鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの一人旅 筥崎宮 & 太宰府天満宮 

2019-05-06 19:25:05 | 神社
一人旅4日目はJRの在来線で福岡市へ向かいました。

博多駅前で2泊したかったんですが次に行く山口県で
週末の土曜日がキープ出来ず、この日は強行軍でしたんや。

筑前の一の宮が2か所あり、それに大宰府八幡宮にも
行きそびれていたので立ち寄りたかったんですわ。

JR小倉駅から快速電車でJR香椎駅で普通電車に
乗り換え、ここは早くむ福岡市東区となりまねん。

(819 コンピュータ トレイン)




隣のホームに停車中の電車で一つだけ西へ向かえば
香椎神宮駅へ逆に東へ行けば世界遺産に登録された
宗像神社となり、通過するには残念な駅なんですよ。

博多で2泊出来ていたら立ち寄っていたでしょうな。

(JR香椎駅名標)


普通電車に乗り換え、二つだけ博多駅の方向へ。

筑前の国・一の宮である「筥崎宮=はこざきぐう」

(JR箱崎駅舎)


駅名や付近は箱崎の名称で、九州大学のキャンパスが
昔からおまして九大の学生の街と言う趣がおました。

最近は福岡市の西区にある伊都キャンパスに
大半が移り、昔のイメージは薄くなりましたかも。

(JR箱崎駅構内の 筥崎宮への案内ルート)


(福岡市の マンホールの蓋)


筥崎宮(はこざきぐう)はJRの駅から約500m前後。

先を急いでますので九州大学の古い建物などはパスし
ひたすら「筥崎宮」をめざし、歩きましたんですわ。

(筥崎宮 一ノ鳥居) (国の重要文化財に指定)




筑前黒田藩の初代藩主・黒田長政が寄贈した物とのこと。

貫と笠木が同じ長さと言う異色な鳥居になってまぁ。

笠木の両端が反り返っている「筥崎鳥居」と呼ぶんだって。

鳥居の先に見えるのが筥崎宮の楼門の様でした。

ここは本宮の近くに一ノ鳥居、次が二ノ鳥居と並び
国道3号線に面して大鳥居が立っているそうでした。

(筥崎宮の楼門) (国の重要文化財に指定)




扁額に「敵国降伏」と書かれているのが分かりまっか?

鎌倉時代の「蒙古襲来」の際に本殿が焼かれています。

時の亀山上皇が「敵国降伏」のご宸筆を納められて
再建した楼門に模写し扁額としたと、記されてまぁ。

(楼門から 筥崎宮の本殿を撮影) (国の重要文化財に指定)








第一の ご祭神  応神天皇

第二の ご祭神  神功皇后(応神天皇 母君)

第三の ご祭神  玉依姫命(神武天皇 母君)

日本三大八幡宮の一つで、蒙古襲来を防いだことで
「厄除・勝軍の神」として有名な神社となったとか。

(筥崎宮の ご朱印)




(筥崎宮の楼門を 背景に自撮り)


(筥崎宮の境内から 一ノ鳥居を望む)


先を急いだために千利休の奉納した石燈籠や
「筥崎宮」の名前の由縁に成ったと言われる
ご神木の「筥松」を写すのを忘れて退散しましたわ。

(福岡市営地下鉄の きつぷ)


地下鉄で西鉄の天神(福岡)駅に向かいましたのが
午前11時前だったと記憶しますんや。

(西鉄 福岡駅ホームにて自撮り)




平成4~5年に柳川市へ出張した際に、この駅から
特急電車で向かった記憶が有るんですが当時とは
変わっている感じで見覚えのある物は皆無でした。

(西日本鉄道 福岡駅~太宰府駅間 きっぷ)


(西日本鉄道 太宰府駅改札前にて自撮り)


(西日本鉄道 太宰府駅舎)


西鉄の大宰府駅を下車して右に曲がると参道でした。

やはり有名な神社なので観光客も多いでんな。

(太宰府天満宮 参道と一ノ鳥居)




太宰府天満宮は901年(昌泰4年)に京都から
流人に近い形で大宰府に着いた菅原道真公が
2年後に亡くなられ墓所が造られました。

最後まで仕えた味酒安行(うまさけのやすゆき)が
小さい祠を造ったのが起源だとのことのようですわ。

京都の朝廷から怨霊を鎮めるために大きく建て替えられ
現在では学問の神様として崇められているようですね。

(太宰府天満宮 重要文化財の立て札)


(太宰府天満宮の太鼓橋)


(太鼓橋を 横から撮影)


(太宰府天満宮の境内)


(太宰府市の マンホールの蓋)


太宰府市と太宰府天満宮は「太い」の漢字を使いますが
奈良時代から平安時代まで九州全域を監督したと言われる
大宰府は「大の」漢字を使うのが正式なんですよ。

今回の令和の改元に関連してマスコミやネットの掲載で
大宰府:太宰府市 の漢字の使い方に混乱が見えますね。

(太宰府天満宮 楼門)


(太宰府天満宮の 本殿)




(太宰府天満宮 本殿を背景に自撮り)


菅原道真公の和歌と言えば、これが一番有名でしゃろ。

 「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 
   あるじなしとて 春な忘れそ  菅原道真」

(太宰府天満宮の 飛梅)


  

 
  
菅原道真公を慕って京都から一夜で飛来したとの伝説。

現在は本殿前の向かって右側で、ご神木とされてますんや。

(太宰府天満宮 本殿の内部)






(太宰府天満宮 菖蒲池)




訪れたのは3月20日でしたので菖蒲やアヤメは咲いてません。

まもなく菖蒲もアヤメも池一面に咲くんでしょな。

(太宰府天満宮の 紅梅)




