戦後70年談話の問題は何とか収まりそうですね。
最低限ではありますが及第点を貰えましたかな。
でも~ 若い方に伝えておきたいお話を一つ。
戦後こんな話が有った事は覚えておいてくださいよ。
(アメリカ軍の B29爆撃機)


昭和19年(1944年)秋から昭和20年(1945年)の
終戦の日まで、日本は大都市から地方都市までB29の空襲で
約30万人の民間人が殺されたことを忘れてはなりません。
加えて広島と長崎の原爆で約22万人の方が亡くなり加えて
現在も被爆の後遺症に悩む方が多く居られる事はご承知のはず。
この無差別爆撃を指導し罪のない民間人を50万人以上も虐殺した
アメリカの第21爆撃集団の司令官がカーチス・ルメイ少将です。
戦争だから、仕方がなかったと考える方も居られるのかも。
これは東京都での一例ではありますが。
空襲で親兄弟を亡くした方々は今も肉親の遺骨さえ判別できず
墨田区の慰霊堂に安置されている事実は悲しい歴史ですよね。
何万人もの遺骨だけが纏めて安置されガラス越しに死者の
名簿に手を合わせるだけの遺族の姿には涙が出ますね。
かたや~ 毎年ながら天皇・皇后陛下の臨席を仰いでの
戦没者慰霊祭が毎年8月15日に開催されます。
(カーチス・ルメイ少将 当時)

カーチス・ルメイ将軍が日本の勲章を貰っていたんですよ。
鉄ちゃん爺やが当時から納得が出来ないのは、日本政府が
1964年(昭和39年)12月に勲一等旭日章と称する
日本で最高の勲章を授与し航空自衛隊の育成に感謝したとか。
この勲一等旭日章は現在でも総理大臣経験者か皇族以外は貰えない
確か現在でも中曽根元総理以外は死後に贈呈されているはず?
日本の民間人を約50万人以上も虐殺し加えて戦後のコメントで
「日本人を殺すことについて、たいして悩まなかった」との話。
「もしもアメリカが敗戦国なら、私は間違いなくA級戦犯だね」
こんな方に最高の勲章を授与した当時の総理大臣は佐藤栄作さん
現在の安倍晋三総理大臣の大叔父にあたるお方ですな。
推薦をした一人が当時の防衛庁長官で小泉純也さんでっせ。
この方は元総理の小泉純一郎さんの父親になりますかな。
勲一等クラスの勲章は天皇陛下が直接に授与するんだとか。
でも昭和天皇はこのルメイ将軍に拝謁も勲章の授与も拒否。
昭和天皇だけが日本で一番常識のある行動を示されました。
政府が決定した勲一等の勲章は拒絶できないが、多くの死者に
配慮して毅然とした態度で臨まれたようですね。
だから勲章は入間基地で当時の航空幕僚長が授与したとか。
(東京大空襲の 直後の画像)

中央右側に両国の旧国技館が焼け残っているのが印象的。
3月10日の東京大空襲では一夜で約10万人の民間人が
焼け死んだという被害を忘れては成らないと思いますんや。
広島や長崎の原爆での死者よりも多くの方が焼け死んだ。
しかも国家からは1円の補償すら現在は受けられません。
(大阪の京橋駅 終戦前日の空襲)


1945年(昭和20年)8月14日の午後1時前後と言えば
既に日本国はポッダム宣言を受け入れることを申し込み
アメリカ政府や、アメリカ軍も承知をしていたはずなんですよ。
大阪城の東側に在る造兵工廠に向けて1トン爆弾で集中攻撃し
流れ弾が国鉄の京橋駅に落下し民間人約60人が死亡。
終戦と1日違いで若き命が失われてしまいました。
大阪では京橋駅空襲と呼ばれ現在も慰霊祭が毎年ながら
JR京橋駅の前で行われていますんや。
(大阪市 難波駅付近 焼野原の画像)

大阪市内の空襲による死者は東京に次ぐ約1万人。
左端が南海電鉄の難波駅でその周囲は一面が焼野原状態。
鉄ちゃん爺やが1945年(昭和20年)10月に疎開から
大阪へ戻ったときは傘をさして電車に乗りましたんや。
難波駅の西側から国鉄の大阪駅が見えたような記憶がおます。
もはや戦後では無い、そんなセリフから日本空襲に対して
補償や非難をしないとの日本国の意思表示を示したかった?
真珠湾攻撃を企画した源田実参議院議員はこの直前に確か
アメリカから勲章を貰ったとも聞いていますんや。
戦後70年が経過するのにいまだ過去のお詫びや補償を
要求する中国や韓国とでは、どちらが正しいのかしら。
日本人が馬鹿正直なのかそれとも平和国家なんでしょうか?
ルメイ将軍も上官から命令された行為だからとも言えますが
1990年に亡くなられているので、今更ながら勲章を
返還せよとか死人に鞭打つような行為は慎むべきであります。
安倍首相が戦後70年談話で話されたように過去の反省は
大事だけど、これからの世代に過去の過ちを引きずることの
ないように平和国家の道を進んでいくべきだと考えます。
でも~ こんなルメイ将軍の勲章秘話も戦後日本には
有ったんだとのことは記憶に残して欲しいと存じます。
それじゃ~ 今日はこれで失礼します。
最低限ではありますが及第点を貰えましたかな。
でも~ 若い方に伝えておきたいお話を一つ。
戦後こんな話が有った事は覚えておいてくださいよ。
(アメリカ軍の B29爆撃機)


