鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの一人旅   越中の富山市から高岡市へ  

2014-12-07 19:38:11 | 旅行
鉄ちゃん爺やの一人旅も後半戦になりましたで。

10月に訪れた富山市も今日は雪が積ってまっしゃろな。

(富山市水道局の マンホールの蓋)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

立山連峰に雪が降っているデザインでんな。

周りの花は富山市の花で「アザミ」やと思いまんねん。

それでは再びJR富山駅に戻りまひょ。

(JR富山駅前 南口広場の 完成図)


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画像の左側に見える線路は現在は南北に分断されている路面電車を
JR富山駅の下を通過させて相互乗り入れさせる考えのようですわ。

北陸新幹線が来年の3月14日に開業しても在来線の高架工事が
まだ2年ぐらい続くようにHPには載ってまんな。

画像中央の路線バスやタクシー乗り場は間に合いそうでっけど。

(東日本大震災直後の JR富山駅構内) (平成23年4月7日撮影)


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この二枚の画像は東日本大震災の直後に訪れた時に写した物でっせ。

同じ日にJR金沢駅では高架工事は殆んど終って線路の架設も
始まってたのに、JR富山駅は基礎工事が始まったばかりでしたんや。

下の画像には鉄ちゃん爺やが出張で通った改札口附近が残ってまんがな。

これで工事が間に合うのか心配してた懐かしい頃の画像でおます。

なんとか北陸新幹線だけは間に合う感じやけど、在来線や駅前の
工事はやはり約1~2年ぐらい完成が遅れそうでっせ。

(現在の JR富山駅地下 南北連絡通路)


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現在はJR富山駅の南北が分断されているので連絡には都合が良いんだけど
富山駅舎が完成したら1階部分に連絡通路が出来るので不要になるのかな。

今回は話の種にと通路を歩いてJR富山駅北口へ抜けて見まひょ。

(JR富山駅 北口側のビル群)


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鉄ちゃん爺やは昭和の60年代から平成の5年頃まで何度も出張で
JR富山駅には乗り降りもしてるんやけど北側にはビルは無かった記憶。

確かに前回訪れた東日本大震災直後にはビル群は出来てましたけど。

だから昔にはJR富山駅には北口はなかったと記憶してますんや。

(富山ライトレール 超低床の路面電車)


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国鉄の時代は富山港線と呼ぶ路線でしたんや、第三セクター方式で
富山県や富山市が中心になって路面電車に変更して成功した例ですわ。

奥に見える高架は北陸新幹線の富山駅で在来線はまだ現在は地上を
走ってますんや、右側に富山駅の北口仮駅舎が少しだけ見えてまっしゃろ。

この富山ライトレールを新富山駅が完成したら南側の富山地鉄の
路面電車と相互に乗り入れで県民には便利な交通機関になりますんや。

それではJR富山駅の在来線のホームへ入りまひょ。

(JR富山駅 北口仮駅舎)


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実は鉄ちゃん爺やが今回の一人旅で富山へ降り立ったのには
北陸新幹線が金沢駅まで開業したら大きな変動が起きますんや。

現在は特急列車が多く走るJR富山駅は在来線ではローカル駅に
転落してしまい鉄道マニアの好む旧型電車も廃止になりまんねん。

鉄道の画像ばかりが続きますんで興味の無い方はスルーしておくれやす。

まずは鉄ちゃん爺やが一番興味のある電車からスタートしまひょ。

(683系 特急はくたか)(越後湯沢駅~金沢駅間)(北越急行所属車)


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現在は関東の方が富山や金沢へ行かれるには上越新幹線で越後湯沢駅で
乗り換えれば「特急はくたか」が一番早く到着するんですわ。

ただこの「特急はくたか」は北陸新幹線が金沢駅まで開業される
平成27年3月14日には廃止と成ることが決まってますんや。

現在は北越急行の区間は時速160kmで走れる在来線では一番早く
北陸本線内でも時速130kmで走る優等生の列車なんですわ。

ところが北越急行とJR西日本が投入している特急電車なんでっけど
メンテは全てJR西日本の金沢運転所でやってますんや。

運転も越後湯沢駅から直江津駅まではJR東日本の乗務員が運転し
直江津駅から金沢駅まではJR西日本の乗務員に交代しまんねん。


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北越急行の「ほくほく線」と呼ばれる区間は収入の90%が現在は
「特急はくたか」が通過する使用料なんで、北陸新幹線が開通後は
殆んどの利用価値が無くなると以前から云われてましたんや。

