岡崎へ戻る息子に遠回りだけど、立ち寄って貰いました。
西国三十三か所 第六番札所 壷阪寺(正式名 南法華寺)
真言宗豊山派の寺院なんですが、眼病封じのお寺として有名。
奈良市から桜で有名な吉野山へ向かう途中におますんや。
(西国六番 壷阪寺の 山門)
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内の奥さんが2月中旬に白内障の手術をしますんや。
その前に、是非とも壷阪寺へお参りしたいとのこと。
近鉄電車と路線バスを使ってでも、これますんやけど
息子の車で立ち寄って貰えば自宅から1時間のコース。
(壺阪寺の 入山受付所)
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まだ息子が独身だった平成6年に同じく立ち寄ってますな。
丁度この日が24年ぶりのお参りということでしたわ。
息子は薄っすらとしか覚えてないとの話でしたけど。
(平成6年に受領) (壺阪寺のご朱印)
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ご朱印は、このように何時に訪れたのかが分かりまっせ。
この数年前から、ご朱印を始めたように思いますんや。
(壷阪寺 境内から仏閣を撮影)
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右から重要文化財の三重塔、その左手が礼堂で
こちらも重要文化財に指定されているそうですわ。
次の左側が八角の円堂で、こちらが本堂になりまぁ。
一番左手は手前にある灌頂堂が写っているのかも。
階段を登って少し高い所に寺院が並んでますんや。
それでは階段を登ってお参りすることにしまひょ。
(境内から 撮影)
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(重要文化財 壷阪寺の礼堂)
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(壷阪寺 眼病封じ祈願受付所)
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後姿で写ってるのは内の奥さんでございます。
白内障と緑内障を併発しているんですわ。
(壺阪寺の礼堂にて 眼病封じ祈願のお札)
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(本尊 十一面千手観音菩薩像)
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本堂の十一面千手観音さまに眼病封じをお願いし
お札を真ん中で折って、右側を奉納しまんねんで。
左側の半分は持ち帰って肌身に着けるそうですわ。
(眼病封じ 納め札)
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上から五段目の右から4枚目が内の奥さんの札です。
鉄ちゃん爺やも並んで観音様にお願いしましたんや。
(本尊 十一面千手観音菩薩像)
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本尊を撮影できるとはラッキ! 有り難いことでした。
奈良や京都の寺院では大半が撮影禁止でっさかいに。
ご本尊をプリントアウトして奥さんに渡しまひょ。
(弘法大師さまの像)
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(重要文化財 壷阪寺の多宝塔 三重塔)
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「壺坂霊験記」という物語をご存知かしら?
浪曲では、浪花亭綾太郎さんの名調子でしたかな。
「妻は夫を労わりつ~ 夫は妻を慕いつつ~
夏とはいえど片田舎~ 」
凄く高音で伸びのある歌声は一世を風靡したもんですわ。
鉄ちゃん爺やが小学生の頃はまだ浪曲も盛んでしたな。
綾太郎さんは確か盲目の浪曲家だったと記憶してまぁ。
確か昭和35年に亡くなられたと聞いてますんや。
(壷阪寺境内の 石碑)
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平成15年(2003年)には本堂で歌舞伎が演じられ
沢市役を 中村勘九郎(故 勘三郎)
お里役を 中村福助さん
これは壷阪寺創建1300年周年の催しだったとか。
大宝3年(703年)創建の古いお寺のようですわ。
「壺坂霊験記」を少しだけ紹介して置きまひょ。
浄瑠璃で始まる、頭の部分はよく知られたセリフ!
