JR下関駅は何度も通過したことが有るんですが
途中下車をしたのは今回が初めてとなりますんや。
正確には高校の修学旅行で夜の9時ごろでした。
国鉄のSLと電気機関車が交代する時間を利用し
14両編成の最後尾から3両目へ走ったことがおます。
後ろ5両が小倉駅から日豊本線に切り離されるとのこと。
私たちは長崎駅へ向かうので乗り換える羽目にでした。
そのホームがそのまま残っているのが嬉しかったですわ。
(JR下関駅 長いプラットホーム)
当時は寝台特急や九州へ向かう列車が関門トンネルを
電気機関車で抜けるために必ず停車した駅でしたんや。
だから当時の長いホームが今も残っているのがこの画像。
2006年(平成18年)1月にJR下関駅が放火で全焼!
三角屋根の戦前からのモダンな駅舎が焼けてしまいました。
幸いにホームは延焼を免れて昔の姿を残しているようでした。
下関駅の駅員さんに確認したので昔のままなのは確実!
(JR下関駅の 新しい駅舎)
昔の三角屋根とはイメージは少し変わりましたが現代的な
三角屋根のJR下関駅舎が2012年(平成22年)に完成。
ホームが高架なので階段を下りて改札を出たら少し歩いて
エスカレータで駅前の広場に昇るような形になりまぁ。
(JR下関駅を 背景に自撮り)
(JR下関駅前広場の モニュメント)
(反対側は高級ホテルでした)
(下関市のコウリヤンタウン)
韓国の釜山市とは昔から関係が深い街なので
この辺りにコウリヤンタウンが出来たようですな。
(下関市内の 観光用標識)
この日のお目当ては「海峡ゆめタワー」に昇ることでした。
高さ143mの展望台から360度の関門海峡と下関市を
眺めてくださいと、娘婿から聞いてましたんや。
(海峡ゆめタワー 遠景) (高さ153m)
下関駅の貨物ターミナルや側線を撤去して再開発をしたとか。
現在も韓国の釜山や中国の上海に定期便が運行されているらしい。
(下関港の 国際ターミナル乗り場)
向こう側の山は九州は門司付近の山になりますんや。
この日は3月18日で行く翌日には反対側の門司港駅から
こちら側を眺めることにしてました。
(海峡ゆめタワー 通路から撮影)
(海峡ゆめタワー 入場口)
(海峡ゆめタワー 入場券)
65歳以上は半額の300円とは有り難いことでしたわ。
エレベーターで70秒だったはず30階の展望台に到着でした。
(関門大橋方向を 撮影)
左側の山から新幹線は関門トンネルで右側の山に抜けて
JR小倉駅の手前で地上に出る様になってますんや。
関門大橋は高速道路と国道2号線が通っているようですわ。
(巌流島を 撮影)
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした島として有名でっしゃろ。
昔はもっと小さかったが明治以後に埋め立てられ6倍の面積に。
正式な名前は「船島」と言いまして現在は下関市内だそうです。
当時は小倉藩の島だったそうで宮本武蔵も佐々木小次郎も
小倉の街から船で渡って決闘に臨んだようでっせ。
巌流島の向こう側は彦島でJRの関門トンネルはこの島から
海底に潜り込んで門司駅の手前で地上に出ていますんや。
(下関港に停泊中の 韓国釜山行きの客船)
(下関市の水族館と 魚市場付近)
3月21日に博多から戻る際に立ち寄る予定でしたが
当日は雨で行き先を変更したのが心残りでしたんや。
機会が有ればもう一度今度は下関市内のホテルで1泊して
「海峡ゆめタワー」から夜景を観るのが良いかもしれまへん。
(対岸の展望タワー JR門司港駅前)
関門大橋の辺りが本州と九州を隔てる一番狭い海峡ですな。
源平の壇ノ浦の戦いは関門大橋の向こう側辺りだとの事。
「海峡ゆめタワー」からは遠くてデジカメでは遠すぎました。
(海峡ゆめタワーから 日本海側を撮影)
(海峡ゆめタワーから 小倉方向を撮影)
関門海峡はS字の形で瀬戸内海から日本海の響灘へ抜けているんだって。
遠くの工業地帯が小倉駅の北側に成りますが遠くて分からないかも。
本日はこれでお仕舞にしまひょ。
次回は門司港駅舎とレトロな建物群を紹介しまひょ。
ほんなら、さいなら~♪
途中下車をしたのは今回が初めてとなりますんや。
正確には高校の修学旅行で夜の9時ごろでした。
国鉄のSLと電気機関車が交代する時間を利用し
14両編成の最後尾から3両目へ走ったことがおます。
後ろ5両が小倉駅から日豊本線に切り離されるとのこと。
私たちは長崎駅へ向かうので乗り換える羽目にでした。
そのホームがそのまま残っているのが嬉しかったですわ。
(JR下関駅 長いプラットホーム)
当時は寝台特急や九州へ向かう列車が関門トンネルを
電気機関車で抜けるために必ず停車した駅でしたんや。
だから当時の長いホームが今も残っているのがこの画像。
2006年(平成18年)1月にJR下関駅が放火で全焼!