本日はこれにて、お仕舞にさせてもらいまっさ。

次回は太宰府天満宮の近くに在る九州国立博物館と
二つ目に筑前一の宮・住吉神社を紹介しまひょ。

ほんなら これで さいなら~♪


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鉄ちゃん爺やの一人旅  長門一の宮 ・ 住吉荒魂本宮に詣でる

2019-04-16 19:55:30 | 神社
鉄ちゃん爺やの一人旅2日目は宇佐神宮を後に。

午前中にJR小倉駅に戻り山口県へ向かいました。

長門の国の一之宮を先に済ませたかったんですわ。

(下関市の マンホールの蓋)


「フグの水揚げ」は下関市が日本一なんでっせ。

ご当地では「フク」と呼ぶそうで濁点を抜くんだとか。

「フグ」は大阪へ出荷されて消費は大阪府が日本一だっせ。

(415系 交直流両用 近郊型・電車)






JR下関駅とJR門司駅の区間だけが直流を使用しています。

JR九州は電化されている区間の全てに交流が使用されてますんや。

だから交流と直流の両区間を走れるのが415系の電車なんですよ。

関東では2016年に引退して、関西でも現在は使われてまへん。

4~5年前までJR北陸線の富山県の辺りで走ってましたかな。

(JR下関駅名標)


ここからはJR西日本の管轄で二駅だけ乗り継ぎでした。

JR九州さんとはデザインが違いますんや。

電車のカラーも瀬戸内海のミカンをイメージさせたとか?

(113系 直流 近郊型・普通電車)


この113系も関西ではJR草津線で見られるだけの旧型ですわ。

東海道本線や山陽本線で活躍してたんですが新型車両に代わり
最後のご奉公はJR西日本では山口県だけになりそうでんな。

いきなり鉄ちゃん爺やの鉄道談話に成ってしまいましたな。

(JR新下関駅への 道路標識)


山陽新幹線の駅が出来て長門一宮駅だったのが現在は
新下関駅に代わってますんや、でも下関市街地とは
在来線で二駅も離れているんですわ。

新幹線が関門海峡を潜るために相当手前からトンネルで
勾配を取る関係で、新下関駅が設計されたようでんな。

JR新下関駅から意外に距離があって約2kmぐらいかも?

長門の国の一の宮に向かいましたんや。

(住吉神社と住吉公園への 道路標識)


大阪市内にも住吉大社と住吉公園がおますんで
鉄ちゃん爺やとしては、なんとなく馴染みのある名前。

名前も同じなのでお祀りしているいる神様も
住吉大神(すみよしのおおかみ)や神功皇后さんなど。

(一の宮 住居表示)




やはり地元では一の宮として地名だけは残したようでんな。

(あべ晋三の 後援会連絡所)


安部総理はこの辺りが選挙区で大票田のような感じ。

どうやら地元の建設会社の中に置かれているようでした。

山口県は県庁所在地の山口市よりも下関市の方が人口も多く
確か下関市が山口県では最大の人口を誇る都会のはず。

(長門国 一の宮 住吉神社)




(住吉荒魂本宮の 神橋)


(住吉神社の楼門)




全国に住吉神社は数多く在りますが大阪市内にある
摂津の国一の宮・住吉大社が総元締めだったはず。

ここは正式には「住吉荒魂本宮」とお呼びするんだって。

「住吉荒魂本宮=すみよしあらみたまほんぐう」と読むそうです。

(青銅製の狛犬)




(住吉荒魂本宮 本殿と拝殿)


(住吉荒魂本宮の 拝殿)




(住吉荒魂本宮 国宝 第一本殿 ~ 第三本殿)


左側が修復の工事中の様でシートで囲われているようでんな。

奥の方が本殿で左から第一殿~右へ第五殿まで並んでますんや。

本殿は全てが檜皮葺の立派なお社でっしゃろ。

(住吉荒魂本宮 絵馬)


第一殿  住吉大神(すみよしのおおかみ)

第二殿  応神天皇(おうじんてんのう=はちまんのおおかみ)

第三殿  武内宿祢命(たけのうちすくねのみこと)

第四殿  神功皇后(じんぐうこうごう)

第五殿  建御名方命(たけみなかたのみこと=すわみょうじん)

(拝殿は 毛利元就が寄贈)




(住吉荒魂本宮 拝殿にて自撮り)


(住吉荒魂本宮 ご朱印)
 

本殿は国宝に指定され、拝殿は重要文化財に指定だそうです。

本殿は室町時代に大内弘世が寄贈したものが現存するとか。

失礼ながら、こんな立派な住吉神社とは思いまへんでした。

(住吉荒魂本宮の 神池)


小倉のホテルに戻るには時間がおましたんでJR下関駅に途中下車。

海峡ゆめタワー(高さ145m)に昇って関門海峡を眺めまひょ。

(下関市 海峡ゆめタワー)


次回は海峡ゆめタワーと下関駅前を紹介しまひょ。

それでは、これで、さいなら~♪
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鉄ちゃん爺やの一人旅  宇佐神宮に詣でる

2019-04-04 21:00:58 | 神社
今回の一人旅を利用し兼ねてより参拝が叶わなかった
約4万社に及ぶ全国八幡社の総本宮・宇佐神宮へ。

心のふるさと宇佐参りと呼ぶそうですわ。

(宇佐神宮 上宮)


ここは大分県宇佐市ですが小倉と同じ昔は豊前の国

距離は小倉駅から約75kmなんですが不便なダイヤ。

JR中津駅から先の普通電車が2時間に1本ぐらい。

日豊本線と称するのにローカル線並みのダイヤでんな。

片道2920円は痛うおますけど仕方がない出費ですわ。

JR小倉駅8時発の特急ソニック3号に乗車でした。

(ソニック3号 乗車券&特急券)


(JR宇佐駅に到着した 特急ソニック3号)


(JR宇佐駅舎)


この日3月18日は宇佐神宮で最も重要な祭典があり
「例祭」と呼ぶ神事が行われることを確認してましたんや。

普段は路線バスも少ないが「例祭」となれば臨時ダイヤで
特急電車の到着に合わせて増発と勝手に推察してました。

ところが路線バスは平常通りで1時間15分待ちでんがな。

バス停で同じように考えていた青年とご婦人2名の4名で
タクシーに割り勘で乗ることを進言し同意を得ましたんや。

JR宇佐駅から約10分で1300円の料金でした。

(宇佐神宮の参道で 相乗りをしたご婦人2名)


お隣の中津市からお参りに来られたご婦人でした。

ワンコイン500円を三人から頂いたので結局は
鉄ちゃん爺やの出費は200円のプラスに?

