JR大宮駅に下車したのは15年ぶりかも?
駅ナカが少し増えたけど構内や連絡通路など
昔と比べ、殆ど変わってない気がしまんねん。
(JR大宮駅 新幹線駅舎)
1982年(昭和57年)6月に東北新幹線が
大宮駅~盛岡駅間に初めて開通しましたんや。
当時は「新幹線リレー号」に大宮駅で乗り換えて
上野駅へ向かうという変則のスタートでしたな。
東京駅までの延伸は事故もあって遅れましたね。
鉄ちゃん爺やが関東への出張ルートは次の通り。
新大阪から新幹線でやってきて東京駅で乗り換え
上野駅で再び乗り換えて在来線で宇都宮駅へ。
現在でも宇都宮駅までなら東北新幹線は不要で
東京駅から直通が出来て便利になったので
在来線で約1時間30分ぐらいでっしゃろか。
(JR大宮駅 中央改札口)
1985年(昭和60年)3月に上野駅まで延伸。
上野駅から物珍しさもあり、初めて宇都宮駅まで
東北新幹線に乗ったのが、その年の6月でしたかな。
新幹線の上野駅って凄い地下深かった記憶がしまぁ。
まさか10年後に新幹線から見える埼玉県戸田市に
単身赴任することに成ろうとは考えもしまへんでした。
出張の帰りに大宮駅で途中下車した事も数回おます。
駅ビルのルミネ2も出来てたような記憶がしますんや。
(JR大宮駅 西口の歩道橋から撮影)
この歩道橋も当時からのままだと記憶しますんや。
画像に見える「そごう大宮店」も昭和から平成に
移り変わる頃にオープンしたように思いまんねん。
多少は補修や改築されたのかもしれまへんけど。
(ユニークな喫茶店) (そごう大宮店 B1)
カンターの前に作られた人工の川に飲み物が
ゆらり~ ゆらり~ と流れてくる仕掛け。
画像は休憩に立ち寄った、鉄ちゃん爺や注文の
コーヒフロートがお盆に乗って流れてきましたで。
この日は猛暑日で一息ついたという状況でおます。
それじゃ喉も潤したので氷川神社へ向かいまひょ。
(JR大宮駅 東口の駅舎)
(JR大宮駅 東口 ターミナル)
西口に比べたら再開発がされてない感じでっけど
昭和の雰囲気のする飲食店などが並んでますわ。
庶民の町なら大宮駅東口という事に成りまっかな。
(旧中山道に 地元サッカーチームの幟)
江戸時代からの中山道がJR東口の一筋先を南北に
通ってまして、昔は大宮宿がこの辺りに在ったとか。
国道17号線はこの辺りは大宮駅の西側に離れてまぁ。
(大宮宿 本陣跡の掲示板)
(居酒屋さんが 昔の本陣跡)
江戸時代には本陣1軒と脇本陣9軒を含めて大きな
宿場だったのが「大宮宿」だったそうでっせ。
大火があったのと明治になり大宮市が鉄道の町となり
江戸時代の賑わいを探しても殆ど見当たりまへん。
こんな掲示板や道端の地蔵さんしか残ってまへんな。
(一の宮通りの 道路標識)
JRでは大宮駅の手前に東京駅から30km標識が。
中山道はこの辺りはJR在来線と並行してますんや。
江戸からは 板橋宿~蕨宿~浦和宿~大宮宿と続く。
江戸から来ても江戸へ向かうにも、良い距離に在り
旅人や参勤交代の人々が1泊することにしたのかも。
(氷川神社 二の鳥居前で自撮り)
ここからは氷川神社の参道が南北に通ってまっせ。
それでは左折して北の方へ歩くことにしまひょ。
江戸時代の寛永年間に氷川神社の参道を通っていた
中山道を西側に新しく付け替えたと言われてまぁ。
神様の参道に牛馬の糞や尿を垂れ流すのは恐れ多い
付け替えは、そんな理由だとの説があるんだって。
(氷川神社の 長い参道)
この参道は約2kmほどあって、神社の参道としては
日本一だとの書き込みがおますが定かではおまへん。
(氷川神社参道 ケヤキの大木)
(氷川神社参道 ケヤキの標識)
(氷川神社参道 クスノキの大木)
(氷川神社参道 クスノキの標識)
ケヤキとクスノキが巧く調和した参道でんな。
鉄ちゃん爺やが歩いた参道は半分ぐらいかも?
