(曽根崎お初天神通り 南側のアーケード)
大阪一の繁華街である梅田や曽根崎の総鎮守と称される
「お初天神」は有名でっけど、これは通称名でおます。
「露天神社=つゆのてんじんしゃ」が正式名なんですわ。
(露天神社 東側入口)
大阪人でも正式の神社名を知る人は少ないかも?
何せ、江戸時代から「お初天神」で通ってますんや。
(露天神社=つゆのてんじんしゃ 拝殿)
繁華街のど真ん中に、こんな神社があるのも大阪らしい
境内の一部も不法占拠された飲み屋街がおますんや。
人形浄瑠璃の「曽根崎心中」をご存知でっか?
元禄16年(1703年)4月7日に実際に有った
心中事件を近松門左衛門がいち早く浄瑠璃に仕上げ
道頓堀の竹本座で上演し一躍有名に成ったそうでんな。
境内に有志が寄贈したブロンズ像が置かれますんや。
(曽根崎心中 お初・徳兵衛の像)
堂島新地・天満屋の遊女 お初
内本町・醤油や平野屋の手代 徳兵衛
悲恋の物語でここ「曽根崎・天神の森」で
心中をしたというのが筋書きでおますかな。
興味のある方はネットで「曽根崎心中」と
検索して貰えればと思いまんねん。
(お初・徳兵衛 恋の絵馬)
最近では若い方が恋愛成就を願って絵馬を奉納する
ラブスポットの場所に成っているそうですわ。
(奉納された 恋愛成就の絵馬)
(境内に残る 神泉 露之井戸)
現在は水屋がないので湧き出してないのかも。
昔は大坂市中に湧き出す名泉は珍しかったそうですわ。
「露と散る 涙に袖は朽ちにけり
都のことを思い出づれば 菅原道真公」
太宰府に流される船旅の途中、ここに立ち寄り
和歌を一首、捧げて涙されたとの逸話でっけど。
この「露之井戸」と菅原道真公の詠まれた
「露と散る~」の和歌を元に、江戸時代の初期
大坂夏の陣で焼失した社殿を復興する際に。
後陽成天皇の宸筆を頂いて「露天神社」と
名乗ることになったと記されたようですわ。
昭和20年6月のアメリカ軍の空襲で社殿は焼失。
現在の拝殿は昭和32年に再建されたそうですわ。
(昭和20年 米軍機の銃撃の傷跡)
大阪駅方向から飛んできたグラマン戦闘機の機銃弾が
本殿前の石柱をかすめている、戦争記念物なんですわ。
大阪市内に残る数少ない戦争の傷跡かも知れまへん。
露天神社=つゆのてんじんしゃ ご祭神
少彦名大神 すくなひこなのおおかみ (出雲系の神様)
大己貴大神 おおなむちのおおかみ (出雲系の神様)
天照皇大神 あまてらすおおみかみ (伊勢皇大神宮系の神様)
豊受姫大神 とようけひめのおおかみ (伊勢皇大神宮系の神様)
菅原道真公 すがわらみちざねこう (天神さま)
これは又 凄く欲張った ご祭神が5体とは恐れ入りました。
(お初天神通り 門前から梅田方向を撮影)
お初天神通りは両側が飲食関係の店で梅田まで続いてまっせ。
この日は飲み仲間と「お初天神」の近くで飲み会でしたんや。
(飲み仲間と テレビ観戦)
全豪オープンのテニスで大坂選手が優勝した記念すべき夜でした。
(全豪オープン テレビの画像から借用)
(梅田キタ界隈を 巡回する100円バス)
乗ったことは無いんでっけど曽根崎新地や大阪の新名所
グランフロントなどへ上手く乗れば便利かもしれへんな。
(御堂筋の 起点と 曽根崎警察署)
画像の左側で低いビルが曽根崎警察署でっせ。
御堂筋は画像の右手へ南海・難波駅まで約4kmの
大阪で一番と言えるメインの通りになりますんや。
これで本日はお仕舞にしまひょ。
ほな~ さいなら~♪
大阪一の繁華街である梅田や曽根崎の総鎮守と称される
「お初天神」は有名でっけど、これは通称名でおます。
「露天神社=つゆのてんじんしゃ」が正式名なんですわ。
(露天神社 東側入口)
大阪人でも正式の神社名を知る人は少ないかも?