(宇佐神宮の表参道)




宇佐神宮は豊前の国の一之宮であり、皇室では伊勢神宮に
次ぐ重要な神社で、平安時代には京都の入り口に当たる
八幡市に「宇佐神宮」から分祀されて、現在でも関西の
八幡宮と言えば「石清水八幡宮」とされていますね。

(宇佐神宮 大鳥居)




(ご神興発祥の地 顕彰碑)


(朱塗りの神橋)


本殿まで約2kmぐらいの表参道が続いてますんや。

神橋を渡って少し歩くと右手に「初沢の池」が見えてきました。

(宇佐神宮 初沢の池)


(初沢の池 & 宝物館)


「日本三沢の池」と呼ぶそうですが詳しくは分かりません。

奈良・猿沢の池 京都・大沢の池 の三つなのかしら?

二つ目の大鳥居が見えてきましたで。

一の鳥居とか 二の鳥居とか、呼ばないようでんな。

(宇佐神宮 二つ目の大鳥居)


(ご朱印の 受付所)


朱印帳を預けて本殿にお参りすることにしまひょ。

珍しい写真を見つけましたので張り付けて置きまっせ。

(神様と仏様 宇佐神宮の勅使門の前で ご挨拶)


日本で初めて 神様と様が会ったのは この場所だとか。

平安時代に神仏習合が始り宇佐神宮も「八幡大菩薩」さまと
お呼びし江戸時代の終わりまで神社とお寺が一体でしたんや。

確かに神仏習合はここ宇佐神宮から始まったようでんな。

(宇佐神宮 下宮)




(下宮の祭殿に 例祭のお供物


(宇佐神宮 下宮を側面から撮影)


宇佐神宮は上宮と下宮の二つに同じ祭神がお祀りされてますんや。

一之御殿  八幡大神 (応神天皇)

二之御殿  比売大神 (多岐津姫命)

三之御殿  神功皇后 (応神天皇の母親)

上宮は一般の参詣人が内殿には入れないので、下宮が内部を
撮影できて、遠くから三つの御殿を見ることが出来ますんや。

それでは上宮の方を参拝することにしまひょ。

(宇佐神宮 西大門)






(宇佐神宮 上宮の勅使門)






(宇佐神宮 上宮 一之御殿)


(宇佐神宮 上宮 三之御殿)


上宮は勅使門を中央に向かって左から 一之御殿 二之御殿
三之御殿が 並んでいて回廊の石段の下から拝礼をする形ですな。

(宇佐神宮 二礼 四拍 一礼)


各地の神社での拝礼は  二礼 二拍 一礼  が一般的ですね。

ここ宇佐神宮と出雲大社だけが 二礼 四拍 一礼 だそうですわ。

(宇佐神宮 例祭の鉾と神旗)


(宇佐神宮 上宮の ご神木)


宇佐神宮では上宮だけにお参りするのは「片参り」と呼ぶそうで
下宮と合わせて両方にお参りすんるのが正しい作法だそうです。

蛇足に成りますが神宮を名乗る神社は天皇を祭神にしている
昔流に言えば一番重要な神様という事になりますかな。

伊勢神宮・熱田神宮・明治神宮・橿原神宮・平安神宮 等々

当然ながら宇佐神宮も応神天皇をご祭神にお祀りしている訳で
八幡宮の中で「神宮」を名乗れるのは、ここだけのようですね。

(巫女さんと 神官)






午後からの例祭に備えて巫女さんと神官が忙しそうにされてます。

お祓いを受けて関係者が内殿へ入られるんでしょうか?

(宇佐神宮 境内の 力石)


(宇佐神宮の ご朱印)


(神官と 住職さんのご挨拶)


現在でも宇佐神宮では神様と仏様が例祭に参列されるようですね。

こんな風景は珍しいのでデジカメで失礼ながら撮影させて貰いました。

(勅使と 幣帛を待つ関係者)


幣帛(へいはく)を先頭に行列が参道を進んで来ました。

午後まで待てば例祭が見物できるんだが次の予定も有り
幣帛(へいはく)の行列だけ見送ることにしまひょ。

(勅使と 幣帛の行列)








午後からの「例祭」も拝見したかったんですが、午後からは

下関市に在る長門の国の一之宮へお参りしたいので退散しました。

(JR新下関までの乗車券)


(JR小倉駅までの特急券)


(JR宇佐駅に到着の 特急ソニック)


今回はこれにて お仕舞にさせて貰いまぁ。

次回は山口県・長門の国一之宮を載せる予定でおます。

ほんなら~ これで、さいなら~♪
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3月17日から 西国へ 一人旅に出かけてきます~♪

2019-03-11 21:41:18 | 神社
3月17日から一之宮巡りの第2ラウンドを始めます。

鉄ちゃん爺やの旅行では珍しく新幹線でJR小倉駅へ。

(JTB版 時刻表)


(新幹線 のぞみ5号 5号車 5番A席)


一寸だけこだわって指定席を押さえました。

お遊びの気分で のぞみ5号 5号車 5番A席を予約。

(福岡県の歴史散歩の本)