北越急行はこの車両を3編成ぐらい保有してますんやけど
来年の3月14日以降は廃車にするのか譲渡するのかは不明でんな。

ただ北陸新幹線が開通する事を考えて北越急行さんは昨年までで
約130億円ぐらいに積立金を保有してますんで10年や20年間は
収入が殆んどなかっても倒産したり廃業することはおまへんけど。

確かに廃車しても問題がないのは、ご立派な経営方針でございます。

北陸新幹線の名称に「はくたか」が残るのがせめてもの救いでっかな。

「はくたか」という名称は立山の開山伝説に出てくる「白い鷹」でっせ

次は同じく新潟駅と金沢駅間を走っている「特急 北越」でおます。

(485系リニューアル車 特急 北越) (JR東日本所属)


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この越中と越後を合わせて「北越」と呼ぶ特急電車も同じく
北陸新幹線の開通の前日で廃止と決まりましたんや。

車両は東北地区や常磐線などへ転用は可能でっけどな。

以上の他に大阪を起点として富山駅まで運行されている
特急サンダーバードや名古屋を起点とする「特急しらさぎ」などは
全てが金沢駅までで終点となりますんや。

この華やかな特急電車ばかりじゃおまへんで。

(455系 近郊形電車)


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この国鉄時代には急行などに使用された455系や475系も現在は
富山駅から直江津駅までの普通電車として辛うじて残ってましたんや。

製造後40年を経過している関係で物持ちの良いJR西日本さんも
鋼鉄製の昔懐かしいこの形式も全て廃車にしてしまうんだって。

(413系 近郊形電車)


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この413系もJR西日本は全て廃車にしたかったようでっけど。

「あいの風 とやま鉄道」に譲渡する新型の521系新型電車が不足で
この413系の内で比較的新しい車両を5編成だけ塗装を塗り替えて
暫定的に走らせるそうですが、もはや引退も時間の問題でしょうな。

(JR富山駅構内 立山そば)


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在来線を北側の貨物線や富山港線の方へ移動したのでお店は
移動したと思いまっけど、デザインは昔のままの立ち喰いの店でっせ。

出張の途中で何度か蕎麦を食べたんで懐かしい風景ですわ。

北陸新幹線が開業したらまずは金沢方面の上り線と高山本線が
新幹線の高架の下にある2階部分に移動し、その後の2年ぐらい先に
画像の下り線ホームが高架へ移って完成となるようでっせ。

このホームの辺りは将来は駅前北口広場になるんでっしゃろな。

最後は富山地方鉄道の珍しい行き先表示板だけを貼り付けて置きまひょ。

(電鉄富山駅構内にて撮影)


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昔の電車はこんな行き先表示のプレート板を付けてましたな。

現在は殆んどの車両がLEDの電光表示板に変ってまっしゃろ。

宇奈月駅など懐かしいプレート板が残されてまんがな。

この富山地方鉄道の電鉄富山駅もまもなく高架の駅に変わるんだって。

それでは鉄ちゃん爺やは次のJR高岡駅に向かいまっせ。

(JR北陸本線 車内にて自分撮り)


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富山市から西へ約20kmの高岡市へ向かいますんや。

本当は金沢まで廻りもう1泊する考えでしたんやけど
台風が接近してJR西日本が関西の列車を止めるとの噂。

そんな訳で次の高岡市が最後の訪問地となりましたんや。

まずは雨晴海岸(あまはらしかいがん)を目指しまっせ。

(JR氷見線 雨晴駅舎)


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雨晴(あまはらし)と云う地名はその昔、源義経が東北へ逃れる途中
夕立に遭いここの岩場で雨が止むのを待ったとの伝説がおますんや。

その岩を現在は義経石と呼んで雨晴海岸の名所に成ってまっせ。

(雨晴海岸=あまはらしかいがん)


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海に浮かぶ小島は「女岩」と呼びますんや、お天気が良ければ
3000m級の立山連峰が海の彼方に見えるんでっせ。

