和歌山県で桜の名所と云えば紀三井寺・粉河寺・根来寺となりまぁ。
紀三井寺は関西で一番先に開花するので有名なんでっせ。
根来寺に鉄ちゃん爺やが訪れるのは初めてでおます。
何せ交通の便が悪いので行きそびれてましたんや。
(JR和歌山線 岩出駅舎)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
我が家から車なら約1時間ぐらいで行けるお寺なんですがね。
鉄道なら近鉄・南海・JRと乗り継いでこの駅までが約2時間。
もちろん急行や特急など走らないJRのローカル線でおます。
ここから町のコミュニテイバスで180円払って約15分。
お客は緑化センターで下車したのでバスは私だけの貸し切り。
(根来寺 入口の道路標識)
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(根来橋)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この根来寺というお寺は桜の名所で有ると共に。
豊臣秀吉の「根来攻め」で日本歴史に登場するお寺でおます。
昔は堂塔が2700もあり根来衆と呼ばれた僧兵が約1万人も居たとか。
紀州だけじゃなく和泉や南河内まで領地を広げ72万石ともいわれてまぁ。
江戸時代の紀州・徳川家が55万石でっさかいにそれよりも大きかった。
あの比叡山を焼き打ちした織田信長も一目おいて攻められなかったとか。
雑賀衆と提携し数千丁の鉄砲を保持していたんだって。
豊臣秀吉は小牧長久手の戦いに際して根来寺が徳川家康に味方し
大阪の岸和田まで攻めてきたのにカンカンになったのかな。
10万の大軍で一気に攻めよせて根来寺を全山焼いてしまったそうな。
1万人近くいた僧兵も皆殺しにしてしまったようだね。
同じお寺を焼いてしまったのに比叡山の織田信長は批判されて
根来寺の豊臣秀吉は別段に批判されていないのは如何に?
(現在の根来寺 航空写真)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在でも境内は約36万坪あるけど、当時はその数倍はあったとか。
三方が山に囲まれた城郭のようなお寺だったようだね。
このお寺は平安時代の1140年(保延6年)覚鑁(かくばん)上人が
高野山の金剛峯寺との争いを避けて移り住んだのがスタートのようでんな。
保守派の金剛峯寺と新興勢力の覚鑁(かくばん)上人の大伝法院派の争い。
(根来寺の由来書き)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
覚鑁上人は真言宗では中興の祖と云われ江戸時代の元禄期に
朝廷から、興教大師の尊号を頂いているそうですわ。
この方の流れを引き継いでいるのが新義真言宗と呼ばれ現在は
真言宗智山派(智積院=京都)や真言宗豊山派(長谷寺=奈良)
成田山新勝寺や川崎大師などがこの真言宗智山派の別格本山でっせ。
それじゃ境内へ入り参拝させてもらいまひょ。
(国宝 根本大塔 室町時代の創建)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
豊臣秀吉の「根来攻め」に際し奇跡的に焼失を免れましたんや。
壁面の柱に火縄銃の弾痕が今も残っていると書かれてましたで。
我が国で木造・多宝塔としては最大で高さは約40mもおます。
創建は1496年(明応5年)三代将軍・足利義満さんの時代でんな。
明治32年から国宝に指定されている貴重な文化財でっせ。
(根来寺 大傳法堂)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「根来攻め」の際に焼け残ったこの大傳法堂が豊臣秀吉の命令で
解体して京都市内へ移そうとしたんだが、拝領したと勘違いした
僧侶が罪に成り、解体された傳法堂は朽ち果ててしまったんだって。
江戸時代になってから本尊の大日如来他三体の仏像だけは
根来寺の再建が許されたので戻ってきたとのこど。
その朽ち果てた場所が大阪市此花区伝法町だとの説があるとか。
真言宗では本尊が大日如来さんで一番大事な仏さまなんだって。
(根来寺の 本尊 大日如来)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
堂内は撮影禁止なので外から大日如来さんだけを写しました。
ここは根来寺の僧侶が本尊の前で厳しい修業をするお堂なんだって。
この建物は江戸時代後半の1827年(文政10年)の再建だとか。
真言宗では大日如来が本地仏として説法するんだと考えるのが
「古義真言宗」で高野山・京都東寺・京都醍醐寺・四国善通寺
京都大覚寺・京都仁和寺 等の真言宗になります。
それに対して「新義真言宗」では大日如以来がさまざまな姿で
現れて加持説法するとの説で、それぞれ教義が異なるようですわ。
根来寺は徳川時代に成ってから秀吉の長男鶴松の菩提寺を拝領して
塔頭だった智積院が東山七条に大きなお寺を本山にしてますんや。
これが現在の真言宗智山派とよばれる大きな教団になりまぁ。
同じく奈良の長谷寺へ逃れた一派が真言宗豊山派として独立。
まあ~ 根来寺を二つに分裂させてしまったんですわ。
一向宗を東本願寺と西本願寺に分裂させたのと同じ宗教政策?