3月17日は 小倉城 と 松本清張記念館へ

3月18日は 宇佐八幡宮と 新下関の住吉神社へ

3月19日は 門司港駅舎から レトロな門司港の建物巡り

(門司港の地図)


3月20日は 筥崎宮 と 住吉神社 と 大宰府八幡宮へ


(山口県の歴史散歩の本)


(下関市の地図)


3月21日は 下関市の 名所めぐりから 山口市へ

3月21日は 山口市の 瑠璃光寺の五重塔見学他

3月22日は 周防国分寺と 玉祖神社 と 防府天満宮

3月23日は 広島まで普通電車で 新幹線に乗り換え帰阪へ
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お初天神の界隈を デジカメ散歩

2019-02-03 16:53:25 | 神社
(曽根崎お初天神通り 南側のアーケード)


大阪一の繁華街である梅田や曽根崎の総鎮守と称される
「お初天神」は有名でっけど、これは通称名でおます。

「露天神社=つゆのてんじんしゃ」が正式名なんですわ。

(露天神社 東側入口)


大阪人でも正式の神社名を知る人は少ないかも?

何せ、江戸時代から「お初天神」で通ってますんや。

(露天神社=つゆのてんじんしゃ 拝殿)


繁華街のど真ん中に、こんな神社があるのも大阪らしい
境内の一部も不法占拠された飲み屋街がおますんや。

人形浄瑠璃の「曽根崎心中」をご存知でっか?

元禄16年(1703年)4月7日に実際に有った
心中事件を近松門左衛門がいち早く浄瑠璃に仕上げ
道頓堀の竹本座で上演し一躍有名に成ったそうでんな。

境内に有志が寄贈したブロンズ像が置かれますんや。

(曽根崎心中 お初・徳兵衛の像)




堂島新地・天満屋の遊女   お初

内本町・醤油や平野屋の手代 徳兵衛

悲恋の物語でここ「曽根崎・天神の森」で
心中をしたというのが筋書きでおますかな。

興味のある方はネットで「曽根崎心中」と
検索して貰えればと思いまんねん。

(お初・徳兵衛 恋の絵馬)


最近では若い方が恋愛成就を願って絵馬を奉納する
ラブスポットの場所に成っているそうですわ。

(奉納された 恋愛成就の絵馬)


(境内に残る 神泉 露之井戸)


現在は水屋がないので湧き出してないのかも。

昔は大坂市中に湧き出す名泉は珍しかったそうですわ。

「露と散る 涙に袖は朽ちにけり

  都のことを思い出づれば 菅原道真公」 

太宰府に流される船旅の途中、ここに立ち寄り
和歌を一首、捧げて涙されたとの逸話でっけど。

この「露之井戸」と菅原道真公の詠まれた
「露と散る~」の和歌を元に、江戸時代の初期
大坂夏の陣で焼失した社殿を復興する際に。

後陽成天皇の宸筆を頂いて「露天神社」と
名乗ることになったと記されたようですわ。

昭和20年6月のアメリカ軍の空襲で社殿は焼失。

現在の拝殿は昭和32年に再建されたそうですわ。

(昭和20年 米軍機の銃撃の傷跡)




大阪駅方向から飛んできたグラマン戦闘機の機銃弾が
本殿前の石柱をかすめている、戦争記念物なんですわ。

大阪市内に残る数少ない戦争の傷跡かも知れまへん。


露天神社=つゆのてんじんしゃ ご祭神

少彦名大神   すくなひこなのおおかみ  (出雲系の神様)

大己貴大神   おおなむちのおおかみ   (出雲系の神様)

天照皇大神   あまてらすおおみかみ   (伊勢皇大神宮系の神様)

豊受姫大神   とようけひめのおおかみ  (伊勢皇大神宮系の神様)

菅原道真公   すがわらみちざねこう   (天神さま)


これは又 凄く欲張った ご祭神が5体とは恐れ入りました。
 

(お初天神通り 門前から梅田方向を撮影)


お初天神通りは両側が飲食関係の店で梅田まで続いてまっせ。

この日は飲み仲間と「お初天神」の近くで飲み会でしたんや。

(飲み仲間と テレビ観戦)


全豪オープンのテニスで大坂選手が優勝した記念すべき夜でした。

(全豪オープン テレビの画像から借用)




(梅田キタ界隈を 巡回する100円バス)


乗ったことは無いんでっけど曽根崎新地や大阪の新名所
グランフロントなどへ上手く乗れば便利かもしれへんな。

(御堂筋の 起点と 曽根崎警察署)


画像の左側で低いビルが曽根崎警察署でっせ。

御堂筋は画像の右手へ南海・難波駅まで約4kmの
大阪で一番と言えるメインの通りになりますんや。

これで本日はお仕舞にしまひょ。

ほな~ さいなら~♪

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謹賀新年!  本年もよろしくお願い申し上げます

2019-01-03 15:28:39 | 神社
関西は穏やかなお天気で新年を迎えることが出来ました。

初詣は例年通り隣町の道明寺天満宮へとなりました。

おみくじは「小吉」良くもなく、悪しきもなくでしたね。

(道明寺天満宮の 絵馬)



(道明寺天満宮 本殿と参拝者の列)



(鉄ちゃん爺やの 年賀状)






本年も変わりませず、拙いブログにお付き合いくださいませ。

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三菱グループ発祥の地  土佐稲荷を訪ねて

2018-04-01 19:24:57 | 神社
三菱グループ発祥の地が大阪ってご存知かしら?

