「飛鳥」と言えば高松塚古墳で有名な奈良県の
明日香村の辺りをイメージされまっしゃろ。
今回は、そことは違う「近つ飛鳥」のお話でっせ。
我が街の東部からお隣の太子町にかけての一帯を
「近つ飛鳥」または「河内飛鳥」と呼びまんねん。
現在の大阪城の付近に難波津(なにわのつ)と
呼ばれる古代の重要な港がおましたんや。
そこには難波宮(なにわのみや)もあり中国や
朝鮮半島との外交の入口だったようでんな。
そんな訳で、難波宮(なにわのみや)から見て
近くに在る飛鳥を「近つ飛鳥」と呼び、片や
奈良県に在る飛鳥を「遠つ飛鳥」とも呼びまっせ。
それでは「近つ飛鳥」に行くことにしまひょ。
(金剛バス)
運転免許を返納した鉄ちゃん爺やには不便な場所で
平日でも1時間に1~2本・土日なら1時間に1本。
近鉄電車の喜志駅から金剛バスで片道260円。
我が家から自転車でも行けそうな距離でっけど
標高140mぐらいの丘陵地帯になりまねん。
やっぱり電車とバスで行くことにしましたんや。
(近つ飛鳥博物館 無料入場券)
大阪府立の博物館で、鉄ちゃん爺やの大嫌いな同期生
安藤忠雄という建築家の設計した無駄な箱ものですわ。
バブル期に数百億円を掛けて、こんな不便な山間地に
大阪府民の税金をつぎ込んだバカげた施設でおます。
そんな訳で、お金を払って行く気はおまへんでしたわ。
無料の入場券が手に入ったんで出かけました次第。
だから~ 初めての入館ということになりまっせ。
(風土記の丘)
この辺りは6世紀~7世紀ごろの終末古墳が約150基
一須賀古墳群と呼ばれる遺跡で有名な所でしたんや。
鉄ちゃん爺やの息子達が幼い頃は「わらび取り」など
ハイキングに来るような場所でしたんでっせ。
今は遺跡が調査され遊歩道から見えるようになってまぁ。
(一須賀古墳群 説明掲示板)
確か、下の画像の周辺で「わらび取り」をした記憶。
現在は「わらび」など生えてないような芝生になってまぁ。
(大阪府立 近つ飛鳥博物館)
バス停から約600mぐらい山道を歩いて到着ですわ。
4月に紹介した「狭山池博物館」も同じ安藤忠雄でしたな。
わてから言わしてもらったら、コンクリートの塊を巨大に
積み重ねて、大きな入れ物にしただけにしか思えまへんがな。
この建物で芸術大賞を取ったとか、やらせのような話でっせ。
完成は1994年(平成6年)だったような気がしまぁ。
今回の特別展ですら入場者は見た感じで約100人前後。
普段の土日なら、50人すら訪れないような不便な地。
それなのに駐車場は300台も停められるような規模?
まあ~ 文句はこれぐらいにして見物させてもらいまひょ。
(近つ飛鳥博物館 案内パンフレット)
修羅(しゅら)ってご存じかしら?