別に「男岩」も海岸寄りに有るそうでっけど写し忘れましたわ。

この日は台風も沖縄辺りまで接近とかで期待は出来まへんでした。

仕方がないので駅構内のパネルを貼り付けて置きまひょ。

(冬場の 雨晴海岸を撮影したパネル)


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こんな素晴らしい写真が撮れるのは冬場の雪が止んだ後の日の出で
一年間でもそう度々は見れないとの駅員さんのお話しでしたわ。

私は平成4年12月に悪友とこの先にある氷見の民宿で忘年会をした翌日
この海岸から見事な立山連峰の雄姿を見たことがおますんや。

画像の様に凄く近くに立山連峰の雪景色が浮かび上がってましたで。

(雨晴海岸から 能登半島を望む)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

日本海は富山湾の波打ち際でっせ、この日は台風も接近してるので
普段は静かな日本海も冬の海のように少し波が荒いようでしたわ。

能登半島が遠くに見えてまっけど左手が氷見市でブリ漁で有名な漁港。

12月になると天然ものの「ブリ」が富山県民の愛する魚でっせ。

昔はブリ一匹を嫁の実家から婿の実家に持参して帰りに一部を頂いて
帰って来ると云う年末の風習が戦後まで富山県では続いていたとの話。

富山から飛騨の高山までの街道を「ブリ街道」とも呼んだそうですわ。

(雨晴海岸の マンホールの蓋)


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おそらく高岡市に合併される前に作られたデザインでっしょろな。

雨晴海岸に立山が描かれた観光地にお似合いのマンホールの蓋でっしゃろ。

(JR氷見線 雨晴駅ホームにて 自分撮り)


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(JR雨晴駅 構内から女岩を望む)


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画像の向こう側に「女岩」と雨晴海岸が見えてまっせ。

勿論ここはローカル線だから線路は全て単線でんな。

立山連峰が見えないのが残念でっけど高岡市内へ戻りまひょ。

(高岡市内 大仏寺の入口)


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(高岡大仏 & 本堂)


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(高岡大仏の 由来が書かれた説明板)


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日本三大仏の一つと云われてるようですが鉄ちゃん爺やは知りまへんでした。

確かに奈良の大仏それに鎌倉の大仏は有名でっけど三番目かはどうなんでしょう?

何度も焼けて1907年(明治40年)から高岡の特産品である銅製で造られ
1933年(昭和8年)に完成した比較的新しい大仏さまのようですな。

何せ日本で銅製の容器の90%は高岡市の製造だと云われてまんねんで。

(高岡大仏 ズームアップ)


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正式のお名前は銅造り阿弥陀如来座像とお呼びするんだって。

与謝野晶子さんがこの大仏さんを見て鎌倉の大仏さまより
美しくてお優しい顔だと云ったとの伝説がおますんやて。

(江戸時代の 木造高岡大仏の頭部)


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高岡大仏の台座の下は回廊に成ってますんや。

そこに1900年(明治33年)に焼失した高岡大仏さまの
頭部だけが残っていて展示されてますんや。

当時は木造の大仏さまだったようでっけど、高岡の銅製品を
製造する職人さんが焼けない大仏さんを造ろうと考えたようですわ。

現在の大仏さまは高さが15.85mで重量が65トンもおまっせ。

でも江戸時代の大仏さまより優しくて男前なのは確かでおますな。

(高岡市の 名所3カ所)


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雨晴海岸(あまはらしかいがん)と高岡大仏は今回で紹介しましたが
最後の曹洞宗・瑞龍寺は次回のブログにさせて頂きまっさ。

実は瑞龍寺にお祀りされている加賀100万石を成し遂げたお殿様で
前田利長と云う方がいらっしゃって、歴史上ではあまり有名じゃないけど
非常に興味を覚えて今回は高岡市を訪れて見たんですわ。

今回はこれでお仕舞いにさせてもらいますが、次回は
その加賀百万石・二代目当主の前田利長を中心に紹介させて貰いまっさ。

彼の築城した高岡城址と弟の前田利常が建立した菩提寺の国宝・瑞龍寺
そして八丁道から前田利長公の墓所までを予定しておきまひょ。

ほんなら、これでさいなら~♪



コメント (18)
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