(根来寺 寺紋 三つ柏)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
関東の川崎大師さんは「丸に三つ柏」の紋だったような記憶。
同じ新義真言宗系だから根来寺から寺紋を採用したのかしら?
(根来寺の ご朱印)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
普通は真言宗なら大日如来さんのご朱印なんですが
今回は、興教大師さんのご朱印を貰って来ましたんや。
このお寺は興教大師さん所縁の故地ですからね。
それでは根来寺の本坊を見学させて貰いまひょかな。
(根来寺 本坊)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
本坊とは根来寺の一番偉い僧侶で座主(ざしゅ)が住まれる建物で
これは江戸時代に紀州・徳川家から拝領した物なんだって。
名草御殿・湊御殿・別院の三つの建物で出来ているんだそうな。
画像はその一つで「名草御殿」だったと記憶します。
周囲は奇麗な日本庭園になってまっせ。
(根来寺 本坊の庭園)
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(根来 手水鉢と呼ぶそうな)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
面白い形をした手水鉢なので撮影しましたんや。
こんな形のは今まで見たこともおまへんわ。
(本坊から 屋外の桜を撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
本坊の隣は光明真言殿と云い当時は持仏堂だったようですな。
中央に興教大師さんの尊像を挟んで左右には歴代の座主さんの位牌。
紀州徳川家の藩主や根来寺の信徒さんの位牌も安置されてますんや。
(光明真言殿 内部の祭壇)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
中央に根来寺の座主がそして周りを根来寺の僧侶が
日夜にわたりここで回向をされる場所のようですな。
この光明真言殿を表から写したらこんな感じ。
(根来寺 光明真言殿)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この建物も江戸時代1801年(享和元年)に再建されたそうでっせ。
江戸時代には紀州・徳川家から篤いお布施が納められていたようですわ。
国宝の根本大塔の側に奇麗な桜が咲いてましたんで貼り付けておきまひょ。
(根来寺 境内の桜)
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(可愛い 童顔のお地蔵さん)
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普通はこの山門(大門)から境内に入るんでしょうがね。
バスでやってきたもんで帰りに潜る事になりましたんや。
(根来寺 大門)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この大きな門は1850年(嘉永3年)の幕末に完成したそうで
昔の大きな根来寺にふさわしい大門で高さ約17m 幅約18m
この大門を背景にした桜も見事で奇麗でしたで。
(根来寺 大門 & 満開の桜)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
根来寺から帰りはコミュニテイバスが無いので歩くことにしました。
県道まで約2kmぐらいの道を桜を観ながら散策でおます。
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(根来東 バス停)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここから和歌山バスでJRの阪和線の方へ抜ける事にしまひょ。
次回はJR阪和線で昔から桜の鉄道写真のメッカ山中渓駅を紹介しまひょ。
ほんなら~ 今日はこれでさいなら~♪
紀三井寺は関西で一番先に開花するので有名なんでっせ。
根来寺に鉄ちゃん爺やが訪れるのは初めてでおます。
何せ交通の便が悪いので行きそびれてましたんや。
(JR和歌山線 岩出駅舎)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
我が家から車なら約1時間ぐらいで行けるお寺なんですがね。
鉄道なら近鉄・南海・JRと乗り継いでこの駅までが約2時間。
もちろん急行や特急など走らないJRのローカル線でおます。
