大阪府堺市は人口が83万8千人の政令指定都市でっせ。
大阪市に次ぐ人口と面積を持ち中世には東洋のベニスと呼ばれ
現在は大阪府では南部地区最大のベットタウンと言えまっかな。
今回から2回に分けて堺市のお話をさせてもらいまよ。
(堺市 マンホールの蓋)
堺市の花木はツツジ 堺市の鳥はモズ
堺市の花は 花菖蒲
それら三つを巧くデザインしたようでんな。
まずは堺市の市役所の展望台へ行ってみまひょ。
(堺市役所 高層館)
ここの21階に360度を見渡せる展望台がおますんや。
市役所でっしゃろ、当然ながら入場料は無料だっせ。
高さが80mと説明がおますんで結構と周囲が見渡せますわ。
この日は、雨でしたんで視界がいまいちでしたんや
当日の画像と館内説明パネルを合わせて貼り付けまひょ。
(世界一の 仁徳天皇陵)(大仙古墳)
堺市役所の展望台から眺めたら南東の方角になりまっせ。
鉄ちゃん爺やの地元に在る古市古墳群と合わせて近いうちに
世界文化遺産に登録を申請する百舌鳥古墳群の中心的なシンボル。
(刺繍で作成された 仁徳天皇陵)
鉄ちゃん爺やが高校生だった昭和33年に悪友の男女7人で
画像の右手の後円墳のお濠を二つ越え内堀から御陵を眺めながら
左側に歩いて拝所が在る中央やや左の処から脱出しましたんや。
現在なら拝所の処に宮内庁の係員が居られるので捕まるでしょうな。
あの日は日曜日だったので係員はお休みだったはず。
現在は監視も厳しいとか、けしてマネはしないで頂戴ね。
(日本で第三位の面積 履中天皇陵)
家原寺と書かれているのは有名な行基菩薩(ぎょうぎぼさつ)が
生まれた場所に自らが建立した第一号のお寺だとのこと。
落書き寺で有名な寺院だそうですがまだ訪れたことはおまへん。
あの辺りは昔は和泉の国で大鳥郡と呼ばれていたんだって。
今度は反対側へ北の方角へ回ってみまっせ。
晴れてたら、あべのハルカスビルも見えるんでっけどな。
やはり~ この日は梅雨空で2kmぐらい先までしか見えまへんわ。
あの霞んだ左手ぐらい大阪市の住之江区に鉄ちゃん爺やは
学生時代から独身時代までを過ごしたんですが見えまへんわ。
あべのハルカスまでは約8kmぐらいおますからダメでんな。
(大阪市内の方角を撮影)
展望台から真下の北東の方向を写してみまっさ。
左手が堺銀座と呼ばれる繁華街でっけど昔より寂れてますわ。
戦後のヤミ市からスタートし昭和の時代には堺市内で
一番賑わったのが堺銀座だったとか聞きましたけど。
(南海高野線 堺東駅前付近)
少しだけカメラを遠くに振って見まひょ。
堺市役所から眺めて同じく北東の方角になりまっせ。
こんもり茂った森が反正天皇の御陵でおます。
(反正天皇陵 & ツインビル)
これから向かう方違神社(ほうちがいじんじゃ)と
帰り道になるJR堺市駅前のツインビルが見えてまんな。
それじゃ下へ降りて1kmちょいぐらいでっかな
方違神社(ほうちがいじんじゃ)へ向かって歩きまっせ。
(南海高野線 堺東駅舎)
この駅の裏側に回り込んで大阪府道12号線を東へ向かいまひょ。
中世には大津道と呼び江戸時代には長尾街道と呼びましたんや。
堺東駅を撮影したこちら側は竹内街道(たけのうちかいどう)で
日本で一番古い国道としてテレビなどで紹介されましたかな。
竹内街道(たけのうちかいどう)と長尾街道は1km~2km
離れて平行して東の方へ続き奈良県の葛城市・長尾神社で合流し
そこからは横大路(よこおうじ)となり飛鳥の都に繋がってましたんや。
どちらが古いのか定かじゃおまへんけど、ルートが比較的はっきりと
残っている竹内街道(たけのうちかいどう)の方が日本一古いとPR中。