「三つ違いの兄さんと~ いうてくらしているうちに~
情けなや、こなさんは、生まれもつかぬ、ほうそうで
眼かいの見えぬその上に~ 貧困にせまれどなんのその~
一旦 殿御(とのご)の沢市さん~ 」
盲目が治らぬ沢市はお里を不憫に思い、壷阪寺の本堂から
身投げをしたとか、お里は悲しんで己も後を追って身投げを。
共に谷底で死んだはずが生き返り、沢市さんの盲目が
壺阪の観音様のご慈悲で目が見えるようになったとの話。
お里さんの三年にも及ぶ朝詣でに、観音様のお救いが。
貧しくも仲良く暮らせよのご慈悲、目出度し、目出度し。
(天竺からの 大観音菩薩石像)(高さ 約20m)
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インドにてハンセン病の治療に専念した壷阪寺へ
返礼として、現地の石が寄贈されたんだって。
その石で造られたのが大観音菩薩石像だそうですわ。
高さが約20mで重さがなんと約1200トンだとか。
この立像と共に「大涅槃像=だいねはんぞう」も造られ
熱心な信者や、観光客で賑わっているようだっせ。
(レプリカの 涅槃像=ねはんぞう)
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次回に、お礼参りに来る際には大観音石像と大涅槃像を
見学することにして、今回は下山することにしました。
家内の眼病封じが主な目的なので写真はこれぐらいに。
下山の途中に、こんな慰霊碑が設けられてましたで。
(陸軍歩兵 第67連隊 英霊之碑)
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インパール作戦で要衝のコヒマで英軍の補給路を遮断し
一番最前線に出て、大きな損害を出したのが第67連隊。
インパールは占領できるぞと日本軍が喜んだとの逸話も。
でも英軍は飛行機でインパールに物資や弾薬を補給。
逆に日本軍は補給もなく撤退時に多くの犠牲者を出し
惨敗を喫したという戦いだったと聞いてますんや。
でも~ 第67連隊は敦賀や福井の連隊だったはず?
何故に壷阪寺に第67連隊の英霊之碑が出来たのかが不明。
(阿弥陀如来石像)
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(阿弥陀如来石造と 諸仏石像)
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(奉納された 十一面千手観音像)
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(蓮石曼荼羅=れんげいしまんだら)
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これらの石像や彫刻類もインドから寄贈された石で
造られた物のようでんな、平成6年に訪れた際は
あの大観音菩薩石像だけだったように記憶しまぁ。
(壷阪寺 眼病封じの お守り)
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(戌年の記念 札入れの財布)
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(壷阪寺 駐車場からの展望)
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中央やや右寄りで台形の山が大和三山の一つで
畝傍山(うねびやま)といいますんや。
その左側の山裾に橿原神宮(かしはらじんぐう)が。
初代天皇とされる神武天皇の御陵も右手におます。
神話によれば、大和朝廷の出来た地とされてますかな。
左手の遠くに見えるのが生駒山で、山の向こう側は
前回に紹介した石切劔箭神社のある大阪府になりまぁ。
(近畿日本鉄道 橿原神宮前駅 駅名標)
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ここで息子と別れて、近鉄電車で戻りましたんや。
本日はこれで、お仕舞にしまひょ。
次回は久しぶりに大阪市内へ出かけて見まっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
西国三十三か所 第六番札所 壷阪寺(正式名 南法華寺)
真言宗豊山派の寺院なんですが、眼病封じのお寺として有名。
奈良市から桜で有名な吉野山へ向かう途中におますんや。
(西国六番 壷阪寺の 山門)
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内の奥さんが2月中旬に白内障の手術をしますんや。
その前に、是非とも壷阪寺へお参りしたいとのこと。
近鉄電車と路線バスを使ってでも、これますんやけど
息子の車で立ち寄って貰えば自宅から1時間のコース。
(壺阪寺の 入山受付所)
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まだ息子が独身だった平成6年に同じく立ち寄ってますな。
丁度この日が24年ぶりのお参りということでしたわ。
息子は薄っすらとしか覚えてないとの話でしたけど。
(平成6年に受領) (壺阪寺のご朱印)
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ご朱印は、このように何時に訪れたのかが分かりまっせ。
この数年前から、ご朱印を始めたように思いますんや。