何せ、江戸時代から「お初天神」で通ってますんや。
(露天神社=つゆのてんじんしゃ 拝殿)
繁華街のど真ん中に、こんな神社があるのも大阪らしい
境内の一部も不法占拠された飲み屋街がおますんや。
人形浄瑠璃の「曽根崎心中」をご存知でっか?
元禄16年(1703年)4月7日に実際に有った
心中事件を近松門左衛門がいち早く浄瑠璃に仕上げ
道頓堀の竹本座で上演し一躍有名に成ったそうでんな。
境内に有志が寄贈したブロンズ像が置かれますんや。
(曽根崎心中 お初・徳兵衛の像)
堂島新地・天満屋の遊女 お初
内本町・醤油や平野屋の手代 徳兵衛
悲恋の物語でここ「曽根崎・天神の森」で
心中をしたというのが筋書きでおますかな。
興味のある方はネットで「曽根崎心中」と
検索して貰えればと思いまんねん。
(お初・徳兵衛 恋の絵馬)
最近では若い方が恋愛成就を願って絵馬を奉納する
ラブスポットの場所に成っているそうですわ。
(奉納された 恋愛成就の絵馬)
(境内に残る 神泉 露之井戸)
現在は水屋がないので湧き出してないのかも。
昔は大坂市中に湧き出す名泉は珍しかったそうですわ。
「露と散る 涙に袖は朽ちにけり
都のことを思い出づれば 菅原道真公」
太宰府に流される船旅の途中、ここに立ち寄り
和歌を一首、捧げて涙されたとの逸話でっけど。
この「露之井戸」と菅原道真公の詠まれた
「露と散る~」の和歌を元に、江戸時代の初期
大坂夏の陣で焼失した社殿を復興する際に。
後陽成天皇の宸筆を頂いて「露天神社」と
名乗ることになったと記されたようですわ。
昭和20年6月のアメリカ軍の空襲で社殿は焼失。
現在の拝殿は昭和32年に再建されたそうですわ。
(昭和20年 米軍機の銃撃の傷跡)
大阪駅方向から飛んできたグラマン戦闘機の機銃弾が
本殿前の石柱をかすめている、戦争記念物なんですわ。
大阪市内に残る数少ない戦争の傷跡かも知れまへん。
露天神社=つゆのてんじんしゃ ご祭神
少彦名大神 すくなひこなのおおかみ (出雲系の神様)
大己貴大神 おおなむちのおおかみ (出雲系の神様)
天照皇大神 あまてらすおおみかみ (伊勢皇大神宮系の神様)
豊受姫大神 とようけひめのおおかみ (伊勢皇大神宮系の神様)
菅原道真公 すがわらみちざねこう (天神さま)
これは又 凄く欲張った ご祭神が5体とは恐れ入りました。
(お初天神通り 門前から梅田方向を撮影)
お初天神通りは両側が飲食関係の店で梅田まで続いてまっせ。
この日は飲み仲間と「お初天神」の近くで飲み会でしたんや。
(飲み仲間と テレビ観戦)
全豪オープンのテニスで大坂選手が優勝した記念すべき夜でした。
(全豪オープン テレビの画像から借用)
(梅田キタ界隈を 巡回する100円バス)
乗ったことは無いんでっけど曽根崎新地や大阪の新名所
グランフロントなどへ上手く乗れば便利かもしれへんな。
(御堂筋の 起点と 曽根崎警察署)
画像の左側で低いビルが曽根崎警察署でっせ。
御堂筋は画像の右手へ南海・難波駅まで約4kmの
大阪で一番と言えるメインの通りになりますんや。
これで本日はお仕舞にしまひょ。
ほな~ さいなら~♪