因みに竹内街道(たけのうちかいどう)は鉄ちゃん爺やの自宅から
北側約00mぐらいの旧町のど真ん中を通過してますんや。
(昔の長尾街道 &方違神社の標識)
方違神社(ほうちがいじんじゃ)の前で中世までは熊野古道が南北に交差
現在の大阪市・天満橋から上町台地を通ってここを通過してましたんや。
だから熊野詣の上皇や貴族たちも、ここに立ち寄って旅の無事を祈り
今はなき熊野九十九王子の神社を辿り遠い熊野まで向かったそうですわ。
九十九の王子神社が在った訳じゃなく13世紀の最盛期でも
確認できるのは80か所ぐらいだとか、数が多いの意味でっせ。
九十九王子神社で残ってるのは大阪市内の阿倍野王子神社だけ
で明治以降にほとんどが消滅したとも書かれてますな。
(北三国ヶ丘町の 住居表示)
中世まではこの辺りは三国山と呼ぶ本来は山ちゅうよりは丘でっけど。
歩いてみないと判断できないぐらいの緩やかな登り坂でしたわ。
大阪城から南へ低くなりながらも続く上町台地の先端でっかな。
(方違神社=ほうちがいじんじゃ 境内)
この神社は関西に住んだ経験のある方なら、ご存じだろうが
他国の方には、おそらく名前も聞いたことのない神様でしょうな。
この神社の御由緒によれば、おそらく奈良に都がある時代?
摂津の国・河内の国・和泉の国 三国の境にあると言えども
どこの国にも属さず、方位のない聖地に在ると言う考えから
方災除けの神として崇められたと記されてますんや。
だからこの辺りの地名は現在でも三国ヶ丘と呼びまんねんで。
堺市の名前も摂津と和泉の境から転じたと言われてまんな。
(方違神社=ほうちがいじんじゃ 由来の説明板)
読めますか? 途中の所に凄いことが書かれてまっせ。
明治元年に京都から東京に遷都するに際して17日間もの日数
大きな災いが無きようにと方違神社で祈祷が行われたんだって。
大阪人は方角の悪い処へ引っ越ししたり、建物を新築する場合は
ここ方違神社(ほうちがいじんじゃ)でご祈祷をして貰いますんや。
(方違神社=ほうちがいじんじゃ 拝殿)
余談でっけど鉄ちゃん爺やが関東への単身赴任が決まった際に
今は亡き養母が関東は方位が悪いとかで、電車を乗り継いで
一週間前に、ご祈祷にお参りしたと後日、身内から聞かされました。
そのご利益があったのかどうかは分かりませんが、鉄ちゃん爺やが
立ち上げた会社が現在もグループで一番の好業績を続けているとか。
それでは長尾街道を歩いてJR堺市駅の方へ向かうとしまひょ。
(長尾街道と堺大和路線の分岐点)
左手がJR堺市駅を通過して行く昔の長尾街道になりまっせ。
右手は明治になってから開通した大阪府道・堺大和路線ですわ。
鉄ちゃん爺やが学生時代には大阪府道・堺大和高田線と言ってたね。
(大阪刑務所)
鉄ちゃん爺やが学生時代にはコンクリート壁の所々に見張りの
高い塔が見られたが、今は機械やセンサーで監視してるのかな。
30年ぶりに通るので刑務所のイメージも様変わりしました感じ。
この大阪刑務所は大正9年(1920年)に大阪市内の堀川刑務所から
移設され、現在も死刑囚を含む大阪では重要な刑務所なんだって。
周りには11棟もの刑務官の官舎が現在も使用されてましたで。
現在も200人以上の刑務官が官舎に住んでることになりまんな。
(JR堺市駅前の ツインビル)
(JR堺市駅 ~ JR大阪駅のきつぷ)
考えたら堺市内から大阪駅まで300円とは安く感じますな。
JR西日本さんは私鉄と競合する区間だけは安く成ってますんや。
(JR天王寺駅構内から あべのハルカスを撮影)
順序が逆になりましたが次回は堺市の古き良き時代の街中を
歩いてきましたのでそれを紹介しまひょ。