参道は中山道との分岐点まで南へ続くようですわ。
武蔵の国 一之宮 氷川神社
現在は「さいたま市大宮区高鼻町」
鉄ちゃん爺やが単身赴任していた頃は大宮市だった
氷川神社の「大いなる宮居」から採用したとか。
2001年(平成13年)5月に浦和市・大宮市
与野市が合併し「さいたま市」と変わりました。
その後、岩槻市が編入され、人口が約129万人を
超える政令指定都市として現在に至って居るそうですわ。
(氷川神社 三の鳥居)
(氷川神社 由緒書き)
ご祭神は 須佐之男命(すさのうのみこと) (夫)
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと) (妻)
大巳貴命 (おおなむちのみこと)(大国主の命)
武蔵の国を縦断する荒川を挟んで氷川神社が約200社
別に、簸川神社と名乗る同じ系統の神様も約60社
東京都内や埼玉県の方には馴染の有る神様のようでんな。
ここが数多い氷川神社の総本社という事になりまんねんで。
(氷川神社の境内)
(氷川神社の 楼門)
楼門を潜ると拝殿や本殿を囲んで広い境内と回廊がおます。
流石は武蔵の国の一之宮であり、立派な神社ですこと。
(氷川神社 拝殿)
(氷川神社 拝殿を背景に自撮り)
東京都内の明治神宮の拝殿と似ているとの説も。
鉄ちゃん爺やは明治神宮は訪れてまへんので不明。
(氷川神社の ご朱印)
(氷川神社の 舞殿)
2月3日の節分の際にはこの舞殿から豆まきが
行われ、多くの参拝者がそれを拾うんだそうですわ。
数多い例祭では、ここで舞楽や舞が奉納されるようでんな。
現在も勅使が派遣される例祭があるとか聞いてまっせ。
(氷川神社の 長い回廊)
今回の一之宮巡りでこの回廊が一番大きく見事でした。
それではJR大宮駅に戻ることにしまひょ。
(氷川神社の 神橋から神池を撮影)
本当は赤い神橋を前に楼門を写したかったけど。
神橋の基礎石を修復の工事中でビニールシートが。
これじゃ、デジカメで撮ってもサマになりまへん。
(奉納された 酒樽)
(地元サッカーチームの 絵馬)
ここからは「四方拝=しほうはい」という儀式を
書きこみたいと思いますんや。
興味のない方は、これ以降はスルーしてくださいね。
「四方拝=しほうはい」について。
元旦の早朝に、天皇陛下が遥拝される「四方拝」
と呼ぶ、重要な皇室祭祀が有るのをご存じかしら?
午前4時(寅の一刻)に起床された天皇陛下は
黄盧染御袍(こうろうぜんのごほう)を着用され
午前5時30分に宮中三殿の神嘉殿の南庭に出御。
天皇陛下以外は何人も見ることも許されないとか。
天地四方の神祇を遥拝される神聖な儀式だそうです。
伊勢神宮 内宮・外宮
天神地祇
神武天皇 山陵
先帝三代の御陵 明治天皇・大正天皇・昭和天皇
その次に、ここ氷川神社を拝されるんだそうです。
順次に 山城の一之宮 上賀茂神社・下鴨神社
石清水八幡宮・熱田神宮
鹿島神宮・香取神宮 と拝されてご退室。
その次に宮中三殿を親拝されて御所に戻られるとか。
この「四方拝」は天皇陛下が自遥拝される年頭の
一番重要な宮中祭祀と言われているそうですよ。
だから、天皇陛下がご病気や喪中などの場合は
御代拝(ごだいはい)は出来ずに中止になるとか。
今回の天皇陛下の、ご退位もこの「四方拝」が
平成24年から、ご高齢の理由で御所の中で仮に
実施されている事に由来するのではとの考え方も。
本来の「四方拝」で国家の安泰と国民の安寧を願う
誠の儀式が出来ないことを心配されての事かとも。
ここ氷川神社は明治天皇が京都から東遷(とうせん)
されて真っ先にお詣りをされた神社だそうです。
武蔵の国に皇居を据えるよしを、氷川神社の三神様に
ご報告されたということに成りますかな。
武蔵の国の、国つ神である氷川神社へいうことですわ。
だから皇室の古くから重要な神社である上賀茂神社や
下鴨神社をさし置いて、一番に遥拝されるようですね。
鉄ちゃん爺やが四方拝される神社がどんな処か
興味を持って一之宮を巡る理由を考えた訳でもおます。
これで四方拝の神社は全てお詣りが終わりましたで。
長々と「四方拝」を書きこみましたが本日は