江戸時代・土佐藩の蔵屋敷が大阪市西区におました。

(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


日本最大の公営交通だった「大阪市営地下鉄」が
2018年(平成30年)3月31日で終了しました。

4月1日から「大阪メトロ」という民間企業になりまぁ。

ロゴマークも4月1日から「M]をアレンジした
新しいのに変わるので、今日が見納めでおます。

その最終日「土佐稲荷」へお花見に出かけましたんや。

(大阪市営地下鉄 西長堀駅)


(新なにわ筋の 道路標識)


地上に上がった所は「鰹座橋」という交差点ですわ。

ここは江戸時代には土佐藩の「鰹節」を売買した
「鰹座=かつおざ)が置かれて居たんだって。

(鰹座橋の 道路標識)


(西長堀川と鰹座の説明書き)


ここは江戸時代には土佐藩の蔵屋敷の一部なんですわ。

現在は埋め立てられて「長堀川」は無くなってまっけど。

(住居表示 西区北堀江4丁目)


蔵屋敷の北東に当たる鬼門に小さな祠が
土佐藩邸が出来る以前から在ったそうですわ。

土佐藩6代目・山内豊隆が京都の伏見からお稲荷さんを
分祀して土佐藩邸内に造営したのが「土佐稲荷」だって。

通りを西へ一つだけ歩くと「土佐稲荷」の桜が
早くも見えてきましたで。

(土佐稲荷の 玉垣)




(土佐稲荷の 拝殿を裏手から撮影)


(土佐稲荷の 玉垣)






(三菱金曜会 幹事・三菱銀行の玉垣)


三菱グループは現在でも28社で金曜会という名前の
会合を作って、団結してはりまっしゃろ。

28社と関連企業で玉垣を奉納されているようですわ。

それでは拝殿の方へ向かうことにしまひょ。

(土佐稲荷の 鳥居)


(飛び狐の 狛犬)


(土佐稲荷の 拝殿)




画像では見ずらいでっけど、ご神紋は「スリーダイヤ」

流石は三菱さんの造詣が深い「土佐稲荷」さんでおます。

(土佐稲荷の 由緒書き)


土佐藩主は参勤交代で大坂に来れば「土佐稲荷」に参拝し
江戸に上ったり、ここから船で土佐に戻られたんだって。

明治維新になり土佐藩は膨大な借金を肩代わりする代わりに
広大な土佐藩邸と蔵屋敷を岩崎彌太郎に払い下げたとか。

土佐藩邸や蔵屋敷は大坂の金融業である両替商などの
借金の担保に入れられていたんだって。

岩崎彌太郎はここで「九十九商会=つくもしょうかい」と
言う名前の船会社を設立したそうですわ。

3隻の船でスタートし船の旗に使用したのが、形は少しだけ
歪ながら「赤いスリーダイヤ」だったそうですわ。

これが現在の三菱グループの前身になるんだって。

同時に岩崎彌太郎はここに住居を構えたんだそうです。

1870年(明治3年)だったと記されてますかな。

(岩崎家 旧居跡の石碑)


(日本郵船が 奉納した玉垣)


これにも「三菱のスリーダイヤ」が刻まれてまぁ。

現在では三菱グループと言えば東京・丸の内を本拠に
東京の企業のイメージが強いと思いまんねん。

でも岩崎彌太郎がスタートしたのは大阪の西区でおます。

(土佐稲荷の 桜と自撮り)




(土佐稲荷の拝殿と 満開の桜)




(土佐稲荷の 平成30年度の絵馬)


三菱のスリーダイヤにはこんな伝説もおますんや。

土佐の山内家の家紋「三つ柏」と岩崎家の
「三階菱」をアレンジしたとの説が。

(山内家の 家紋 三つ柏)


(山内豊敷が奉納した石燈籠)


(寛保元年と刻まれた 石燈籠)


鉄ちゃん爺やの所有する日本史小辞典で調べたら

1741年(寛保元年)で土佐山内・8代藩主でした。

それでは、境内の桜をご覧くださいね。

(土佐稲荷 満開の桜)












江戸時代から「土佐稲荷」の桜は町人にも解放され
夜桜見物の名所として今日まで続いてますんや。

大阪大空襲で桜は焼失してしまいましたが、戦後に
若木が植えられ、現在では昔の賑わいを取り戻してますわ。

(土佐稲荷境内 満開の桜)






(土佐稲荷の説明書き)




(西長堀コーポ)(土佐稲荷の東側)


司馬遼太郎さんが若い頃に10階に住まれていて
「龍馬がゆく」を執筆されたんだそうです。

「土佐稲荷」を眼下に土佐藩邸をイメージされたのかも。

当時とは大幅に改装がされているようでっけど。

(宝井其角の 句碑)


「明星や 桜定めし 山かつら  其角」

最後は昔の長堀川で現在は長堀通りになってまぁ。

(長堀通り 昭和40年代に埋め立てられました)


(長堀通り 昔は長堀川でした)


(大阪市 西区役所)


戦前に義父と義母が北堀江に住んでましたので
除籍謄本がここに保存されているんですわ。

(土佐稲荷の 詳細地図)


中央の交差点が「鰹座橋」でやや左側に在るんが
「土佐稲荷」になりますんや。

今日はこれでお仕舞にしまっさ。

次回は足を延ばして天保山公園の桜を紹介しまひょ。

ほな~ これで、さいなら~🎵







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道明寺天満宮に  梅園を訪ねて

2018-03-08 20:05:44 | 神社
我が家から北へ約2kmぐらいでっかな。

道明寺天満宮の梅園が見頃を迎えたとのこと。

コンデジ提げて散歩をすることにしましたんや。

(道明寺天満宮の 絵馬)


(道明寺天満宮 神門)


江戸時代には道明寺と言うお寺の方が有名だったはず。

廃仏毀釈でお寺の方は近くへ移転さされたんですわ。

お寺の山門が現在は天満宮の神門に成ったようでんな。

(道明寺天満宮 神門を境内の参道から撮影)


(道明寺天満宮の 連注縄)


(道明寺天満宮  青銅製の燈籠)


燈籠の後ろに見えるのは天祥殿と呼ばれる結婚式場。

鉄ちゃん爺やが51年前に結婚披露宴をした会場でっせ。

当時は木造でしたが鉄筋コンクリートの建物に変わりました。

(道明寺天満宮 天祥殿の正門)


この正門だけは51年前と変わってまへんわ。

この門も江戸時代には、お寺の山門だったのかも?

