「鉄道のオタク」でなければ興味もない平凡な駅のお話でおます。
JR埼京線の戸田市で一番北の端にある駅なんですわ。
(埼玉県戸田市 マンホールの蓋)
(JR埼京線 北戸田駅名標)
鉄ちゃん爺やが2001年(平成13年)に定年を迎えた際に
物流システムを担当していた配送センターの最寄り駅でしたんや。
「二位じゃダメなんですか~?」 って言った議員さんが居ましたな。
当時はJR北戸田駅は高架の駅で高さが日本で第二位だったんですわ。
それが平成30年(2018年)4月にJR西日本の三江線が廃止に成り
JR宇都井駅(うづいえき)がトップの座を譲ることになりましたんや。
(JR埼京線 北戸田駅舎) (2017年8月に撮影)
地上からJR北戸田駅のホームまで20.46mあるそうですわ。
ビルの6階~7階ぐらいの高さになりまっしゃろな。
(JR埼京線 北戸田駅改札口)
JR埼京線は北戸田駅の北側で国道298号線と東京外郭環状道路を
オーバーブリジの感じで跨ぐように成ってますんや。
東京外郭環状道路自体が高架で高さが約10mぐらいでっしゃろ。
トラックの荷台の最高値3.8mを上回る必要からJRの高架は
約25mぐらいが必要に成りまっしゃろな。
そんな訳でJR埼京線は北戸田駅の手前から随分と高く成ってまんねん。
(東京外郭環状道路を 跨ぐJR埼京線)
鉄ちゃん爺やがJR北戸田駅を利用している頃は階段は一部しかおまへんでした。
何でも平成30年(2018年)に改札口から階段を新設したんだって?
最近は高架の駅で日本一とか認められたんで126段の標識まで有るとか。
廃止されたのJR三江線・宇都井駅の116段を上回るとの意識かも?
鉄ちゃん爺やも次回に訪れてもエスカレーターで行きまっけど。
(JR埼京線 北戸田駅付近の高架)
(鉄ちゃん爺や 元の会社前で撮影)
鉄ちゃん爺やの左側に見えているのがJR埼京線の高架でっせ。
この辺りか高度を上げながら東京外郭環状道路を越えていきますんや。
目分量で換算して約5mぐらいは高度を上げて行くように感じまっけど。
(旧浦和市 マンホールの蓋) (2017年8月撮影)
鉄ちゃん爺やが定年を迎える直前でしたかな、浦和市・与野市・大宮市が
合併して「さいたま市」になったように記憶しまんねん。
鉄ちゃん爺やが大阪へ戻ってからの平成17年(2005年)に岩槻市を編入し
現在は人口が約131万6千人という政令指定都市になったんですわな。
旧の浦和市のマンホールの蓋を笹目川の土手で見つけて写しましたんや。
当時も現在も市の花は「さくら草」で継続しているんだって。
(さいたま市 マンホールの蓋) (2017年8月撮影)
ついでに鉄ちゃん爺やが人生の1割以上を暮らした戸田市を紹介しまひょ。
人口が約14万人は当時とほぼ変わりがないように思いまんねん。
(幸魂大橋を 荒川の堤防から撮影) (2017年8月撮影)
鉄ちゃん爺やが住んでいた戸田市の荒川の堤防から写しましたんや。
幸魂大橋(さきたまおおはし)は平成4年に完成した国道298号線と
東京外郭環状道路が戸田市から対岸の和光市架かる大きな橋で
全長が1485mもあり荒川と新河岸川を一足飛びで越えてますんや。
画像の向かって右側が戸田市で逆の左側が和光市に成りまんねん。
(JR埼京線から 荒川を通過中に撮影)
遠くに見えるビル群は埼玉県の川口市で画像の手前の河川敷は
東京都の板橋区になりますんや、荒川が東京都と埼玉県の県境でつせ。
(JR埼京線から 荒川の上流を撮影)
(荒川の堤防で 東京都板橋区側を撮影)
手前に首都高速道路と大宮バイパスの笹目橋が写ってますが分かりずらいかも?