これにて、お仕舞とさせて頂きます。
(さいたま市の マンホールの蓋)
(JR京浜東北線 普通電車)
鉄ちゃん爺やの東下り(あずまくだり)4日目は終了。
同級生との飲み会の為に川口市のホテルへ向かいました。
次回は一之宮巡りの最後である下野の国を紹介しまひょ。
ほんなら、これで、さいなら~🎵
駅ナカが少し増えたけど構内や連絡通路など
昔と比べ、殆ど変わってない気がしまんねん。
(JR大宮駅 新幹線駅舎)
1982年(昭和57年)6月に東北新幹線が
大宮駅~盛岡駅間に初めて開通しましたんや。
当時は「新幹線リレー号」に大宮駅で乗り換えて
上野駅へ向かうという変則のスタートでしたな。
東京駅までの延伸は事故もあって遅れましたね。
鉄ちゃん爺やが関東への出張ルートは次の通り。
新大阪から新幹線でやってきて東京駅で乗り換え
上野駅で再び乗り換えて在来線で宇都宮駅へ。
現在でも宇都宮駅までなら東北新幹線は不要で
東京駅から直通が出来て便利になったので
在来線で約1時間30分ぐらいでっしゃろか。
(JR大宮駅 中央改札口)
1985年(昭和60年)3月に上野駅まで延伸。
上野駅から物珍しさもあり、初めて宇都宮駅まで
東北新幹線に乗ったのが、その年の6月でしたかな。
新幹線の上野駅って凄い地下深かった記憶がしまぁ。
まさか10年後に新幹線から見える埼玉県戸田市に
単身赴任することに成ろうとは考えもしまへんでした。
出張の帰りに大宮駅で途中下車した事も数回おます。
駅ビルのルミネ2も出来てたような記憶がしますんや。
(JR大宮駅 西口の歩道橋から撮影)
この歩道橋も当時からのままだと記憶しますんや。
画像に見える「そごう大宮店」も昭和から平成に
移り変わる頃にオープンしたように思いまんねん。
多少は補修や改築されたのかもしれまへんけど。
(ユニークな喫茶店) (そごう大宮店 B1)
カンターの前に作られた人工の川に飲み物が
ゆらり~ ゆらり~ と流れてくる仕掛け。
画像は休憩に立ち寄った、鉄ちゃん爺や注文の
コーヒフロートがお盆に乗って流れてきましたで。
この日は猛暑日で一息ついたという状況でおます。
それじゃ喉も潤したので氷川神社へ向かいまひょ。
(JR大宮駅 東口の駅舎)
(JR大宮駅 東口 ターミナル)
西口に比べたら再開発がされてない感じでっけど
昭和の雰囲気のする飲食店などが並んでますわ。
庶民の町なら大宮駅東口という事に成りまっかな。
(旧中山道に 地元サッカーチームの幟)
江戸時代からの中山道がJR東口の一筋先を南北に
通ってまして、昔は大宮宿がこの辺りに在ったとか。
国道17号線はこの辺りは大宮駅の西側に離れてまぁ。
(大宮宿 本陣跡の掲示板)
(居酒屋さんが 昔の本陣跡)
江戸時代には本陣1軒と脇本陣9軒を含めて大きな
宿場だったのが「大宮宿」だったそうでっせ。
大火があったのと明治になり大宮市が鉄道の町となり
江戸時代の賑わいを探しても殆ど見当たりまへん。
こんな掲示板や道端の地蔵さんしか残ってまへんな。
(一の宮通りの 道路標識)
JRでは大宮駅の手前に東京駅から30km標識が。
中山道はこの辺りはJR在来線と並行してますんや。
江戸からは 板橋宿~蕨宿~浦和宿~大宮宿と続く。
江戸から来ても江戸へ向かうにも、良い距離に在り
旅人や参勤交代の人々が1泊することにしたのかも。
(氷川神社 二の鳥居前で自撮り)
ここからは氷川神社の参道が南北に通ってまっせ。
それでは左折して北の方へ歩くことにしまひょ。
江戸時代の寛永年間に氷川神社の参道を通っていた
中山道を西側に新しく付け替えたと言われてまぁ。
神様の参道に牛馬の糞や尿を垂れ流すのは恐れ多い
付け替えは、そんな理由だとの説があるんだって。
(氷川神社の 長い参道)
この参道は約2kmほどあって、神社の参道としては
日本一だとの書き込みがおますが定かではおまへん。
(氷川神社参道 ケヤキの大木)
(氷川神社参道 ケヤキの標識)
(氷川神社参道 クスノキの大木)
(氷川神社参道 クスノキの標識)
ケヤキとクスノキが巧く調和した参道でんな。
鉄ちゃん爺やが歩いた参道は半分ぐらいかも?