(道明寺天満宮の 大鳥居)


(大鳥居の額をズームアップ)


菅原道真公が亡くなってから天変地異が多発して
京都御所の清涼殿にも落雷し死者が出たようでっせ。

菅原道真公の祟りだとの噂が広まったんだそうな。

それで正一位太政大臣の位を贈呈したそうですわ。

(道明寺天満宮の 拝殿)


(道明寺天満宮の拝殿前で 自撮り)


(道明寺天満宮の ご朱印)


ここは元は「土師寺=はじでら」と呼ぶお寺だったとか。

菅原家は曾祖父の頃までは土師氏を名乗っていたそうで
古墳に埋める埴輪や土器を作る一族だったようですわ。

学者の道を歩む曾祖父の時代に菅原氏に変名したようでんな。

(道明寺天満宮 宝物館)


ここには菅原道真公が太宰府に流される際に残した
鏡や硯など6点の国宝が保管され一般公開がされてまぁ。

当時、菅原道真公の叔母が道明寺の尼寺に入籍されていて
九州に向かう前に立ち寄られたとの逸話が残されてますんや

菅原道真公もここ道明寺が「第二の故郷」として少なくとも
三度は訪れられている記録が残っているそうですわ。

それでは今回の本題である道明寺天満宮の梅園を紹介しまひょ。

(天満宮梅まつり 観梅券 300円)


(見事な枝垂れ梅と 自撮り)


(宝物殿前に咲く 枝垂れ梅)


それでは説明文は抜きで、梅をご堪能してくださいね。

数年目にも訪れてるんでっけど今年は色が少し劣りますな。

(道明寺天満宮 梅園)






































本日はこれでお仕舞にさせてもらいまぁ。

次回は天満宮の盆梅展と道明寺の尼寺を紹介しまひょ。


(追申)

蛇足ながら2月中旬に20年近く私を支えてくれた当時の
社長が肝臓がんで死亡、凄く落ち込んでましたんですわ。

ブログ巡りもお休みして、本日やっと復帰しました。

皆様の元へは土曜日から訪問させていただきますので
よろしくお願いいたします。

鉄ちゃん爺や、とうとう~ クタバッタのかな?

そんな声が聞えてきたようにも思いますけど。

まだ~ しばらくは生きてますので悪しからず。










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石切釼箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)初詣!

2018-01-06 18:44:50 | 神社
大阪人は親しみを込めて「石切さん」と呼びまんねん。

「でんぼの神様」 関西では腫物を「でんぼ」と言いまぁ。

関西では有名な神社でっけど全国的には知られてないかも。

ふりがな入れないと読めない難解な神社でっしゃろ。

(石切劔箭神社の お守り)


毎年の初詣は孫を連れて道明寺天満宮でしたんや。

今年は孫たちが帰ってこないので、息子の車で東大阪市の

「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ)へ。

(石切劔箭神社 三の鳥居)


この三の鳥居と本殿の前に、お百度石が置かれてますんや。

「腫物や癌」の平癒を願って、ぐるぐる回りまんねんで。

本殿と三の鳥居間を時計回りに、無言でお百度参りしますんや。

平日なら数十人の方が、ぐるぐるお百度参りをされてまつせ。

元旦なので初詣の参拝客で、お百度参りすることは不能でんな。

初詣なのに、こんなに参拝客が多いとは想定外でしたわ。

(お百度参りコースには 参拝客の行列が)


社務所で買った100本の「こより」を一周するたびに
本殿にお祈りして、「こより」を1本だけ納めますんや。

100本納めで、お百度参りが結願したことが分かりまぁ。

病気平癒を願い、ひたすら神に祈る真剣な姿なんですよ。

神にすがるしかない、悲痛な祈りだとも言えますかな。

だから写真を撮ることは、憚られますので写しまへん。

この場所から撮影するのは、初詣の今回がお初なんですわ。

(石切劔箭神社=いしきりつるぎやじんじゃ  本殿)




ご祭神は「饒速日命=にぎはやひのみこと」 と

その息子「可美真手命=うましまでのみこと」のお二人。

饒速日命はスサノウノノミコトの三男だとの説がありまぁ。

天照大神の孫だとの説もあり、定かでない神様ですわ。



皇紀2年に神武天皇の命で創建されたとの社伝がおます。

でも約700年前に社殿と宝物殿の全てが焼失してまぁ。

創建された当時の記録は全く残ってないそうですわ。

平安時代の「日本三代実録」によれば、こんな文面が。

「河内の国 正六位の石切劔箭神社に 従五位下を授ける」

だから由緒もある、古い神社である事は確かなんでっせ。

(石切劔箭神社の お守り入れ)


何故、この神様が「でんぼを治す」ご利益があらたかなのか?

大阪人が考え出した、生活の知恵だったのか、それとも昔に
本当に重病の腫物を祈ったら、平癒したのかもしれまへんな。

神社の公式ホームページにも記載はおまへんけど。

私の祖母の時代には「でんぼの神様」で通ってましたで。

鉄ちゃん爺やが祖母に連れられて初めてお参りしたのは
記憶では小学校の1~2年生だったはず。

(本殿前の ご神木)(楠の古木)


ご祭神の ご神威が強固な岩をも切り裂き貫き通すほど
偉大なさまを、社名にした元々は「武の神様」だったはず。

神話によれば、神武天皇が日向の国から攻め上った際に
この地でナガスネヒコと戦って敗れたとされる地でもおます。

饒速日命(にぎはやひのみこと)は神話ではナガスネヒコの
妹を妻にして可美真手命(うましまてのみこと)を生ませた。

可美真手命はナガスネヒコを殺害して神武天皇に帰順したと。

歴史上に現れる物部氏(もののべし)の先祖だとの説がおます。

天皇家が大和に入る前から、土着していた豪族だったのかも?