この堤防は鉄ちゃん爺やが当時は土日に散歩で歩いた散歩道でっせ。
当時よりは遊歩道も整備されて歩きやすく成ってましたで。
(荒川の堤防で 自撮り)
鉄ちゃん爺やの右肩の水門から奥は荒川の遊水地になる彩湖と呼ぶ
水上公園になってますんや、土日は家族連れで賑わいまんねんで。
河川敷にはヤクルトスワローズの二軍のグランドが当時もおましたな。
(大宮バイパス 国道17号線 20km標識)
東京の日本橋から丁度ここが20kmの地点なんだって。
上部に見えるのは首都高速道路で戸田南の出口の手前になりまぁ。
少しだけ道路上を北へ向かうと笹目神社を通過しますよ。
(笹目神社の 拝殿を望む)
中世には「佐々目郷」とか「笹目郷」と呼ばれる鶴岡八幡宮の領地で
足利尊氏が戦勝を祝って鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進したそうですわ。
鉄ちゃん爺やが住んでいた場所の氏神さんに成ってましたかな。
(戸田市 聖橋の桜並木)
毎年4月の初めには桜が満開になり、ここから上流に掛けて
約2kmぐらいの両岸に桜が数多く植えられてますんや。
戸田市民から桜の名所として当時も有名な用水路でした。
(戸田市 マンホールの蓋)
(戸田市 オリンピック通りの標識)
1964年(昭和39年)の東京オリンピックでボート競技に使用された
全長2500mの漕艇場があり、戸田ボートコースと呼んでましたな。
西側の500mは戸田競艇場に使用されてまっけど競艇のない日は
2500mの水路を使って東京の大学の方などが練習されてまぁ。
漕艇場の北側に東京オリンピックに備えて造られた道路が
現在も戸田市ではオリンピック通りと呼んでますんや。
(JR埼京線 戸田公園駅舎)
(JR戸田公園駅を 背景に自撮り)
鉄ちゃん爺やが住んでいたのはJR戸田公園駅から約1.5kmぐらいの距離。
仕事場はJR北戸田駅から歩いて約10分ぐらいの戸田市美女木におました。
「美女木=びじょぎ」なんで美女が住んでいる町かなと想像しまっしゃろ。
ここも鶴岡八幡宮の領地で采女さんでも住んでいたのかしら?
ほな~ 今日はこれでお仕舞にしまひょ。
新型コロナウイルスに注意してお過ごしくださいね。
8月も宜しくお願いします~ さいなら~♪
JR埼京線の戸田市で一番北の端にある駅なんですわ。
(埼玉県戸田市 マンホールの蓋)
(JR埼京線 北戸田駅名標)
鉄ちゃん爺やが2001年(平成13年)に定年を迎えた際に
物流システムを担当していた配送センターの最寄り駅でしたんや。
「二位じゃダメなんですか~?」 って言った議員さんが居ましたな。
当時はJR北戸田駅は高架の駅で高さが日本で第二位だったんですわ。
それが平成30年(2018年)4月にJR西日本の三江線が廃止に成り
JR宇都井駅(うづいえき)がトップの座を譲ることになりましたんや。
(JR埼京線 北戸田駅舎) (2017年8月に撮影)
地上からJR北戸田駅のホームまで20.46mあるそうですわ。
ビルの6階~7階ぐらいの高さになりまっしゃろな。
(JR埼京線 北戸田駅改札口)
JR埼京線は北戸田駅の北側で国道298号線と東京外郭環状道路を
オーバーブリジの感じで跨ぐように成ってますんや。
東京外郭環状道路自体が高架で高さが約10mぐらいでっしゃろ。
トラックの荷台の最高値3.8mを上回る必要からJRの高架は
約25mぐらいが必要に成りまっしゃろな。
そんな訳でJR埼京線は北戸田駅の手前から随分と高く成ってまんねん。
(東京外郭環状道路を 跨ぐJR埼京線)
鉄ちゃん爺やがJR北戸田駅を利用している頃は階段は一部しかおまへんでした。
何でも平成30年(2018年)に改札口から階段を新設したんだって?
最近は高架の駅で日本一とか認められたんで126段の標識まで有るとか。
廃止されたのJR三江線・宇都井駅の116段を上回るとの意識かも?