古代に重量物を積んで運んだ「ソリ」のような機材でっせ。
我が家から北へ約2kmぐらいの藤井寺市の三ツ塚古墳を
調査中に、偶然に見つかった大発見でしたがな。
数ある古墳の中で、注目もされない小さな古墳でしたんや。
古墳が多く造られた5世紀ごろの遺物なんだって。
約1600年も前の木造の遺物とは驚きでっしゃろ。
(保存処理が完了した 大修羅=だいしゅら)
1978年(昭和53年)3月の出来事でしたかな。
世紀の大発見と言われ、鉄ちゃん爺やも自転車で現地へ。
桜も散った4月中旬だったと記憶しますんやけど。
当日の現地説明会には約2万人が訪れたと報じられましたで。
大小の二つが発見され、大きい方を大修羅(だいしゅら)と
呼び、小さい方を小修羅(しょうしゅら)と呼びまぁ。
大修羅はここの博物館に常設展示されてるそうですわ。
因みに小修羅の方は発見された藤井寺市の図書館で
展示されていると聞いてますんや。
(大修羅を背景に撮影)(国の重要文化財に指定)
鉄ちゃん爺やには38年ぶり修羅との再会でっせ。
大きくて全体がポケデジでは収まりまへんがな。
確か全長が大修羅(だいしゅら)では8.8mでしたかな。
(大修羅=だいしゅら 部分撮影)
この修羅(しゅら)を保存処理をするのには困難が伴い
奈良県の元興寺文化財研究所へ持ち込んで、約14年間。
巨大な浴槽を造り、ポリエチレングリコールとかいう
特殊な樹脂に浸して劣化を防ぐ保存加工をしたんだって。
この修羅は「アカガシ」と呼ぶ保存が難しい材木だとか。
空気に触れると劣化が激しい材質のようでんな。
(アカガシの 大木図)
二股に成っているアカガシの一木で作られてるそうで
劣化せずに地中に残っていたことすら奇跡的だとの話。
この修羅を切断せずに「阿知波組」と呼ばれた重量物の
運送業者が奈良県の生駒市まで運ぶのも話題でしたな。
(修羅保存処理の ビデオ画像)
保存処理中に大阪の朝日新聞社が修羅を復元するとし
徳之島から「カシ」の大木を持ち込んで半年ぐらいで
完成させましたんや。
見物客が約4000人も見守る中でのイベントでんな。
実際に大きな石を積んで河川敷で約400人がかりで
見事に動かして、修羅の使用が再現されたんですわ。
現在はこのレプリカの修羅は道明寺天満宮の境内で
保存されて、常時見ることができますんや。
今日はこれぐらいにして、次回は「近つ飛鳥博物館」の
常設展示品を紹介させてもらいまひょ。
ほんなら、これで、さいなら~♪
明日香村の辺りをイメージされまっしゃろ。
今回は、そことは違う「近つ飛鳥」のお話でっせ。
我が街の東部からお隣の太子町にかけての一帯を
「近つ飛鳥」または「河内飛鳥」と呼びまんねん。
現在の大阪城の付近に難波津(なにわのつ)と
呼ばれる古代の重要な港がおましたんや。
そこには難波宮(なにわのみや)もあり中国や
朝鮮半島との外交の入口だったようでんな。
そんな訳で、難波宮(なにわのみや)から見て
近くに在る飛鳥を「近つ飛鳥」と呼び、片や
奈良県に在る飛鳥を「遠つ飛鳥」とも呼びまっせ。
それでは「近つ飛鳥」に行くことにしまひょ。
(金剛バス)
運転免許を返納した鉄ちゃん爺やには不便な場所で
平日でも1時間に1~2本・土日なら1時間に1本。
近鉄電車の喜志駅から金剛バスで片道260円。
我が家から自転車でも行けそうな距離でっけど
標高140mぐらいの丘陵地帯になりまねん。
やっぱり電車とバスで行くことにしましたんや。
(近つ飛鳥博物館 無料入場券)
大阪府立の博物館で、鉄ちゃん爺やの大嫌いな同期生
安藤忠雄という建築家の設計した無駄な箱ものですわ。
バブル期に数百億円を掛けて、こんな不便な山間地に
大阪府民の税金をつぎ込んだバカげた施設でおます。
そんな訳で、お金を払って行く気はおまへんでしたわ。
無料の入場券が手に入ったんで出かけました次第。
だから~ 初めての入館ということになりまっせ。
(風土記の丘)
この辺りは6世紀~7世紀ごろの終末古墳が約150基
一須賀古墳群と呼ばれる遺跡で有名な所でしたんや。
鉄ちゃん爺やの息子達が幼い頃は「わらび取り」など
ハイキングに来るような場所でしたんでっせ。
今は遺跡が調査され遊歩道から見えるようになってまぁ。
(一須賀古墳群 説明掲示板)
確か、下の画像の周辺で「わらび取り」をした記憶。
現在は「わらび」など生えてないような芝生になってまぁ。
(大阪府立 近つ飛鳥博物館)
バス停から約600mぐらい山道を歩いて到着ですわ。
4月に紹介した「狭山池博物館」も同じ安藤忠雄でしたな。
わてから言わしてもらったら、コンクリートの塊を巨大に
積み重ねて、大きな入れ物にしただけにしか思えまへんがな。
この建物で芸術大賞を取ったとか、やらせのような話でっせ。
完成は1994年(平成6年)だったような気がしまぁ。
今回の特別展ですら入場者は見た感じで約100人前後。
普段の土日なら、50人すら訪れないような不便な地。
それなのに駐車場は300台も停められるような規模?