(元旦のファミレスで  鉄ちゃん爺や親子)




内の奥さんと息子が久しぶりの登場になりまんな。

本日はこれにてお仕舞にしまっせ。

次回は同じく息子の運転で訪れた奈良県の壷阪寺を
紹介することにしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵







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東下り(あずまくだり)5日目 下野の国 二荒山神社へ

2017-10-29 13:12:27 | 神社
天候に恵まれた鉄ちゃん爺やの旅でしたが
この日は一転して荒れ模様のお天気でした。

JR赤羽駅へ出て宇都宮線に乗りますんや。

(E233系 郊外型電車) (JR赤羽駅にて撮影)


手前に見える「13」の標識はJR東京駅から
ここまで13kmの距離があるとの表示でっせ。

(4号車・5号車には グリーン車を連結)


関東では東海道本線・高崎線・宇都宮線・常磐線
総武線などに2両だけグリーン車が連結されてまぁ。

50kmまでと 51km以上で料金が変わりまぁ。

それから、事前に駅で購入した時と、乗車してから
購入した時では大きな差が有るので要注意でっせ。

鉄ちゃん爺やは100kmを超える距離の場合は
グリーン車を利用することにしてますんや。

例    熱海駅 ~ 東京駅 ・ 赤羽駅など
      
         50km迄 ・ 51km以上

平日   事前購入  770円   980円
 
      車内購入 1030円  1240円

土休日  事前納入  570円   780円

      車内購入  830円  1040円

土休日に駅で購入すろのが一番安いんでっせ。

(E232-3017号車) (1号車)


E233系の車両ですが東京駅側1号車はE232で
宇都宮駅側の車両はE233と区別されてますんや。

専門的にはE233/232系 と称するようでんな。

(E233/232系 車内)


宇都宮線・高崎線には1号車・2号車(東京駅側)と
14号車・15号車にはクロスシートとロングシート
併用の車両が連結されてますがクロスシートをお勧め。

総武線は1号車・2号車だけだったように記憶しまぁ。

長旅の車窓はクロスシートでないと気分も出まへん。

(JR宇都宮線 車内で自撮り)


クロスシートの1号車でJR宇都宮駅へ向かいまっせ。

JR赤羽駅では曇り空のお天気でしたが
北上するにつれ、雨が降りだしましたで。

嫌なお天気でっけど、今更ながら戻れまへんがな。

(JR東日本さん 吊り革が三角形に)


JR西日本では昔ながらの丸い吊り革でっけど。

どちらが効率が良いのかは知りまへんけど。

(JR宇都宮線 車内から撮影)






利根川を越えて栃木県に入った頃から雨が
それも激しく降っているとの車内放送で。

とうとうJR宇都宮駅の手前で運転停止!

信号機に落雷したような気配ですわ。

(信号機を点検する JRの職員)




(JR宇都宮駅の手前 徐行運転中)


午前9時を回っているのに夕暮れのような風景。

雨は強く降ったり、弱まったりを繰り返してまぁ。

(JR宇都宮駅 駅名標)




結局25分遅れでJR宇都宮駅に到着でしたわ。

別に急ぐ旅でもないので気を取り直して改札口へ。

(JR日光線 乗り換え案内)


ここから日光へ行けるんですが便が少ないんですわ。

都内からの観光客は浅草駅から東武で行かれるはず。

もしくは最近JRと東武が相互乗り入れをしている
新宿駅発の特急「日光」「きぬがわ」を使いますよね。

(JR宇都宮駅 改札口)


(JR宇都宮駅 改札口で自撮り)


鉄ちゃん爺やが現役時代に新大阪からと単身赴任中には
埼玉県戸田市から月に1度は訪ねた想い出の駅なんですよ。

駅のホームは15年前と変わりなく改札口も同じでしたわ。

(JR宇都宮駅 東口への連絡高架橋)


右側の喫茶店で時間調整のコーヒータイムなどもやりました。

お店のテナントは変わってしまったけど、連絡高架橋は
当時のままで内装だけが改修されたのかもしれまへん。

(JR宇都宮駅 東出口への通路)


(JR宇都宮駅 東出口の 餃子村の風景)

(JR宇都宮駅 東出口)


階段を下りた所が当時はタクシー乗り場でしたんや。

ここから日立の子会社がある平出工業団地まで約2km。

現在は広場を利用して宇都宮餃子の屋台村ができてますわ。

昭和の時代は見劣りがした東出口でしたが、貨物駅を撤去
ビル街が立派に並んだ繁華街になったなの印象でおます。

それでは反対側の西出口へ向かうことにしまひょ。

(JR宇都宮駅 新幹線駅舎)


JR宇都宮駅は西出口がメインで官庁街もこちら側に。

昔からの旧市街地だという表現が正しいのかどうかは不明。

人口約52万人の北関東では最大の都市という事になりまぁ。

宇都宮と言えば「餃子」でしたが最近は静岡県の浜松市が
ライバルとして登場し、売り上げは浜松市が上回ったとか?

首位争いの「餃子戦争」はまだ続いているんだって。

(餃子の像) (JR宇都宮駅 西出口歩道橋)


(餃子の像 説明書き)


餃子の像は元は東出口の階段を下りた処に置かてました。

JR宇都宮駅前の歩道橋が完成した際に移動したらしい。

当時は餃子の像の説明書きは無かったように記憶。

懐かしい餃子の像を背景に自撮りしてバス停に向かいまひょ。

(餃子の碑を 背景に自撮り)


下野の国・一之宮はここから歩いて約1kmチョイかな?

