鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

三菱グループ発祥の地  土佐稲荷を訪ねて

2018-04-01 19:24:57 | 神社
三菱グループ発祥の地が大阪ってご存知かしら?

江戸時代・土佐藩の蔵屋敷が大阪市西区におました。

(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


日本最大の公営交通だった「大阪市営地下鉄」が
2018年(平成30年)3月31日で終了しました。

4月1日から「大阪メトロ」という民間企業になりまぁ。

ロゴマークも4月1日から「M]をアレンジした
新しいのに変わるので、今日が見納めでおます。

その最終日「土佐稲荷」へお花見に出かけましたんや。

(大阪市営地下鉄 西長堀駅)


(新なにわ筋の 道路標識)


地上に上がった所は「鰹座橋」という交差点ですわ。

ここは江戸時代には土佐藩の「鰹節」を売買した
「鰹座=かつおざ)が置かれて居たんだって。

(鰹座橋の 道路標識)


(西長堀川と鰹座の説明書き)


ここは江戸時代には土佐藩の蔵屋敷の一部なんですわ。

現在は埋め立てられて「長堀川」は無くなってまっけど。

(住居表示 西区北堀江4丁目)


蔵屋敷の北東に当たる鬼門に小さな祠が
土佐藩邸が出来る以前から在ったそうですわ。

土佐藩6代目・山内豊隆が京都の伏見からお稲荷さんを
分祀して土佐藩邸内に造営したのが「土佐稲荷」だって。

通りを西へ一つだけ歩くと「土佐稲荷」の桜が
早くも見えてきましたで。

(土佐稲荷の 玉垣)




(土佐稲荷の 拝殿を裏手から撮影)


(土佐稲荷の 玉垣)






(三菱金曜会 幹事・三菱銀行の玉垣)


三菱グループは現在でも28社で金曜会という名前の
会合を作って、団結してはりまっしゃろ。

28社と関連企業で玉垣を奉納されているようですわ。

それでは拝殿の方へ向かうことにしまひょ。

(土佐稲荷の 鳥居)


(飛び狐の 狛犬)


(土佐稲荷の 拝殿)




画像では見ずらいでっけど、ご神紋は「スリーダイヤ」

流石は三菱さんの造詣が深い「土佐稲荷」さんでおます。

(土佐稲荷の 由緒書き)


土佐藩主は参勤交代で大坂に来れば「土佐稲荷」に参拝し
江戸に上ったり、ここから船で土佐に戻られたんだって。

明治維新になり土佐藩は膨大な借金を肩代わりする代わりに
広大な土佐藩邸と蔵屋敷を岩崎彌太郎に払い下げたとか。

土佐藩邸や蔵屋敷は大坂の金融業である両替商などの
借金の担保に入れられていたんだって。

岩崎彌太郎はここで「九十九商会=つくもしょうかい」と
言う名前の船会社を設立したそうですわ。

3隻の船でスタートし船の旗に使用したのが、形は少しだけ
歪ながら「赤いスリーダイヤ」だったそうですわ。

これが現在の三菱グループの前身になるんだって。

同時に岩崎彌太郎はここに住居を構えたんだそうです。

1870年(明治3年)だったと記されてますかな。

(岩崎家 旧居跡の石碑)


(日本郵船が 奉納した玉垣)


これにも「三菱のスリーダイヤ」が刻まれてまぁ。

現在では三菱グループと言えば東京・丸の内を本拠に
東京の企業のイメージが強いと思いまんねん。

でも岩崎彌太郎がスタートしたのは大阪の西区でおます。

(土佐稲荷の 桜と自撮り)




(土佐稲荷の拝殿と 満開の桜)




(土佐稲荷の 平成30年度の絵馬)


三菱のスリーダイヤにはこんな伝説もおますんや。

土佐の山内家の家紋「三つ柏」と岩崎家の
「三階菱」をアレンジしたとの説が。

(山内家の 家紋 三つ柏)


(山内豊敷が奉納した石燈籠)


(寛保元年と刻まれた 石燈籠)


鉄ちゃん爺やの所有する日本史小辞典で調べたら

1741年(寛保元年)で土佐山内・8代藩主でした。

それでは、境内の桜をご覧くださいね。

(土佐稲荷 満開の桜)












江戸時代から「土佐稲荷」の桜は町人にも解放され
夜桜見物の名所として今日まで続いてますんや。

大阪大空襲で桜は焼失してしまいましたが、戦後に
若木が植えられ、現在では昔の賑わいを取り戻してますわ。

(土佐稲荷境内 満開の桜)






(土佐稲荷の説明書き)




(西長堀コーポ)(土佐稲荷の東側)


司馬遼太郎さんが若い頃に10階に住まれていて
「龍馬がゆく」を執筆されたんだそうです。

「土佐稲荷」を眼下に土佐藩邸をイメージされたのかも。

当時とは大幅に改装がされているようでっけど。

(宝井其角の 句碑)


「明星や 桜定めし 山かつら  其角」

最後は昔の長堀川で現在は長堀通りになってまぁ。

(長堀通り 昭和40年代に埋め立てられました)


(長堀通り 昔は長堀川でした)


(大阪市 西区役所)


戦前に義父と義母が北堀江に住んでましたので
除籍謄本がここに保存されているんですわ。

(土佐稲荷の 詳細地図)


中央の交差点が「鰹座橋」でやや左側に在るんが
「土佐稲荷」になりますんや。

今日はこれでお仕舞にしまっさ。

次回は足を延ばして天保山公園の桜を紹介しまひょ。

ほな~ これで、さいなら~🎵







コメント (10)
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