まあ~ 文句はこれぐらいにして見物させてもらいまひょ。
(近つ飛鳥博物館 案内パンフレット)
修羅(しゅら)ってご存じかしら?
古代に重量物を積んで運んだ「ソリ」のような機材でっせ。
我が家から北へ約2kmぐらいの藤井寺市の三ツ塚古墳を
調査中に、偶然に見つかった大発見でしたがな。
数ある古墳の中で、注目もされない小さな古墳でしたんや。
古墳が多く造られた5世紀ごろの遺物なんだって。
約1600年も前の木造の遺物とは驚きでっしゃろ。
(保存処理が完了した 大修羅=だいしゅら)
1978年(昭和53年)3月の出来事でしたかな。
世紀の大発見と言われ、鉄ちゃん爺やも自転車で現地へ。
桜も散った4月中旬だったと記憶しますんやけど。
当日の現地説明会には約2万人が訪れたと報じられましたで。
大小の二つが発見され、大きい方を大修羅(だいしゅら)と
呼び、小さい方を小修羅(しょうしゅら)と呼びまぁ。
大修羅はここの博物館に常設展示されてるそうですわ。
因みに小修羅の方は発見された藤井寺市の図書館で
展示されていると聞いてますんや。
(大修羅を背景に撮影)(国の重要文化財に指定)
鉄ちゃん爺やには38年ぶり修羅との再会でっせ。
大きくて全体がポケデジでは収まりまへんがな。
確か全長が大修羅(だいしゅら)では8.8mでしたかな。
(大修羅=だいしゅら 部分撮影)
この修羅(しゅら)を保存処理をするのには困難が伴い
奈良県の元興寺文化財研究所へ持ち込んで、約14年間。
巨大な浴槽を造り、ポリエチレングリコールとかいう
特殊な樹脂に浸して劣化を防ぐ保存加工をしたんだって。
この修羅は「アカガシ」と呼ぶ保存が難しい材木だとか。
空気に触れると劣化が激しい材質のようでんな。
(アカガシの 大木図)
二股に成っているアカガシの一木で作られてるそうで
劣化せずに地中に残っていたことすら奇跡的だとの話。
この修羅を切断せずに「阿知波組」と呼ばれた重量物の
運送業者が奈良県の生駒市まで運ぶのも話題でしたな。
(修羅保存処理の ビデオ画像)
保存処理中に大阪の朝日新聞社が修羅を復元するとし
徳之島から「カシ」の大木を持ち込んで半年ぐらいで
完成させましたんや。
見物客が約4000人も見守る中でのイベントでんな。
実際に大きな石を積んで河川敷で約400人がかりで
見事に動かして、修羅の使用が再現されたんですわ。
現在はこのレプリカの修羅は道明寺天満宮の境内で
保存されて、常時見ることができますんや。
今日はこれぐらいにして、次回は「近つ飛鳥博物館」の
常設展示品を紹介させてもらいまひょ。
ほんなら、これで、さいなら~♪
今日も風ありまだ小雨が降っています。天気予報では
12時までで雨あがると言ってたんですが、やみません
少し明るくなっていますので間もなくやむでしょう・
飛鳥は河内飛鳥と呼び名があるんですね
初めて知りましたよ。 今年の夏は暑いです
7月27日からのツアー気を付けていかれて下さい
8月15日大阪行けたら行きますのでその時は
知らせます。名門フェリーも15000トンですから
大きくなりました。一等寝台で行く予定シルバー割引ありますので良いでしょう。JRは運賃のみ割引なので