でも雨が降ってるので路線バスに乗ることにしましたんや。

JR宇都宮駅前から大通りを西に向かって走ってまっせ。

(東武の 路線バス車内から)


三つ目のバス停で指を差されて、向こう側ですよと
ドライバーさんの助言に感謝しての下車でした。

(バス停から 二荒山神社の鳥居を撮影)


宇都宮市の名称は二荒山神社の「宮」と、その社家から
出た豪族の宇都宮氏につながるんだそうですわ。

下野の国に「二荒山神社」が二つ有り共に一之宮だとか。

日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)

宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)

呼び方が異なり、ご祭神も違うのが摩訶不思議ですわ。

(二荒山神社 鳥居と石碑)




(二荒山神社への 石段)


歴史はこちら宇都宮の二荒山神社の方が古いとの伝承がおます。

でも江戸時代に日光東照宮の側に置かれていた二荒山神社が
重視されたので、一之宮が二つ並ぶことに成ったのかも?

(二荒山神社 石段から振り返ると)


(二荒山神社の 由緒書き)


(二荒山神社の 拝殿)






(二荒山神社の 拝殿を背景に 自撮り)






ご祭神は 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)

ご配神が 大物主命  (おおものぬしのみこと)

古代の毛野(けの)(けぬ)国が二つに別れて

上毛野 が 上野の国となり 現在の群馬県に

下毛野 が 下野の国となり 現在の栃木県に

おそらく古代の毛野氏を氏神さんとする神社だったはず。

大和朝廷に従属してから崇神天皇(第10代)を頂き
その皇子を、ご祭神にして伝承しているような感じ。

(二荒山神社 ご朱印)


(間紙に こんな お言葉が)


こんな、思いやりのある間紙が添えられてましたで。

一之宮を巡ってるのに気付いての添え書きでししょうか?

(二荒山神社の 社宝)








ご朱印を頂戴する時間を利用して二荒山神社の社宝を拝見

ご当地の豪族だった宇都宮氏が奉納された物のようですわ。

宇都宮氏は平安時代末から豊臣秀吉の時代まで約400年
二荒山神社の神職を兼ねる北関東一の名門武士団だったとか。

(与謝蕪村の 句碑)


(小林一茶の 句碑)


新しい句碑なので江戸時代に二荒山神社を訪れた、そんな
伝承から平成になって建立された句碑かもしれまへん。

最後に、ご神木を撮影して退散することにしまひょ。

(二荒山神社の ご神木)




(二荒山神社 神門を背景に 自撮り)


お天気が良ければ有名な「大谷石=おおやいし」の
石切場が博物館になっているので訪れたかったんですわ。

一度だけ訪れたけど、ゆっくりと見れなかった記憶が。

でも雨が強くなり山手に向かうのを諦めてしまいました。

JR宇都宮駅に帰りは、傘さして歩くことにしまひょ。

(宇都宮市の マンホールの蓋)


(東武・宇都宮駅方向を撮影)


(宇都宮市 案内図)


(宇都宮市内を流れる 田川)




久しぶりに「宇都宮の餃子」を食べたかっんだけどな~

平日の10時30分ではまだオープンしてまへんわ。

(宇都宮 餃子の店舗)




(JR宇都宮駅ビル)






(栃木の名産品 ゆばの刺身)


珍しいので宅配で、栃木のお漬物と合わせて8個ばかりを
大阪へ第1回目のお土産として送りましたんや。

もう少しゆっくり見物をしたかったんですが夕方から大雨
そんなテレビのニュースなので早めに埼玉へ帰らなくちゃ。

何せ栃木県は関東でも有名な夕立と落雷の名所なんですから。

電車が運転中止になる前に埼玉へ戻ることにしまひょ。

(JR浦和駅ホーム にて自撮り)


(JR浦和駅 駅名標)


(JR浦和駅 駅ナカにて 自撮り)


JR浦和駅まで戻ったら、凄い夕立の真っ最中でんがな。

取り敢えず東口のビルにでも逃げ込むことにしまひょ。

昔は県庁所在地の駅にしては不釣り合いのダサイ駅でした
東口の再開発とJR浦和駅の改修が終わってようですわ。

なんとか面目を保つぐらいの東口駅前になったんかも。

この奥に労働基準監督署が在って毎年1~2度ばかり
単身赴任中に戸田市から車で訪れたことがおました。

ごちゃごちゃした建物の密集した古い町並みでしたよ。

(さいたま市 中央図書館 内部)




(JR浦和駅 東出口側の パルコ)


このビルの6階が全て「さいたま中央図書館」ですわ。

凄い夕立なので、ここに逃げ込んで雨宿りでおます。

埼玉県の郷土史など約2時間ばかり読ませて貰いました。

夕方にOBの後輩二人と飲み会を予定してましたので
図書館で時間調整をすることになったんですわ。

我が町の中央図書館の3倍ぐらいある立派な図書館でした。

(JR浦和駅 東口のビル街)


(JR浦和駅前 バスターミナルにて)


戸田市でも良く利用させてもらった国際興業の路線バス。

当時よりもラッピングの色が明るくなつた感じでんな。

(JR浦和駅を 発車する高崎線の電車)


(埼玉県 川口市の マンホールの蓋)


鉄ちゃん爺やの一之宮巡りも今回はこれにて終了です。

関八州の  相模・常陸・下総・上総・武蔵・下野

6カ国を終えて、残すは 安房の国・上野の国 のみ。

この二カ国はJRの駅から相当の距離がおますんで
今回は、最初から無理だなと諦めていたんですわ。

鉄ちゃん爺やの一之宮巡りは終わりましたが、まだまだ
東京都内や埼玉県などの旅は続きまっせ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵




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