ここから町のコミュニテイバスで180円払って約15分。
お客は緑化センターで下車したのでバスは私だけの貸し切り。
(根来寺 入口の道路標識)
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(根来橋)
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この根来寺というお寺は桜の名所で有ると共に。
豊臣秀吉の「根来攻め」で日本歴史に登場するお寺でおます。
昔は堂塔が2700もあり根来衆と呼ばれた僧兵が約1万人も居たとか。
紀州だけじゃなく和泉や南河内まで領地を広げ72万石ともいわれてまぁ。
江戸時代の紀州・徳川家が55万石でっさかいにそれよりも大きかった。
あの比叡山を焼き打ちした織田信長も一目おいて攻められなかったとか。
雑賀衆と提携し数千丁の鉄砲を保持していたんだって。
豊臣秀吉は小牧長久手の戦いに際して根来寺が徳川家康に味方し
大阪の岸和田まで攻めてきたのにカンカンになったのかな。
10万の大軍で一気に攻めよせて根来寺を全山焼いてしまったそうな。
1万人近くいた僧兵も皆殺しにしてしまったようだね。
同じお寺を焼いてしまったのに比叡山の織田信長は批判されて
根来寺の豊臣秀吉は別段に批判されていないのは如何に?
(現在の根来寺 航空写真)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在でも境内は約36万坪あるけど、当時はその数倍はあったとか。
三方が山に囲まれた城郭のようなお寺だったようだね。
このお寺は平安時代の1140年(保延6年)覚鑁(かくばん)上人が
高野山の金剛峯寺との争いを避けて移り住んだのがスタートのようでんな。
保守派の金剛峯寺と新興勢力の覚鑁(かくばん)上人の大伝法院派の争い。
(根来寺の由来書き)
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覚鑁上人は真言宗では中興の祖と云われ江戸時代の元禄期に
朝廷から、興教大師の尊号を頂いているそうですわ。
この方の流れを引き継いでいるのが新義真言宗と呼ばれ現在は
真言宗智山派(智積院=京都)や真言宗豊山派(長谷寺=奈良)
成田山新勝寺や川崎大師などがこの真言宗智山派の別格本山でっせ。
それじゃ境内へ入り参拝させてもらいまひょ。
(国宝 根本大塔 室町時代の創建)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
豊臣秀吉の「根来攻め」に際し奇跡的に焼失を免れましたんや。
壁面の柱に火縄銃の弾痕が今も残っていると書かれてましたで。
我が国で木造・多宝塔としては最大で高さは約40mもおます。
創建は1496年(明応5年)三代将軍・足利義満さんの時代でんな。
明治32年から国宝に指定されている貴重な文化財でっせ。
(根来寺 大傳法堂)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「根来攻め」の際に焼け残ったこの大傳法堂が豊臣秀吉の命令で
解体して京都市内へ移そうとしたんだが、拝領したと勘違いした
僧侶が罪に成り、解体された傳法堂は朽ち果ててしまったんだって。
江戸時代になってから本尊の大日如来他三体の仏像だけは
根来寺の再建が許されたので戻ってきたとのこど。
その朽ち果てた場所が大阪市此花区伝法町だとの説があるとか。
真言宗では本尊が大日如来さんで一番大事な仏さまなんだって。
(根来寺の 本尊 大日如来)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
堂内は撮影禁止なので外から大日如来さんだけを写しました。
ここは根来寺の僧侶が本尊の前で厳しい修業をするお堂なんだって。
この建物は江戸時代後半の1827年(文政10年)の再建だとか。
真言宗では大日如来が本地仏として説法するんだと考えるのが
「古義真言宗」で高野山・京都東寺・京都醍醐寺・四国善通寺
京都大覚寺・京都仁和寺 等の真言宗になります。
それに対して「新義真言宗」では大日如以来がさまざまな姿で
現れて加持説法するとの説で、それぞれ教義が異なるようですわ。
根来寺は徳川時代に成ってから秀吉の長男鶴松の菩提寺を拝領して
塔頭だった智積院が東山七条に大きなお寺を本山にしてますんや。
これが現在の真言宗智山派とよばれる大きな教団になりまぁ。
同じく奈良の長谷寺へ逃れた一派が真言宗豊山派として独立。
まあ~ 根来寺を二つに分裂させてしまったんですわ。
一向宗を東本願寺と西本願寺に分裂させたのと同じ宗教政策?
