う企業はこうあるべきでんな。


(大阪のスーパー) (8月17日 撮影)


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むぎ焼酎「いいちこ」の紙パック品だけが陳列棚から撤去されてまっせ。

それにしても~ 悪いことをするヤツがいるもんですな。

メーカーさんも流通業者はんも、えらい迷惑なことですわ。

なんでも~ 大阪府・広島県・山口県で約40万本~45万本になるそうでっせ。

(麦焼酎 黒よかいち 25度)  (宮崎県 宝酒造)


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「いいちこ」は買いたくても大阪府内では暫くはダメですわな。

仕方がないんで、飲んだこと無いのを1パックだけ仕込んできましたんや。

我が家もお盆休みに帰ってきた息子夫婦と孫2人が戻っていきましたわ。

(お盆休みの 息子夫婦と孫たち)


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広島の孫には身長を追い抜かれたけど岡崎の孫にはギリギリまだ勝ってますな。

同じ学年だけど6月生まれと翌年の2月生まれの差が出たんかもしれないね?

おそらく岡崎の孫にも来年のお正月には追い抜かれるんと、ち違いまっしゃろか。

ほんなら~ 今日はこれでお仕舞い  さいなら~