参道は中山道との分岐点まで南へ続くようですわ。
武蔵の国 一之宮 氷川神社
現在は「さいたま市大宮区高鼻町」
鉄ちゃん爺やが単身赴任していた頃は大宮市だった
氷川神社の「大いなる宮居」から採用したとか。
2001年(平成13年)5月に浦和市・大宮市
与野市が合併し「さいたま市」と変わりました。
その後、岩槻市が編入され、人口が約129万人を
超える政令指定都市として現在に至って居るそうですわ。
(氷川神社 三の鳥居)
(氷川神社 由緒書き)
ご祭神は 須佐之男命(すさのうのみこと) (夫)
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと) (妻)
大巳貴命 (おおなむちのみこと)(大国主の命)
武蔵の国を縦断する荒川を挟んで氷川神社が約200社
別に、簸川神社と名乗る同じ系統の神様も約60社
東京都内や埼玉県の方には馴染の有る神様のようでんな。
ここが数多い氷川神社の総本社という事になりまんねんで。
(氷川神社の境内)
(氷川神社の 楼門)
楼門を潜ると拝殿や本殿を囲んで広い境内と回廊がおます。
流石は武蔵の国の一之宮であり、立派な神社ですこと。
(氷川神社 拝殿)
(氷川神社 拝殿を背景に自撮り)
東京都内の明治神宮の拝殿と似ているとの説も。
鉄ちゃん爺やは明治神宮は訪れてまへんので不明。
(氷川神社の ご朱印)
(氷川神社の 舞殿)
2月3日の節分の際にはこの舞殿から豆まきが
行われ、多くの参拝者がそれを拾うんだそうですわ。
数多い例祭では、ここで舞楽や舞が奉納されるようでんな。
現在も勅使が派遣される例祭があるとか聞いてまっせ。
(氷川神社の 長い回廊)
今回の一之宮巡りでこの回廊が一番大きく見事でした。
それではJR大宮駅に戻ることにしまひょ。
(氷川神社の 神橋から神池を撮影)
本当は赤い神橋を前に楼門を写したかったけど。
神橋の基礎石を修復の工事中でビニールシートが。
これじゃ、デジカメで撮ってもサマになりまへん。
(奉納された 酒樽)
(地元サッカーチームの 絵馬)
ここからは「四方拝=しほうはい」という儀式を
書きこみたいと思いますんや。
興味のない方は、これ以降はスルーしてくださいね。
「四方拝=しほうはい」について。
元旦の早朝に、天皇陛下が遥拝される「四方拝」
と呼ぶ、重要な皇室祭祀が有るのをご存じかしら?
午前4時(寅の一刻)に起床された天皇陛下は
黄盧染御袍(こうろうぜんのごほう)を着用され
午前5時30分に宮中三殿の神嘉殿の南庭に出御。
天皇陛下以外は何人も見ることも許されないとか。
天地四方の神祇を遥拝される神聖な儀式だそうです。
伊勢神宮 内宮・外宮
天神地祇
神武天皇 山陵
先帝三代の御陵 明治天皇・大正天皇・昭和天皇
その次に、ここ氷川神社を拝されるんだそうです。
順次に 山城の一之宮 上賀茂神社・下鴨神社
石清水八幡宮・熱田神宮
鹿島神宮・香取神宮 と拝されてご退室。
その次に宮中三殿を親拝されて御所に戻られるとか。
この「四方拝」は天皇陛下が自遥拝される年頭の
一番重要な宮中祭祀と言われているそうですよ。
だから、天皇陛下がご病気や喪中などの場合は
御代拝(ごだいはい)は出来ずに中止になるとか。
今回の天皇陛下の、ご退位もこの「四方拝」が
平成24年から、ご高齢の理由で御所の中で仮に
実施されている事に由来するのではとの考え方も。
本来の「四方拝」で国家の安泰と国民の安寧を願う
誠の儀式が出来ないことを心配されての事かとも。
ここ氷川神社は明治天皇が京都から東遷(とうせん)
されて真っ先にお詣りをされた神社だそうです。
武蔵の国に皇居を据えるよしを、氷川神社の三神様に
ご報告されたということに成りますかな。
武蔵の国の、国つ神である氷川神社へいうことですわ。
だから皇室の古くから重要な神社である上賀茂神社や
下鴨神社をさし置いて、一番に遥拝されるようですね。
鉄ちゃん爺やが四方拝される神社がどんな処か
興味を持って一之宮を巡る理由を考えた訳でもおます。
これで四方拝の神社は全てお詣りが終わりましたで。
長々と「四方拝」を書きこみましたが本日は
これにて、お仕舞とさせて頂きます。
(さいたま市の マンホールの蓋)
(JR京浜東北線 普通電車)
鉄ちゃん爺やの東下り(あずまくだり)4日目は終了。
同級生との飲み会の為に川口市のホテルへ向かいました。
次回は一之宮巡りの最後である下野の国を紹介しまひょ。
ほんなら、これで、さいなら~🎵