三角屋根の戦前からのモダンな駅舎が焼けてしまいました。
幸いにホームは延焼を免れて昔の姿を残しているようでした。
下関駅の駅員さんに確認したので昔のままなのは確実!
(JR下関駅の 新しい駅舎)
昔の三角屋根とはイメージは少し変わりましたが現代的な
三角屋根のJR下関駅舎が2012年(平成22年)に完成。
ホームが高架なので階段を下りて改札を出たら少し歩いて
エスカレータで駅前の広場に昇るような形になりまぁ。
(JR下関駅を 背景に自撮り)
(JR下関駅前広場の モニュメント)
(反対側は高級ホテルでした)
(下関市のコウリヤンタウン)
韓国の釜山市とは昔から関係が深い街なので
この辺りにコウリヤンタウンが出来たようですな。
(下関市内の 観光用標識)
この日のお目当ては「海峡ゆめタワー」に昇ることでした。
高さ143mの展望台から360度の関門海峡と下関市を
眺めてくださいと、娘婿から聞いてましたんや。
(海峡ゆめタワー 遠景) (高さ153m)
下関駅の貨物ターミナルや側線を撤去して再開発をしたとか。
現在も韓国の釜山や中国の上海に定期便が運行されているらしい。
(下関港の 国際ターミナル乗り場)
向こう側の山は九州は門司付近の山になりますんや。
この日は3月18日で行く翌日には反対側の門司港駅から
こちら側を眺めることにしてました。
(海峡ゆめタワー 通路から撮影)
(海峡ゆめタワー 入場口)
(海峡ゆめタワー 入場券)
65歳以上は半額の300円とは有り難いことでしたわ。
エレベーターで70秒だったはず30階の展望台に到着でした。
(関門大橋方向を 撮影)
左側の山から新幹線は関門トンネルで右側の山に抜けて
JR小倉駅の手前で地上に出る様になってますんや。
関門大橋は高速道路と国道2号線が通っているようですわ。
(巌流島を 撮影)
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした島として有名でっしゃろ。
昔はもっと小さかったが明治以後に埋め立てられ6倍の面積に。
正式な名前は「船島」と言いまして現在は下関市内だそうです。
当時は小倉藩の島だったそうで宮本武蔵も佐々木小次郎も
小倉の街から船で渡って決闘に臨んだようでっせ。
巌流島の向こう側は彦島でJRの関門トンネルはこの島から
海底に潜り込んで門司駅の手前で地上に出ていますんや。
(下関港に停泊中の 韓国釜山行きの客船)
(下関市の水族館と 魚市場付近)
3月21日に博多から戻る際に立ち寄る予定でしたが
当日は雨で行き先を変更したのが心残りでしたんや。
機会が有ればもう一度今度は下関市内のホテルで1泊して
「海峡ゆめタワー」から夜景を観るのが良いかもしれまへん。
(対岸の展望タワー JR門司港駅前)
関門大橋の辺りが本州と九州を隔てる一番狭い海峡ですな。
源平の壇ノ浦の戦いは関門大橋の向こう側辺りだとの事。
「海峡ゆめタワー」からは遠くてデジカメでは遠すぎました。
(海峡ゆめタワーから 日本海側を撮影)
(海峡ゆめタワーから 小倉方向を撮影)
関門海峡はS字の形で瀬戸内海から日本海の響灘へ抜けているんだって。
遠くの工業地帯が小倉駅の北側に成りますが遠くて分からないかも。
本日はこれでお仕舞にしまひょ。
次回は門司港駅舎とレトロな建物群を紹介しまひょ。
ほんなら、さいなら~♪
宮本武蔵と佐々木小次郎の像が
ありました。
鉄ちゃん爺やさんならではの旅ですね。
天気が思わしくなかったようで、
写真がどんよりして居ますね。
遥か昔門司に滞在してて門司から下関へ行った記憶あります。
でも全く記憶なく壇ノ浦行ったぐらいしか覚えてません。
コメントありがとうございました。
まったくと言って九州地方は
言ったことのないところです
うちの団地に九州の方が住んでいまして
長崎の話を聞いたくらいです。
もう行けないかな~。。
何せ1週間前に箱根に行ったのが約10年ぶりの旅行でした。
近いですからね。
ちょっと行けば、本当のコリアンタウンに行けますが。。。
今朝の千葉はとても良い天気です。
1ヵ月が過ぎてしまいましたね。
大阪も新緑が目立つ季節に成り
私も冬物を収納して春夏物に入れ替え
半袖のシャツを昨日から着用してますよ。
26日の下関日帰りツアーは楽しかったですか?
連絡船が出航していくのが見えましたよ。
時間があれば渡ってみようかと考えたんですが
帰路は天候が悪く諦めて山口市内の
瑠璃光寺の方へ行き先を変えました。
デジカメのズーム機能が悪くなりその為に
画像がどんよりとしているのも原因ですね。
結果的には4月末にコンパクトデジカメが
使用不能になり買い替えの予定です。
天候が雨で山口市内に移動しました。
山口市内に着いたら晴れてましたので
判断のミスだったかもしれません。
下関駅前からレンターサイクルなら半日ぐらいで周辺を回れたんですけどね。