ほんなら~ 今日はこれで さいなら~♪
大阪市に次ぐ人口と面積を持ち中世には東洋のベニスと呼ばれ
現在は大阪府では南部地区最大のベットタウンと言えまっかな。
今回から2回に分けて堺市のお話をさせてもらいまよ。
(堺市 マンホールの蓋)
堺市の花木はツツジ 堺市の鳥はモズ
堺市の花は 花菖蒲
それら三つを巧くデザインしたようでんな。
まずは堺市の市役所の展望台へ行ってみまひょ。
(堺市役所 高層館)
ここの21階に360度を見渡せる展望台がおますんや。
市役所でっしゃろ、当然ながら入場料は無料だっせ。
高さが80mと説明がおますんで結構と周囲が見渡せますわ。
この日は、雨でしたんで視界がいまいちでしたんや
当日の画像と館内説明パネルを合わせて貼り付けまひょ。
(世界一の 仁徳天皇陵)(大仙古墳)
堺市役所の展望台から眺めたら南東の方角になりまっせ。
鉄ちゃん爺やの地元に在る古市古墳群と合わせて近いうちに
世界文化遺産に登録を申請する百舌鳥古墳群の中心的なシンボル。
(刺繍で作成された 仁徳天皇陵)
鉄ちゃん爺やが高校生だった昭和33年に悪友の男女7人で
画像の右手の後円墳のお濠を二つ越え内堀から御陵を眺めながら
左側に歩いて拝所が在る中央やや左の処から脱出しましたんや。
現在なら拝所の処に宮内庁の係員が居られるので捕まるでしょうな。
あの日は日曜日だったので係員はお休みだったはず。
現在は監視も厳しいとか、けしてマネはしないで頂戴ね。
(日本で第三位の面積 履中天皇陵)
家原寺と書かれているのは有名な行基菩薩(ぎょうぎぼさつ)が
生まれた場所に自らが建立した第一号のお寺だとのこと。
落書き寺で有名な寺院だそうですがまだ訪れたことはおまへん。
あの辺りは昔は和泉の国で大鳥郡と呼ばれていたんだって。
今度は反対側へ北の方角へ回ってみまっせ。
晴れてたら、あべのハルカスビルも見えるんでっけどな。
やはり~ この日は梅雨空で2kmぐらい先までしか見えまへんわ。
あの霞んだ左手ぐらい大阪市の住之江区に鉄ちゃん爺やは
学生時代から独身時代までを過ごしたんですが見えまへんわ。
あべのハルカスまでは約8kmぐらいおますからダメでんな。
(大阪市内の方角を撮影)
展望台から真下の北東の方向を写してみまっさ。
左手が堺銀座と呼ばれる繁華街でっけど昔より寂れてますわ。
戦後のヤミ市からスタートし昭和の時代には堺市内で
一番賑わったのが堺銀座だったとか聞きましたけど。
(南海高野線 堺東駅前付近)
少しだけカメラを遠くに振って見まひょ。
堺市役所から眺めて同じく北東の方角になりまっせ。
こんもり茂った森が反正天皇の御陵でおます。
(反正天皇陵 & ツインビル)
これから向かう方違神社(ほうちがいじんじゃ)と
帰り道になるJR堺市駅前のツインビルが見えてまんな。
それじゃ下へ降りて1kmちょいぐらいでっかな
方違神社(ほうちがいじんじゃ)へ向かって歩きまっせ。
(南海高野線 堺東駅舎)
この駅の裏側に回り込んで大阪府道12号線を東へ向かいまひょ。
中世には大津道と呼び江戸時代には長尾街道と呼びましたんや。
堺東駅を撮影したこちら側は竹内街道(たけのうちかいどう)で
日本で一番古い国道としてテレビなどで紹介されましたかな。
竹内街道(たけのうちかいどう)と長尾街道は1km~2km
離れて平行して東の方へ続き奈良県の葛城市・長尾神社で合流し
そこからは横大路(よこおうじ)となり飛鳥の都に繋がってましたんや。
どちらが古いのか定かじゃおまへんけど、ルートが比較的はっきりと
残っている竹内街道(たけのうちかいどう)の方が日本一古いとPR中。
因みに竹内街道(たけのうちかいどう)は鉄ちゃん爺やの自宅から
