鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や   慶沢園を散歩

2016-01-16 13:58:07 | 日本庭園
今回は住友家本宅跡に造られた日本庭園でっせ。

現在は住友家から寄贈を受けて大阪市が管理する
天王寺公園の一部として一般公開されてますんや。

(慶沢園=けいたくえん)







この庭園は住友家15代吉左衛門友純(ともいと)が
1908年(明治41年)~1918年(大正7年)迄
約10年間もかかって完成させたんだって。

この庭園を施工したのは京都の小川治兵衛(植治)で
平安神宮の神苑や丸山公園それに三千院など多くの
名園を今に残す当時の高名な庭師だったそうですわ。

(天王寺公園内 慶沢園の池)





天王寺公園の中に在るんでっけど大阪人でも普段はあまり
訪れることもなく静かな回遊式の日本庭園でおました。

慶沢園の池に、あべのハルカスが写るとの景観が知られて
最近は撮影スポットとして人気が出てきましたんや。

(慶沢園の池に あべのハルカス)







(慶沢園の 切石橋=きりいしばし)





(慶沢園の 人工の滝)



現在の慶沢園は約2400坪で東側の一部が取り崩されてるが
池を中心とした中央部分は当時のままの姿を伝えているとのこと。

現在は天王寺公園の入場料が無料になった関係で、2015年から
慶沢園の拝観には大人150円が必要になってますんや。

昔は入場料150円に拝観料も含まれていたような記憶が?

あべのハルカスには連日ながら観光客が押し掛けてますが
ここ、慶沢園は静かで一見の価値はあると思いまんねん。

問題児される中国人観光客にも荒らされてない感じでんな。

(慶沢園の 四阿=あづまや)









四阿(あづまや)の床には那智黒の石が敷き詰められてま。

画像は残念ながら撮影漏れしてしまいご免なさい。

(慶沢園から 市立美術館を望む)



奥に見えているのが住友家の茶臼山本宅が在った場所で
15代吉左衛門友純さんは母屋からこの庭園を眺めたんでしょうな。

庭が完成する前に鰻谷の本宅から引っ越しされたのが1914年
(大正4年)で完成後たった7年で神戸に再び引っ越しでっせ。

神戸の住友家本宅は16代吉左衛門友成さんの時代になりまっけど。

その神戸の住友家本宅も昭和13年(1938年)阪神大水害で
大きな被害を受けて京都や横浜の別邸に移られたとのこと。

(慶沢園の 州浜=すはま)



海を模した池に砂浜を配して船着き石で、あたかも大海に
舟が漕ぎだすような景観を表現しているんだって。

(慶沢園の 遠景)





(江戸時代の 黒田家・蔵屋敷長屋門)



これは慶沢園の側にビル建設に際して大阪市に寄贈された
江戸時代の大坂堂島にあった蔵屋敷の門だと書かれてまんな。

ご存じ筑前は福岡52万石の黒田家の大坂蔵屋敷だったとか。

三十数か所も有った堂島の蔵屋敷は現在では何も残ってまへん。

ビルや倉庫やホテルに変わり石碑が所々に見られるだけですわ。

だから蔵屋敷の長屋門として現在では貴重な史蹟でもあるとか。

茶臼山古墳と住友家の鰻谷本宅跡は次回にさせて貰いまひょ。

ほんなら、これで今日はさいなら~♪




コメント (20)
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