(根来寺 寺紋 三つ柏)
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関東の川崎大師さんは「丸に三つ柏」の紋だったような記憶。
同じ新義真言宗系だから根来寺から寺紋を採用したのかしら?
(根来寺の ご朱印)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
普通は真言宗なら大日如来さんのご朱印なんですが
今回は、興教大師さんのご朱印を貰って来ましたんや。
このお寺は興教大師さん所縁の故地ですからね。
それでは根来寺の本坊を見学させて貰いまひょかな。
(根来寺 本坊)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
本坊とは根来寺の一番偉い僧侶で座主(ざしゅ)が住まれる建物で
これは江戸時代に紀州・徳川家から拝領した物なんだって。
名草御殿・湊御殿・別院の三つの建物で出来ているんだそうな。
画像はその一つで「名草御殿」だったと記憶します。
周囲は奇麗な日本庭園になってまっせ。
(根来寺 本坊の庭園)
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(根来 手水鉢と呼ぶそうな)
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面白い形をした手水鉢なので撮影しましたんや。
こんな形のは今まで見たこともおまへんわ。
(本坊から 屋外の桜を撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
本坊の隣は光明真言殿と云い当時は持仏堂だったようですな。
中央に興教大師さんの尊像を挟んで左右には歴代の座主さんの位牌。
紀州徳川家の藩主や根来寺の信徒さんの位牌も安置されてますんや。
(光明真言殿 内部の祭壇)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
中央に根来寺の座主がそして周りを根来寺の僧侶が
日夜にわたりここで回向をされる場所のようですな。
この光明真言殿を表から写したらこんな感じ。
(根来寺 光明真言殿)
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この建物も江戸時代1801年(享和元年)に再建されたそうでっせ。
江戸時代には紀州・徳川家から篤いお布施が納められていたようですわ。
国宝の根本大塔の側に奇麗な桜が咲いてましたんで貼り付けておきまひょ。
(根来寺 境内の桜)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(可愛い 童顔のお地蔵さん)
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普通はこの山門(大門)から境内に入るんでしょうがね。
バスでやってきたもんで帰りに潜る事になりましたんや。
(根来寺 大門)
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この大きな門は1850年(嘉永3年)の幕末に完成したそうで
昔の大きな根来寺にふさわしい大門で高さ約17m 幅約18m
この大門を背景にした桜も見事で奇麗でしたで。
(根来寺 大門 & 満開の桜)
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根来寺から帰りはコミュニテイバスが無いので歩くことにしました。
県道まで約2kmぐらいの道を桜を観ながら散策でおます。
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(根来東 バス停)
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ここから和歌山バスでJRの阪和線の方へ抜ける事にしまひょ。
次回はJR阪和線で昔から桜の鉄道写真のメッカ山中渓駅を紹介しまひょ。
ほんなら~ 今日はこれでさいなら~♪