昭和19年(1944年)秋から昭和20年(1945年)の
終戦の日まで、日本は大都市から地方都市までB29の空襲で
約30万人の民間人が殺されたことを忘れてはなりません。
加えて広島と長崎の原爆で約22万人の方が亡くなり加えて
現在も被爆の後遺症に悩む方が多く居られる事はご承知のはず。
この無差別爆撃を指導し罪のない民間人を50万人以上も虐殺した
アメリカの第21爆撃集団の司令官がカーチス・ルメイ少将です。
戦争だから、仕方がなかったと考える方も居られるのかも。
これは東京都での一例ではありますが。
空襲で親兄弟を亡くした方々は今も肉親の遺骨さえ判別できず
墨田区の慰霊堂に安置されている事実は悲しい歴史ですよね。
何万人もの遺骨だけが纏めて安置されガラス越しに死者の
名簿に手を合わせるだけの遺族の姿には涙が出ますね。
かたや~ 毎年ながら天皇・皇后陛下の臨席を仰いでの
戦没者慰霊祭が毎年8月15日に開催されます。
(カーチス・ルメイ少将 当時)

カーチス・ルメイ将軍が日本の勲章を貰っていたんですよ。
鉄ちゃん爺やが当時から納得が出来ないのは、日本政府が
1964年(昭和39年)12月に勲一等旭日章と称する
日本で最高の勲章を授与し航空自衛隊の育成に感謝したとか。
この勲一等旭日章は現在でも総理大臣経験者か皇族以外は貰えない
確か現在でも中曽根元総理以外は死後に贈呈されているはず?
日本の民間人を約50万人以上も虐殺し加えて戦後のコメントで
「日本人を殺すことについて、たいして悩まなかった」との話。
「もしもアメリカが敗戦国なら、私は間違いなくA級戦犯だね」
こんな方に最高の勲章を授与した当時の総理大臣は佐藤栄作さん
現在の安倍晋三総理大臣の大叔父にあたるお方ですな。
推薦をした一人が当時の防衛庁長官で小泉純也さんでっせ。
この方は元総理の小泉純一郎さんの父親になりますかな。
勲一等クラスの勲章は天皇陛下が直接に授与するんだとか。
でも昭和天皇はこのルメイ将軍に拝謁も勲章の授与も拒否。
昭和天皇だけが日本で一番常識のある行動を示されました。
政府が決定した勲一等の勲章は拒絶できないが、多くの死者に
配慮して毅然とした態度で臨まれたようですね。
だから勲章は入間基地で当時の航空幕僚長が授与したとか。
(東京大空襲の 直後の画像)

中央右側に両国の旧国技館が焼け残っているのが印象的。
3月10日の東京大空襲では一夜で約10万人の民間人が
焼け死んだという被害を忘れては成らないと思いますんや。
広島や長崎の原爆での死者よりも多くの方が焼け死んだ。
しかも国家からは1円の補償すら現在は受けられません。
(大阪の京橋駅 終戦前日の空襲)


1945年(昭和20年)8月14日の午後1時前後と言えば
既に日本国はポッダム宣言を受け入れることを申し込み
アメリカ政府や、アメリカ軍も承知をしていたはずなんですよ。
大阪城の東側に在る造兵工廠に向けて1トン爆弾で集中攻撃し
流れ弾が国鉄の京橋駅に落下し民間人約60人が死亡。
終戦と1日違いで若き命が失われてしまいました。
大阪では京橋駅空襲と呼ばれ現在も慰霊祭が毎年ながら
JR京橋駅の前で行われていますんや。
(大阪市 難波駅付近 焼野原の画像)

大阪市内の空襲による死者は東京に次ぐ約1万人。
左端が南海電鉄の難波駅でその周囲は一面が焼野原状態。
鉄ちゃん爺やが1945年(昭和20年)10月に疎開から
大阪へ戻ったときは傘をさして電車に乗りましたんや。
難波駅の西側から国鉄の大阪駅が見えたような記憶がおます。
もはや戦後では無い、そんなセリフから日本空襲に対して
補償や非難をしないとの日本国の意思表示を示したかった?
真珠湾攻撃を企画した源田実参議院議員はこの直前に確か
アメリカから勲章を貰ったとも聞いていますんや。
戦後70年が経過するのにいまだ過去のお詫びや補償を
要求する中国や韓国とでは、どちらが正しいのかしら。
日本人が馬鹿正直なのかそれとも平和国家なんでしょうか?
ルメイ将軍も上官から命令された行為だからとも言えますが
1990年に亡くなられているので、今更ながら勲章を
返還せよとか死人に鞭打つような行為は慎むべきであります。
安倍首相が戦後70年談話で話されたように過去の反省は
大事だけど、これからの世代に過去の過ちを引きずることの
ないように平和国家の道を進んでいくべきだと考えます。
でも~ こんなルメイ将軍の勲章秘話も戦後日本には
有ったんだとのことは記憶に残して欲しいと存じます。
それじゃ~ 今日はこれで失礼します。