割高になります。松山入った時往復20000円かかりました船なら往復1万で行けます。古墳を見て歩くのも良いですね。お互いに食中毒には気を付けましょうね。
大阪は天王寺のホテルが一番便利ですね。ホテルまで自転車で走っても2時を間ぐらいで着きますからね
途中に天然温泉を見つけましたので行き帰り利用しようと思います住吉ボートの手前ですね。コメント有難う御座いました。
飛鳥が二つあるとは知りませんでした。
立派な建物、古墳文化伝える貴重な施設
しかしもう少し場所と建物コンパクトにした
方が良かった感じしますね。
今月もよろしくお願いします。
駐車場も数台分、小さなセンターです
年に2,3回の催し物の展示されます、まあ散歩の帰りにでも寄れます。
誰も見学に行かないような大きな箱物はいらないかな~。
こんなケースは時々はありますよね。
大阪も午前中は晴天で夕方から曇ってきましたけど。
確かに松山へは九州からは遠回りですから
JRの方が随分と高くなりますね。
大阪からはJRよりも高速バスの方が安くて
時間もさほど変わらないかもしれませんよ。
申請なんて考えてなかったので
こんな田舎に博物館を造ったんでしょうね。
もし世界文化遺産に決まったら堺市か羽曳野市に移転させる必要がありますね。
その頃には安藤忠雄も死んでるから他の人に
お願いした方が良いでしょうな。
施設は小さく造るべきですね。
あの近つ飛鳥博物館も橋下さんが統合して
廃止にしようと考えましたが
結局は府議会の反対で流れてしまいました。
造った箱モノをやめるのは作る以上に難しいようですね。
今日は曇りの状態でした。風があって気持ちよかったです。明日も曇りですので、合羽は必要です。
8月は8月13日から19日まで 多忙の時期なので
1等の割引ありません。猛暑になるかのせいが高いので
お盆の事もあって誠に申し訳ないけれど。今回は大阪行き延期します。お盆お寺参りに行きます。親戚の叔母さんの初盆でもあるので
多分姉が行こうと言うかもしれないので予算をためておかないといけないので本当に申し訳ありませんが
10月もしくは12月に必ず大阪へ行きますので
ご了承下さいね 暑いので体調管理十分お互いに
気を付けましょう。早めに連絡差し上げました。
「近つ飛鳥博物館」がローマ字でChikatuasukaと書いてあったので「ちかつあすか」と読めましたが・・・
固有名詞は本当になやましいですね。
大修羅もそうですが、ボクのように歴史音痴のものにはとても解り辛い文字です。
38年ぶりの再会とは、黒田さんにとり、思いがけないことだったのではないでしょうか。
~~~~~~~~~~
さすが黒田さん。写真からそんなことまでわかるとは。武蔵浦和のプラットホームは西側で、その向こうを新幹線が走っていました。
黒田さんが勤務なさった事務所が、駅からそう遠くないところだったとは。
熊谷駅は北口(正面口)に出ました。そうしたら駅正面に熊谷次郎直実の銅像があったのです。
熊谷寺を「ゆうこくじ」と読むことを知りましたが、信者しか入ることが出来ませんでした。
西武新宿線の本川越駅とJR川越駅とは、徒歩で15分ほど離れているので、浦和、大宮方面へ行くことは年に数回しかありません。
私の場合は、どうしても都内へ出ることが多いですね。
了解しました~