鉄ちゃん爺やも次回に訪れてもエスカレーターで行きまっけど。
(JR埼京線 北戸田駅付近の高架)
(鉄ちゃん爺や 元の会社前で撮影)
鉄ちゃん爺やの左側に見えているのがJR埼京線の高架でっせ。
この辺りか高度を上げながら東京外郭環状道路を越えていきますんや。
目分量で換算して約5mぐらいは高度を上げて行くように感じまっけど。
(旧浦和市 マンホールの蓋) (2017年8月撮影)
鉄ちゃん爺やが定年を迎える直前でしたかな、浦和市・与野市・大宮市が
合併して「さいたま市」になったように記憶しまんねん。
鉄ちゃん爺やが大阪へ戻ってからの平成17年(2005年)に岩槻市を編入し
現在は人口が約131万6千人という政令指定都市になったんですわな。
旧の浦和市のマンホールの蓋を笹目川の土手で見つけて写しましたんや。
当時も現在も市の花は「さくら草」で継続しているんだって。
(さいたま市 マンホールの蓋) (2017年8月撮影)
ついでに鉄ちゃん爺やが人生の1割以上を暮らした戸田市を紹介しまひょ。
人口が約14万人は当時とほぼ変わりがないように思いまんねん。
(幸魂大橋を 荒川の堤防から撮影) (2017年8月撮影)
鉄ちゃん爺やが住んでいた戸田市の荒川の堤防から写しましたんや。
幸魂大橋(さきたまおおはし)は平成4年に完成した国道298号線と
東京外郭環状道路が戸田市から対岸の和光市架かる大きな橋で
全長が1485mもあり荒川と新河岸川を一足飛びで越えてますんや。
画像の向かって右側が戸田市で逆の左側が和光市に成りまんねん。
(JR埼京線から 荒川を通過中に撮影)
遠くに見えるビル群は埼玉県の川口市で画像の手前の河川敷は
東京都の板橋区になりますんや、荒川が東京都と埼玉県の県境でつせ。
(JR埼京線から 荒川の上流を撮影)
(荒川の堤防で 東京都板橋区側を撮影)
手前に首都高速道路と大宮バイパスの笹目橋が写ってますが分かりずらいかも?
この堤防は鉄ちゃん爺やが当時は土日に散歩で歩いた散歩道でっせ。
当時よりは遊歩道も整備されて歩きやすく成ってましたで。
(荒川の堤防で 自撮り)
鉄ちゃん爺やの右肩の水門から奥は荒川の遊水地になる彩湖と呼ぶ
水上公園になってますんや、土日は家族連れで賑わいまんねんで。
河川敷にはヤクルトスワローズの二軍のグランドが当時もおましたな。
(大宮バイパス 国道17号線 20km標識)
東京の日本橋から丁度ここが20kmの地点なんだって。
上部に見えるのは首都高速道路で戸田南の出口の手前になりまぁ。
少しだけ道路上を北へ向かうと笹目神社を通過しますよ。
(笹目神社の 拝殿を望む)
中世には「佐々目郷」とか「笹目郷」と呼ばれる鶴岡八幡宮の領地で
足利尊氏が戦勝を祝って鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進したそうですわ。
鉄ちゃん爺やが住んでいた場所の氏神さんに成ってましたかな。
(戸田市 聖橋の桜並木)
毎年4月の初めには桜が満開になり、ここから上流に掛けて
約2kmぐらいの両岸に桜が数多く植えられてますんや。
戸田市民から桜の名所として当時も有名な用水路でした。
(戸田市 マンホールの蓋)
(戸田市 オリンピック通りの標識)
1964年(昭和39年)の東京オリンピックでボート競技に使用された
全長2500mの漕艇場があり、戸田ボートコースと呼んでましたな。
西側の500mは戸田競艇場に使用されてまっけど競艇のない日は
2500mの水路を使って東京の大学の方などが練習されてまぁ。
漕艇場の北側に東京オリンピックに備えて造られた道路が
現在も戸田市ではオリンピック通りと呼んでますんや。
(JR埼京線 戸田公園駅舎)
(JR戸田公園駅を 背景に自撮り)
鉄ちゃん爺やが住んでいたのはJR戸田公園駅から約1.5kmぐらいの距離。
仕事場はJR北戸田駅から歩いて約10分ぐらいの戸田市美女木におました。
「美女木=びじょぎ」なんで美女が住んでいる町かなと想像しまっしゃろ。
ここも鶴岡八幡宮の領地で采女さんでも住んでいたのかしら?
ほな~ 今日はこれでお仕舞にしまひょ。
新型コロナウイルスに注意してお過ごしくださいね。
8月も宜しくお願いします~ さいなら~♪