北側約00mぐらいの旧町のど真ん中を通過してますんや。
(昔の長尾街道 &方違神社の標識)
方違神社(ほうちがいじんじゃ)の前で中世までは熊野古道が南北に交差
現在の大阪市・天満橋から上町台地を通ってここを通過してましたんや。
だから熊野詣の上皇や貴族たちも、ここに立ち寄って旅の無事を祈り
今はなき熊野九十九王子の神社を辿り遠い熊野まで向かったそうですわ。
九十九の王子神社が在った訳じゃなく13世紀の最盛期でも
確認できるのは80か所ぐらいだとか、数が多いの意味でっせ。
九十九王子神社で残ってるのは大阪市内の阿倍野王子神社だけ
で明治以降にほとんどが消滅したとも書かれてますな。
(北三国ヶ丘町の 住居表示)
中世まではこの辺りは三国山と呼ぶ本来は山ちゅうよりは丘でっけど。
歩いてみないと判断できないぐらいの緩やかな登り坂でしたわ。
大阪城から南へ低くなりながらも続く上町台地の先端でっかな。
(方違神社=ほうちがいじんじゃ 境内)
この神社は関西に住んだ経験のある方なら、ご存じだろうが
他国の方には、おそらく名前も聞いたことのない神様でしょうな。
この神社の御由緒によれば、おそらく奈良に都がある時代?
摂津の国・河内の国・和泉の国 三国の境にあると言えども
どこの国にも属さず、方位のない聖地に在ると言う考えから
方災除けの神として崇められたと記されてますんや。
だからこの辺りの地名は現在でも三国ヶ丘と呼びまんねんで。
堺市の名前も摂津と和泉の境から転じたと言われてまんな。
(方違神社=ほうちがいじんじゃ 由来の説明板)
読めますか? 途中の所に凄いことが書かれてまっせ。
明治元年に京都から東京に遷都するに際して17日間もの日数
大きな災いが無きようにと方違神社で祈祷が行われたんだって。
大阪人は方角の悪い処へ引っ越ししたり、建物を新築する場合は
ここ方違神社(ほうちがいじんじゃ)でご祈祷をして貰いますんや。
(方違神社=ほうちがいじんじゃ 拝殿)
余談でっけど鉄ちゃん爺やが関東への単身赴任が決まった際に
今は亡き養母が関東は方位が悪いとかで、電車を乗り継いで
一週間前に、ご祈祷にお参りしたと後日、身内から聞かされました。
そのご利益があったのかどうかは分かりませんが、鉄ちゃん爺やが
立ち上げた会社が現在もグループで一番の好業績を続けているとか。
それでは長尾街道を歩いてJR堺市駅の方へ向かうとしまひょ。
(長尾街道と堺大和路線の分岐点)
左手がJR堺市駅を通過して行く昔の長尾街道になりまっせ。
右手は明治になってから開通した大阪府道・堺大和路線ですわ。
鉄ちゃん爺やが学生時代には大阪府道・堺大和高田線と言ってたね。
(大阪刑務所)
鉄ちゃん爺やが学生時代にはコンクリート壁の所々に見張りの
高い塔が見られたが、今は機械やセンサーで監視してるのかな。
30年ぶりに通るので刑務所のイメージも様変わりしました感じ。
この大阪刑務所は大正9年(1920年)に大阪市内の堀川刑務所から
移設され、現在も死刑囚を含む大阪では重要な刑務所なんだって。
周りには11棟もの刑務官の官舎が現在も使用されてましたで。
現在も200人以上の刑務官が官舎に住んでることになりまんな。
(JR堺市駅前の ツインビル)
(JR堺市駅 ~ JR大阪駅のきつぷ)
考えたら堺市内から大阪駅まで300円とは安く感じますな。
JR西日本さんは私鉄と競合する区間だけは安く成ってますんや。
(JR天王寺駅構内から あべのハルカスを撮影)
順序が逆になりましたが次回は堺市の古き良き時代の街中を
歩いてきましたのでそれを紹介しまひょ。
ほんなら~ 今日はこれで さいなら~♪