(壷阪寺 境内から仏閣を撮影)
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右から重要文化財の三重塔、その左手が礼堂で
こちらも重要文化財に指定されているそうですわ。
次の左側が八角の円堂で、こちらが本堂になりまぁ。
一番左手は手前にある灌頂堂が写っているのかも。
階段を登って少し高い所に寺院が並んでますんや。
それでは階段を登ってお参りすることにしまひょ。
(境内から 撮影)
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(重要文化財 壷阪寺の礼堂)
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(壷阪寺 眼病封じ祈願受付所)
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後姿で写ってるのは内の奥さんでございます。
白内障と緑内障を併発しているんですわ。
(壺阪寺の礼堂にて 眼病封じ祈願のお札)
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(本尊 十一面千手観音菩薩像)
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本堂の十一面千手観音さまに眼病封じをお願いし
お札を真ん中で折って、右側を奉納しまんねんで。
左側の半分は持ち帰って肌身に着けるそうですわ。
(眼病封じ 納め札)
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上から五段目の右から4枚目が内の奥さんの札です。
鉄ちゃん爺やも並んで観音様にお願いしましたんや。
(本尊 十一面千手観音菩薩像)
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本尊を撮影できるとはラッキ! 有り難いことでした。
奈良や京都の寺院では大半が撮影禁止でっさかいに。
ご本尊をプリントアウトして奥さんに渡しまひょ。
(弘法大師さまの像)
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(重要文化財 壷阪寺の多宝塔 三重塔)
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「壺坂霊験記」という物語をご存知かしら?
浪曲では、浪花亭綾太郎さんの名調子でしたかな。
「妻は夫を労わりつ~ 夫は妻を慕いつつ~
夏とはいえど片田舎~ 」
凄く高音で伸びのある歌声は一世を風靡したもんですわ。
鉄ちゃん爺やが小学生の頃はまだ浪曲も盛んでしたな。
綾太郎さんは確か盲目の浪曲家だったと記憶してまぁ。
確か昭和35年に亡くなられたと聞いてますんや。
(壷阪寺境内の 石碑)
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平成15年(2003年)には本堂で歌舞伎が演じられ
沢市役を 中村勘九郎(故 勘三郎)
お里役を 中村福助さん
これは壷阪寺創建1300年周年の催しだったとか。
大宝3年(703年)創建の古いお寺のようですわ。
「壺坂霊験記」を少しだけ紹介して置きまひょ。
浄瑠璃で始まる、頭の部分はよく知られたセリフ!
「三つ違いの兄さんと~ いうてくらしているうちに~
情けなや、こなさんは、生まれもつかぬ、ほうそうで
眼かいの見えぬその上に~ 貧困にせまれどなんのその~
一旦 殿御(とのご)の沢市さん~ 」
盲目が治らぬ沢市はお里を不憫に思い、壷阪寺の本堂から
身投げをしたとか、お里は悲しんで己も後を追って身投げを。
共に谷底で死んだはずが生き返り、沢市さんの盲目が
壺阪の観音様のご慈悲で目が見えるようになったとの話。
お里さんの三年にも及ぶ朝詣でに、観音様のお救いが。
貧しくも仲良く暮らせよのご慈悲、目出度し、目出度し。
(天竺からの 大観音菩薩石像)(高さ 約20m)
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インドにてハンセン病の治療に専念した壷阪寺へ
返礼として、現地の石が寄贈されたんだって。
その石で造られたのが大観音菩薩石像だそうですわ。
高さが約20mで重さがなんと約1200トンだとか。
この立像と共に「大涅槃像=だいねはんぞう」も造られ
熱心な信者や、観光客で賑わっているようだっせ。
(レプリカの 涅槃像=ねはんぞう)
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次回に、お礼参りに来る際には大観音石像と大涅槃像を
見学することにして、今回は下山することにしました。
家内の眼病封じが主な目的なので写真はこれぐらいに。
下山の途中に、こんな慰霊碑が設けられてましたで。
(陸軍歩兵 第67連隊 英霊之碑)
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インパール作戦で要衝のコヒマで英軍の補給路を遮断し
一番最前線に出て、大きな損害を出したのが第67連隊。
インパールは占領できるぞと日本軍が喜んだとの逸話も。
でも英軍は飛行機でインパールに物資や弾薬を補給。
逆に日本軍は補給もなく撤退時に多くの犠牲者を出し
惨敗を喫したという戦いだったと聞いてますんや。
でも~ 第67連隊は敦賀や福井の連隊だったはず?
何故に壷阪寺に第67連隊の英霊之碑が出来たのかが不明。
(阿弥陀如来石像)
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(阿弥陀如来石造と 諸仏石像)
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(奉納された 十一面千手観音像)
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(蓮石曼荼羅=れんげいしまんだら)
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これらの石像や彫刻類もインドから寄贈された石で
造られた物のようでんな、平成6年に訪れた際は
あの大観音菩薩石像だけだったように記憶しまぁ。
(壷阪寺 眼病封じの お守り)
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(戌年の記念 札入れの財布)
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(壷阪寺 駐車場からの展望)
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中央やや右寄りで台形の山が大和三山の一つで
畝傍山(うねびやま)といいますんや。
その左側の山裾に橿原神宮(かしはらじんぐう)が。
初代天皇とされる神武天皇の御陵も右手におます。
神話によれば、大和朝廷の出来た地とされてますかな。
左手の遠くに見えるのが生駒山で、山の向こう側は
前回に紹介した石切劔箭神社のある大阪府になりまぁ。
(近畿日本鉄道 橿原神宮前駅 駅名標)
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ここで息子と別れて、近鉄電車で戻りましたんや。
本日はこれで、お仕舞にしまひょ。
次回は久しぶりに大阪市内へ出かけて見まっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
一緒になって聞いていたボクも、そのさわりを覚えるともなく覚えてしまいました。
名調子が今でも思い出されます。
壷坂寺へは一度は行ってみたいと思っていましたが・・・・。
私まで聞いて居ました(⌒∇⌒)
壷坂霊験記や佐渡情話、森の石松十国船など✌
それに時代劇の映画も大好きで湯たんぽ持参で幼児時代に映画館へ(*´σー`)エヘヘ
奥様 眼の手術なさるのですね_(._.)_
私も緑内障の予防として今が良いと言われてるんですが・・・(私は瞳と茶目の間が狭いため発症しやすいとのこと^^;)
ご無事に終わります様に私もお願いさせて頂きます<<(_ _*)>>
わたしも右目が悪いのですが左目
で補っています。インドから大きな
石、どうやって運んだのでしょうか?
宗教の力、大きいですね。
私もうろ覚えですが何故か知ってます。
眼病封じ祈願きっと天に通じるはず。
奥様の手術の無事成功お祈りいたします。
緑内障が厄介ですね。
御利益に期待いたしましょう。
浪曲、私も、うっすらとは覚えていますよ。
三波春夫の壺阪霊験記を聴いていました。
目の治療はしていませんが10代から眼鏡を
かけています、夏は鬱陶しいです。
聴いたことありますが悲しいお話は
知りませんでした
眼病封じをご子息と一緒に出来たことは
良かったですね
奥様のOPきっと成功しますよ
ご利益に期待しましょう
佐渡へ~ 佐渡へと草木もなびく~
広沢寅造さんは
清水の次郎長伝でしたね
何故か浪曲は関東の方が中心でしたね。
これからは浪曲は下火だとのことで引退しました。
親父も浪曲家でしたが先見の明があったのかも。
親友の息子は現在は吉本興業から漫才で
関西のテレビには時々ですが登場してますね。
名前を出せば関西では少しは知られている方なので
個人情報のこともありこれぐらいにしておきます。
一週間ぐらいの入院になりますかな。
インドから大量の石が運ばれてきて
観音様ができたのはもう40年ぐらい昔だったかも。